曇り日。夕方少し小雨が降ったが今は止んでいる。
一日中どんよりと暗い空だったが寒さは感じなかった。
しかし寒気がゆっくりと南下して来るそうで油断は出来ない。
「冬の背にそっと息を吹きかけて別れ道まで送って行く」
そんな短歌を詠んだのは二年前の今頃だったか。
記憶はどんどんと遠ざかり残るのは儚さだけであった。
自ら消えようとしているのでない。私は消されているのだと思う。
誰に?まるで世間に負けた「令和枯れすすき」のようである。

職場に着くなりもう義父が働いていておどろく。
昨日の疲れなど全く無いように見えた。
けれども少し機嫌が悪く苛立っているように感じたのは気のせいか。
どうやらあまりの忙しさに農作業が出来ず焦っているように思える。
田植えはまだまだ先の事と思っていたが種籾の準備があるらしい。
「もう米どころではないぞ」と今日もぼやいていた。
なんとかスムーズに行かないものかと私も頭を悩ませているが
工場の仕事を優先して貰わないとにっちもさっちも行かなくなる。
機嫌を損ねないように気を遣いつつ見守るしかないのだろう。
今日も昼休み無しで4時過ぎまで仕事をしていた。
整形外科のリハビリが5時からだったので丁度良かったが
受付時間ぎりぎりになりなんとか間に合った。
今日の療法士さんは男性だったが初めてではなかったので
あれこれと会話をしながら施術をしてもらいなんとも心地よい。
私の気のせいかもしれないが女性よりも上手なのではないだろうか。
まだ独身に見えたがきっと女性に優しいのに違いない。
帰宅がすっかり遅くなりそうで夕飯は「ほか弁」にした。
娘とめいちゃんはダンス教室なので三人分で良い。
あやちゃんが「ステーキ弁当が食べたい」と言ってくれる。
これも以前ならそっけなく「要らない」と言ったことだろう。
ちゃんと食べたい物を言ってくれたのがとても嬉しかった。
私達と一緒には食べなかったが「温いうちに食べたや」と
声を掛けたら「うん、わかった」と笑顔で応えてくれる。
独りで食べるのにはもう慣れてしまったのだろう。
寂しくはないかと気遣うこともなくなった。
自主的と云うのだろうか自由気ままなのが一番のようだ。
隣室から鉛筆を削る音が聞こえている。
定期的に学校から届く課題は完璧なのだそうだ。
先日も訪ねて来てくれた先生が褒めてくれたらしい。
あやちゃんは決して怠けているのではないのだ。
自分なりに努力をしながら前向きに頑張っているのだと思う。
天使が空から舞い降りてくる日がきっと来るだろう。
トンネルを抜けたらきらきらと眩しく輝く空が見えるのに違いない。
日中は激しい雷雨となる。昔「春雷」と云う歌があったが
誰が歌っていたのか思い出せない。「ふきのとう」だったか?
空を突き破るように稲妻が走り力強い春の訪れを感じた。
悪天候の中、義父が徳島市内へ出張し心配でならない。
お客さんが事故を起こしレッカー搬送を依頼されたのだった。
まるで若者のように張り切っていたが80歳の高齢者である。
長距離運転には自信があっても万一の事が無いとは限らない。
しかもいつもは電話魔なのに今日に限って一切連絡がなかった。
往復10時間としてもそろそろ帰り着いている頃だろう。
きっと疲れてぐったりしているのではないかと思われる。
あえてこちらから電話をせずにいて明日会えるのを待つしかない。

昨日の今日で診療所に相談したら健康診断が可能とのこと。
予約も不要とのことでとりあえず3月初旬に予定することにした。
同僚にその旨を話したら必要ないと言ってあまり乗り気ではない。
普段から病院通いが多くあれこれ検査をしているのだそうだ。
けれども年度末までに結果を報告しなければいけないので
なんとしても受けてもらわなければいけない。
他にも作成しなければいけない書類があったが今日はやる気がしない。
だらだらと怠けてばかりの一日だった。
お昼前に平田町のローソンまで走る。
無性にオーロラソースのチキン南蛮弁当が食べたくてならなかった。
助手席に積んでわくわくしながら職場まで帰る。
まるで夢のように美味しい。毎日でも食べたいくらいだった。
今日の短歌は「知らない」から始める。
どうして昨日「知らない」で終わってしまったのかと頭を抱えた。
仕方ない自分で蒔いた種である。なんとしても咲かせなければ。
「知らないで済むことならば目を閉じて君の心の鍵を壊そう」
我ながらなんじゃこれと思うほどの駄作となってしまった。
意味不明である。心の鍵を壊されたらたまったもんじゃない。
しかし今日は「未来」で終われたので少しほっとしている。
明日はもっとましな歌が詠めるに違いない。
短歌は31文字の「詩」であるべきだと私は思っている。
SNSではそう感じられない短歌が沢山発信されているが
反応が凄い。「いいね」が2百以上も付いていておどろく。
きっと今の若者にはそんな短歌が好ましいのだろう。
私の短歌は相変わらずだが決してめげてはいけないのだと思う。
あくまでも信念を貫く。それが私の誇りでなくてなんだろう。
反応イコール評価ではない。無視されても私は書き続けるしかないのだ。
と、少し強がってみたが本音は心細くてならない。
私はやがて消えるだろう。詩も短歌もなんと儚いことだろうか。
最高気温が25℃近くまで上がりまるで初夏のようだった。
全国的に2月の過去最高気温を記録したらしい。
暖かいに越したことはないがなんとも気味が悪い。
不安症の私など大地震の前兆ではないかと心配でならない。
大きな揺れが収まったらすぐに高台に避難をと言っているが
家が潰れて下敷きになってしまったらどうすればいいのだろう。
家もろとも津波に呑まれるのは目に見えている。
果たして生き残れるのだろうか。それはもう恐怖しかない。
不安の種を蒔き続けていたらきりがないが考えずにはいられなかった。
どうかどうか大きな地震がありませんようにと毎日祈り続けている。

さて今日の短歌は「おんな」昨夜からずっと頭から離れない。
なんとか書けそうになったが今日もお昼休みがなかった。
午後からは労働基準監督署に行かなければいけなくて焦るばかり。
とりあえず下書きをしておき義父の目を盗んでパソコンに向かった。
「女には一本道があるらしい脇目も振らず駆け抜ける恋」
なんだか演歌のような歌になったが「一本道」に拘っていた。
自分では上出来だと思っているが反応はそれほどでもない。
いかに私の自惚れが強いかこれで明らかになった。
昔のような感性はもう殆ど残っていないのだろう。
このまま廃れていく運命なのかもしれない。

労働基準監督署は最低賃金を守っているかの調査だった。
ランダムに選んだそうだがどうして我が社がと思う。
もっと大きな会社がいくらでもあるだろうに。
幸いぎりぎりだが最低賃金は守られておりお咎めはなかったが
健康診断の話になりこれはいささかまずかった。
これは法律で決められており「必須」なのだそうだ。
ずっと気にはなっていたがあまりにも疎かにしていたようだ。
明日にでも山里の診療所に相談してみるつもりだが
設備が整っていなければ大きな病院へ行かなければならない。
これは同僚だけのことで私は対象外であった。
最後に同意書にサインをする時、役職名を書くように言われ
取締役に続けて私の名前を書く。初めてだったのでどきどきした。
それにしても出世したものだと後からほくそ笑んでしまう。

今夜のあやちゃんもにこにこ。最近ずいぶんと明るくなった。
鶏の手羽元が好きなので照り焼き風に煮付けたら喜んで食べてくれる。
「ごちそうさま」そう言うと汚れた食器を流し台まで運んでくれた。
こんなことは初めてではないだろうか。少しびっくりした。
娘は何も言わないが内心では変化に気づいているのではと思う。
けれども話題にしてはいけない事だと思い私も黙っていた。
とにかく明るい方へ。あやちゃんは真っ直ぐ前を向き歩き続けている。
二十四節気の「雨水」雪が雨に変わり春の兆しが見え始める頃。
そんな「雨水」を待ち兼ねていたようにまとまった雨が降る。
風も強く吹きなんだか春の嵐のような一日だった。
昔から農耕の準備を始める時期とも言われていて
義父がそわそわと落ち着かない。しかし大雨では農作業も出来なかった。
仕方なく諦めた様子で工場の仕事を手伝ってくれ大助かりである。
同僚も頑張ってくれて2台の車検を仕上げることが出来た。
どちらも大掛かりな修理が必要で一週間も預かっていたので
私もほっと肩の荷が下り心地よい達成感が待っていた。
2月の予約は全て埋まりもう3月の予約が入り始めている。
ぼちぼちではいられず気を引絞めて取り組まなければと思う。
仕事は忙しいほど張り合いがある。嬉しい悲鳴をあげずにはいられない。

8時半から7時間ぶっ続けで働く。お昼休みもなかったので
ゆっくりと短歌を詠む時間がなかった。
しかし焦ってはいけないと自分に言い聞かせながら
義父が昼食を摂っている間になんとか3首書くことが出来た。
長年短歌に携わっているけれど技法には全く無知である。
私が今試みているのは「連詠み」のようなもので
ひとつの短歌の最後の言葉を次の最初に詠む方法である。
例えば昨日は「幻想」で終わったので今日は「幻想」から始める。
「幻想に惑わされては歳重ね若き日の夢いずこかへ去る」
次は「去る」なので
「去る者は追わずと決めているけれど後ろ髪引く熱き指先」
これは最初「憎き指先」と書いていたが違和感があり書き直した。
次は「指先」である。
「指先でなぞるような過去があるあの日あの時私はおんな」
書き終わってからこれは面白いことになったと思った。
当然のことながら明日は「おんな」から始めなければいけない。
老いぼれの婆さんがいい歳をして穴が在ったら入りたいくらいである。
しかしなんとしてもやり遂げるのが私の信念ではないだろうか。
きっと書いて見せよう。我ながら明日が楽しみになって来た。
おそらく仕事をしながら頭の中は「おんな」で溢れることだろう。

今夜もにこにこ笑顔のあやちゃんに会えた。
私と娘が夕食の支度をしていたら二階から下りて来て
なんと珍しく揚げ物を手伝ってくれたのだった。
くくっと笑い声。久しぶりに聞く「鳩ぽっぽ」だった。
食事中も会話が弾み父親としきりに話し込んでいた。
冗談を言い合ったりふざけ合ったりなんと楽し気な笑顔だろう。
幼い頃からずっと明るく朗らかな子だった。
この一年近く何を悩み傷ついていたのだろうと思う。
葛藤はまだまだ続くのかもしれないけれど
「もう過ぎ去ったこと」がきっとあるのに違いない。
2月とは思えない暖かさとなり汗ばむ程だった。
まさに異常気象である。このまま行けば夏はかなりの猛暑になりそうだ。
桜は無事に咲いてくれるだろうか。寒さが足らないのではと心配になる。
以前に今年は咲かないかもしれないとニュースで聞いたことを思い出す。
やはり季節に似合った気候が望ましい。寒の戻りもなくてはならない。
午前中にちーちゃんに会いに行く。奥さんのなっちゃんが喜んでくれる。
姿かたちは見えなくても魂は決して消えないのだと話した。
なっちゃんも頷きながらそう信じている様子であった。
あまりにも急いで逝ってしまったので「あっけにとられている」と
寂しさはもちろんのことだが悲しみはずっと後から訪れるのに違いない。
拙いが般若心経を唱えさせてもらってしばし遺影と語り合う。
声は聞こえなくてもちーちゃんは確かに存在しているのだと思った。
帰宅するなり出掛けていためいちゃんが帰って来て
「めいもちーちゃんにあいにいく」と言って駆け出して行く。
ふたいとこのまあちゃんを誘ったようで二人で行っていたようだ。
なんと頼もしいことだろうとそんな成長を嬉しく思った。
子供心に「死」がどのように映っているのだろう。
いつも可愛がってくれていた大好きなちーちゃんであった。

今夜は残りご飯が沢山あったので炒飯かオムライスかと迷う。
おそるおそるあやちゃんに訊いたらオムライスが良いと言ってくれた。
以前なら「別に・・」と言ったり「どっちでも良い」だった。
そんな無関心さが哀しかったが今夜はなんと嬉しいことだろう。
娘が鶏のから揚げを揚げてくれていたので私はオムライスを作った。
いつも以上に張り切っている。あやちゃんの笑顔が見たくてならない。
サニーレタスも買って来ていたので生ハムとトマトでサラダも作った。
これもあやちゃんの好物で今夜は好きな物ばかりだった。
にこにこと笑顔のあやちゃんを見ていると救われたような気持になる。
もうトンネルの出口が見えているような気がしてならなかった。
先回りして出口で待っていてあげたい。そうして抱きしめてあげたい。
今は決して背中を押してはいけないのだ。とにかく「待つ」ことだ。
風もなく穏やかな晴天。空から天使が舞い降りて来そうだった。
天使の母親は女神なのだと勝手に思い込んでいる。
「行ってらっしゃい」きっとそう言って送り出しているのだろう。
夜明け前に「はるさん」の詩を書いた。
「ふゆさん」と同じく自分ではシリーズ化しているつもりだが
果たして読者にそれが伝わったのかは定かではない。
ただいつも厳しいK子さんが「春を感じますね」と言ってくれた。
明るく朗らかな詩はあまり書けないがたまにはこんな朝もある。
清々しくほのぼのとした気持ちを大切にしたいものだ。
昨夜は「未来があるのだろうか」とここに記したが
ある方がSNSで「未来とは過去から憶測した妄想である」と。
「今ここに生きることしかない」と言ってくれて救われるようだった。
それこそが「一日一生」なのだと改めて思うことが出来た。
私がSNS等で発信する言葉は殆どが一方通行である。
無視されることも多く反応も思いのほか少ない。
それだけ共感を得ていないという証でもあるだろう。
しかしそれに惑わされていては何も伝えられないのだと思う。
たった一人のひとでいい。心を少しでも動かせてあげたいものだ。

今日はちーちゃんの49日の法要があった。
実際には来週の水曜日だが週末を選んだらしい。
私もお焼香に行きたかったが夫一人の案内であった。
こればかりは押し掛けるわけには行かず後日に行くことにする。
いとこ達が勢揃いしてとても賑やかな法要だったようだ。
寂しがり屋のちーちゃんもきっと嬉しかったことだろう。
もう家の軒下には居られない。いったい何処に行くのだろうと
皆で語り合ったそうだ。三途の川を渡らねばならないが
ちーちゃんの事だから自分で船を操縦したのに違いない。
魚がいれば漁もする。川面は陽を受けきらきらと輝いている。
黄泉の国のことは誰も知らないが天国と云う位だから
きっと住み心地のよい最高の国なのだろう。
そこでちーちゃんはきっと笑顔で過ごすのだと思う。
母が亡くなった時もそうだったが失った気が全くしない。
寂しさはあるがまたきっと会えるような気がしてならないのだ。
私もやがてお迎えが来るだろう。
そう思うと「死」はそれほど怖ろしいものではない気がしてきた。
茜色の空の向こう側。黄泉の国は光り輝いている。
| 2024年02月16日(金) |
未来はあるのだろうか |
昨日までとは打って変わって冬型の気圧配置となる。
また三寒四温の「三」なのだろう。
しかし思いのほか暖かくなり狐につままれたようだった。
風は少し吹いていたが輝くような陽射しが降り注ぐ。
まさに絵に描いたような冬晴れである。
もう金曜日なのかと今朝は物足りなさを感じていた。
よほど貧乏性なのだろう。もっと仕事をしたくてならない。
母と一緒に仕事をしていた頃は辞めたくてたまらなかったのが嘘のようだ。
精神的なストレスが大きく逃げ出してしまいたいような日々であった。
今思えば母でありながら母ではなかったのだろう。
私は求め続けていたのだと思う。優しい母の面影ばかりを。
けれども母に何の罪があったのだろう。
身体の不調を訴えながらも母は必死の思いで会社を守り続けて来た。
ゆっくりと休ませてやりたいとどれほど思ったことだろうか。
結果的には度重なる入院の挙句にとうとう施設に入居したのだった。
いつかの面会の時に「もう仕事のことは忘れたけん」と言った。
その時私はほっとしたのだ。やっと母を休ませてやれると。
そうして内心ではもう二度と母といがみ合うことはないのだと思った。
歳月は流れ今では私が一人で母の身代わりになっている。
母が守り続けて来た会社をなんとしても守らねばならない。
仕事は楽しい。張り合いもあり遣り甲斐もある。
忙しければ忙しいほど私は張り切っている。

さて一区切り着いたところで何を書こう。
あくまでも日記なのだから気楽にと思うが先へ進めない。
やはりサニーマートが必要で今夜のおかずが必要なのだろうか。
それならば容易くいくらでも書けるのだが昨夜から躊躇している。
「日記」はそもそも人に見せるものではないが
公開している以上は読者あってのことだろう。
もう22年目になったがずっと読み続けてくれている人もいる。
そんな人達のおかげで今まで書き続けて来れたのだと思う。
けれども裏切る時もある。期待通りには書けない時もいっぱいあった。
それが許されると思いつつ私は甘え続けて来たのだった。
在りのままであるがために人を傷つけたこともある。
「絶対に許せない」とその人は憤怒しもう二度と帰って来なかった。
悲しいのは私ではなかったのだ。その人こそが「悲しみ」だった。
この22年は私の人生の記録に他ならないが
この先いつまで書き続けられるのかと思うと不安でならない。
私は何処に向かっているのだろう。未来はあるのだろうか。
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