ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年03月07日(木) 光の天使

風もなく穏やかな晴天。すっかり春の陽気であった。

玄関先の葉牡丹がにょきにょきと伸びてもうすぐ花芽が見えそうだ。

昨年だったか花が終ってから種を採ろうと目論んでいたが

そんな面倒なことをしなくても茎を短く切れば良いのだそうだ。

そうすればまた新しい芽が出て冬の庭を彩ってくれるらしい。

今年はそうしてみようと思っている。ものは試しであろう。

お隣の奥さんはそうしてもう何年も育てているらしかった。


足が不自由で思うように庭いじりも出来ないが

ささやかなことだけでも続けてみようと思っている。

そうして季節ごとの花を楽しんでみよう。



仕事を終えてから週一のリハビリへ。

今日は診察がなかったので医師とスマホで面談する。

まだあまり声が出ないことを伝えると

「しゃべらんでもええぞ、今日も頑張れよ」と笑顔で応えてくれた。

私はピースサインをして応える。医師も手を振ってくれた。


リハビリは身も心もリラックス出来てなんとも癒される。

週一では足りないぐらいで毎日でも通いたかった。

療法士さんとの会話も楽しい。今日もガラガラ声であれこれ話す。

マッサージをしてもらうと血行が良くなるせいかおならが出そうになる。

そんな無礼なことをと必死に我慢していたが漏れるように出てしまった。

音のしないおならだったのでどんなにか匂うだろうと心配だったが

療法士さんは全く気づいていないようでほっと胸を撫で下ろした。

マスクのおかげかもしれないが以後は気をつけねばなるまい。

それにしてもリハビリの成果はすごい。足の痛みが嘘のように和らぐ。




帰宅して娘と夕食の支度を始めたらあやちゃんが二階から下りて来た。

チキンカツを作るのを手伝ってくれてパン粉をまぶしてくれる。

こんなことがかつてあっただろうか。初めてではないかと思う。


後から夫が話してくれたのだが、今日は保健の先生が来てくれたそうで

あやちゃんをお散歩がてらローソンへ連れて行ってくれたようだ。

「知らないふりをしておけよ」と夫に言われたので

あやちゃんの前では何も言えなかったけれど

その出来事がよほど嬉しかったようだ。

陽射しをいっぱいに浴びて歩く姿が目に見えるようだった。

この一年家から一歩も出ない日がずっと続いていたのだもの。


もしかしたら光の天使に会えたのかもしれない。

そうして心から笑顔になれたのだと思う。


光の天使はいつだってあやちゃんを待っている。

またお散歩に行こうね。真っ青な春の空を見上げようね。





2024年03月06日(水) 一日一生

曇り日。気温はそう低くはなかったが肌寒くてならない。

陽射しがあるとないでは随分と違うものだ。


国道沿いの白木蓮がほぼ満開になった。

白装束のお遍路さんが歩いていると絵になるのだが

今の時期はお遍路さんが少なくたまにしか見かけなくなった。

春遍路さんが多くなるのはお彼岸頃からだろうか。

また新たな出会いもあることだろうと楽しみにしている。



今朝は資源ごみの回収があったので夫に頼んだのだが

ぶつぶつと文句ばかり。どうして機嫌よく引き受けてくれないのだろう。

「最近のおまえは人使いが荒いぞ」と捨て台詞まで投げつける。

私は出勤前の家事で精一杯である。時間に追われてばかりなのだ。

あれこれと頼めば機嫌が悪くなるのだけれど

今日はお風呂場の掃除も頼んでから出掛けたのだった。

ついつい命令口調になっていたのだろう「おまえがやれ」と怒る。

「一日中遊んでばかりいるくせに」と私も負けてはいられない。


労わり合い助け合ってこその夫婦ではないか。

私も出来ることはしよう。でも助けて欲しい時がいっぱいある。

「お願いだから助けて」と甘えてみるのも良いかもしれない。




仕事は今日も忙しかったがお昼休みがあったので短歌を詠めた。

我ながらマンネリ化してきたことを感じていて悶々とする。

斬新は無理でも新鮮でありたい。しかし焦りは禁物である。

ゆっくりと時間をかけて自分の言葉と向き合っていきたいと思う。


帰宅しながらやはり「塵」なのだなと思った。

それは自分を貶めるのではなくむしろ誇りに思うべきなのだ。

些細なことでも続けていればきっと「山」になるのだと信じたい。

そうして日々積み重ねていくことが肝心なのだろう。


未来はあるようでなく「一日一生」を心掛けている。

与えられた一日を精一杯に全うしてこそ生きていると云えるだろう。


そうして少しずつ「欲」を手放していかなけれなならない。

まずは認められたい欲だ。それさえなければどんなにか気楽なことか。


何者にも束縛されず私は自由になれるだろう。

書きたいことを書く。書けるだけ書く。

誰に何と言われようとそれが私の誇りなのだ。


他人の評価など気にしていては自分を見失ってしまうだけだ。

私が好きならばそれでいい。とことん愛してやろうではないか。





2024年03月05日(火) 新じゃが芋のガレット

二十四節気の「啓蟄」春の気配を感じた虫たちが土の中で動き出す頃。

寒の戻りはあっても季節はたしかに春なのだろう。

三寒四温を繰り返す早春の頃が私はなんとなく好きである。

冬と春が互いにせめぎ合っている。それは勝ち負けではなくて

まるで身を引くように冬がゆっくりと退いていくのだ。


木の芽起こしの雨だろうか。小糠雨が降る一日。

帰宅したら玄関先の桜草がぐんにゃりと倒れていた。

風はなかったが雨に打たれてしまったのだろう。

優しい雨だと思っていたが満開の桜草には辛かったのかもしれない。

雨に悪気はない。桜草はそろそろ終わり支度を始めているのだ。





職場に着くなり義父が大きな飴玉の入った袋をくれた。

氷砂糖をまぶした昔ながらの飴玉で懐かしい。

煙草を吸いたくなったら飴玉をしゃぶるようにと言って

私の声が出ないのをとても親身になって心配してくれているのが分かる。

昨日はもう禁煙はしないと決めていたがなんとも心苦しくてならない。

今日は少しでも節煙しようと努力した一日だった。

しかし結果は義父を裏切るようなことになってしまい申し訳ない。

情けないけれどこればかりはどうしようも出来なかった。

やはり狡さが勝つ。禁煙をせずに声帯を回復させようとしているのだ。




夕飯に「新じゃが芋のガレット」を作った。

昨夜SNSでぼのさんに教えてもらったレシピである。

ぼのさんは男の料理の天才でいつも美味しそうな料理を作っている。

多忙な仕事の傍ら畑仕事もしていて色んな野菜を栽培しているのだ。


もう10年以上も前のことだが「聖護院大根」の種を送ってもらった。

その頃の私は姑さんの畑を受け継いで畑仕事に目覚めていたのだ。

大根や白菜、キャベツにえんどう豆。収穫する時のなんと嬉しいこと。

何よりも無農薬なので安心して美味しく食べられたのだ。


しかしそんな楽しみも長続きはしなかった。

夫が除草剤を撒き過ぎてしまって野菜が作れなくなってしまったのだ。

せっかくぼのさんが送ってくれた種も発芽はしたが緑ではなかった。

もうすでに枯れたかのように茶色の芽が出たのだった。


私はそのことをどうしてもぼのさんに言えなかった。

もう昔のことなのに未だにそのことが心苦しくてならない。

ぼのさんあの時はありがとう。そうして本当にごめんなさい。


「新じゃが芋のガレット」は我ながら上手く出来て美味しかった。

初めて作ったのに夫が喜んで食べてくれて意外だった。

食べず嫌いの人なのに珍しいこともあるものだ。

あやちゃんとめいちゃんは気に入ってくれただろうか。

今夜は夕食が遅くまだ食べていないのが残念である。


ぼのさんとはネット空間で出会ったがかれこれ20年になる。

もちろん会ったこともないが私が最も信頼している人だ。

私の部屋のカレンダーにはぼのさんの誕生日が記してある。

もう20年もそれは消えることはなかった。



2024年03月04日(月) 花の命は短くて

朝は真冬の寒さだったが日中は春の暖かさとなる。

暑さ寒さも彼岸まで。あと2週間もすれば本格的な春になるだろう。


今朝驚いたのはご近所の例の桜がすっかり散ってしまっていたこと。

こんなに早く散ってしまったことがかつてあっただろうか。

悪天候が続けばそれも在り得るだろうがなんとも切なくてならない。


花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。

私は学も教養もないがこれは林芙美子の短詩らしかった。

「放浪記」を一度読んでみるべきなのかもしれない。




さあ月曜日と勇み足で職場に向かう。

再び禁煙を試みてみようと意気揚々としていたのだけれど

昨年の経験からしてもそれは容易なことではなかった。

我慢をすればするほど仕事が手に着かない。

とうとう限界となり同僚から煙草を貰って火を点ける。

意志の弱さはもちろんのこと精神的に異常なのではと思う。

情けないことだがもう自分を責めることはしなかった。

もう禁煙はよそうと思う。もう苦しむのはこりごりである。

声はそのうちきっと出るようになるだろう。

もうしばらくがらがら声で頑張ってみようと思う。



昨夜「塵も積もれば山となる」と書いてしまったが

かなり自暴自棄になっていたようだ。

もうどうでもいいようなやけっぱちな気持ちだったのだろう。

しかしこの諺の本当の意味は

塵のように取るに足らない存在であっても

それが時間をかけて積もっていけば山のようになるように

些細な行動も時間をかけて継続すると

やがて思わぬ大きな結果につながるものであるということなのだそうだ。

些細であってもよいから善行や努力などを地道に積むことである。


私はどうやら思い違いをしていたようだった。

自分の書く詩や短歌を「塵」だと表現してしまったのだが

それをまるで汚物かごみのように思っていた。

確かに取るに足らないものではあるが決して無駄ではないのだ。

どれほど蔑まされても私は私を見失ってはいけないのだと思う。

認められたい「欲」ばかりでどうして生きて行けようか。

もっと誇りを持って生きて行かなければならない。


命ある限り書き続けていればきっと光が射す日も来るだろう。

もし死んでしまっても誰かの心に在り続ける私でありたい。







2024年03月03日(日) 塵も積もれば山となる

今朝はほぼ氷点下の冷え込みであったが日中は暖かくなった。

雲一つない青空である。降り注ぐ陽射しのなんと有難いことか。


何処かに出掛けてみたくなり夫に相談してみたが

迷う風もなく即刻に却下される。いささかショック。

もうすぐ72歳になろうとしているが運転が億劫になったようだ。

よほど気が向かない限りもうドライブは無理なのかもしれない。


そう云う私も独りでは何処にも行けない。

以前は海を見に行ったり写真を撮りにあちこち出掛けたものだった。

もうそんな行動力はなく今はひたすら夫に頼るばかりである。


家に居ると寝てばかり。最低限の家事をするだけである。

読書も全くしなくなって久しい。読みたい本が見つからないのだ。


午前中に一時間ほど寝て午後も三時間寝る。

身体が腐ってしまいそうだ。どんどん活力が失われていく。

「休みたんびによく寝れるもんだな」と夫は呆れ返っているが

何処にも連れて行ってくれないあなたも悪いのでしょう。




おひな祭りだがお雛様は飾らずいつもと変わらない日曜日。

せめてもと思い夕飯は「手巻き寿司」にした。

娘もケーキを買ってきておりささやかにパーティーである。

イクラと甘海老が大好きなあやちゃん。めいちゃんはシーチキンが好き。

私は鮭を。夫は遠慮もせずに鮪ばかり食べていた。

再来週の日曜日は夫の誕生日なので焼き肉の予定である。

食べたいだけ食べさせてあげなければいけない。



SNSである方から「毎日短歌を3首もよく詠めますね」と

誉め言葉とも受け止められるコメントを頂いた。

それは決して才能でも素晴らしいことでもないのだと私は思っている。

「発作のようなもの」と私は応えたのだが

正にそうだと後からじわじわと実感が込み上げて来た。


詩も短歌も書こうと思って書いているのではない。

それは私の中から自然と湧き出て来るものなのだ。

止めようとしても止められない正に発作ではないだろうか。

その発作を見せびらかしている。汚物かもしれないものでも。

私はいかにもきれいなモノであるかのように発信しているのである。

それはおそらく死ぬまで続くことだろう。

「塵も積もれば山となる」とはこのことである。

一年で365編の詩。短歌はなんと1095首に及ぶ。

私が死んだらそれらすべてが泡のように消えてしまうのに違いない。


いいさそれでも。だって元々塵だもの。

風が吹いたら真っ青な空に飛んで行くんだ。




2024年03月02日(土) 自業自得

晴れたり曇ったり。最高気温が10℃に満たず冬の寒さとなった。

ご近所に早咲きの桜が咲いているのだけれど名を知らず

日本には現在6百種類もの桜の品種があるのだそうだ。

ソメイヨシノは分かるが他の桜はとても見分けがつかない。

薄桃色のとても可愛らしい桜なのだが残念ながら写真が撮れなかった。

それはご近所の畑の中に在り無断で入り込むわけにはいかず。

しかも杖を付きながらでは足元が覚束ないのだった。


遠くから眺めている。どんなに寒くてもそこだけ春のようである。





午前7時半に家を出て病院へ向かった。

院長先生の診察を受けるにはそれだけ早く行かなければならない。

予約制ではないので早い者勝ちなのだ。

受付は9番目でほぼ一時間待ちだろうか。診察は8時半から始まった。

看護師さんに声が出難いことを伝えると隔離部屋へと通される。

熱は無くてもやはり感染症を疑っているのだろう。

けれども追い返されなくて済んだので少しほっとした。


診察も発熱外来でとなり院長先生が診察室まで出向いてくれる。

胸や背中を聴診器で丹念に調べてくれたが異常はなかった。

酸素濃度も正常で悪い病気ではなさそうである。

声帯が炎症を起こしたのはやはり激しく咳き込んだかららしい。

どうして咳き込むのかとなると喫煙以外に原因は考えられないと言う。

私もそれは痛感していたが医師から告げられると信憑性が増す。

とにかく二日で良いから禁煙をしてみるようにと言われた。

そうしたら必ず声が出るようになるのだそうだ。

咳を鎮める漢方薬と声帯の炎症を治療する薬。胸に貼るシール。

そのシールは喘息の治療薬なのだそうだ。


医師には禁煙を誓い病院を後にしたが憂鬱でならない。

まるで悪魔と闘うことになった天使の気持ちである。

昨年の禁煙失敗の記憶があまりにも鮮やかでその辛さが蘇った。

また大きなストレスが待っている。それを乗り越えられるだろうか。

昨年のように「子豚シリーズ」を書き紛らすわけにはいかないと思う。


私はずるいのだ。姑息な考えが頭に浮かび今もそれが消えずにいる。

禁煙をせずに声が出るようにならないものかと考えているのだ。

それがどれほど甘い考えなのかと思うとどんどん追い詰められていく。


いったいこれは何の罰だろう。「自業自得」とはこのことである。





2024年03月01日(金) 弥生つめたい風

よく晴れて陽射しはたっぷりとあったが風が強く冷たかった。

「弥生つめたい風」高校時代に大好きだったNSPの歌である。


今日は県下の公立高校で卒業式があったようだ。

昭和49年の卒業式も3月1日だったことをよく憶えている。

もうほぼ半世紀の歳月が流れてしまったことを感慨深く思い出す。

私にとっては生涯忘れることの出来ない一日となった。


そうしてその数日後に私の犯した罪はなんと悲惨だったことか。

その罪を償うことも出来ず今まで生き永らえて来た。

どんなに悔やんでも悔やみきれない汚点のような「過去」である。

私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。


今が幸せならばそれでいいとどうして思うことが出来よう。

そんな綺麗ごとで済まされるようなことではない。

たとえ死んでも赦されることではないのだ。それは私の永遠の「罪」である。


散り急ぐ桜の花よ魂よ抱かれもせずに遠ざかる春





声は少し出るようになったが今日は咳が酷かった。

激しく咳き込み胸が苦しくてならない。

涙が出て鼻水が出て恥ずかしい話だが尿も漏れる。


明日行く予定の病院に電話したら咳も発熱と同様の扱いなのだそうだ。

まず感染症を疑うらしく直ぐには診てもらえないらしい。

受付の女性がきつい口調で「直接は来ないで下さいね」と言う。

予め電話をして医師の指示に従わなければいけないのだそうだ。

それ程までに警戒しなければいけないのかと腑に落ちない。


幸い自分の名を名乗っていなかったので禁を破ることに決めた。

直接行ってもし咎められたらその時のことである。

ようは待合室で咳をしなければ済むことなのだ。

出来るのかそれが。自信はないが当たって砕けろである。





このところずっとあやちゃんの機嫌が良くてほっとしている。

確かに以前とは違う変化が表れているが誰も口に出さない。

はらはらと心配することもなくなり家族皆が明るく接している。


この春には6年生になるがどうなるのだろう。

もしかしたらそのまままた一年が過ぎてしまうのかもしれない。

私はそれでも良いと思っている。もちろん娘達も同じ気持ちだろう。

あくまでも世間の「カタチ」に拘ってはいけないのだ。

あやちゃんは自分なりのカタチを作り続けているのだと思う。

それが正解かどうかはあやちゃん自身が決めることだ。


弥生三月。きっと新鮮な日々が待っているのに違いない。


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