ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年03月02日(土) 自業自得

晴れたり曇ったり。最高気温が10℃に満たず冬の寒さとなった。

ご近所に早咲きの桜が咲いているのだけれど名を知らず

日本には現在6百種類もの桜の品種があるのだそうだ。

ソメイヨシノは分かるが他の桜はとても見分けがつかない。

薄桃色のとても可愛らしい桜なのだが残念ながら写真が撮れなかった。

それはご近所の畑の中に在り無断で入り込むわけにはいかず。

しかも杖を付きながらでは足元が覚束ないのだった。


遠くから眺めている。どんなに寒くてもそこだけ春のようである。





午前7時半に家を出て病院へ向かった。

院長先生の診察を受けるにはそれだけ早く行かなければならない。

予約制ではないので早い者勝ちなのだ。

受付は9番目でほぼ一時間待ちだろうか。診察は8時半から始まった。

看護師さんに声が出難いことを伝えると隔離部屋へと通される。

熱は無くてもやはり感染症を疑っているのだろう。

けれども追い返されなくて済んだので少しほっとした。


診察も発熱外来でとなり院長先生が診察室まで出向いてくれる。

胸や背中を聴診器で丹念に調べてくれたが異常はなかった。

酸素濃度も正常で悪い病気ではなさそうである。

声帯が炎症を起こしたのはやはり激しく咳き込んだかららしい。

どうして咳き込むのかとなると喫煙以外に原因は考えられないと言う。

私もそれは痛感していたが医師から告げられると信憑性が増す。

とにかく二日で良いから禁煙をしてみるようにと言われた。

そうしたら必ず声が出るようになるのだそうだ。

咳を鎮める漢方薬と声帯の炎症を治療する薬。胸に貼るシール。

そのシールは喘息の治療薬なのだそうだ。


医師には禁煙を誓い病院を後にしたが憂鬱でならない。

まるで悪魔と闘うことになった天使の気持ちである。

昨年の禁煙失敗の記憶があまりにも鮮やかでその辛さが蘇った。

また大きなストレスが待っている。それを乗り越えられるだろうか。

昨年のように「子豚シリーズ」を書き紛らすわけにはいかないと思う。


私はずるいのだ。姑息な考えが頭に浮かび今もそれが消えずにいる。

禁煙をせずに声が出るようにならないものかと考えているのだ。

それがどれほど甘い考えなのかと思うとどんどん追い詰められていく。


いったいこれは何の罰だろう。「自業自得」とはこのことである。





2024年03月01日(金) 弥生つめたい風

よく晴れて陽射しはたっぷりとあったが風が強く冷たかった。

「弥生つめたい風」高校時代に大好きだったNSPの歌である。


今日は県下の公立高校で卒業式があったようだ。

昭和49年の卒業式も3月1日だったことをよく憶えている。

もうほぼ半世紀の歳月が流れてしまったことを感慨深く思い出す。

私にとっては生涯忘れることの出来ない一日となった。


そうしてその数日後に私の犯した罪はなんと悲惨だったことか。

その罪を償うことも出来ず今まで生き永らえて来た。

どんなに悔やんでも悔やみきれない汚点のような「過去」である。

私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。


今が幸せならばそれでいいとどうして思うことが出来よう。

そんな綺麗ごとで済まされるようなことではない。

たとえ死んでも赦されることではないのだ。それは私の永遠の「罪」である。


散り急ぐ桜の花よ魂よ抱かれもせずに遠ざかる春





声は少し出るようになったが今日は咳が酷かった。

激しく咳き込み胸が苦しくてならない。

涙が出て鼻水が出て恥ずかしい話だが尿も漏れる。


明日行く予定の病院に電話したら咳も発熱と同様の扱いなのだそうだ。

まず感染症を疑うらしく直ぐには診てもらえないらしい。

受付の女性がきつい口調で「直接は来ないで下さいね」と言う。

予め電話をして医師の指示に従わなければいけないのだそうだ。

それ程までに警戒しなければいけないのかと腑に落ちない。


幸い自分の名を名乗っていなかったので禁を破ることに決めた。

直接行ってもし咎められたらその時のことである。

ようは待合室で咳をしなければ済むことなのだ。

出来るのかそれが。自信はないが当たって砕けろである。





このところずっとあやちゃんの機嫌が良くてほっとしている。

確かに以前とは違う変化が表れているが誰も口に出さない。

はらはらと心配することもなくなり家族皆が明るく接している。


この春には6年生になるがどうなるのだろう。

もしかしたらそのまままた一年が過ぎてしまうのかもしれない。

私はそれでも良いと思っている。もちろん娘達も同じ気持ちだろう。

あくまでも世間の「カタチ」に拘ってはいけないのだ。

あやちゃんは自分なりのカタチを作り続けているのだと思う。

それが正解かどうかはあやちゃん自身が決めることだ。


弥生三月。きっと新鮮な日々が待っているのに違いない。



2024年02月29日(木) 高過ぎるハードル

雨の一日。今は小雨になっているが日中はまとまった雨となる。

冬の間はだか木だった桜の枝に小さな蕾らしきものが見えていた。

心配していたけれどその時期が来ればきっと咲くことだろう。

明日からはもう弥生三月である。本格的な春の訪れを感じずにいられない。



漢方薬が効き始めたのか今朝は少し声が出るようになっていた。

会話が出来るだけでも随分と楽に感じる。

もう少しの辛抱かもしれないがやはり病院に行った方が良いだろう。

神経質な者だから喉にポリープでも出来ているのではと不安になった。

悪い方へ考え始めたらきりがない。いい加減にしなくては。



月末の仕事が忙しくあたふた。肝心の運転資金がぎりぎりだった。

約束していた大口の回収があったが午前中は音沙汰がない。

仕方なく定期担保で資金を作り取引先の支払いを済ませたが

普通預金の残高が7700円。こんな会社があるだろうか。

自転車操業にも程があると云うものだ。

しかしそんな苦しさが面白い。土壇場に立たされてこそ私は燃える。


整形外科のリハビリの日だったので2時に退社し病院へ向かう。

信号待ちをしていたら義父から着信があり

大口のお客さんが支払いに来てくれたそうだ。

思わず「やったあ」と声が出る。これでしばらくは安泰である。


リハビリは今日も順調。ついに痛み止めの薬も止めることになった。

あまりの成果に医師も驚きながら大いに喜んでくれる。

ずっと親身になって寄り添ってくれた医師には感謝しかない。

完治する見込みはないのだとしても痛みが和らいだことが嬉しいのだ。

まだ杖は手放せないでいるが杖なしでも少し歩けるようになった。




サニーマートで買物をして4時に帰宅。

今日はお昼休みが無かったので短歌どころではなかった。

夕飯の支度までには一時間あり自室のパソコンに向かう。


深呼吸をしながら考える。昨夜思ったように自由に詠みたい。

もう自分で「お題」を出すのは止めようと思った。

そうしたらなんだか解放感に満たされとても新鮮な気持ちになった。

すらすらすらと三首書く。上出来ではなかったがまあまあかなと思う。

特に「遺影ではいつも笑顔でいるけれどこんな雨の日喧嘩をしたね」

これは母を想って詠んだ歌で仕事をしながら喧嘩ばかりしていたこと。

それは今となれば懐かしさとしか云いようがないことであった。

もう喧嘩をしたくても母はいない。遺影はずっと笑顔のままなのだ。


昨夜も寝る前に思ったことだが私のハードルは高過ぎたのだと思う。

必ず跳ばなくてはいけないと躍起になっていた。

勇気もなければ自信もないのにどうして跳ぶことが出来ようか。


中学の時の運動会を思い出していた。

クラブ対抗リレーがあって陸上部はハードルを跳ばなくてはいけない。

私はハードルが苦手だった。どんなに練習しても跳べないのだ。


陸上部は当然のようにトップを走っていたが

私の番になり最下位に落ちてしまった。

ハードルを跳べない私はなんと潜り抜けてしまったのだった。

ブーイングの嵐にも負けはしない。もちろん泣きもしなかった。


あの時と同じなのだなと思う。私は未だにハードルを跳べない。



2024年02月28日(水) 新鮮な場所へ

今朝は真冬並みの冷え込みだったが日中は穏やかな晴天となる。

毎朝能登地方の天気予報を見るのが習慣になっており

今日は生憎の曇り空で寒い一日だったようだ。

被災地からの報道が日に日に少なくなっているこの頃

決して忘れてはならないことなのだけれど

世の中のまるで渦のような報道が後を絶たなくなった。

痛ましい事故や事件に胸が詰まるような思いである。



昨夜は随分と声が出るようになりもう治ったかに思えたが

今朝はまたぶり返し殆ど声が出ない状態になっていた。

仕事を半日休ませてもらって病院へ行くことも考えたが

市販の薬を飲みつつ土曜日まで様子を見ることにした。

声帯の炎症を鎮める漢方薬なのだが直ぐには効かないようだ。

煙草はもってのほか飲酒も控えた方が良いらしいが

どうしても我慢できない。この性分にはすっかり呆れ返っている。


仕事にも支障がありまず電話応対が出来ない。

頼みの綱の義父も今日は農作業に出掛けていて不在だった。

こんな日に限って着信が多い。必死に声が出ないことを伝えるしかない。

明日はもう月末である。おそらく忙しい一日になることだろう。





毎日短歌のことばかり書いて申し訳ないが

今日も苦心しながらなんとか三首を詠むことが出来た。

ふと気づいたのは少しも楽しくないことである。

そもそも楽しいことではなく辛い作業なのかもしれない。

言葉を連ねて書く詠み方には確かに限界があるのだった。

自分で自分に「お題」を与えているのだけれど

その時点でもう私は自由では無くなっている気がする。

それこそが学びでそれこそが努力なのかもしれないが

精神的に疲れを感じるようになってしまうと元も子もないではないか。

私はもっと自由であるべきなのだ。好きなように短歌を詠みたい。

今日は「青空」で終わった。明日は雨なのにどうすれば良いのだろう。


雨の詩を書き雨の短歌を詠みたい。

土砂降りの雨になって何処かへ流されてしまいたい。


辿り着いたその場所はきっと新鮮な空気で満ちていることだろう。



2024年02月27日(火) 燃え尽き症候群?

本日も晴天なり。強風もおさまり随分と暖かく感じた。

鮮やかなピンクの花は桃の花だろうか。

山里の民家の近くに毎年咲いているのだけれど

誰にも訊けずにいてもうかなりの歳月が流れてしまった。

「桃の節句」も近くなりおそらくそうに違いないと思い込んでいる。

白木蓮に続き春を感じずにはいられない。なんともこころが和む。



今朝は目覚めるなり左足がつり激痛が走った。

夫がマッサージをしてくれ痛みは直ぐに治まったが

今度は声が殆ど出ない。どうやら声枯れが悪化したようである。

なんとか会話は出来たがまるで「がらがらへび」のようであった。


職場に着くなり義父にお説教されてしまった。

煙草の吸い過ぎを指摘され「自業自得じゃ」と言うのである。

それは私も痛いくらいに承知しているし反省もしている。

しかし自分をセーブすることが出来ない病気のようにも思えるのだ。

もう禁煙に臨むことは考えていないのでどうしようもなかった。



今日はお昼休みがあったのでゆっくりと短歌をと思ったが

思うように詠めない。やはりひどく追い詰められている。

そんな時は「どうせ崖っぷち」だと開き直るしかなかった。

昨日は「映る」で終わっていたのであれこれと考えていたら

「映像」が閃く。とてもここでは紹介出来ないような愚作である。

一首目からすでに途方に暮れていて墓穴を掘り続けていた。

自信もなければプライドもない。この先どうなるのだろうと思う。


「燃え尽き症候群」と云う言葉がある。精神的な病のようなもの。

それまでモチベーションを高く保っていた人が

突然やる気を失ってしまう症状なのだそうだ。

どれほど努力をしてもそれに見合った成果が出なかった時とか

逆に大きな成果を達成した後の喪失感からもそれは在り得るらしい。


私の場合は前者だと思われる。まるで架空の空を羽ばたく鳥のよう。

そこは空ではないのだ。なのに私は羽ばたこうと必死になっている。

もちろん成果などあるはずはない。あるのは虚しさだけである。

今に地上に落下するだろう。そうして傷だらけになってしまうのだ。


さあて困りましたね。これほど弱気になってしまっては。


昨夜もここに記したがこれまでの努力を水の泡にするつもりはない。

なんとしても書き続けて行く信念こそが大切なのだろう。

今日は「悔いはあるまい」で終わったので明日は「悔い」から始まる。

「悔やむ」「悔しさ」他に何があるだろうか。

そうだ悔しさをバネにすればいい。そうしてまた羽ばたいて行く。




2024年02月26日(月) いつだって崖っぷち

久しぶりの青空であったが強風注意報が出ていた。

陽射しを突き破るようにして冷たい北風が吹く。


朝の国道沿いに白木蓮の花が咲き始めていて思わず歓声をあげた。

春を告げる花である。毎年咲くのをどんなにか待ちわびていることか。

とても大きな樹で満開になると見事な存在感がある。

今日よりも明日と咲くことだろう。朝の道が楽しみでならない。

蕾はまるで手のひらを合わせたように見える。

何を祈っているのだろう。それとも感謝の気持ちなのかもしれない。




やっと月曜日。する仕事のあることが有難くてならなかった。

朝から来客が多く嬉しい悲鳴をあげるばかり。

あっという間にお昼になり急ぎ足で時間が過ぎて行く。


義父は好天気に農作業をしたくてならない様子で少し苛立っていた。

言葉が荒くなっていたがそれを宥めるようにやり過ごす。

にっちもさっちも行かないとはこんな時を云うのだろう。

やっと一段落したがまだ朝食も食べていないのだった。

「腹が減っては戦が出来ぬ」と促し大急ぎで掻き込ませた。


すでにお昼休みであったがまた来客がある。

義父を送り出した後で私が対応するしかない。

不謹慎にも頭の中は短歌のことでいっぱいになっていた。

大丈夫、15分もあれば書けるだろうと甘く見過ぎていたようだ。


今日は「愛」から始めなければいけなかった。

例の如くでどうして愛なのかと自分を責めたくなってくる。

また悩みの種を蒔いてしまったようだ。さてどうする。


しばらく考えていたらふと「愛別離苦」と云う仏教の言葉が浮かんだ。

これは人間の八苦のひとつで愛する者とは必ず別れがやって来る。

それが人の世の儚さであり運命であると云う教えであるらしい。

無知で教養のない私ではあるが昔読んだ本にそう書いてあった。

「愛別離と書けば苦しかないけれどこの世の掟なんと儚し」

この歌を詠むのに30分程かかる。もう時間の余裕など無いに等しい。

仕方なく仕事をしながら次の歌を考えなければならなかった。


よほど追い詰められていたのだろう。もう限界かもしれないと思う。

短歌なんていっそ止めてしまおうかとも思った。

でもそれでは今までの努力が水の泡になってしまうのだ。

こんな時こそ「負けるもんか」なのだ。限界を乗り越えずにどうする。

私は崖っぷちに立っている。そう思ってなんとか後の2首を書き終えた。

これは明日もある。明後日もある。生きている限り続くのである。




帰り道のラジオで震度3の地震があったことを知る。

運転中の事で全く気づかなかったがけっこう揺れたようだった。

つい先日も震度2の地震があったばかりで不安がつのる。

幸い震源地は土佐沖ではなかったが近いうちに必ずあるだろう。


帰宅したら夫が「おまえは逃げるのは無理だ」と言う。

娘も一緒になって私を馬鹿にするので開き直ってみた。

杖を放り投げて走れるかもしれないのだ。

火事場の馬鹿力をきみたちは知らないのかい。

その時になってあっと言わせてやろうではないか。


朝に晩に仏壇に手を合わせている。

どうか大きな地震が来ませんようにと。

家族皆をどうかお守りくださいと。


しかし私をお守りくださいとは一度も願ったことはない。



2024年02月25日(日) 罪ばかりを数えて

今日も曇り日。夕方近くなりやっと青空が見え始める。

ほおずき色の空が嬉しいこと。明日は久しぶりに晴れそうだ。


三連休は少しも嬉しくなくごろごろと寝てばかりで退屈で仕方ない。

ドライブがてら「一風」へラーメンを食べに行こうと夫に相談したが

「そんな気分じゃない」と敢え無く却下されしょんぼりとするばかり。


午前中また7時から9時半まで炬燵に潜り込み寝ていた。

自分でも異常ではないかと思う。なんと不可解な眠気だろう。

夜の睡眠が足らないのかもしれないが7時間眠れば十分に思うのだ。

平日の朝の眠気も相変わらず続いており悩みの種になっている。

とにかく事故を起こさないように注意しなければならない。


昼食は結局「お好み焼き」を作って食べる。

「外食するよりずっと安上がりだぞ」となんと偉そうな夫。

ビールを飲みご満悦で私もノンアルビールを飲んだ。


お腹が一杯になるとまた眠くなる。また3時間ほどお昼寝をした。

寝起きの気だるいこと。アイスコーヒーを2杯飲む。

煙草はすっかり元の木阿弥になっており鎖のように吸い続ける。

そのせいか声が嗄れて咳き込むことも多くなった。

食欲と同じで我慢することが出来ないのだ。もう開き直るしかない。

しかしこれは自殺行為に等しいと思う。まだ死にたくなどないのに。




今日の短歌は「夜」で始まる。これもしまったと思ったが自業自得。

自分で蒔いた種なのでなんとしても芽を出させてやらねばならない。

しかし私のこの試みはいつか実になることが出来るのだろうか。

やがて大きな落とし穴が待っているようで心細くてならない。

「負けるもんか」と毎日書き続けているが漠然とした不安が付きまとう。


「夜」はなんとか書き終えて最後には

「今だからこそ言えること傷つけてごめん愛していたはずなのに」

これは意味深な一首になり自己満足以外の何物でもない。


かつて愛した人がいた。しかしどれほど傷つけてしまったのだろう。

二十歳を過ぎたばかりの春だった。私は何もかも捨てて逃げだしたのだ。

若気の至りでは済まない大きな罪を犯したのだと思っている。


過去に背持った物は重い。一生身軽にはなれないだろう。

今がどれほど幸せであっても忘れてはいけない「過去」がある。


ずいぶんと生き永らえて来た。あともう少しなのかもしれないが

書き残すことで少しで罪を償うことが出来たらと願ってやまない。




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