ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年02月08日(木) 椿はやがて落ちるけれど

安定の晴れ。早春らしい陽射しが燦々と降り注ぐ。

空がきらきらと輝いている。ぽっかりと浮かぶ白い雲。


職場の荒れ果てた庭に椿がぽつぽつと咲き始めている。

地植えなのでずいぶんと大きな木になっているが

奥まった処にあるので目立つこともなくひっそりと佇んでいる。

これもおそらく母が植えたのであろう。かなり昔ではないだろうか。

ようく見ると蕾が沢山付いていて今日よりも明日と咲きそうだ。


母が健在なら手入れを怠らなかっただろう。

私は何も出来ない。椿の花を見つけてやることしか出来ないのだ。





週一のリハビリの日。少し早めに終わらせてもらって病院へ行く。

早めに行けば必ず会える人がいてそれも楽しみであった。

息子のお嫁さんのお母さんでもう長いこと足を患っている。

私と同じように杖を付きながら週二回のリハビリを頑張っていた。


お嫁さんは正しくはお嫁さんだった人だが私は全く拘っていない。

縁は決して切れたのではなく今まで通りのお付き合いを願っている。

お母さんも私と同じ考えでいてくれて会う度に話が弾むのだった。


お嫁さんはすっかり元気になっているようだ。

いつも笑顔で家事も手伝ってくれると喜んでいた。

やはり環境が変わったのが良かったのだろうと話す。

息子と暮らしていた頃には殆ど寝てばかりいたのが嘘のようだ。

息子の思いやりが足らず至らないところも沢山あったと思うが

今更責めてもどうしようも出来ないことだった。

それよりも「いま」である。息子達の決めた事は過ちではなかったのだ。

お母さんとは毎週木曜日に会える。なんだか友達みたいで嬉しくてならない。



今日は診察が無かったので3時半にはサニーマートへ着いていた。

特売のエリンギを真っ先に買いオイスターソース炒めにすることに。

いつも安い茎若布は鯖缶、厚揚げと一緒に煮ると美味しい。

メインは今日も豚肉。残念ながらカナダ産が見当たらず

仕方なく国産の高い薄切りロースを買うしかなかった。

これは「生姜焼き」にする。タレも市販の物を買う。


注文していた氷結と焼酎ハイボールの24本入りケースが入荷していて

サービスカウンターの店員さんがカートに積んでくれた。

清算を済ませてから車までは運ぶことが出来たが

重いので積み込むことが出来るか不安でならない。

そうしたら一人の店員さんが駆け寄って来てくれて

「お手伝いしましょうか」と声を掛けてくれたのだった。

なんと親切で有難いことだろう。お言葉に甘えさせてもらった。


最近はこんなことがよくある。私はやはり障害者に見えるのだろう。

けれどもそれを当然のことだと受け止めてはいけないのだと思う。

お客さんには車椅子の人もいる。私などずっとずっと軽いのだ。


優しい親切が身に沁みる。私はどうやら甘えることを覚えたようだ。

「どうもありがとう」ほぼ毎日口にしないことはなかった。


私も困っている人を少しでも助けてあげられるようになりたい。

出来ないのではなくそれはやってみないと分からないことだ。








2024年02月07日(水) 明日も書かせて下さい

晴れたり曇ったり。その度に暖かだったり肌寒かったりした。


宿毛市楠山の梅園で梅の花が満開になっているそうだ。

5年程前だったろうか娘や孫たちと梅見に行ったことがある。

あの頃はまだ足の痛みもなくいくらでも歩けた。

駐車場から梅園まで少し歩かなくてはいけなくて

今はもうとても無理だろう。言い出すことも出来ずにいる。

色んなことを諦めなければいけなくなった。

嘆いても仕方がないがまだまだ今生の思い出が欲しくてならない。

いつかは最後の梅になる。それは今年かもしれないと思ったりする。


いやいや、そんな弱気でどうする。

生きられるだけ生きて思い残すことがないような人生でありたい。




今日も3時まで仕事。最近ではもうそれが定時になった。

勤続36年目となったが若い頃には4時まで働いていたこともある。

冬から春にかけては家業の海苔養殖が忙しくて

あちらもこちらもと掛け持ちするのが当たり前であった。

今思えば本当に良く働いたものだ。私も若かったからだろう。

母がまだ現役だったからそれでもなんとかなっていたが

その母が亡くなり全ての事務仕事を任された今となっては

一日でも休めば大変なことになり会社はパニック状態となってしまう。

義父と同僚と私の三人で一人でも欠けたらもうお終いなのだった。

健康に気をつけ決して「故障」してはならない。

そう心して日々の仕事を全うして行こうと思っている。



サニーマートで久しぶりに友人と会った。

「足はどう?」と気遣ってくれたので足踏みをして見せる。

明日はまたリハビリの日だ。とにかく諦めてはいけないのだと思う。


今日は大好物の辛子明太子が半額でとても嬉しかった。

牡蠣や鍋用の鯛なども半額だったが迷いつつ買わずにいた。

パナマ海老のむき身が安かったので「海老マヨ」にしようと買ったが

帰宅して娘に話すとあやちゃんが食べないのだそうだ。

昨夜も天ぷらだったが「海老天」にすることにした。

それから頂き物のさつま芋で「芋天」も。

我が家では揚げ物が続くことがよくあることだった。


頂き物が多く大根も2本あり「豚バラ大根」にすることに。

カナダ産の豚バラブロックが格安でありとても助かる。

いつも豚肉が固くなるのでお酒を入れて煮たら柔らかくなった。


後は「樺太ししゃも」特大のやつが特売になっていた。

それから一昨日買っておいた長芋を短冊にする。

これはめいちゃんの大好物だった。

「ほうれん草の白和え」地場産品売り場で新鮮なほうれん草を買う。


「海老天」は天むすに。あやちゃんは天むすが大好きなのだ。

今夜もにこにこしながら美味しそうに食べてくれて嬉しかった。

「海老マヨ」「海老チリ」は駄目。憶えておかなくてはいけない。


まだ娘婿が帰宅していないが穏やかで平和な夜になった。

私の書く「しごと」もそれなりに順調に思える。

一日一生と云うがほんの一部分なのかもしれない。

自分で決めたことを全うして終えられることが仕合せなのだろう。


パソコンの電源を切った後にはいつも

「明日も書かせて下さい」と手を合わせて眠ることにしている。



2024年02月06日(火) 太刀魚の天ぷら

日中は穏やかな晴天となる。陽射しはすっかり春のようだった。

昨日の関東の大雪を思うと日本は狭いようで広い。

北海道では氷点下28℃と信じられないような寒さである。



時間が足らない。週末はごろごろ寝てばかりいるのに

平日のなんと慌ただしいことだろう。

昨日のように余裕がある日は滅多になかった。


私の一日は書くことから始まり書くことで終わる。

作家でもないのに偉そうなことをと我ながら思うが

書くことが生きがいのようになっているのだろう。


夜明け前には詩を。仕事を終えて帰宅したら短歌を。

そうして入浴後の今はこの日記を書いている。

今日は帰宅が遅くなり短歌どころではなかったが

時計を見ながら「なんとしても書くぞ」と思った。

制限時間は15分ほど。まるで走り書きのような短歌である。

けれども詠んだ歌は決して走ってなどいないのだ。

これは私の特技かもしれないとつい己惚れてしまいそうになる。

誰に背中を押されているわけでもない。

私は自分で自分の背中を押し続けているのだろう。

私が私を試していると云っても良いのかもしれない。


いつかは必ず終る人生である。書きたいだけ私は書く。





サニーマートへ着いた頃にはもう4時を過ぎていた。

とてもゆっくりとメニューを考える余裕もない。

野菜はめいちゃんのお友達の家からアスパラを頂いていたので

「アスパラベーコン」にすることにした。

鮮魚売り場のお総菜コーナーに「太刀魚の天ぷら」があった。

ふっくらとしていて美味しそうだったが、もしやと思い

鮮魚売り場を見ると三枚に下ろした太刀魚が沢山並んでいる。

普段は高級魚でとても手を出せないが今日は格安だった。

おそらく近海で大漁だったのだろう。嬉しいことである。

一パックに3匹分位だろうか、それで480円は大助かりだ。

二パック買い自家製の天ぷらを作ることにした。

精肉売り場では滅多に売っていない「豚スージャー」があった。

これはフライパンで炒めるだけで超簡単である。


今夜は娘が職場の飲み会とかで出掛けることになっていたが

まだ時間があるから大丈夫と手伝ってくれて助かる。

私はせっせと太刀魚の天ぷらを揚げた。

その傍らで娘がつまみ食いをしたらめっちゃ美味しいとのこと。

孫たちにも味見をさせようとお皿に入れて二階へ持って行く。

天つゆよりも塩コショウのほうが良いようだ。

「おかわり」と孫たちの声に再度娘が「お運び」をした。

大皿にてんこ盛りだった天ぷらがあっという間に半分になる。


晩酌を始めた夫が例の如くで遠慮せずに食べるので

思わずストップを掛けざるを得なかった。

あやちゃんが二階から下りて来てにこにこしながら

「おばあちゃんさっきのはこれ?」と訊くので「そうよ」と言うと

「全部はいかんよね。半分ならええかな」

そう言ったかと思うともう自分のお皿に並べ始めていた。

よほど美味しかったのだろう。笑顔で食べてくれて私も嬉しかった。


めいちゃんは熱こそないが昨日から風邪気味で学校を休んでいた。

今日は仲良しのお友達が手紙と宿題を届けてくれたそうだ。

まさかあやちゃんみたいにと一瞬不安になったが

私が風邪を気遣えば「もうなおったけん、あしたは行くけん」と

元気な声で応えてくれてほっと胸を撫で下ろしたことだった。


あやちゃんにも仲良しの友達は何人か居たはずだが

この一年足らずの間に年賀状も手紙も届くことがなかった。

もう忘れらているのだろうか。そう思うと不憫でならない。



2024年02月05日(月) 笑顔のご馳走

雨のち晴れ。何日ぶりの夕陽だったことだろう。

やがて茜色に染まった空は明日の約束を忘れなかった。

しばらくは晴天が続きそうで嬉しくてならない。



仕事は珍しく開店休業。義父と相談したが仕事の段取りが出来なかった。

同僚は「今だ」とばかりに羽根を伸ばしておりそれも良しとする。

ずっと忙しい日が続いていたのだから息抜きも必要に思う。


義父は掛かりつけの整形外科へ。湿布薬が切れてしまったらしい。

タフな義父でも膝が痛んだり腰が痛んだりするのだった。

明日からの農作業が待っており焦る気持ちもあったのだろう。

けれども決して弱音を吐かない。なんともパワフルな高齢者である。


雨のせいか来客も少なかったが義父の友人夫婦が顔を見せてくれた。

大根を6本も。それから自家製の沢庵を持って来てくれる。

来るたびに手土産を忘れずにいてくれて本当に有難いことだ。

これも山里ならではのことだろう。ささやかな畑の恵みである。





事務仕事もさほど忙しくなく今日は早めに終わらせてもらった。

サニーマートは月曜祭で特売品で溢れている。

あれもこれもとすっかり目移りしてしまった。

洗い牛蒡、人参、長芋、玉葱も安かったがまだ買い置きがある。

牛蒡と人参とくれば「鶏牛蒡」である。辛子入りこんにゃくを買う。

鶏肉は確か冷凍室にあったはずだが不安なので買っておく。


梶原食品(豊ノ島の実家)のお豆腐も特売だった。

いつもは一丁126円だが今日は106円と安いので2丁買う。

これは「あんかけ豆腐」にする。娘婿の大好物だった。


菜花は特売ではなかったが食べたくてならない。

野菜売り場では一束298円もしたが地場産品売り場では180円だった。

地元の農家が直接卸しているのでコストが掛からないのだろう。


娘がお豆腐を揚げてくれている傍らで鶏牛蒡を作る。

それから「そぼろあん」も片栗粉でとろみを作り仕上げた。

菜花は油断が出来ない。さっと茹でなければすぐにべちゃべちゃになる。

花の部分は別として茎は硬いのに「なんでやろう」と不思議に思う。


特売だった塩サバも焼いたがこれは誰も食べない。

私は好きなので残ったら明日のお弁当に入れて行くつもりだ。


孫たちのおかずが無かったので娘がジョイフルのハンバーグを焼いた。

これはいざと云う時のために冷凍室にストックしてあるのだ。


あやちゃんの機嫌がとても良い。にこにこしながら食べてくれた。

そうして「うまい!」と声を発したので皆が笑顔になった。


ずっとずっと笑顔の日が続きますように。

明日のことは誰にも分からないけれど願えばきっと叶う気がする。









2024年02月04日(日) 立春大吉餃子

待ち望んでいた「立春」昨夜からずっと小糠雨が降っている。

この雨が上がれば春らしい陽射しに恵まれることだろう。

三寒四温を繰り返しながら季節は確実な春になろうとしている。



目覚める寸前まで恵(けい)ちゃんの夢を見ていた。

音信不通になってから20年近い歳月が流れたが

これまでも時々夢に見ることがあり不思議でならない。


その度に何かあったのではないか。元気にしているのだろうか。

まるで母親が息子を想うように心配でならなくなるのだった。

縁を切ったつもりでもまだ縁が続いているのかもしれない。

そんな証はもう何処にも残ってなどいないが何かを感じるのだ。


当時は大学院生だった。そうして教員免許を取得し中学教師となった。

精神面に不安を抱えており何らかの支えが必要に思う。

私は誠心誠意そのための苦労を惜しまずに接してきたつもりである。


しかしいくら親子ほど歳が離れていても男と女だったのだろう。

「愛情」と一言では言い尽くせない大きな葛藤が待っていた。


私は離れる決心をした。それがお互いのために最善のことに思えたのだ。

そうして歳月が流れていく。もう二度と繋がることはなかった。


一度も会ったことのない恵ちゃんの夢を見る。

その姿はおそらく私の空想なのだろう。

けれども確かに存在している「いのち」に他ならなかった。


失ってなどいなかったのだと思う。

そうして恵ちゃんは私に春を届けに来てくれたのだ。





今夜は手作り餃子を作った。めいちゃんも手伝ってくれて62個。

いつもは焼くだけの餃子を買って来るがやはり手作りが美味しい。

それなら度々作れば良いがあまりにも手間が掛かり過ぎる。

キャベツの千切りは売っているがどうしてみじん切りがないのか。

まな板の上で散らばるキャベツと格闘をしなければならない。


自慢ではないが我が家の餃子は最高である。

市販のどの餃子よりもラーメン屋さんの餃子よりも美味しいのだ。

これだけは誰にも負けないと自慢の餃子であった。


しかし餃子好きのあやちゃんがあまり食べてくれない。

娘婿もホットプレートでハムを焼いて食べていた。

なんでや。これにはいささかショックで少し落ち込んでしまった。


どんな時もあるものだ。気分屋のあやちゃんは餃子の気分ではなかった。

娘婿も餃子よりもハムが食べたかったのに違いない。

夫や娘、めいちゃんが喜んで食べてくれたので良しとしよう。



小糠雨降る御堂筋。そんな歌もあったっけ。

御堂筋は大阪市だ。恵ちゃんの住んでいる町と近い。



2024年02月03日(土) 幸せな鬼

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

冬の雨とは思えない程の優しい雨だ。


ここ数日雨のおかげで庭の桜草やパンジーが活き活きしている。

花の色もいっそう鮮やかになり見る度に心が和む。


今日は節分。明日はもう立春である。

節分は春夏秋冬と年に4回あるが春を一年の始めとして

世の中に根付いたのだそうだ。なんとも新鮮に思える。


私もあたらしくなりたい。このまま滅びるわけにはいかない。

焦っても仕方ないがせめて生き生きと日々を過ごしたいものだ。




朝のうちにカーブスへ。今日は月始めの計測日であったが

素足でないと体脂肪計が機能しないのだそうだ。

左足の靴下が上手く脱げない。わけを話して免除してもらった。

お腹周りは測ることが出来たがなんと100センチに達していた。

もう目も当てられない。次回から一切の計測をパスすることに決める。

食事制限をしてまで痩せようとは思わなくなった。

ダイエットの辛い記憶が蘇るばかりである。




サニーマートの店内に入るなり何と大勢の人だかり。

何事かも思えば陳列ケースに恵方巻が山ほど並べてあった。

食品ロスが問題になっているが売れ残ったらどうするのだろう。

いくら大勢の人でもとても完売するとは思えなかった。


我が家は手巻き寿司に決めていたので見向きもせずに鮮魚売り場へ行く。

ありました。「手巻き寿司のネタセット」1980円なり。

高いようにも思うが中央にイクラ。鮪、鯛、穴子、イカ、サーモン。

胡瓜や玉子焼きも入っていてお買い得ではないだろうか。

6人分には少し足らないように思い鮪の短冊、甘海老も買った。


夕食は例の如くで夫と先に食べる。節分なのにと少し侘しい。

夫が鮪ばかり巻いて食べるのではらはらした。

彼はいつも後から食べる娘達のことを考えないことが多い。


やっと娘達が食べ始めたので鬼面を被りそっと玄関から外に出た。

そうして杖で窓ガラスをがんがんと叩く。

「鬼だ、鬼が来た」と家の中で騒いでいて愉快でならない。

「鬼は外 福は内」めいちゃんの投げる豆のなんと痛いこと。

あやちゃんも笑顔で豆を撒いてくれて思いがけずに嬉しかった。

もうそんな子供じみたことしない。馬鹿みたいって言うと思っていたのだ。


家の中に入ると娘が「ご苦労様、ありがとうね」と言ってくれる。

その言葉が胸に沁みる。ずっとずっと鬼でいたいと思う。


どうか平穏無事な日々が続きますように。

家族皆が健康で過ごせますように。








2024年02月02日(金) ご機嫌如何ですか?

小雨が降ったり止んだり。気温はそう低くないのに肌寒い。

やはり陽射しあってこそのこと。おひさまは有難いものだ。


お天気が悪く農作業に行けない義父が精力的に仕事に取り組んでいる。

それは驚くほどでまるで人が変わったようにも見えるのだ。

きっと自分が社長であることを思い出したのだろう。

時には口うるさい時もあるがそれも威厳に満ちている。


嬉しいのは何でも私に相談してくれることだ。

決してワンマンではない。ほんの些細なことでも話してくれる。

「そうだな、その方がいいな」最近ではそれが口癖のようになった。


私はそうして義父の片腕になって行くのだろう。

70歳までだろうか。もしかしたら80歳まで続くのかもしれない。




仕事が一段落していたので今日は早めに終えることが出来た。

帰り道の自動車専用道路には覆面パトカーが度々走行しているらしい。

それを聞くまでは横着に百キロ近くのスピードで走っていたが

さすがに怖くなって今日から制限時速を守るようになった。

追い越し車線でも決して前の車を追い越してはならない。

検挙された人はなんと覆面パトカーを追い越してしまったのだそうだ。



3時にはサニーマートに着いていた。今日はゆっくりと買い物が出来る。

「鰹のたたき」「親子丼」冷蔵庫にピーマンとレタスがあった。

ピーマンはめいちゃんのお友達の家がハウス農家をしていて

よく届けてくれるのだった。だから買うことはめったにない。

レタスは先日「しゃぶしゃぶ」をした時の残り物だった。

今朝、野菜室を確かめたらまだ新鮮なままだったので良かった。


ピーマンはベーコンとコンソメ炒めにして

レタスはオイスターソース炒めにする。

どちらも娘が手際よく作ってくれて助かる。


鰹は静岡産の解凍物だったが鮮度は良かった。

海が荒れているのだろうか土佐沖産の鰹は見当たらない。


親子丼はブラジル鶏で作る。卵が値下がりしており大助かりだ。

あやちゃんもめいちゃんも親子丼が好きなので喜んでくれた。


後はめいちゃん大好物のキムチもやしをまた買ってしまった。

それから買い置きのミートボールはレトルトで賞味期限がぎりぎり。

今夜は食べておかないととレンジでチンして食卓に並べる。


明日は節分なので恵方巻にするか手巻き寿司にするか迷う。

あやちゃんに訊いたら「どっちでもいい」と少しそっけない。

娘が手巻きにしようと云うのでそうすることにした。


夕食後めいちゃんがリコーダーを吹き始めた。

まだ習い始めたばかりなのだろうあまり上手くは吹けない。

娘が「あやは上手やん」と言ったのがいけなかったのか

あやちゃんは無言のまま二階へ駆け上がってしまった。

とにかく学校に関する発言は慎まなければいけないようだ。


何が良くて何が悪いのか家族みんながピリピリしているけれど

そうして硝子細工のようなあやちゃんを守り続けている。


何度も云うが出口のないトンネルなどないのだ。

あやちゃんは今何処を歩いているのだろう。


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