今日も曇り日。夕方近くなりやっと青空が見え始める。
ほおずき色の空が嬉しいこと。明日は久しぶりに晴れそうだ。
三連休は少しも嬉しくなくごろごろと寝てばかりで退屈で仕方ない。
ドライブがてら「一風」へラーメンを食べに行こうと夫に相談したが
「そんな気分じゃない」と敢え無く却下されしょんぼりとするばかり。
午前中また7時から9時半まで炬燵に潜り込み寝ていた。
自分でも異常ではないかと思う。なんと不可解な眠気だろう。
夜の睡眠が足らないのかもしれないが7時間眠れば十分に思うのだ。
平日の朝の眠気も相変わらず続いており悩みの種になっている。
とにかく事故を起こさないように注意しなければならない。
昼食は結局「お好み焼き」を作って食べる。
「外食するよりずっと安上がりだぞ」となんと偉そうな夫。
ビールを飲みご満悦で私もノンアルビールを飲んだ。
お腹が一杯になるとまた眠くなる。また3時間ほどお昼寝をした。
寝起きの気だるいこと。アイスコーヒーを2杯飲む。
煙草はすっかり元の木阿弥になっており鎖のように吸い続ける。
そのせいか声が嗄れて咳き込むことも多くなった。
食欲と同じで我慢することが出来ないのだ。もう開き直るしかない。
しかしこれは自殺行為に等しいと思う。まだ死にたくなどないのに。

今日の短歌は「夜」で始まる。これもしまったと思ったが自業自得。
自分で蒔いた種なのでなんとしても芽を出させてやらねばならない。
しかし私のこの試みはいつか実になることが出来るのだろうか。
やがて大きな落とし穴が待っているようで心細くてならない。
「負けるもんか」と毎日書き続けているが漠然とした不安が付きまとう。
「夜」はなんとか書き終えて最後には
「今だからこそ言えること傷つけてごめん愛していたはずなのに」
これは意味深な一首になり自己満足以外の何物でもない。
かつて愛した人がいた。しかしどれほど傷つけてしまったのだろう。
二十歳を過ぎたばかりの春だった。私は何もかも捨てて逃げだしたのだ。
若気の至りでは済まない大きな罪を犯したのだと思っている。
過去に背持った物は重い。一生身軽にはなれないだろう。
今がどれほど幸せであっても忘れてはいけない「過去」がある。
ずいぶんと生き永らえて来た。あともう少しなのかもしれないが
書き残すことで少しで罪を償うことが出来たらと願ってやまない。
どんよりとした曇り日。薄日が射すこともなく肌寒い一日だった。
水仙は冬を代表する花だが春先になるとラッパ水仙が咲き始める。
近所の美容室の窓の下にそれが一斉に並んで咲いているのを見た。
うきうきと心が弾む。季節は確かに春なのに違いない。
朝ドラ再放送の「まんぷく」を見終わってから2時間も寝ていた。
朝から何てことだと夫が呆れ返っていたが眠いのは仕方あるまい。
いつもならカーブス行く前に買物を済ませおくのだが時間が無かった。
寝起きの気だるさが抜けず珈琲を飲み煙草を吸ってから出掛ける。
リハビリの成果がありこのところ足の痛みが和らいでいて嬉しい。
そのせいか筋トレも楽しく笑顔もこぼれるようになった。
異常な程に汗をかくのは代謝が良くなっている証拠らしいが
体重はどんどん増え続けもうすぐ70キロの大台になろうとしている。
少々の筋トレでは追いつかないほどの暴飲暴食のせいだろう。
とにかく満腹になるまで食べないと気が済まないのだった。
もうダイエットはしないと決めた。我慢するのはもう沢山だと思う。
私は醜くなる一方だが「それがどうした」と開き直っている。

午後も3時間の昼寝。4時前にやっと目覚めて短歌を詠む。
昨日は「声」で終わったので今日は「声」から始める。
「声のするほうへと歩み寄りながら幻みたいな君を抱いた」
「抱く」は性交とも読み取られ卑猥なイメージがあるが
この老いぼれにそれは決してないだろうと自分で納得していた。
それこそ自己満足だろうが自画自賛とも云えるだろう。
私は好きである。他の誰にも読めない歌だと思っている。
もし愚かさを指摘されたら「それがどうした」とまた開き直るだろう。
詩も短歌も信念失くしては書けないのだと思っている。
特に私のように残り少ない人生を書くことで全うしようとしている者に
遊び心でどうして書けよう。それは時間の無駄だと思うのだ。
いつだって真剣でなくてはならない。これは命がけの作業なのである。
認められたい「欲」はいつまで経っても手放せないが
私の死後にもし誰かの目に触れることがあれば本望に思う。
私はきっと忘れられない人になることが出来るだろう。
小雨が降ったり止んだり。夕方になり雲間から少しだけ夕陽が見えた。
眩しさに目を細める。それは恍惚とするような光であった。
スポットライトには無縁であるがもしやこれがと思う。
そんな夢のようなことを考えるほど私はもう若くはないのだけれど。
天皇誕生日で祝日。今日から三連休を頂いたが少しも嬉しくはなかった。
なんだか道に迷った老犬のように居場所を見失ってしまった気がする。
何処に行けば良いのだろう。ふと心細くなるほどだった。
娘夫婦が仕事だったのでめいちゃんを誘って買物に行く。
最初にドミノピザへ行って昼食用のピザを注文した。
焼き上がりまで20分とか。その間にサニーマートへ行く。
頂き物の白菜があるので今夜は寄せ鍋にしたが
マンネリ化してしまって少しもわくわくしないのだ。
具材もいつもと同じ物ばかりで鍋用の魚も品薄である。
めいちゃんの好きなえのき茸、あやちゃんの好きな葛切りは必須。
ピザを車に積み込むとなんと美味しそうな匂いだろう。
早く帰って食べたかったがめいちゃんがダイソーに行きたがる。
今日もまた770円の買物。そろそろお小遣いが底を尽きそうだった。
可哀想に思い千円札を渡したら「やったあ」と喜ぶ。
家まで10分程。私の即興で「ピザの歌」を歌いながら帰った。
「それだれのうた?」と訊くので「おばあちゃんの歌」と笑い合う。
家に帰り着いたら一足違いであやちゃんがカップヌードルを食べていた。
娘が自分で作って食べるようにと言い残していたらしい。
ピザを買って来ることを言ってなかった私も悪かったのだ。
娘も娘である。どうして私に頼ってくれなかったのだろう。
夫が少しでもと言って二階へ持って行ったら一切れだけ食べてくれた。
「もうおなかいっぱい」と笑っていたそうでほっと嬉しかった。
娘が帰宅してからその話をするとあくまでも非常食なのだそうだ。
別に私に遠慮したわけではないのだと怒ったように言う。
なんとなく険悪なムードになりさらりと水に流すことにする。

今朝はSNSにMさんからメッセージが届いており嬉しかった。
最愛の奥様を亡くされたMさんは私の詩を毎朝読んでくれている。
私も以前はMさんを意識しながら書くことが多かったが
最近では自分の好きなように気ままに書くことが多くなった。
時には暗く陰鬱な詩にもなるが最後には必ず光を当てるよう心掛けている。
かなしみは癒されるべきなのだ。どんなに辛く苦しい日々であっても
前を向けばきっと救われる日が来るのだと私は信じている。
春の息吹を優しい風を感じられるように言葉を綴って行きたい。
それは同時に私自身も救ってくれるではないだろうか。
「死」はどうしようもなく身近となりもう避けられない宿命となった。
一日一生だと思いつつ日々を過ごしているが
全うするためにはもっと努力が必要なのかもしれない。
書くことが生きること。それは誰にも侵されてはならない。
定命が尽きるその日まで私は書き続けて行きたいと思っている。
儚くなくてどうしてそれが出来ようか。
曇り日。夕方少し小雨が降ったが今は止んでいる。
一日中どんよりと暗い空だったが寒さは感じなかった。
しかし寒気がゆっくりと南下して来るそうで油断は出来ない。
「冬の背にそっと息を吹きかけて別れ道まで送って行く」
そんな短歌を詠んだのは二年前の今頃だったか。
記憶はどんどんと遠ざかり残るのは儚さだけであった。
自ら消えようとしているのでない。私は消されているのだと思う。
誰に?まるで世間に負けた「令和枯れすすき」のようである。

職場に着くなりもう義父が働いていておどろく。
昨日の疲れなど全く無いように見えた。
けれども少し機嫌が悪く苛立っているように感じたのは気のせいか。
どうやらあまりの忙しさに農作業が出来ず焦っているように思える。
田植えはまだまだ先の事と思っていたが種籾の準備があるらしい。
「もう米どころではないぞ」と今日もぼやいていた。
なんとかスムーズに行かないものかと私も頭を悩ませているが
工場の仕事を優先して貰わないとにっちもさっちも行かなくなる。
機嫌を損ねないように気を遣いつつ見守るしかないのだろう。
今日も昼休み無しで4時過ぎまで仕事をしていた。
整形外科のリハビリが5時からだったので丁度良かったが
受付時間ぎりぎりになりなんとか間に合った。
今日の療法士さんは男性だったが初めてではなかったので
あれこれと会話をしながら施術をしてもらいなんとも心地よい。
私の気のせいかもしれないが女性よりも上手なのではないだろうか。
まだ独身に見えたがきっと女性に優しいのに違いない。
帰宅がすっかり遅くなりそうで夕飯は「ほか弁」にした。
娘とめいちゃんはダンス教室なので三人分で良い。
あやちゃんが「ステーキ弁当が食べたい」と言ってくれる。
これも以前ならそっけなく「要らない」と言ったことだろう。
ちゃんと食べたい物を言ってくれたのがとても嬉しかった。
私達と一緒には食べなかったが「温いうちに食べたや」と
声を掛けたら「うん、わかった」と笑顔で応えてくれる。
独りで食べるのにはもう慣れてしまったのだろう。
寂しくはないかと気遣うこともなくなった。
自主的と云うのだろうか自由気ままなのが一番のようだ。
隣室から鉛筆を削る音が聞こえている。
定期的に学校から届く課題は完璧なのだそうだ。
先日も訪ねて来てくれた先生が褒めてくれたらしい。
あやちゃんは決して怠けているのではないのだ。
自分なりに努力をしながら前向きに頑張っているのだと思う。
天使が空から舞い降りてくる日がきっと来るだろう。
トンネルを抜けたらきらきらと眩しく輝く空が見えるのに違いない。
日中は激しい雷雨となる。昔「春雷」と云う歌があったが
誰が歌っていたのか思い出せない。「ふきのとう」だったか?
空を突き破るように稲妻が走り力強い春の訪れを感じた。
悪天候の中、義父が徳島市内へ出張し心配でならない。
お客さんが事故を起こしレッカー搬送を依頼されたのだった。
まるで若者のように張り切っていたが80歳の高齢者である。
長距離運転には自信があっても万一の事が無いとは限らない。
しかもいつもは電話魔なのに今日に限って一切連絡がなかった。
往復10時間としてもそろそろ帰り着いている頃だろう。
きっと疲れてぐったりしているのではないかと思われる。
あえてこちらから電話をせずにいて明日会えるのを待つしかない。

昨日の今日で診療所に相談したら健康診断が可能とのこと。
予約も不要とのことでとりあえず3月初旬に予定することにした。
同僚にその旨を話したら必要ないと言ってあまり乗り気ではない。
普段から病院通いが多くあれこれ検査をしているのだそうだ。
けれども年度末までに結果を報告しなければいけないので
なんとしても受けてもらわなければいけない。
他にも作成しなければいけない書類があったが今日はやる気がしない。
だらだらと怠けてばかりの一日だった。
お昼前に平田町のローソンまで走る。
無性にオーロラソースのチキン南蛮弁当が食べたくてならなかった。
助手席に積んでわくわくしながら職場まで帰る。
まるで夢のように美味しい。毎日でも食べたいくらいだった。
今日の短歌は「知らない」から始める。
どうして昨日「知らない」で終わってしまったのかと頭を抱えた。
仕方ない自分で蒔いた種である。なんとしても咲かせなければ。
「知らないで済むことならば目を閉じて君の心の鍵を壊そう」
我ながらなんじゃこれと思うほどの駄作となってしまった。
意味不明である。心の鍵を壊されたらたまったもんじゃない。
しかし今日は「未来」で終われたので少しほっとしている。
明日はもっとましな歌が詠めるに違いない。
短歌は31文字の「詩」であるべきだと私は思っている。
SNSではそう感じられない短歌が沢山発信されているが
反応が凄い。「いいね」が2百以上も付いていておどろく。
きっと今の若者にはそんな短歌が好ましいのだろう。
私の短歌は相変わらずだが決してめげてはいけないのだと思う。
あくまでも信念を貫く。それが私の誇りでなくてなんだろう。
反応イコール評価ではない。無視されても私は書き続けるしかないのだ。
と、少し強がってみたが本音は心細くてならない。
私はやがて消えるだろう。詩も短歌もなんと儚いことだろうか。
最高気温が25℃近くまで上がりまるで初夏のようだった。
全国的に2月の過去最高気温を記録したらしい。
暖かいに越したことはないがなんとも気味が悪い。
不安症の私など大地震の前兆ではないかと心配でならない。
大きな揺れが収まったらすぐに高台に避難をと言っているが
家が潰れて下敷きになってしまったらどうすればいいのだろう。
家もろとも津波に呑まれるのは目に見えている。
果たして生き残れるのだろうか。それはもう恐怖しかない。
不安の種を蒔き続けていたらきりがないが考えずにはいられなかった。
どうかどうか大きな地震がありませんようにと毎日祈り続けている。

さて今日の短歌は「おんな」昨夜からずっと頭から離れない。
なんとか書けそうになったが今日もお昼休みがなかった。
午後からは労働基準監督署に行かなければいけなくて焦るばかり。
とりあえず下書きをしておき義父の目を盗んでパソコンに向かった。
「女には一本道があるらしい脇目も振らず駆け抜ける恋」
なんだか演歌のような歌になったが「一本道」に拘っていた。
自分では上出来だと思っているが反応はそれほどでもない。
いかに私の自惚れが強いかこれで明らかになった。
昔のような感性はもう殆ど残っていないのだろう。
このまま廃れていく運命なのかもしれない。

労働基準監督署は最低賃金を守っているかの調査だった。
ランダムに選んだそうだがどうして我が社がと思う。
もっと大きな会社がいくらでもあるだろうに。
幸いぎりぎりだが最低賃金は守られておりお咎めはなかったが
健康診断の話になりこれはいささかまずかった。
これは法律で決められており「必須」なのだそうだ。
ずっと気にはなっていたがあまりにも疎かにしていたようだ。
明日にでも山里の診療所に相談してみるつもりだが
設備が整っていなければ大きな病院へ行かなければならない。
これは同僚だけのことで私は対象外であった。
最後に同意書にサインをする時、役職名を書くように言われ
取締役に続けて私の名前を書く。初めてだったのでどきどきした。
それにしても出世したものだと後からほくそ笑んでしまう。

今夜のあやちゃんもにこにこ。最近ずいぶんと明るくなった。
鶏の手羽元が好きなので照り焼き風に煮付けたら喜んで食べてくれる。
「ごちそうさま」そう言うと汚れた食器を流し台まで運んでくれた。
こんなことは初めてではないだろうか。少しびっくりした。
娘は何も言わないが内心では変化に気づいているのではと思う。
けれども話題にしてはいけない事だと思い私も黙っていた。
とにかく明るい方へ。あやちゃんは真っ直ぐ前を向き歩き続けている。
二十四節気の「雨水」雪が雨に変わり春の兆しが見え始める頃。
そんな「雨水」を待ち兼ねていたようにまとまった雨が降る。
風も強く吹きなんだか春の嵐のような一日だった。
昔から農耕の準備を始める時期とも言われていて
義父がそわそわと落ち着かない。しかし大雨では農作業も出来なかった。
仕方なく諦めた様子で工場の仕事を手伝ってくれ大助かりである。
同僚も頑張ってくれて2台の車検を仕上げることが出来た。
どちらも大掛かりな修理が必要で一週間も預かっていたので
私もほっと肩の荷が下り心地よい達成感が待っていた。
2月の予約は全て埋まりもう3月の予約が入り始めている。
ぼちぼちではいられず気を引絞めて取り組まなければと思う。
仕事は忙しいほど張り合いがある。嬉しい悲鳴をあげずにはいられない。

8時半から7時間ぶっ続けで働く。お昼休みもなかったので
ゆっくりと短歌を詠む時間がなかった。
しかし焦ってはいけないと自分に言い聞かせながら
義父が昼食を摂っている間になんとか3首書くことが出来た。
長年短歌に携わっているけれど技法には全く無知である。
私が今試みているのは「連詠み」のようなもので
ひとつの短歌の最後の言葉を次の最初に詠む方法である。
例えば昨日は「幻想」で終わったので今日は「幻想」から始める。
「幻想に惑わされては歳重ね若き日の夢いずこかへ去る」
次は「去る」なので
「去る者は追わずと決めているけれど後ろ髪引く熱き指先」
これは最初「憎き指先」と書いていたが違和感があり書き直した。
次は「指先」である。
「指先でなぞるような過去があるあの日あの時私はおんな」
書き終わってからこれは面白いことになったと思った。
当然のことながら明日は「おんな」から始めなければいけない。
老いぼれの婆さんがいい歳をして穴が在ったら入りたいくらいである。
しかしなんとしてもやり遂げるのが私の信念ではないだろうか。
きっと書いて見せよう。我ながら明日が楽しみになって来た。
おそらく仕事をしながら頭の中は「おんな」で溢れることだろう。

今夜もにこにこ笑顔のあやちゃんに会えた。
私と娘が夕食の支度をしていたら二階から下りて来て
なんと珍しく揚げ物を手伝ってくれたのだった。
くくっと笑い声。久しぶりに聞く「鳩ぽっぽ」だった。
食事中も会話が弾み父親としきりに話し込んでいた。
冗談を言い合ったりふざけ合ったりなんと楽し気な笑顔だろう。
幼い頃からずっと明るく朗らかな子だった。
この一年近く何を悩み傷ついていたのだろうと思う。
葛藤はまだまだ続くのかもしれないけれど
「もう過ぎ去ったこと」がきっとあるのに違いない。
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