今朝は真冬並みの冷え込みとなる。
日中も気温が上がらず寒い一日となった。
彼岸が明ける週末にはやっと春本番になるとのこと。
もう少しの辛抱だ。そうして桜の季節がやって来る。
右足の痛みは相変わらずで昨夜の湿布も効かなかったようだ。
これまでどれほど右足を頼りにしていたことだろう。
労わることもせずに酷使していたことを今更ながらに感じる。
ふと頭を過るのはこれは罰ではないかと
神様でも仏様でもなく母の仕業なのに違いないと思ったのだ。
昨年の49日の法要以来お線香の一本も上げていない。
巳の日正月もしないまま年を越してしまったこと。
彼岸も同じく何ひとつ供養らしきことをしていないのだ。
そんな薄情な娘に母が黙っているとは思えない。
懲らしめてやろうと母ならあり得ることである。
私の部屋には小さな仏壇があり父と母の遺影を祀ってあるが
おそらくそれも気に入らないのだろう。
とっくの昔に離婚した父と一緒に居るのが耐えられないのだと思う。
それはあくまでも私の都合なのだ。なんと身勝手なことだろう。
だからと云ってどうしようも出来ない。
母はきっと許してくれるに違いないと勝手に思い込んでいた。
怒っているのなら夢でもいいからそう伝えて欲しい。
私は試練だと受け止めて耐えて見せようと思っている。

お昼休みにいつものように短歌を三首。
残った時間で同人誌に送る16首をやっと選ぶことが出来た。
メールで送信するのだが何の手応えもないのはいつものことである。
虚しくてならない。そうしてどっと気疲れが襲って来る。
やはり潮時なのかもしれない。これが最後かもしれないと思う。
午後も仕事が忙しくリハビリの予約時間に間に合いそうになかった。
病院に電話をしたら4時の予約に変更出来て助かる。
車検完了の納車を済ませてから大急ぎで病院に向かった。
今日は初対面の療法士さんで最初は少し緊張したが
あれこれと話し掛けてくれて一気にリラックス出来る。
右足の痛みも気遣ってくれてなんとも優しい施術であった。
やはり左足を庇うため酷使し過ぎたのだろうと言う。
ふくらはぎの筋肉はパンパンに張っている。
揉み解してもらってずいぶんと楽になった。
母の罰だとしても後悔しているのかもしれない。
可哀想だと思ったらもう赦してはもらえないだろうか。

今夜は娘が職場のお別れ会で留守にしている。
夕食は要らないと言うので楽をさせてもらった。
めいちゃんと娘婿はダンス教室が終ってから何か買って来るそうだ。
あやちゃんには娘が出掛けに冷凍のたこ焼きをチンしていた。
そんな物で良いのかと気遣うと今夜はたこ焼きの気分なのだそうだ。
それだけではあんまりだと思っていたら昨夜の寄せ鍋の残りも
嫌がらずに食べてくれて嬉しかった。鶏肉が残っていて良かった。
夫と私は寄せ鍋におうどんを投入しぐつぐつ煮て食べる。
後はサニーマートの鰹のタタキとイカの唐揚げがあった。
寄せ鍋はまだ残っており明日の朝が最後の勝負である。
いつも作り過ぎてしまうのだ。でも捨てる訳にはいかない。
明日の朝も冷えるのだろうか。暖かくして眠ろう。
明日はあしたの風が吹くらしいがどうか春の風でありますように。
春分の日。彼岸の中日でもある。
一気に春らしくなる頃であるが「寒の戻り」となり
朝から強い北風が吹き荒れ真冬のような寒さとなった。
もう少し気温が低ければ雪がチラついたことだろう。
今朝は目覚めるなり右足が酷く痛んでいた。
寝ている間に筋がつったのだろうか原因は不明である。
日頃から痛む左足を庇って酷使していたせいなのかもしれない。
両足が不自由となればまとも歩くことも出来ず困惑するばかり。
とりあえず湿布を施し様子を見ていたが痛みは治まらなかった。
朝のうちに2時間ほど寝る。そろそろ買い物に行かねばならない。
めいちゃんが一緒に行ってくれることになりなんとも心強い。
カートを押してくれて食材を籠に入れてくれとても助かった。
寒いのでお昼はおうどん。夜は寄せ鍋にすることにした。
グレの切り身、白身魚のすり身、牡蠣、鶏団子などを買う。
帰宅したらもうお昼。4人分のおうどんを急いで作る。
玉子を入れて「月見うどん」にした。
嬉しかったのはあやちゃんも一緒に食べてくれたこと。
お汁まで飲み干して「美味しかった」と言ってくれた。
いつもはカップうどんを食べることが多く珍しかったのだろう。
もしかしたら初めて食べたのではないかと思った。
だとしたら今日は「月見うどん記念日」である。

身体がぽかぽかと温まりまた眠くなってしまった。
炬燵に潜り込むなり直ぐに寝ていたようで目覚めたらもう4時である。
あまりに寝るので夫は呆れるよりも心配をしていた。
私も異常だと思う。今日は朝から6時間も眠っていたのだ。
もちろん寝ている間は何も出来ない。
それだけ時間を無駄にしていることになる。
今日は同人誌に送る短歌を選ぼうと思っていた。
16首どころか一首も選べずいったいどうなることだろう。
いつまでたっても精力的に取り組むことが出来ない。
それ程までに無気力になってしまったのだろうか。
寝起きの気だるさはあったが今日の短歌は詠むことが出来た。
相変わらずの塵芥である。けれども誰かが見つけてくれるだろう。
諦めてはいけないのだと思う。私は塵を積み重ねていかねばならない。
塵を見つけた人はゴミ箱に入れてくれるだろうか。
いや丸めてぐしゃぐしゃにして放り投げてしまうかもしれない。
そうしたら風に乗って何処までも飛んでいけるのだ。
曇り日。午後から少しだけ雨が降る。
寒の戻りなのだろう。気温も上がらず肌寒い一日となった。
明日は今日よりも冷え込むらしい。まるで冬があがいているようである。
今朝はなんとなく動悸がしふたふたと落ち着かない。
また眩暈の前兆かもしれないと安定剤を服用したのがいけなかった。
運転中にいつも以上の眠気に襲われ危うく事故を起こしそうになる。
一瞬眠っていたのだろうはっと気づけば反対車線を走っていた。
対向車が目前に見え慌ててハンドルを切ったが危機一髪であった。
気をつけようにも成す術もない。まるで命がけの運転である。
毎朝の眠気にはもうすっかり慣れているつもりだが
以前に医師に相談した時には誰にでもあることだと言われた。
あまり神経質になってもいけないようである。
もしかしたら自己暗示に掛かっているのかもしれない。

今日もお昼休みに短歌を詠んだ。3首詠むのに30分程かかる。
直ぐにスイッチが入るのは良いことだが決して上出来とは言えない。
同人誌の締め切りも近づいており16首選ばなければいけないが
どれもこれも塵か芥のような短歌ばなりで頭を抱えている。
今日はいっそのこと同人誌なんか止めてしまおうかと思った。
それよりもSNSでひっそりと発信し続ける方が気楽である。
掲載費を支払ってまで活字にする必要があるのだろうかとも思う。
このところずっと三首目には「あの子」のことを書いているが
ただただそれがささやかな供養になればと思っている。
「あの子」のことを知っている人は数少ないはずだ。
この日記を昔から読んでくれている人に限られる。
もう今更おおやけにするつもりはない。
だから誰に何と言われようと「あの子」を守らなければいけない。
「抱くことも叶わなかった魂が野を彷徨っている春彼岸」

今日も3時半まで仕事。小雨降る道を突っ走るように帰る。
昨日よりも今日と咲く枝垂桜を見たが停車せずに走り抜けてしまった。
きっと写真を撮ろうと思っている。やはり晴れた日が良いだろう。
サニーマートでは半額品をあれこれ仕留めご機嫌も麗しい。
塩焼き用の鰤、イカの浜焼き、アスパラベーコン、むき海老。
とにかく買って帰ればなんとかなるだろうと思っていた。
そうしたら何と言うことでしょう。帰宅したら車庫に娘の車があった。
一気に目の前が明るくなる。「夢に餅」とはこのことである。
久しぶりに娘と肩を並べて夕飯の支度をした。
娘は今月いっぱいで失業するのでしばらくは暇になるようである。
新しい仕事が見つかるまでは私も楽をさせてもらえそうだ。
あやちゃんもめいちゃんもご機嫌。笑顔のまま一日が終ろうとしている。
陽射しはたっぷりとあったが風は冬のようだった。
強風注意報が出ていたようだ。北風は暴れん坊である。
今朝は国道沿いの白木蓮がすっかり散っており詫びしいこと。
僅かに残っている花も冷たい風に震えているように見えた。
お遍路さんがひとりふたり背中を押されるように歩いている。
ここ数日の間に増えたようで全部で6人のお遍路さんに会えた。
追い越しながら会釈をするばかり。もちろん一方通行の会釈である。
声を掛けるきっかけがつかめない。その前にまだまともに声が出ない。
仕事を始めて2時間ほど経った頃だったろうか。
いきなり眩暈がし始め一瞬倒れるのではないかと思った。
数年前にはよくあったことだが最近ではすっかり忘れていた眩暈である。
昨日はゆっくり休んでおり疲れとは考えられない。
もしやと思い血圧を測ってみたがこれも正常であった。
木の芽起こしの頃であり季節の変わり目でもある。
寒暖差も著しくおそらく自律神経の乱れではないだろうか。
いつも持参している安定剤を服用ししばらく様子を見ていた。
お昼休みに30分程クルマのシートを倒しうとうとした。
それが良かったのか午後からは少し元気になる。
体調を崩すと直ぐにパニックになってしまう。
そうして死ぬのではないかと不安でいっぱいになってしまうのだ。

3時半まで仕事。買物もしなければ、洗濯物も畳まなければ
気ばかり焦って車を飛ばしていたら県道沿いの枝垂桜に目が留まる。
桃色の桜である。いつの間に咲いたのだろうと思った。
近くにはソメイヨシノの並木もあるが真っ先に咲いたようだ。
帰り道の楽しみが出来た。明日は車を停めてみようと思う。
夕飯はオムライス。それから南瓜の素揚げ。
お刺身はびんなが鮪がお買い得になっていた。
オムライスは簡単そうでけっこう手が掛かる。
南瓜を揚げながら作ろうとしていたが手に負えなくなった。
あやちゃんは料理クラブの気分ではなかったようだが
「あやちゃん助けて〜」と呼んだらすぐに二階から下りて来てくれる。
そうして南瓜を全部揚げてお皿に盛りつけてくれたのだった。
私は感激で胸がいっぱいになり涙が出そうなくらい嬉しかった。
6時前に娘が帰宅。褒められたあやちゃんの笑顔が輝いている。
今日は自主的ではなかったがどれほど助かったことだろう。
「出来ることがある」それはきっと自信に繋がるに違いない。
学校はもうすぐ卒業式があり春休みに入る。
その春休みの間に事態が好転するかもしれないと
期待ではなくひたすら祈るような気持でいる。
もう新鮮な春が始まっているのだもの。
小糠雨降る一日。気温はさほど低くはなかったが肌寒く感じた。
彼岸の入り。あちら側とこちら側に真っ二つに分かれてしまいそうだ。
正しい日本語なのかは定かではないが私はよく「寒の別れ」と表現する。
「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人はよく言ったものだ。
夫72歳、母が生きていれば86歳の誕生日である。
夫と出会った若き日に「運命」を感じたが果たしてどうなのだろう。
苦労も多かったが今のこの幸せを噛みしめずにはいられない。
45年目の春である。共に白髪の生えるまではとっくに過ぎた。
あと何年添え遂げられるのだろうとそればかり考えている。
「俺より先に死ぬなよ」残された私はどうやって生きていけばいいのだろう。

朝のうちに髪を切りに行きさっぱりと心地よくなった。
私にはいつも2センチの憂鬱があるようだ。
生きている証なのだろう。2ヶ月で2センチ髪が伸びる。
義父から何度も着信がある。どうやら一人で仕事をしていたようだ。
昨日二日酔いでサボってしまったのでよほど心苦しかったのだろう。
逐一報告してくるのでまたまた子供みたいだと可笑しくなる。
かなり仕事が捗ったようで明日が楽しみであった。
夕方、めいちゃんが食卓の周りに飾り付けをしてくれる。
折り紙で作った花や風船まで飾ってくれ夫のなんと喜んだこと。
プレゼントと手紙まで渡してくれて夫は涙ぐんでいた。
私はふと不安になった。もしかしたら最後の誕生日ではないかと。
いやいやそんなはずはないと振り払うように思い直す。
いつも優しいめいちゃんの成長した姿だったのだろう。
大好きなおじいちゃんのために心を尽くしてくれたのだと思う。
夫も母も彼岸に生まれ春に祝福されたことだろう。
桜の花が咲き嬰児の瞳に鮮やかに映ったに違いない。
母には今年の桜を見せてあげることが出来なかったが
夫よ。どうかどうか長生きをして下さい。
私より先に逝かないで下さい。
快晴。昨日よりも更に気温が上がり汗ばむ程の陽気となる。
宿毛市に続き四万十市でも桜が咲いたのだそうだ。
山桜、山ツツジはすでに咲いており山々を彩っている。
今年は暖冬だったせいか急ぎ足の春であった。
朝のうちにカーブスへ行き終わり次第に職場に向かう。
昨日車検が完了した車があったが適合証を書き終えていなかった。
検査員の義父が留守だとこれが困りどうしようも出来ない。
お客さんに迷惑をかけてしまうので今日こそは納車しなければならなかった。
お昼前に職場に着いたが義父の姿が見当たらなくて焦る。
農作業かと思いおそるおそる電話を掛けてみたら
二階の居室で発信音が鳴り響いているのだった。
しばらく鳴らし続けていたらやっと義父が出てくれる。
どうやら二日酔いでダウンしていた様子である。
昨日苗床を運び出すのを手伝ってくれた友人達と酒盛りをしていたらしい。
義父は労いのつもりだったろうがいささか飲み過ぎたようだ。
若い頃から酒豪ではあったがもう80歳の高齢者である。
青年団ではあるまいしもっと限度を知るべきだろう。
しかしなんだか子供みたいな気がして微笑ましくもあった。
そのやんちゃぶりは90歳になっても変わらないだろう。

書類を書き終え仕事は直ぐに終ったがとんぼ返りするわけにもいかず
二時間ほど待機して同僚に留守番を頼み帰路に着く。
峠道に差し掛かる前に畑仕事をしている亡き母の友人を見つけた。
道端に車を停めてしばし話し込む。とは云えまともに声は出ない。
じゃが芋の植え付けをしていたのだそうだ。もうそんな季節なのか。
別れ際に「声かけてくれて有難うね」と言ってくれて嬉しかった。
ささやかなことなのだ。声がまともならもっと話せたのにと思う。
3時前に帰宅。大量に干していた洗濯物がもう取り入れてあった。
娘が休みだったのに夫が日課と称して早目に入れてくれたようだ。
感謝すべきところだがつい「3時までは干しちょったらええに」と
言ってしまう。そうしたら「乾いたらさっさと入れたらええがや」と
女はまだもったいないと思うが男はそうではないようで可笑しかった。
直ぐに畳もうと思いつつ炬燵に潜り込んでしまう。
そのまま一時間ほど寝入っていたようだった。
目覚めてからもしやと思い確認すると娘がもう畳み終えていた。
「しめしめ」と思う。実はそれが私の作戦だったのだ。
今夜はダンス発表会のリハーサルがあり娘達の夕食は要らなかった。
おさんどんを免れることほど嬉しいことはない。
ローソンに行って夫にはカツ丼、私は明太子パスタを買って来た。
食器洗いもしなくていい。なんと楽ちんな夜だろうか。
あやちゃんは娘がお昼にカレーを作っていて今夜もカレーである。
部屋で食べると言うので娘が出掛けにお盆に載せて運んで行く。
昨日の夜から顔を見ていないがきっと笑顔でいることだろう。
お風呂上りに声を掛けてみた。「あやちゃんお風呂にどうぞ」
「うん、わかった」と明るい声が聞こえとてもほっとしている。
このところずっと寝る前にSNSで発信をしている。
どうでもいいようなつまらない言葉でも反応があるのが嬉しい。
所詮酔っぱらいの戯言である。辟易している人も多いことだろう。
自分がどう見られているかよりも自分がどうあるべきなのだ。
老い先は短い。残せる限りの言葉をこの世に残したいと思う。
最高気温が20℃となりすっかり春の陽気となる。
彼岸の入りも近くなり春にまっしぐらのように思えるが
来週には寒の戻りが数日あるとのこと。
桜が咲けば「花冷え」となり季節の趣を感じるだろう。
朝の山道を行くと民家が3軒ほどある集落があり
そこの良心市に春を告げる「タラの芽」が並んでいた。
毎年楽しみにしていて今年もそろそろかなと思っていただけに
今朝は嬉しくて思わず歓声を上げてしまった。
一パックに6本程入っており百円の安さである。
二パック買い浮き浮きしながら職場に向かったことだった。
お金を入れる鍵付きの箱など置いてなくて小さな湯呑を置いてある。
それでこその「良心市」なのではないだろうか。

山里ではもう田植えの準備が始まっており義父が忙しくしている。
今日は育苗機に入れてあった苗をハウスに運ぶ作業をしていた。
その苗のなんと可愛らしいこと。まだ5センチ程だが「いのち」を感じる。
来月早々には田植えを始めるのだそうだ。義父は生き生きとしている。
工場の仕事も大変な忙しさで同僚一人ではとても手に負えない。
だからと云って義父に無理強いは出来ず農作業を優先させてあげたい。
とにかく機嫌を悪くさせてはいけないのだ。
母が現役だった頃には義父との諍いが絶えなかったことを思い出す。
母が嫌味を言えば義父が怒る。それは当然のことだったのだろう。
そんなことは二度とあってはならない。私は母とは違うのだ。

仕事が少し残業となり4時半に帰宅する。
娘は今日も遅くなるそうで洗濯物の山が待っていた。
畳み終えて10分程横になっていたが直ぐに夕食の支度である。
「タラの芽の天ぷら」は最後にすることにして
台所であたふたしていたら二階からあやちゃんが下りて来てくれた。
今日は料理クラブの気分だったのだろう「手伝おうか」と言ってくれる。
「豚肉とインゲンの甘辛煮」「イタリアンパスタ」
私は材料の下ごしらえと味付けをするだけで後はあやちゃんに任せた。
まだ手付きは危なっかしいが二つのフライパンと格闘する。
その間にさつま芋を切りタラの芽と一緒に天ぷらにすることにした。
一人ではパニックになっていただろう。あやちゃんに助けられる。
やがて娘が帰って来て天ぷらを揚げてくれた。
タラの芽が大好物の夫はウハウハ言いながら美味しそうに食べていた。
さつま芋の天ぷらも甘くて美味しい。これは孫達の好物である。
娘は明日は休みだが明後日から月末までずっと遅くなるらしい。
もう閉店まで仕入れはしないそうで売り尽くすのだそうだ。
在庫が少なくなっているせいか客足が減っているらしい。
それでも最後の日までなんとしても遣り遂げるのだと言う。
私も明日は行ってみようと思っている。少しでも売上に協力したいのだ。
三月は去ると云うが、別れの季節でもある。
けれども桜は咲くだろう。そうして新鮮な春が始まろうとしている。
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