ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年02月10日(土) 名の無い雑草などない

時おり雲が広がったがおおむね晴れ。

暖かいようでいて強い風に少し冷たさを感じる。


お隣の山茶花がまだ残っていてはらはらと散るのを見た。

踊っている風に舞いまるで音符のようである。

椿は落ちるが山茶花は散る。私はどちらを選べば良いのだろうか。

また紫陽花のようにそのまま化石のように枯れてしまう花もある。


花のように生きているわけではないがもし花だったらと思った。

どうせ雑草のくせにとも思うがこの世に名の無い雑草はないのだそうだ。

私の名は何だろう。誰かに呼んでもらえる日が来るのだろうか。





職場は休みではなかったが私だけ三連休を頂く。

もうそれが当たり前のようになっていて心苦しくもある。

カーブスへ行ったからと言って特に成果があるわけでもないが

杖を付きながらでも身体を動かすことが出来るのが嬉しい。

もう以前のように憂鬱になることもなかった。

それだけ足の痛みが和らいでいるのだろう。

出来ることをと思う。諦めてしまったら何も出来なくなる。


午後は3時まで昼寝。ぐうぐう鼾をかいて寝ていたそうだ。

強い風に煽られて庭で洗濯カゴが転がっていたらしく

夫が早めに洗濯物を取り入れてくれていた。

私が寝たいだけ寝させてくれて有難いことだと思う。


寝起きの苦い珈琲を飲みながら短歌を捻る。

納得のいかない日が多いが今日はまずまずの歌が詠めた。

SNSでいつも読んでくれているK子さんが

「詩よりも短歌のほうが好きです」とコメントしてくれた。

K子さんは亡き母と同い年だが日頃からかなり厳しい。

特に私の詩はあまり好きではないらしく

以前には発信するのを止めるようにと忠告してくれたこともあった。

どうぜお目汚しなのだと開き直りながら書き続けている日々だ。


私は自分の欠点がよく分からない。

自信はないくせに人一倍プライドが高いのではないだろうか。

それが欠点なのだとしたら身も蓋もなくなってしまう。




今夜は娘が同窓会とかで夕方から出掛けて行った。

この時期に同窓会とはとも思うがコロナ禍でずっと我慢をしていたのだろう。

先日も飲み会があったばかりでなんだか打ち上げ花火のようである。


娘婿とめいちゃんはお婿さんの実家で食事会だそうだ。

高知市から従兄弟が来ていてめいちゃんはお泊りをするらしい。


そんなわけで夕食は作らずローソンであれこれ買って来た。

夫は「ロースかつ丼」私は「高菜ベーコン明太マヨパスタ」である。

あやちゃんの夕食もと思っていたけれど娘婿がマックで買って来ていた。

ハンバーガーとチキンナゲット、フライドポテトもあるらしい。


夕食を作らなくても良いのは本当に楽である。

月に一回ぐらいこんな日があれば良いなあと思う。


普段から全く外に出たがらないあやちゃんであったが

今日は少しだけお散歩に行っていたようだ。

気分転換になったのだろう。今日は機嫌がよく笑顔で過ごしていた。

両親も妹も留守なのにまったく寂しそうな素振りを見せない。

私達祖父母も少しは役に立っているのなら嬉しいことだ。


娘はいつまでも同居はしないと言い張っているが

今の状況を考えると別居はとても無理なのではないだろうか。

夫とそんな話をすることが多くなったこの頃である。


決して家族ごっこをしているのでない。

正真正銘の「家族」なのだと思わずにいられないのだ。



2024年02月09日(金) 22歳の別れ

朝は少し冷え込んだが日中は今日も早春の暖かさとなる。

「陽だまり」「日向ぼっこ」そんな言葉がよく似合う。


仕事をしていると日向ぼっこも出来ないけれど

看板猫のみい太がしているのを見ただけで心が和む。

野良猫でも良いから猫になりたいものだと思う。


捨て猫のような暮しをしていた若い頃もあった。

別れた人は車の免許を持たない私に自転車を買ってくれたのだ。

優しい人だったがどうしても添い遂げられない事情があり

泣く泣く別れなければいけなかった。まさに「22歳の別れ」である。


そんな私を拾ってくれたのが今の夫だった。

今思えば誰でも良かったのかもしれない。

この人でなくてはいけないと思ったのはずっと後のことである。




仕事は順調。今日は任意保険の新規契約があった。

オーストラリアから山里に移住してきたご夫妻である。

提携先の保険代理店からY君が来てくれて手続きをしてくれた。

実はY君も英語が苦手らしくなんと愉快なこと。

スマホの翻訳アプリを使いながら説明に必死である。

やっと契約が整った時には「クラッシュ、オッケイ」と叫んだ。

ご夫妻はこれからも我が社を贔屓にしてくれるそうで有難いこと。

私も少しずつ英会話を学ばなければと思う。

しかしそれよりも先に日本語をマスターされてしまうかもしれない。


仕事は本当に楽しい。全てのことに遣り甲斐を感じる。




帰り道のラジオでしきりに「今日は肉の日」だと聞かされる。

家族も期待しているかもしれないと思い「すき焼き」に決めた。

野菜売り場で「にんにく葉」が特売で一束148円と安い。

高知県民はにんにく葉をよく食べる。他県では珍しいようだ。

肉との相性がとても良いのですき焼きには持って来いだった。


牛肉は残念ながら国産品しかなかった。四万十町の黒和牛である。

2パックで2千円を超す。たった5百グラムである。

とても3パックは買えなくて何とかなるだろうと家に帰った。


娘が「やったあ」と喜ぶ。やはり期待していたのだろう。

すき焼きはすぐに出来て早速夫が食べ始めたが

私は昨夜の茎若布の煮物が残っており後始末をすることにした。

辛子明太子と沢庵があればもう十分である。


しかし例の如くで夫の食べること。それも牛肉ばかりガツガツとだ。

その上に「もう肉はないのか」とあんまりことではないか。

とうとう一パックの半分をあっという間に平らげてしまった。


後から食べる娘達のことは全く考えていないのだ。

やはり3パック買って来れば良かったがもう後の祭りである。

私は何のために我慢をしたのだろうと思うと虚しさが込み上げて来た。


私達が食べている時にあやちゃんが二階から下りてきたが

「お母さん達と食べる」と言ってまた二階に上がってしまった。

なんとなく元気が無いなと思っていたら眠かったのだろうか

そのまま寝入り込んでしまったようだった。


めいちゃんは宿題と格闘していた。三連休なので沢山あるようだ。

今夜のうちに全部済ませてしまうつもりらしい。


娘が独りぼっちですき焼きを食べていた。

なんとも侘しいものだなとその後姿を見る。

まだ子供達も娘婿も食べていないからお肉も残さなくてはいけない。

なんだか娘に悪いことをしたような気がして気分が沈んだ。

奮発しなかった私が悪いのは当然の事である。


もうすぐ9時になる。あやちゃんはまだ寝ているようだ。

お腹が空いているだろうに。すき焼き大好きなのにな。





2024年02月08日(木) 椿はやがて落ちるけれど

安定の晴れ。早春らしい陽射しが燦々と降り注ぐ。

空がきらきらと輝いている。ぽっかりと浮かぶ白い雲。


職場の荒れ果てた庭に椿がぽつぽつと咲き始めている。

地植えなのでずいぶんと大きな木になっているが

奥まった処にあるので目立つこともなくひっそりと佇んでいる。

これもおそらく母が植えたのであろう。かなり昔ではないだろうか。

ようく見ると蕾が沢山付いていて今日よりも明日と咲きそうだ。


母が健在なら手入れを怠らなかっただろう。

私は何も出来ない。椿の花を見つけてやることしか出来ないのだ。





週一のリハビリの日。少し早めに終わらせてもらって病院へ行く。

早めに行けば必ず会える人がいてそれも楽しみであった。

息子のお嫁さんのお母さんでもう長いこと足を患っている。

私と同じように杖を付きながら週二回のリハビリを頑張っていた。


お嫁さんは正しくはお嫁さんだった人だが私は全く拘っていない。

縁は決して切れたのではなく今まで通りのお付き合いを願っている。

お母さんも私と同じ考えでいてくれて会う度に話が弾むのだった。


お嫁さんはすっかり元気になっているようだ。

いつも笑顔で家事も手伝ってくれると喜んでいた。

やはり環境が変わったのが良かったのだろうと話す。

息子と暮らしていた頃には殆ど寝てばかりいたのが嘘のようだ。

息子の思いやりが足らず至らないところも沢山あったと思うが

今更責めてもどうしようも出来ないことだった。

それよりも「いま」である。息子達の決めた事は過ちではなかったのだ。

お母さんとは毎週木曜日に会える。なんだか友達みたいで嬉しくてならない。



今日は診察が無かったので3時半にはサニーマートへ着いていた。

特売のエリンギを真っ先に買いオイスターソース炒めにすることに。

いつも安い茎若布は鯖缶、厚揚げと一緒に煮ると美味しい。

メインは今日も豚肉。残念ながらカナダ産が見当たらず

仕方なく国産の高い薄切りロースを買うしかなかった。

これは「生姜焼き」にする。タレも市販の物を買う。


注文していた氷結と焼酎ハイボールの24本入りケースが入荷していて

サービスカウンターの店員さんがカートに積んでくれた。

清算を済ませてから車までは運ぶことが出来たが

重いので積み込むことが出来るか不安でならない。

そうしたら一人の店員さんが駆け寄って来てくれて

「お手伝いしましょうか」と声を掛けてくれたのだった。

なんと親切で有難いことだろう。お言葉に甘えさせてもらった。


最近はこんなことがよくある。私はやはり障害者に見えるのだろう。

けれどもそれを当然のことだと受け止めてはいけないのだと思う。

お客さんには車椅子の人もいる。私などずっとずっと軽いのだ。


優しい親切が身に沁みる。私はどうやら甘えることを覚えたようだ。

「どうもありがとう」ほぼ毎日口にしないことはなかった。


私も困っている人を少しでも助けてあげられるようになりたい。

出来ないのではなくそれはやってみないと分からないことだ。








2024年02月07日(水) 明日も書かせて下さい

晴れたり曇ったり。その度に暖かだったり肌寒かったりした。


宿毛市楠山の梅園で梅の花が満開になっているそうだ。

5年程前だったろうか娘や孫たちと梅見に行ったことがある。

あの頃はまだ足の痛みもなくいくらでも歩けた。

駐車場から梅園まで少し歩かなくてはいけなくて

今はもうとても無理だろう。言い出すことも出来ずにいる。

色んなことを諦めなければいけなくなった。

嘆いても仕方がないがまだまだ今生の思い出が欲しくてならない。

いつかは最後の梅になる。それは今年かもしれないと思ったりする。


いやいや、そんな弱気でどうする。

生きられるだけ生きて思い残すことがないような人生でありたい。




今日も3時まで仕事。最近ではもうそれが定時になった。

勤続36年目となったが若い頃には4時まで働いていたこともある。

冬から春にかけては家業の海苔養殖が忙しくて

あちらもこちらもと掛け持ちするのが当たり前であった。

今思えば本当に良く働いたものだ。私も若かったからだろう。

母がまだ現役だったからそれでもなんとかなっていたが

その母が亡くなり全ての事務仕事を任された今となっては

一日でも休めば大変なことになり会社はパニック状態となってしまう。

義父と同僚と私の三人で一人でも欠けたらもうお終いなのだった。

健康に気をつけ決して「故障」してはならない。

そう心して日々の仕事を全うして行こうと思っている。



サニーマートで久しぶりに友人と会った。

「足はどう?」と気遣ってくれたので足踏みをして見せる。

明日はまたリハビリの日だ。とにかく諦めてはいけないのだと思う。


今日は大好物の辛子明太子が半額でとても嬉しかった。

牡蠣や鍋用の鯛なども半額だったが迷いつつ買わずにいた。

パナマ海老のむき身が安かったので「海老マヨ」にしようと買ったが

帰宅して娘に話すとあやちゃんが食べないのだそうだ。

昨夜も天ぷらだったが「海老天」にすることにした。

それから頂き物のさつま芋で「芋天」も。

我が家では揚げ物が続くことがよくあることだった。


頂き物が多く大根も2本あり「豚バラ大根」にすることに。

カナダ産の豚バラブロックが格安でありとても助かる。

いつも豚肉が固くなるのでお酒を入れて煮たら柔らかくなった。


後は「樺太ししゃも」特大のやつが特売になっていた。

それから一昨日買っておいた長芋を短冊にする。

これはめいちゃんの大好物だった。

「ほうれん草の白和え」地場産品売り場で新鮮なほうれん草を買う。


「海老天」は天むすに。あやちゃんは天むすが大好きなのだ。

今夜もにこにこしながら美味しそうに食べてくれて嬉しかった。

「海老マヨ」「海老チリ」は駄目。憶えておかなくてはいけない。


まだ娘婿が帰宅していないが穏やかで平和な夜になった。

私の書く「しごと」もそれなりに順調に思える。

一日一生と云うがほんの一部分なのかもしれない。

自分で決めたことを全うして終えられることが仕合せなのだろう。


パソコンの電源を切った後にはいつも

「明日も書かせて下さい」と手を合わせて眠ることにしている。



2024年02月06日(火) 太刀魚の天ぷら

日中は穏やかな晴天となる。陽射しはすっかり春のようだった。

昨日の関東の大雪を思うと日本は狭いようで広い。

北海道では氷点下28℃と信じられないような寒さである。



時間が足らない。週末はごろごろ寝てばかりいるのに

平日のなんと慌ただしいことだろう。

昨日のように余裕がある日は滅多になかった。


私の一日は書くことから始まり書くことで終わる。

作家でもないのに偉そうなことをと我ながら思うが

書くことが生きがいのようになっているのだろう。


夜明け前には詩を。仕事を終えて帰宅したら短歌を。

そうして入浴後の今はこの日記を書いている。

今日は帰宅が遅くなり短歌どころではなかったが

時計を見ながら「なんとしても書くぞ」と思った。

制限時間は15分ほど。まるで走り書きのような短歌である。

けれども詠んだ歌は決して走ってなどいないのだ。

これは私の特技かもしれないとつい己惚れてしまいそうになる。

誰に背中を押されているわけでもない。

私は自分で自分の背中を押し続けているのだろう。

私が私を試していると云っても良いのかもしれない。


いつかは必ず終る人生である。書きたいだけ私は書く。





サニーマートへ着いた頃にはもう4時を過ぎていた。

とてもゆっくりとメニューを考える余裕もない。

野菜はめいちゃんのお友達の家からアスパラを頂いていたので

「アスパラベーコン」にすることにした。

鮮魚売り場のお総菜コーナーに「太刀魚の天ぷら」があった。

ふっくらとしていて美味しそうだったが、もしやと思い

鮮魚売り場を見ると三枚に下ろした太刀魚が沢山並んでいる。

普段は高級魚でとても手を出せないが今日は格安だった。

おそらく近海で大漁だったのだろう。嬉しいことである。

一パックに3匹分位だろうか、それで480円は大助かりだ。

二パック買い自家製の天ぷらを作ることにした。

精肉売り場では滅多に売っていない「豚スージャー」があった。

これはフライパンで炒めるだけで超簡単である。


今夜は娘が職場の飲み会とかで出掛けることになっていたが

まだ時間があるから大丈夫と手伝ってくれて助かる。

私はせっせと太刀魚の天ぷらを揚げた。

その傍らで娘がつまみ食いをしたらめっちゃ美味しいとのこと。

孫たちにも味見をさせようとお皿に入れて二階へ持って行く。

天つゆよりも塩コショウのほうが良いようだ。

「おかわり」と孫たちの声に再度娘が「お運び」をした。

大皿にてんこ盛りだった天ぷらがあっという間に半分になる。


晩酌を始めた夫が例の如くで遠慮せずに食べるので

思わずストップを掛けざるを得なかった。

あやちゃんが二階から下りて来てにこにこしながら

「おばあちゃんさっきのはこれ?」と訊くので「そうよ」と言うと

「全部はいかんよね。半分ならええかな」

そう言ったかと思うともう自分のお皿に並べ始めていた。

よほど美味しかったのだろう。笑顔で食べてくれて私も嬉しかった。


めいちゃんは熱こそないが昨日から風邪気味で学校を休んでいた。

今日は仲良しのお友達が手紙と宿題を届けてくれたそうだ。

まさかあやちゃんみたいにと一瞬不安になったが

私が風邪を気遣えば「もうなおったけん、あしたは行くけん」と

元気な声で応えてくれてほっと胸を撫で下ろしたことだった。


あやちゃんにも仲良しの友達は何人か居たはずだが

この一年足らずの間に年賀状も手紙も届くことがなかった。

もう忘れらているのだろうか。そう思うと不憫でならない。



2024年02月05日(月) 笑顔のご馳走

雨のち晴れ。何日ぶりの夕陽だったことだろう。

やがて茜色に染まった空は明日の約束を忘れなかった。

しばらくは晴天が続きそうで嬉しくてならない。



仕事は珍しく開店休業。義父と相談したが仕事の段取りが出来なかった。

同僚は「今だ」とばかりに羽根を伸ばしておりそれも良しとする。

ずっと忙しい日が続いていたのだから息抜きも必要に思う。


義父は掛かりつけの整形外科へ。湿布薬が切れてしまったらしい。

タフな義父でも膝が痛んだり腰が痛んだりするのだった。

明日からの農作業が待っており焦る気持ちもあったのだろう。

けれども決して弱音を吐かない。なんともパワフルな高齢者である。


雨のせいか来客も少なかったが義父の友人夫婦が顔を見せてくれた。

大根を6本も。それから自家製の沢庵を持って来てくれる。

来るたびに手土産を忘れずにいてくれて本当に有難いことだ。

これも山里ならではのことだろう。ささやかな畑の恵みである。





事務仕事もさほど忙しくなく今日は早めに終わらせてもらった。

サニーマートは月曜祭で特売品で溢れている。

あれもこれもとすっかり目移りしてしまった。

洗い牛蒡、人参、長芋、玉葱も安かったがまだ買い置きがある。

牛蒡と人参とくれば「鶏牛蒡」である。辛子入りこんにゃくを買う。

鶏肉は確か冷凍室にあったはずだが不安なので買っておく。


梶原食品(豊ノ島の実家)のお豆腐も特売だった。

いつもは一丁126円だが今日は106円と安いので2丁買う。

これは「あんかけ豆腐」にする。娘婿の大好物だった。


菜花は特売ではなかったが食べたくてならない。

野菜売り場では一束298円もしたが地場産品売り場では180円だった。

地元の農家が直接卸しているのでコストが掛からないのだろう。


娘がお豆腐を揚げてくれている傍らで鶏牛蒡を作る。

それから「そぼろあん」も片栗粉でとろみを作り仕上げた。

菜花は油断が出来ない。さっと茹でなければすぐにべちゃべちゃになる。

花の部分は別として茎は硬いのに「なんでやろう」と不思議に思う。


特売だった塩サバも焼いたがこれは誰も食べない。

私は好きなので残ったら明日のお弁当に入れて行くつもりだ。


孫たちのおかずが無かったので娘がジョイフルのハンバーグを焼いた。

これはいざと云う時のために冷凍室にストックしてあるのだ。


あやちゃんの機嫌がとても良い。にこにこしながら食べてくれた。

そうして「うまい!」と声を発したので皆が笑顔になった。


ずっとずっと笑顔の日が続きますように。

明日のことは誰にも分からないけれど願えばきっと叶う気がする。









2024年02月04日(日) 立春大吉餃子

待ち望んでいた「立春」昨夜からずっと小糠雨が降っている。

この雨が上がれば春らしい陽射しに恵まれることだろう。

三寒四温を繰り返しながら季節は確実な春になろうとしている。



目覚める寸前まで恵(けい)ちゃんの夢を見ていた。

音信不通になってから20年近い歳月が流れたが

これまでも時々夢に見ることがあり不思議でならない。


その度に何かあったのではないか。元気にしているのだろうか。

まるで母親が息子を想うように心配でならなくなるのだった。

縁を切ったつもりでもまだ縁が続いているのかもしれない。

そんな証はもう何処にも残ってなどいないが何かを感じるのだ。


当時は大学院生だった。そうして教員免許を取得し中学教師となった。

精神面に不安を抱えており何らかの支えが必要に思う。

私は誠心誠意そのための苦労を惜しまずに接してきたつもりである。


しかしいくら親子ほど歳が離れていても男と女だったのだろう。

「愛情」と一言では言い尽くせない大きな葛藤が待っていた。


私は離れる決心をした。それがお互いのために最善のことに思えたのだ。

そうして歳月が流れていく。もう二度と繋がることはなかった。


一度も会ったことのない恵ちゃんの夢を見る。

その姿はおそらく私の空想なのだろう。

けれども確かに存在している「いのち」に他ならなかった。


失ってなどいなかったのだと思う。

そうして恵ちゃんは私に春を届けに来てくれたのだ。





今夜は手作り餃子を作った。めいちゃんも手伝ってくれて62個。

いつもは焼くだけの餃子を買って来るがやはり手作りが美味しい。

それなら度々作れば良いがあまりにも手間が掛かり過ぎる。

キャベツの千切りは売っているがどうしてみじん切りがないのか。

まな板の上で散らばるキャベツと格闘をしなければならない。


自慢ではないが我が家の餃子は最高である。

市販のどの餃子よりもラーメン屋さんの餃子よりも美味しいのだ。

これだけは誰にも負けないと自慢の餃子であった。


しかし餃子好きのあやちゃんがあまり食べてくれない。

娘婿もホットプレートでハムを焼いて食べていた。

なんでや。これにはいささかショックで少し落ち込んでしまった。


どんな時もあるものだ。気分屋のあやちゃんは餃子の気分ではなかった。

娘婿も餃子よりもハムが食べたかったのに違いない。

夫や娘、めいちゃんが喜んで食べてくれたので良しとしよう。



小糠雨降る御堂筋。そんな歌もあったっけ。

御堂筋は大阪市だ。恵ちゃんの住んでいる町と近い。


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