雨の一日。今は小雨になっているが日中はまとまった雨となる。
冬の間はだか木だった桜の枝に小さな蕾らしきものが見えていた。
心配していたけれどその時期が来ればきっと咲くことだろう。
明日からはもう弥生三月である。本格的な春の訪れを感じずにいられない。
漢方薬が効き始めたのか今朝は少し声が出るようになっていた。
会話が出来るだけでも随分と楽に感じる。
もう少しの辛抱かもしれないがやはり病院に行った方が良いだろう。
神経質な者だから喉にポリープでも出来ているのではと不安になった。
悪い方へ考え始めたらきりがない。いい加減にしなくては。
月末の仕事が忙しくあたふた。肝心の運転資金がぎりぎりだった。
約束していた大口の回収があったが午前中は音沙汰がない。
仕方なく定期担保で資金を作り取引先の支払いを済ませたが
普通預金の残高が7700円。こんな会社があるだろうか。
自転車操業にも程があると云うものだ。
しかしそんな苦しさが面白い。土壇場に立たされてこそ私は燃える。
整形外科のリハビリの日だったので2時に退社し病院へ向かう。
信号待ちをしていたら義父から着信があり
大口のお客さんが支払いに来てくれたそうだ。
思わず「やったあ」と声が出る。これでしばらくは安泰である。
リハビリは今日も順調。ついに痛み止めの薬も止めることになった。
あまりの成果に医師も驚きながら大いに喜んでくれる。
ずっと親身になって寄り添ってくれた医師には感謝しかない。
完治する見込みはないのだとしても痛みが和らいだことが嬉しいのだ。
まだ杖は手放せないでいるが杖なしでも少し歩けるようになった。

サニーマートで買物をして4時に帰宅。
今日はお昼休みが無かったので短歌どころではなかった。
夕飯の支度までには一時間あり自室のパソコンに向かう。
深呼吸をしながら考える。昨夜思ったように自由に詠みたい。
もう自分で「お題」を出すのは止めようと思った。
そうしたらなんだか解放感に満たされとても新鮮な気持ちになった。
すらすらすらと三首書く。上出来ではなかったがまあまあかなと思う。
特に「遺影ではいつも笑顔でいるけれどこんな雨の日喧嘩をしたね」
これは母を想って詠んだ歌で仕事をしながら喧嘩ばかりしていたこと。
それは今となれば懐かしさとしか云いようがないことであった。
もう喧嘩をしたくても母はいない。遺影はずっと笑顔のままなのだ。
昨夜も寝る前に思ったことだが私のハードルは高過ぎたのだと思う。
必ず跳ばなくてはいけないと躍起になっていた。
勇気もなければ自信もないのにどうして跳ぶことが出来ようか。
中学の時の運動会を思い出していた。
クラブ対抗リレーがあって陸上部はハードルを跳ばなくてはいけない。
私はハードルが苦手だった。どんなに練習しても跳べないのだ。
陸上部は当然のようにトップを走っていたが
私の番になり最下位に落ちてしまった。
ハードルを跳べない私はなんと潜り抜けてしまったのだった。
ブーイングの嵐にも負けはしない。もちろん泣きもしなかった。
あの時と同じなのだなと思う。私は未だにハードルを跳べない。
今朝は真冬並みの冷え込みだったが日中は穏やかな晴天となる。
毎朝能登地方の天気予報を見るのが習慣になっており
今日は生憎の曇り空で寒い一日だったようだ。
被災地からの報道が日に日に少なくなっているこの頃
決して忘れてはならないことなのだけれど
世の中のまるで渦のような報道が後を絶たなくなった。
痛ましい事故や事件に胸が詰まるような思いである。
昨夜は随分と声が出るようになりもう治ったかに思えたが
今朝はまたぶり返し殆ど声が出ない状態になっていた。
仕事を半日休ませてもらって病院へ行くことも考えたが
市販の薬を飲みつつ土曜日まで様子を見ることにした。
声帯の炎症を鎮める漢方薬なのだが直ぐには効かないようだ。
煙草はもってのほか飲酒も控えた方が良いらしいが
どうしても我慢できない。この性分にはすっかり呆れ返っている。
仕事にも支障がありまず電話応対が出来ない。
頼みの綱の義父も今日は農作業に出掛けていて不在だった。
こんな日に限って着信が多い。必死に声が出ないことを伝えるしかない。
明日はもう月末である。おそらく忙しい一日になることだろう。

毎日短歌のことばかり書いて申し訳ないが
今日も苦心しながらなんとか三首を詠むことが出来た。
ふと気づいたのは少しも楽しくないことである。
そもそも楽しいことではなく辛い作業なのかもしれない。
言葉を連ねて書く詠み方には確かに限界があるのだった。
自分で自分に「お題」を与えているのだけれど
その時点でもう私は自由では無くなっている気がする。
それこそが学びでそれこそが努力なのかもしれないが
精神的に疲れを感じるようになってしまうと元も子もないではないか。
私はもっと自由であるべきなのだ。好きなように短歌を詠みたい。
今日は「青空」で終わった。明日は雨なのにどうすれば良いのだろう。
雨の詩を書き雨の短歌を詠みたい。
土砂降りの雨になって何処かへ流されてしまいたい。
辿り着いたその場所はきっと新鮮な空気で満ちていることだろう。
本日も晴天なり。強風もおさまり随分と暖かく感じた。
鮮やかなピンクの花は桃の花だろうか。
山里の民家の近くに毎年咲いているのだけれど
誰にも訊けずにいてもうかなりの歳月が流れてしまった。
「桃の節句」も近くなりおそらくそうに違いないと思い込んでいる。
白木蓮に続き春を感じずにはいられない。なんともこころが和む。
今朝は目覚めるなり左足がつり激痛が走った。
夫がマッサージをしてくれ痛みは直ぐに治まったが
今度は声が殆ど出ない。どうやら声枯れが悪化したようである。
なんとか会話は出来たがまるで「がらがらへび」のようであった。
職場に着くなり義父にお説教されてしまった。
煙草の吸い過ぎを指摘され「自業自得じゃ」と言うのである。
それは私も痛いくらいに承知しているし反省もしている。
しかし自分をセーブすることが出来ない病気のようにも思えるのだ。
もう禁煙に臨むことは考えていないのでどうしようもなかった。

今日はお昼休みがあったのでゆっくりと短歌をと思ったが
思うように詠めない。やはりひどく追い詰められている。
そんな時は「どうせ崖っぷち」だと開き直るしかなかった。
昨日は「映る」で終わっていたのであれこれと考えていたら
「映像」が閃く。とてもここでは紹介出来ないような愚作である。
一首目からすでに途方に暮れていて墓穴を掘り続けていた。
自信もなければプライドもない。この先どうなるのだろうと思う。
「燃え尽き症候群」と云う言葉がある。精神的な病のようなもの。
それまでモチベーションを高く保っていた人が
突然やる気を失ってしまう症状なのだそうだ。
どれほど努力をしてもそれに見合った成果が出なかった時とか
逆に大きな成果を達成した後の喪失感からもそれは在り得るらしい。
私の場合は前者だと思われる。まるで架空の空を羽ばたく鳥のよう。
そこは空ではないのだ。なのに私は羽ばたこうと必死になっている。
もちろん成果などあるはずはない。あるのは虚しさだけである。
今に地上に落下するだろう。そうして傷だらけになってしまうのだ。
さあて困りましたね。これほど弱気になってしまっては。
昨夜もここに記したがこれまでの努力を水の泡にするつもりはない。
なんとしても書き続けて行く信念こそが大切なのだろう。
今日は「悔いはあるまい」で終わったので明日は「悔い」から始まる。
「悔やむ」「悔しさ」他に何があるだろうか。
そうだ悔しさをバネにすればいい。そうしてまた羽ばたいて行く。
久しぶりの青空であったが強風注意報が出ていた。
陽射しを突き破るようにして冷たい北風が吹く。
朝の国道沿いに白木蓮の花が咲き始めていて思わず歓声をあげた。
春を告げる花である。毎年咲くのをどんなにか待ちわびていることか。
とても大きな樹で満開になると見事な存在感がある。
今日よりも明日と咲くことだろう。朝の道が楽しみでならない。
蕾はまるで手のひらを合わせたように見える。
何を祈っているのだろう。それとも感謝の気持ちなのかもしれない。

やっと月曜日。する仕事のあることが有難くてならなかった。
朝から来客が多く嬉しい悲鳴をあげるばかり。
あっという間にお昼になり急ぎ足で時間が過ぎて行く。
義父は好天気に農作業をしたくてならない様子で少し苛立っていた。
言葉が荒くなっていたがそれを宥めるようにやり過ごす。
にっちもさっちも行かないとはこんな時を云うのだろう。
やっと一段落したがまだ朝食も食べていないのだった。
「腹が減っては戦が出来ぬ」と促し大急ぎで掻き込ませた。
すでにお昼休みであったがまた来客がある。
義父を送り出した後で私が対応するしかない。
不謹慎にも頭の中は短歌のことでいっぱいになっていた。
大丈夫、15分もあれば書けるだろうと甘く見過ぎていたようだ。
今日は「愛」から始めなければいけなかった。
例の如くでどうして愛なのかと自分を責めたくなってくる。
また悩みの種を蒔いてしまったようだ。さてどうする。
しばらく考えていたらふと「愛別離苦」と云う仏教の言葉が浮かんだ。
これは人間の八苦のひとつで愛する者とは必ず別れがやって来る。
それが人の世の儚さであり運命であると云う教えであるらしい。
無知で教養のない私ではあるが昔読んだ本にそう書いてあった。
「愛別離と書けば苦しかないけれどこの世の掟なんと儚し」
この歌を詠むのに30分程かかる。もう時間の余裕など無いに等しい。
仕方なく仕事をしながら次の歌を考えなければならなかった。
よほど追い詰められていたのだろう。もう限界かもしれないと思う。
短歌なんていっそ止めてしまおうかとも思った。
でもそれでは今までの努力が水の泡になってしまうのだ。
こんな時こそ「負けるもんか」なのだ。限界を乗り越えずにどうする。
私は崖っぷちに立っている。そう思ってなんとか後の2首を書き終えた。
これは明日もある。明後日もある。生きている限り続くのである。

帰り道のラジオで震度3の地震があったことを知る。
運転中の事で全く気づかなかったがけっこう揺れたようだった。
つい先日も震度2の地震があったばかりで不安がつのる。
幸い震源地は土佐沖ではなかったが近いうちに必ずあるだろう。
帰宅したら夫が「おまえは逃げるのは無理だ」と言う。
娘も一緒になって私を馬鹿にするので開き直ってみた。
杖を放り投げて走れるかもしれないのだ。
火事場の馬鹿力をきみたちは知らないのかい。
その時になってあっと言わせてやろうではないか。
朝に晩に仏壇に手を合わせている。
どうか大きな地震が来ませんようにと。
家族皆をどうかお守りくださいと。
しかし私をお守りくださいとは一度も願ったことはない。
今日も曇り日。夕方近くなりやっと青空が見え始める。
ほおずき色の空が嬉しいこと。明日は久しぶりに晴れそうだ。
三連休は少しも嬉しくなくごろごろと寝てばかりで退屈で仕方ない。
ドライブがてら「一風」へラーメンを食べに行こうと夫に相談したが
「そんな気分じゃない」と敢え無く却下されしょんぼりとするばかり。
午前中また7時から9時半まで炬燵に潜り込み寝ていた。
自分でも異常ではないかと思う。なんと不可解な眠気だろう。
夜の睡眠が足らないのかもしれないが7時間眠れば十分に思うのだ。
平日の朝の眠気も相変わらず続いており悩みの種になっている。
とにかく事故を起こさないように注意しなければならない。
昼食は結局「お好み焼き」を作って食べる。
「外食するよりずっと安上がりだぞ」となんと偉そうな夫。
ビールを飲みご満悦で私もノンアルビールを飲んだ。
お腹が一杯になるとまた眠くなる。また3時間ほどお昼寝をした。
寝起きの気だるいこと。アイスコーヒーを2杯飲む。
煙草はすっかり元の木阿弥になっており鎖のように吸い続ける。
そのせいか声が嗄れて咳き込むことも多くなった。
食欲と同じで我慢することが出来ないのだ。もう開き直るしかない。
しかしこれは自殺行為に等しいと思う。まだ死にたくなどないのに。

今日の短歌は「夜」で始まる。これもしまったと思ったが自業自得。
自分で蒔いた種なのでなんとしても芽を出させてやらねばならない。
しかし私のこの試みはいつか実になることが出来るのだろうか。
やがて大きな落とし穴が待っているようで心細くてならない。
「負けるもんか」と毎日書き続けているが漠然とした不安が付きまとう。
「夜」はなんとか書き終えて最後には
「今だからこそ言えること傷つけてごめん愛していたはずなのに」
これは意味深な一首になり自己満足以外の何物でもない。
かつて愛した人がいた。しかしどれほど傷つけてしまったのだろう。
二十歳を過ぎたばかりの春だった。私は何もかも捨てて逃げだしたのだ。
若気の至りでは済まない大きな罪を犯したのだと思っている。
過去に背持った物は重い。一生身軽にはなれないだろう。
今がどれほど幸せであっても忘れてはいけない「過去」がある。
ずいぶんと生き永らえて来た。あともう少しなのかもしれないが
書き残すことで少しで罪を償うことが出来たらと願ってやまない。
どんよりとした曇り日。薄日が射すこともなく肌寒い一日だった。
水仙は冬を代表する花だが春先になるとラッパ水仙が咲き始める。
近所の美容室の窓の下にそれが一斉に並んで咲いているのを見た。
うきうきと心が弾む。季節は確かに春なのに違いない。
朝ドラ再放送の「まんぷく」を見終わってから2時間も寝ていた。
朝から何てことだと夫が呆れ返っていたが眠いのは仕方あるまい。
いつもならカーブス行く前に買物を済ませおくのだが時間が無かった。
寝起きの気だるさが抜けず珈琲を飲み煙草を吸ってから出掛ける。
リハビリの成果がありこのところ足の痛みが和らいでいて嬉しい。
そのせいか筋トレも楽しく笑顔もこぼれるようになった。
異常な程に汗をかくのは代謝が良くなっている証拠らしいが
体重はどんどん増え続けもうすぐ70キロの大台になろうとしている。
少々の筋トレでは追いつかないほどの暴飲暴食のせいだろう。
とにかく満腹になるまで食べないと気が済まないのだった。
もうダイエットはしないと決めた。我慢するのはもう沢山だと思う。
私は醜くなる一方だが「それがどうした」と開き直っている。

午後も3時間の昼寝。4時前にやっと目覚めて短歌を詠む。
昨日は「声」で終わったので今日は「声」から始める。
「声のするほうへと歩み寄りながら幻みたいな君を抱いた」
「抱く」は性交とも読み取られ卑猥なイメージがあるが
この老いぼれにそれは決してないだろうと自分で納得していた。
それこそ自己満足だろうが自画自賛とも云えるだろう。
私は好きである。他の誰にも読めない歌だと思っている。
もし愚かさを指摘されたら「それがどうした」とまた開き直るだろう。
詩も短歌も信念失くしては書けないのだと思っている。
特に私のように残り少ない人生を書くことで全うしようとしている者に
遊び心でどうして書けよう。それは時間の無駄だと思うのだ。
いつだって真剣でなくてはならない。これは命がけの作業なのである。
認められたい「欲」はいつまで経っても手放せないが
私の死後にもし誰かの目に触れることがあれば本望に思う。
私はきっと忘れられない人になることが出来るだろう。
小雨が降ったり止んだり。夕方になり雲間から少しだけ夕陽が見えた。
眩しさに目を細める。それは恍惚とするような光であった。
スポットライトには無縁であるがもしやこれがと思う。
そんな夢のようなことを考えるほど私はもう若くはないのだけれど。
天皇誕生日で祝日。今日から三連休を頂いたが少しも嬉しくはなかった。
なんだか道に迷った老犬のように居場所を見失ってしまった気がする。
何処に行けば良いのだろう。ふと心細くなるほどだった。
娘夫婦が仕事だったのでめいちゃんを誘って買物に行く。
最初にドミノピザへ行って昼食用のピザを注文した。
焼き上がりまで20分とか。その間にサニーマートへ行く。
頂き物の白菜があるので今夜は寄せ鍋にしたが
マンネリ化してしまって少しもわくわくしないのだ。
具材もいつもと同じ物ばかりで鍋用の魚も品薄である。
めいちゃんの好きなえのき茸、あやちゃんの好きな葛切りは必須。
ピザを車に積み込むとなんと美味しそうな匂いだろう。
早く帰って食べたかったがめいちゃんがダイソーに行きたがる。
今日もまた770円の買物。そろそろお小遣いが底を尽きそうだった。
可哀想に思い千円札を渡したら「やったあ」と喜ぶ。
家まで10分程。私の即興で「ピザの歌」を歌いながら帰った。
「それだれのうた?」と訊くので「おばあちゃんの歌」と笑い合う。
家に帰り着いたら一足違いであやちゃんがカップヌードルを食べていた。
娘が自分で作って食べるようにと言い残していたらしい。
ピザを買って来ることを言ってなかった私も悪かったのだ。
娘も娘である。どうして私に頼ってくれなかったのだろう。
夫が少しでもと言って二階へ持って行ったら一切れだけ食べてくれた。
「もうおなかいっぱい」と笑っていたそうでほっと嬉しかった。
娘が帰宅してからその話をするとあくまでも非常食なのだそうだ。
別に私に遠慮したわけではないのだと怒ったように言う。
なんとなく険悪なムードになりさらりと水に流すことにする。

今朝はSNSにMさんからメッセージが届いており嬉しかった。
最愛の奥様を亡くされたMさんは私の詩を毎朝読んでくれている。
私も以前はMさんを意識しながら書くことが多かったが
最近では自分の好きなように気ままに書くことが多くなった。
時には暗く陰鬱な詩にもなるが最後には必ず光を当てるよう心掛けている。
かなしみは癒されるべきなのだ。どんなに辛く苦しい日々であっても
前を向けばきっと救われる日が来るのだと私は信じている。
春の息吹を優しい風を感じられるように言葉を綴って行きたい。
それは同時に私自身も救ってくれるではないだろうか。
「死」はどうしようもなく身近となりもう避けられない宿命となった。
一日一生だと思いつつ日々を過ごしているが
全うするためにはもっと努力が必要なのかもしれない。
書くことが生きること。それは誰にも侵されてはならない。
定命が尽きるその日まで私は書き続けて行きたいと思っている。
儚くなくてどうしてそれが出来ようか。
|