晴れたり曇ったり。今日も北西の風が強く寒い一日だった。
先日の雨でぐんにゃりしていた桜草がすっかり元気を取り戻す。
強い風に煽られても倒れもせずになんと逞しく健気なことか。
花の盛りはもう過ぎているがどんな終わり方をするのだろう。
桜のようにはらはらと散ってしまうのか見届けてあげなくてはいけない。
一週間前に処方してもらった薬が切れてしまったので今日も病院へ。
7時半に受付を済ませたが13番目で一時間半の待ち時間だった。
咳は殆ど出ていないので隔離されることもなくほっとする。
声嗄れがあまりにも長引いているので医師と相談の上
専門の耳鼻咽喉科を受診することになった。
ファイバースコープで声帯を診てもらったら原因が分かるだろう。
まさか癌ではあるまい。医師もそれはないよと笑い飛ばしてくれた。
しかしもう三週間目になろうとしている。
声の出ないのは本当に不便なもので特に電話はかなり辛いものだ。
来週の水曜日。医師の紹介状を持ってK病院へ行く。

病院からカーブスへ行きサニーマートで買物をしてから帰宅する。
お昼は夫と温かいおそばを食べた。身体がぽかぽかと温まる。
そのまま炬燵に潜り込みなんと3時間半も寝ていたようだ。
いつものことであるが今週は仕事がハードだったので疲れていたのだろう。
週末はとにかくゆっくりと身体を休ませてやらなくてはいけない。
目覚めたら夫が洗濯物を取り入れてくれていた。
今日は「おまえがやれ」とは言わなかった。本当は優しい人なのだ。
サンキューの日らしい。「ありがとうね」とちゃんと言える。
山里のお客さんから猪の肉を頂いていたので圧力鍋で煮る。
その間に短歌を書こうとパソコンに向かっていた。
頭がぼんやりとしていたせいか思うように書けない。
昨日は15分で書けたが今日は30分掛かってしまった。
最後に「あの子」のことを書く。3月はあの子の死んだ月だから
思い出さない日はなかった。しかし肝心の命日を失念している。
どうして忘れてしまったのだろう。それさえも悔やまれてならない。
若さを理由にしてしまったらあの子があまりにも可哀想ではないか。
産声もあげられなかった子。名もなければ遺骨さえなかった。
光るのは天使の羽根に違いない天の国からあの子が帰る
もしかしたら今日が命日なのかもしれない。
陽射しはたっぷりとあったが北西の風が強く寒い一日だった。
それもそのはず関東は雪で都心でも積雪があったようだ。
「なごり雪」ではあるが春を押しやるような冷たさだったことだろう。
四万十も数年前の3月に大雪が降ったことがあった。
まだまだ油断は出来ないがささやかな春を楽しんでいる日々である。
今朝は出勤前に山里のお客さんから電話があって
昨年塩漬けにしていた「イタドリ」を取りにおいでと言ってくれる。
塩抜きをしてくれていてすぐに食べられるのだそうだ。
私は山菜が好きで特にイタドリは大好物である。
全国的にはあまり食べる習慣がないと耳にしたことがあるが
高知県人は好んでよく食べる。炒め物にすると最高に美味しい。
お客さんの家は朝の通り道で峠を越えた地区にある。
それが思いがけないことに道路まで出て来て待っていてくれた。
大きな袋を提げておりほうれん草と春キャベツまで入っている。
なんと有難いことだろう。笑顔で礼を言い職場に向かった。
今日は幸先が良いなと思う。朝からこんなに嬉しいのだもの。

金曜日の仕事は怒涛の忙しさであった。
まるで独楽ねずみのようになり後から後からする仕事がある。
お弁当を掻き込むのが精一杯でお昼休みもなく働く。
義父は昼食を食べる暇もなく手を休めることもなかった。
あまりの忙しさに同僚はパニック状態である。
事務所の机の前に母の写真を貼ってあるのだが
いつ見ても笑っている。いったい何処から見守っているのだろう。
3時過ぎにやっと一段落したがふらふらっと眩暈がし始めた。
これはいけないとリポビタンを飲んでもうひと踏ん張りである。
最後に郵便局へ行って車検済みの書類を速達で郵送した。
帰り道には取引先に寄らねばならずいつもの高速道路は走れない。
国道沿いを走っていると「ちきん館」が近づいて来て
そうだと思いつき「まるっぽ鶏」を買って帰ることにした。
今日は娘も帰宅が遅くなるとのこと。とても炊事どころではない。
ちきん館にはお刺身も売っており助かる。鯛のお刺身を3パック買う。
それで千円なのだからサニーマートよりずっと安かった。
無性に甘い物が食べたくなり一切れサイズのバウムクーヘンも買う。
外の自販機で冷たい缶コーヒーを買って食べながら帰った。
ラジオからはミスチルが流れる。今日は桜井さんの誕生日である。
帰宅したら洗濯物の山が待っていたがとにかく少し休みたい。
ほんの10分程だったが炬燵に潜り込んだだけで疲れが癒えた。
4時45分。今日は諦めようと思っていた短歌を書く。
詠むのではなく書く。一首5分の早業であった。
どうせろくなものが書けないだろうと思っていたが
まあまあの出来だったので私は天才かもしれないと思う。
それはもちろん冗談だが書けたのがとても嬉しかった。
くたくたの独楽ねずみであったが最後の力を出し切った気がする。
週末はもう頑張らなくていい。ひたすら寝ていてもいい。
今度はトドになるのだ。もう何も思い悩むこともないだろう。
風もなく穏やかな晴天。すっかり春の陽気であった。
玄関先の葉牡丹がにょきにょきと伸びてもうすぐ花芽が見えそうだ。
昨年だったか花が終ってから種を採ろうと目論んでいたが
そんな面倒なことをしなくても茎を短く切れば良いのだそうだ。
そうすればまた新しい芽が出て冬の庭を彩ってくれるらしい。
今年はそうしてみようと思っている。ものは試しであろう。
お隣の奥さんはそうしてもう何年も育てているらしかった。
足が不自由で思うように庭いじりも出来ないが
ささやかなことだけでも続けてみようと思っている。
そうして季節ごとの花を楽しんでみよう。

仕事を終えてから週一のリハビリへ。
今日は診察がなかったので医師とスマホで面談する。
まだあまり声が出ないことを伝えると
「しゃべらんでもええぞ、今日も頑張れよ」と笑顔で応えてくれた。
私はピースサインをして応える。医師も手を振ってくれた。
リハビリは身も心もリラックス出来てなんとも癒される。
週一では足りないぐらいで毎日でも通いたかった。
療法士さんとの会話も楽しい。今日もガラガラ声であれこれ話す。
マッサージをしてもらうと血行が良くなるせいかおならが出そうになる。
そんな無礼なことをと必死に我慢していたが漏れるように出てしまった。
音のしないおならだったのでどんなにか匂うだろうと心配だったが
療法士さんは全く気づいていないようでほっと胸を撫で下ろした。
マスクのおかげかもしれないが以後は気をつけねばなるまい。
それにしてもリハビリの成果はすごい。足の痛みが嘘のように和らぐ。

帰宅して娘と夕食の支度を始めたらあやちゃんが二階から下りて来た。
チキンカツを作るのを手伝ってくれてパン粉をまぶしてくれる。
こんなことがかつてあっただろうか。初めてではないかと思う。
後から夫が話してくれたのだが、今日は保健の先生が来てくれたそうで
あやちゃんをお散歩がてらローソンへ連れて行ってくれたようだ。
「知らないふりをしておけよ」と夫に言われたので
あやちゃんの前では何も言えなかったけれど
その出来事がよほど嬉しかったようだ。
陽射しをいっぱいに浴びて歩く姿が目に見えるようだった。
この一年家から一歩も出ない日がずっと続いていたのだもの。
もしかしたら光の天使に会えたのかもしれない。
そうして心から笑顔になれたのだと思う。
光の天使はいつだってあやちゃんを待っている。
またお散歩に行こうね。真っ青な春の空を見上げようね。
曇り日。気温はそう低くはなかったが肌寒くてならない。
陽射しがあるとないでは随分と違うものだ。
国道沿いの白木蓮がほぼ満開になった。
白装束のお遍路さんが歩いていると絵になるのだが
今の時期はお遍路さんが少なくたまにしか見かけなくなった。
春遍路さんが多くなるのはお彼岸頃からだろうか。
また新たな出会いもあることだろうと楽しみにしている。
今朝は資源ごみの回収があったので夫に頼んだのだが
ぶつぶつと文句ばかり。どうして機嫌よく引き受けてくれないのだろう。
「最近のおまえは人使いが荒いぞ」と捨て台詞まで投げつける。
私は出勤前の家事で精一杯である。時間に追われてばかりなのだ。
あれこれと頼めば機嫌が悪くなるのだけれど
今日はお風呂場の掃除も頼んでから出掛けたのだった。
ついつい命令口調になっていたのだろう「おまえがやれ」と怒る。
「一日中遊んでばかりいるくせに」と私も負けてはいられない。
労わり合い助け合ってこその夫婦ではないか。
私も出来ることはしよう。でも助けて欲しい時がいっぱいある。
「お願いだから助けて」と甘えてみるのも良いかもしれない。

仕事は今日も忙しかったがお昼休みがあったので短歌を詠めた。
我ながらマンネリ化してきたことを感じていて悶々とする。
斬新は無理でも新鮮でありたい。しかし焦りは禁物である。
ゆっくりと時間をかけて自分の言葉と向き合っていきたいと思う。
帰宅しながらやはり「塵」なのだなと思った。
それは自分を貶めるのではなくむしろ誇りに思うべきなのだ。
些細なことでも続けていればきっと「山」になるのだと信じたい。
そうして日々積み重ねていくことが肝心なのだろう。
未来はあるようでなく「一日一生」を心掛けている。
与えられた一日を精一杯に全うしてこそ生きていると云えるだろう。
そうして少しずつ「欲」を手放していかなけれなならない。
まずは認められたい欲だ。それさえなければどんなにか気楽なことか。
何者にも束縛されず私は自由になれるだろう。
書きたいことを書く。書けるだけ書く。
誰に何と言われようとそれが私の誇りなのだ。
他人の評価など気にしていては自分を見失ってしまうだけだ。
私が好きならばそれでいい。とことん愛してやろうではないか。
| 2024年03月05日(火) |
新じゃが芋のガレット |
二十四節気の「啓蟄」春の気配を感じた虫たちが土の中で動き出す頃。
寒の戻りはあっても季節はたしかに春なのだろう。
三寒四温を繰り返す早春の頃が私はなんとなく好きである。
冬と春が互いにせめぎ合っている。それは勝ち負けではなくて
まるで身を引くように冬がゆっくりと退いていくのだ。
木の芽起こしの雨だろうか。小糠雨が降る一日。
帰宅したら玄関先の桜草がぐんにゃりと倒れていた。
風はなかったが雨に打たれてしまったのだろう。
優しい雨だと思っていたが満開の桜草には辛かったのかもしれない。
雨に悪気はない。桜草はそろそろ終わり支度を始めているのだ。

職場に着くなり義父が大きな飴玉の入った袋をくれた。
氷砂糖をまぶした昔ながらの飴玉で懐かしい。
煙草を吸いたくなったら飴玉をしゃぶるようにと言って
私の声が出ないのをとても親身になって心配してくれているのが分かる。
昨日はもう禁煙はしないと決めていたがなんとも心苦しくてならない。
今日は少しでも節煙しようと努力した一日だった。
しかし結果は義父を裏切るようなことになってしまい申し訳ない。
情けないけれどこればかりはどうしようも出来なかった。
やはり狡さが勝つ。禁煙をせずに声帯を回復させようとしているのだ。

夕飯に「新じゃが芋のガレット」を作った。
昨夜SNSでぼのさんに教えてもらったレシピである。
ぼのさんは男の料理の天才でいつも美味しそうな料理を作っている。
多忙な仕事の傍ら畑仕事もしていて色んな野菜を栽培しているのだ。
もう10年以上も前のことだが「聖護院大根」の種を送ってもらった。
その頃の私は姑さんの畑を受け継いで畑仕事に目覚めていたのだ。
大根や白菜、キャベツにえんどう豆。収穫する時のなんと嬉しいこと。
何よりも無農薬なので安心して美味しく食べられたのだ。
しかしそんな楽しみも長続きはしなかった。
夫が除草剤を撒き過ぎてしまって野菜が作れなくなってしまったのだ。
せっかくぼのさんが送ってくれた種も発芽はしたが緑ではなかった。
もうすでに枯れたかのように茶色の芽が出たのだった。
私はそのことをどうしてもぼのさんに言えなかった。
もう昔のことなのに未だにそのことが心苦しくてならない。
ぼのさんあの時はありがとう。そうして本当にごめんなさい。
「新じゃが芋のガレット」は我ながら上手く出来て美味しかった。
初めて作ったのに夫が喜んで食べてくれて意外だった。
食べず嫌いの人なのに珍しいこともあるものだ。
あやちゃんとめいちゃんは気に入ってくれただろうか。
今夜は夕食が遅くまだ食べていないのが残念である。
ぼのさんとはネット空間で出会ったがかれこれ20年になる。
もちろん会ったこともないが私が最も信頼している人だ。
私の部屋のカレンダーにはぼのさんの誕生日が記してある。
もう20年もそれは消えることはなかった。
朝は真冬の寒さだったが日中は春の暖かさとなる。
暑さ寒さも彼岸まで。あと2週間もすれば本格的な春になるだろう。
今朝驚いたのはご近所の例の桜がすっかり散ってしまっていたこと。
こんなに早く散ってしまったことがかつてあっただろうか。
悪天候が続けばそれも在り得るだろうがなんとも切なくてならない。
花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。
私は学も教養もないがこれは林芙美子の短詩らしかった。
「放浪記」を一度読んでみるべきなのかもしれない。

さあ月曜日と勇み足で職場に向かう。
再び禁煙を試みてみようと意気揚々としていたのだけれど
昨年の経験からしてもそれは容易なことではなかった。
我慢をすればするほど仕事が手に着かない。
とうとう限界となり同僚から煙草を貰って火を点ける。
意志の弱さはもちろんのこと精神的に異常なのではと思う。
情けないことだがもう自分を責めることはしなかった。
もう禁煙はよそうと思う。もう苦しむのはこりごりである。
声はそのうちきっと出るようになるだろう。
もうしばらくがらがら声で頑張ってみようと思う。

昨夜「塵も積もれば山となる」と書いてしまったが
かなり自暴自棄になっていたようだ。
もうどうでもいいようなやけっぱちな気持ちだったのだろう。
しかしこの諺の本当の意味は
塵のように取るに足らない存在であっても
それが時間をかけて積もっていけば山のようになるように
些細な行動も時間をかけて継続すると
やがて思わぬ大きな結果につながるものであるということなのだそうだ。
些細であってもよいから善行や努力などを地道に積むことである。
私はどうやら思い違いをしていたようだった。
自分の書く詩や短歌を「塵」だと表現してしまったのだが
それをまるで汚物かごみのように思っていた。
確かに取るに足らないものではあるが決して無駄ではないのだ。
どれほど蔑まされても私は私を見失ってはいけないのだと思う。
認められたい「欲」ばかりでどうして生きて行けようか。
もっと誇りを持って生きて行かなければならない。
命ある限り書き続けていればきっと光が射す日も来るだろう。
もし死んでしまっても誰かの心に在り続ける私でありたい。
| 2024年03月03日(日) |
塵も積もれば山となる |
今朝はほぼ氷点下の冷え込みであったが日中は暖かくなった。
雲一つない青空である。降り注ぐ陽射しのなんと有難いことか。
何処かに出掛けてみたくなり夫に相談してみたが
迷う風もなく即刻に却下される。いささかショック。
もうすぐ72歳になろうとしているが運転が億劫になったようだ。
よほど気が向かない限りもうドライブは無理なのかもしれない。
そう云う私も独りでは何処にも行けない。
以前は海を見に行ったり写真を撮りにあちこち出掛けたものだった。
もうそんな行動力はなく今はひたすら夫に頼るばかりである。
家に居ると寝てばかり。最低限の家事をするだけである。
読書も全くしなくなって久しい。読みたい本が見つからないのだ。
午前中に一時間ほど寝て午後も三時間寝る。
身体が腐ってしまいそうだ。どんどん活力が失われていく。
「休みたんびによく寝れるもんだな」と夫は呆れ返っているが
何処にも連れて行ってくれないあなたも悪いのでしょう。

おひな祭りだがお雛様は飾らずいつもと変わらない日曜日。
せめてもと思い夕飯は「手巻き寿司」にした。
娘もケーキを買ってきておりささやかにパーティーである。
イクラと甘海老が大好きなあやちゃん。めいちゃんはシーチキンが好き。
私は鮭を。夫は遠慮もせずに鮪ばかり食べていた。
再来週の日曜日は夫の誕生日なので焼き肉の予定である。
食べたいだけ食べさせてあげなければいけない。

SNSである方から「毎日短歌を3首もよく詠めますね」と
誉め言葉とも受け止められるコメントを頂いた。
それは決して才能でも素晴らしいことでもないのだと私は思っている。
「発作のようなもの」と私は応えたのだが
正にそうだと後からじわじわと実感が込み上げて来た。
詩も短歌も書こうと思って書いているのではない。
それは私の中から自然と湧き出て来るものなのだ。
止めようとしても止められない正に発作ではないだろうか。
その発作を見せびらかしている。汚物かもしれないものでも。
私はいかにもきれいなモノであるかのように発信しているのである。
それはおそらく死ぬまで続くことだろう。
「塵も積もれば山となる」とはこのことである。
一年で365編の詩。短歌はなんと1095首に及ぶ。
私が死んだらそれらすべてが泡のように消えてしまうのに違いない。
いいさそれでも。だって元々塵だもの。
風が吹いたら真っ青な空に飛んで行くんだ。
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