風もなく穏やかな晴天。空から天使が舞い降りて来そうだった。
天使の母親は女神なのだと勝手に思い込んでいる。
「行ってらっしゃい」きっとそう言って送り出しているのだろう。
夜明け前に「はるさん」の詩を書いた。
「ふゆさん」と同じく自分ではシリーズ化しているつもりだが
果たして読者にそれが伝わったのかは定かではない。
ただいつも厳しいK子さんが「春を感じますね」と言ってくれた。
明るく朗らかな詩はあまり書けないがたまにはこんな朝もある。
清々しくほのぼのとした気持ちを大切にしたいものだ。
昨夜は「未来があるのだろうか」とここに記したが
ある方がSNSで「未来とは過去から憶測した妄想である」と。
「今ここに生きることしかない」と言ってくれて救われるようだった。
それこそが「一日一生」なのだと改めて思うことが出来た。
私がSNS等で発信する言葉は殆どが一方通行である。
無視されることも多く反応も思いのほか少ない。
それだけ共感を得ていないという証でもあるだろう。
しかしそれに惑わされていては何も伝えられないのだと思う。
たった一人のひとでいい。心を少しでも動かせてあげたいものだ。

今日はちーちゃんの49日の法要があった。
実際には来週の水曜日だが週末を選んだらしい。
私もお焼香に行きたかったが夫一人の案内であった。
こればかりは押し掛けるわけには行かず後日に行くことにする。
いとこ達が勢揃いしてとても賑やかな法要だったようだ。
寂しがり屋のちーちゃんもきっと嬉しかったことだろう。
もう家の軒下には居られない。いったい何処に行くのだろうと
皆で語り合ったそうだ。三途の川を渡らねばならないが
ちーちゃんの事だから自分で船を操縦したのに違いない。
魚がいれば漁もする。川面は陽を受けきらきらと輝いている。
黄泉の国のことは誰も知らないが天国と云う位だから
きっと住み心地のよい最高の国なのだろう。
そこでちーちゃんはきっと笑顔で過ごすのだと思う。
母が亡くなった時もそうだったが失った気が全くしない。
寂しさはあるがまたきっと会えるような気がしてならないのだ。
私もやがてお迎えが来るだろう。
そう思うと「死」はそれほど怖ろしいものではない気がしてきた。
茜色の空の向こう側。黄泉の国は光り輝いている。
| 2024年02月16日(金) |
未来はあるのだろうか |
昨日までとは打って変わって冬型の気圧配置となる。
また三寒四温の「三」なのだろう。
しかし思いのほか暖かくなり狐につままれたようだった。
風は少し吹いていたが輝くような陽射しが降り注ぐ。
まさに絵に描いたような冬晴れである。
もう金曜日なのかと今朝は物足りなさを感じていた。
よほど貧乏性なのだろう。もっと仕事をしたくてならない。
母と一緒に仕事をしていた頃は辞めたくてたまらなかったのが嘘のようだ。
精神的なストレスが大きく逃げ出してしまいたいような日々であった。
今思えば母でありながら母ではなかったのだろう。
私は求め続けていたのだと思う。優しい母の面影ばかりを。
けれども母に何の罪があったのだろう。
身体の不調を訴えながらも母は必死の思いで会社を守り続けて来た。
ゆっくりと休ませてやりたいとどれほど思ったことだろうか。
結果的には度重なる入院の挙句にとうとう施設に入居したのだった。
いつかの面会の時に「もう仕事のことは忘れたけん」と言った。
その時私はほっとしたのだ。やっと母を休ませてやれると。
そうして内心ではもう二度と母といがみ合うことはないのだと思った。
歳月は流れ今では私が一人で母の身代わりになっている。
母が守り続けて来た会社をなんとしても守らねばならない。
仕事は楽しい。張り合いもあり遣り甲斐もある。
忙しければ忙しいほど私は張り切っている。

さて一区切り着いたところで何を書こう。
あくまでも日記なのだから気楽にと思うが先へ進めない。
やはりサニーマートが必要で今夜のおかずが必要なのだろうか。
それならば容易くいくらでも書けるのだが昨夜から躊躇している。
「日記」はそもそも人に見せるものではないが
公開している以上は読者あってのことだろう。
もう22年目になったがずっと読み続けてくれている人もいる。
そんな人達のおかげで今まで書き続けて来れたのだと思う。
けれども裏切る時もある。期待通りには書けない時もいっぱいあった。
それが許されると思いつつ私は甘え続けて来たのだった。
在りのままであるがために人を傷つけたこともある。
「絶対に許せない」とその人は憤怒しもう二度と帰って来なかった。
悲しいのは私ではなかったのだ。その人こそが「悲しみ」だった。
この22年は私の人生の記録に他ならないが
この先いつまで書き続けられるのかと思うと不安でならない。
私は何処に向かっているのだろう。未来はあるのだろうか。
| 2024年02月15日(木) |
文才は無いが情熱はある |
清く正しく素直に雨が降る。気温は今日も20℃近くあった。
植物や畑の作物には恵みの雨になったかもしれないが
暖冬の影響で大根やキャベツ、ブロッコリーなどが巨大化し
キャベツは割れ、ブロッコリーはもう花が咲いているのだそうだ。
ご近所さんから頂くことも多く店頭でも格安で手に入るが
農家の人達はどんなにか困惑していることだろう。
三寒四温とはよく言ったもので明日はまた冬型の気圧配置になるそうだ。
まだ2月である。立春を過ぎたとは云えもう少し冬であるべきだろう。

けい君10歳の誕生日。もう10年の歳月が流れたのかと
過ぎ去った日々を感慨深く思い起こしている。
家庭の事情は色々あったけれど素直で明るい子に育ってくれた。
そのけい君が数日前からインフルエンザに感染しており
まだ熱が下がらず心配でならない。
先ほど息子に電話したら看病に来てくれていたお嫁さんも発熱とのこと。
おそらく感染したものと思われる。困ったことになった。
息子は今のところ大丈夫のようで仕事にも行っているようだ。
けい君の学校は学級閉鎖になっており今週いっぱい休みらしい。
せっかくの誕生日なのにと可哀想でならないが仕方あるまい。
元気になったら改めて誕生日祝いをするのだと息子が言っていた。
病弱だったお嫁さんがやっとの思いで産んだ子である。
けい君はきっと神様に守られていると信じてやまない。

連日のサニーマット日記もそろそろ潮時ではないかと思っている。
しかし思うように方向転換が出来ずにいる。
書きたいことが他にあるはずなのだ。どうして書こうとしないのだろう。
もう昔のような「感性」を失ってしまったのかもしれない。
なんだか時間の無駄遣いをしているようにも思える。
それ程までに残された時間がたっぷりあるわけではないのだ。
「命がけで書いている」などと偉そうなことを言いながら
「このざまはなんだ」と自分を叱りたくもなって来る。
しばらくはその日の気分に任せてみるが
もしこのまま進展がなくてもお許し願いたい。
「今夜のおかずはなあに?」楽しみにしてくれていたなら感謝しかない。
私は誰からも強制されることなく自由に書いている。
文才は無いが情熱はあるのだと自負せずにはいられなかった。
そろそろ娘とめいちゃんがダンス教室から帰ってくる頃だ。
あやちゃんは独りぼっちで夕食を食べたが少しも寂しそうではなかった。
毎日少しずつ芽を出すように成長しているのだと思う。
今日は全国的に四月並みの暖かさだったようだ。
高知県西部も20℃まで気温が上がり春の陽気であった。
しかしお天気は下り坂とのこと。今夜遅くには雨が降り出しそうである。
昨夜は久しぶりに母の夢を見た。
一緒に仕事をしている夢で私は酷く苛立っている。
母も穏やかではなかった。二人ともすっかり喧嘩腰なのだ。
困ったことになったと思う。明日からどうすれば良いのだろう。
母に生活費も渡さねばならないのに何処にもお金がなかった。
私は夢だとは気づいていないのだ。現実だとばかり思い込んでいる。
以前の夢では「もう一度死んでしまえ」と母をぶったが
さすがに良心を咎めていたのだろう。暴言も吐けないのだった。
精神的に追い詰められている。もう逃げ道はないのだと思った。
はっと目が覚めてやっと夢だと気がついたけれど
なんと後味の悪い嫌な夢だったのだろうか。
母には申し訳ないがもう二度と会いたくなどないと思う。
子供の頃の記憶はいったい何処に消えてしまったのだろう。
確かに優しかった母がいたはずなのに。

平日は短歌を詠む時間がない。それでも書きたくてたまらなくなる。
昨日もそうだったが苦肉の策で仕事の合間に書くようになった。
余程仕事が暇なのだろうと思われるかもしれないが
決してサボっている自覚はなかった。云わば人生の「仕事」である。
大げさな表現をすれば成し遂げること。貫くことである。
書いた後のなんと清々しいことだろう。
私にとっては無くてはならない貴重な時間なのだと思う。
詩も、この日記もそうだが命がけで書いていると云っても過言ではない。
それらは私の記録であり生きて来た証になるだろう。
永遠にこの世に残るものではないからこそ愛しくてならないのだ。

サニーマートへ着いたのは3時過ぎだった。いつもより少し早い。
職場で大月町のお客さんから新鮮な「びんよこ」を頂いていた。
鮪の幼魚だがほぼ鮪に近く大きな切り身である。
すぐにお刺身に出来るようにしてくれていてなんと有難いこと。
お刺身があれば後は何でも良いように思うがそうはいかない。
あやちゃんの好きな肉じゃがと海老フライを作ることにした。
エクアドル産の有頭海老が12匹入って680円の半額。
これには思わず「やったあ」と声を出さずにはいられなかった。
思い切って2パック買う。これで24個の海老フライが出来る。
後は細目の胡瓜があったので丸ごと竹輪に詰めて「ちく胡」にした。
めいちゃんはもちろんのことだが今夜も笑顔のあやちゃんが嬉しい。
肉じゃがの出来が気になったので「どうかね?」と訊いたら
「めっちゃ美味しい」とにこにこしながら応えてくれた。
おかげで平和な夜である。この平和がどうかずっと続きますように。
晴れたり曇ったり。気温は三月並みだったようだが
陽射しが少なかったせいかさほど暖かくは感じなかった。
あちらこちらで梅が満開である。風が仄かに匂うようだ。
夜明け前、ふと自分が生まれた時のことを想い詩を書く。
もちろん記憶などあるはずもないが
どうして憶えていないのだろうと思う。
憶えていればどんなにか母を愛しく思ったことだろう。
死んでも涙一つ出なかった薄情な娘である。
そのことをずっと罪のように感じてならない。

やっと仕事。お休みはもうたくさんだと思っていた。
だから今朝は嬉しくてならず気分が高揚していたようだ。
仕事を失ってしまったらどうなるのだろう。
暮しの目途も立たなくなりたちまち困窮するのが目に見えている。
字を書くことも無くなり頭を使うことも無くなってしまったら
認知症になってしまうのかもしれない。
そうかと思えば未だゴールが見えないことに戸惑いを感じている。
70歳か、75歳か、もしかしたら80歳かもしれない。
こればかりは義父次第だがなんだか義父が死ぬのを待っている気がする。
それもまた薄情なことで罪の上に罪を重ねているようなものである。

少し早めに終わらせてもらってサニーマートへ。
昨日買い込んだので今日は節約が出来そうだった。
「赤魚と豆腐の煮付け」はもう決まっている。
頂き物の巨大なキャベツもありキャベツ料理をと考えた。
思いついたのは「キャベツの卵とじ」味付けはお醤油と砂糖である。
これは如何にも貧乏くさいので合い挽きミンチを入れることにした。
それからキャベツとシーチキンで「マカロニサラダ」にする。
後は「牛カルビとにんにく芽のタレ漬け」これは炒めるだけのもの。
帰宅したら娘婿の友人から伊勢海老が届いておりお刺身も加わる。
頭と殻は明日の朝のお味噌汁にすることになった。
あやちゃんとめいちゃんはレトルトカレーを食べていた。
伊勢海老はグリルで焼いた方が良かったようだ。
「キャベツの卵とじ」はまるで怖い物のように誰も箸を付けない。
その上に昨夜の切干大根も残っていて踏んだり蹴ったりである。
でも今夜も機嫌の良いあやちゃんが嬉しくてならなかった。
食べ終わると大きな声で「ごちそうさま」と言ってくれる。
もしかしたらトンネルの出口が見え始めたのかもしれない。
あともう少しなのだ。トンネルを抜けたら桜の花が咲いているだろう。
| 2024年02月12日(月) |
せめて靴を脱いで下さいね |
穏やかな晴天。気分はすっかり春うららである。
明日からも気温が高くなり3月並みの暖かさになるようだ。
また寒の戻りもあるだろうがつかの間でも春を感じていたいものだ。
情緒が安定しているのか今日は詩も短歌も上出来だった。
何と云う自惚れだろうかとも思うが良いものは良い。
誰に何と言われようと自分に誇りを持ちたいと思う。
「これが私です」と胸を張っていたいのだ。
そうこうしているうちに落とし穴もきっとあるだろう。
けさなれることには慣れているので「かかって来い」と思っている。
それは土足で私の心を踏み荒らすのと同じである。
その時には微笑みながら「せめて靴を脱いで下さいね」と言いたい。
嘆いた方が負けなのだ。私は私を守り続けて見せよう。

娘夫婦が仕事だったのでめいちゃんとサニーマートへ。
今日もまた百均へまっしぐらである。買物が楽しくてならないようだ。
後から私を追い駆けて来たのでお菓子を買ってあげようとしたら
自分のお金で買いたいのだと言って聞かない。
随分と成長したものだなと感心せずにはいられなかった。
そうして清算も自分でセルフレジへ行き慣れた手つきである。
それには見ていた店員さんも驚いていたようだった。
私の荷物は今日も重い。レジ台からカートに載せるのに苦労していたら
店員さんが駆け寄って来てくれて手を貸してくれた。
いつも本当に助かっている。心から感謝の気持ちを述べた。
今日は月曜祭で特売品が多い。豚カツ用のカナダ産ロースが一枚百円。
多い方が良いだろうと8枚買った。パン粉もサラダ油も。
野菜は地場産品売り場で「わさび菜」を買う。一束120円だった。
後は従姉妹から貰った切干大根を煮ることにして油揚げを買う。
明日の夕食用にと冷凍の赤魚と梶原食品のお豆腐も買っておく。
安い時に買っておくのが賢い主婦なのに違いない。
豚カツは娘が手際よく揚げてくれて助かった。
カナダ産を馬鹿にしてはいけない。柔らくてとても美味しいのだ。
わさび菜はざっと茹でてナムルにしたがこれは大不評だった。
苦みが強く癖があるので私以外は誰も箸を付けない。
切干大根と油揚げの煮物も同じく夫でさえ食べようとしないのだった。
こんなに美味しいものをと私一人でせっせっと食べる。
豚カツ大好きのあやちゃんが「やったあ」と喜んでくれて嬉しかった。
わさび菜はとても無理なのでトマトの中華和えを急いで作る。
これは冷やし中華のタレと同じでごま油が決め手である。
「豚カツしかないじゃん」娘が冷凍焼売をチンしていた。
好きなようにしなさいねと私は笑ってごまかすしかない。
昼間、あやちゃんの仲良しだった友達が二人訪ねて来てくれた。
バレンタインのチョコを届けに来てくれたようだ。
決して忘れられてなどいなかったのだ。
明日は無理でもきっと学校へ行ける日が来るだろう。
「今日はいい日だったね。嬉しかったね」と言ってやりたい。
今朝は氷点下近くまで冷え込み日中も真冬の寒さだった。
三寒四温の「三」だろう。次第に暖かくなるはずだと思う。
夜明け前にまた「ふゆさんとはるさん」の詩を書いた。
自分の中ではシリーズ化しておりきっとまた書くつもりである。
しかし世間の厳しいこと。不評とまではいかないが期待通りにはいかない。
そこで欲を出してはいけないのだがついつい欲張ってしまうのだ。
私は私のそう云うところが嫌いである。けれども守ってやりたい。
私が認めてやらなくて誰が認めてくれるだろうと思う。
ある有名な詩人さんが「自分の詩に魅了されることが大切だ」と
SNSで発信していたが本当にそうなら救われる思いである。
私は私の詩が好きである。単なる自己満足で終わらせたくはない。

三連休はそれなりに過ごしているが家に居ると寝てばかりいるので
今日は気分転換を兼ねて久しぶりに「一風」へ行っていた。
宿毛市郊外まで片道20分もあれば着くがドライブには違いない。
夫と二人で大好きな「ラーメンセット」を食べる。
私は炒飯を先に食べるが夫はラーメンが先だった。
ラーメンは少し伸びた位の方が美味しく感じるのは私だけだろうか。
そうしてチャーシューを最後に食べるのが私流であった。
炒飯の赤い福神漬けもたまらない。家では全く食べないが
子供の頃には大好きでよくご飯の友にしていたものだ。
だからなのかとても懐かしくてたまらない。
お腹がはち切れそうにいっぱいになり帰り道は居眠りである。
家に帰るなり炬燵に潜り込みまた3時まで寝たのは言うまでもない。
夕食は「寄せ鍋」つい先日もそうだったような気がしたが
寒いと鍋しか思いつかないのだった。娘の了解は得ていた。
しかし寄せ鍋のつゆを間違えて「濃厚味噌味」を買ってしまう。
初めての味だったが不評ではなかったのでほっとした。
サニーマートで買物をしている時に見知らぬ女性に声を掛けられる。
私と同じように杖を付いていて70代くらいに見えた。
よくよく話を聞けば私と同じ「左股関節変形症」なのだそうだ。
おまけに同じ整形外科で週一のリハビリをしているらしい。
その女性は月曜日で私は木曜日なので今まで会う機会がなかった。
すっかり意気投合してしまってしばし立ち話をする。
同じ痛みを持つ人がいるのはとても心強く感じるものだ。
辛いのは自分だけではないのだと思うと勇気も湧いてくる。
その女性も手術はしないつもりらしく限界まで頑張ると言う。
最後に「お互い頑張ろうね」と言ってくれてとても嬉しかった。
幸いリハビリのおかげで痛みが少しずつ和らいでいる。
将来を悲観してはいけないのだと強く思った。
悲観からは何も生まれない。あるのは絶望だけではないだろうか。
夕焼けがとても綺麗だった。まさにほうずき色である。
陽が沈む度に心は明日に向かっている。
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