ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年02月04日(日) 立春大吉餃子

待ち望んでいた「立春」昨夜からずっと小糠雨が降っている。

この雨が上がれば春らしい陽射しに恵まれることだろう。

三寒四温を繰り返しながら季節は確実な春になろうとしている。



目覚める寸前まで恵(けい)ちゃんの夢を見ていた。

音信不通になってから20年近い歳月が流れたが

これまでも時々夢に見ることがあり不思議でならない。


その度に何かあったのではないか。元気にしているのだろうか。

まるで母親が息子を想うように心配でならなくなるのだった。

縁を切ったつもりでもまだ縁が続いているのかもしれない。

そんな証はもう何処にも残ってなどいないが何かを感じるのだ。


当時は大学院生だった。そうして教員免許を取得し中学教師となった。

精神面に不安を抱えており何らかの支えが必要に思う。

私は誠心誠意そのための苦労を惜しまずに接してきたつもりである。


しかしいくら親子ほど歳が離れていても男と女だったのだろう。

「愛情」と一言では言い尽くせない大きな葛藤が待っていた。


私は離れる決心をした。それがお互いのために最善のことに思えたのだ。

そうして歳月が流れていく。もう二度と繋がることはなかった。


一度も会ったことのない恵ちゃんの夢を見る。

その姿はおそらく私の空想なのだろう。

けれども確かに存在している「いのち」に他ならなかった。


失ってなどいなかったのだと思う。

そうして恵ちゃんは私に春を届けに来てくれたのだ。





今夜は手作り餃子を作った。めいちゃんも手伝ってくれて62個。

いつもは焼くだけの餃子を買って来るがやはり手作りが美味しい。

それなら度々作れば良いがあまりにも手間が掛かり過ぎる。

キャベツの千切りは売っているがどうしてみじん切りがないのか。

まな板の上で散らばるキャベツと格闘をしなければならない。


自慢ではないが我が家の餃子は最高である。

市販のどの餃子よりもラーメン屋さんの餃子よりも美味しいのだ。

これだけは誰にも負けないと自慢の餃子であった。


しかし餃子好きのあやちゃんがあまり食べてくれない。

娘婿もホットプレートでハムを焼いて食べていた。

なんでや。これにはいささかショックで少し落ち込んでしまった。


どんな時もあるものだ。気分屋のあやちゃんは餃子の気分ではなかった。

娘婿も餃子よりもハムが食べたかったのに違いない。

夫や娘、めいちゃんが喜んで食べてくれたので良しとしよう。



小糠雨降る御堂筋。そんな歌もあったっけ。

御堂筋は大阪市だ。恵ちゃんの住んでいる町と近い。



2024年02月03日(土) 幸せな鬼

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

冬の雨とは思えない程の優しい雨だ。


ここ数日雨のおかげで庭の桜草やパンジーが活き活きしている。

花の色もいっそう鮮やかになり見る度に心が和む。


今日は節分。明日はもう立春である。

節分は春夏秋冬と年に4回あるが春を一年の始めとして

世の中に根付いたのだそうだ。なんとも新鮮に思える。


私もあたらしくなりたい。このまま滅びるわけにはいかない。

焦っても仕方ないがせめて生き生きと日々を過ごしたいものだ。




朝のうちにカーブスへ。今日は月始めの計測日であったが

素足でないと体脂肪計が機能しないのだそうだ。

左足の靴下が上手く脱げない。わけを話して免除してもらった。

お腹周りは測ることが出来たがなんと100センチに達していた。

もう目も当てられない。次回から一切の計測をパスすることに決める。

食事制限をしてまで痩せようとは思わなくなった。

ダイエットの辛い記憶が蘇るばかりである。




サニーマートの店内に入るなり何と大勢の人だかり。

何事かも思えば陳列ケースに恵方巻が山ほど並べてあった。

食品ロスが問題になっているが売れ残ったらどうするのだろう。

いくら大勢の人でもとても完売するとは思えなかった。


我が家は手巻き寿司に決めていたので見向きもせずに鮮魚売り場へ行く。

ありました。「手巻き寿司のネタセット」1980円なり。

高いようにも思うが中央にイクラ。鮪、鯛、穴子、イカ、サーモン。

胡瓜や玉子焼きも入っていてお買い得ではないだろうか。

6人分には少し足らないように思い鮪の短冊、甘海老も買った。


夕食は例の如くで夫と先に食べる。節分なのにと少し侘しい。

夫が鮪ばかり巻いて食べるのではらはらした。

彼はいつも後から食べる娘達のことを考えないことが多い。


やっと娘達が食べ始めたので鬼面を被りそっと玄関から外に出た。

そうして杖で窓ガラスをがんがんと叩く。

「鬼だ、鬼が来た」と家の中で騒いでいて愉快でならない。

「鬼は外 福は内」めいちゃんの投げる豆のなんと痛いこと。

あやちゃんも笑顔で豆を撒いてくれて思いがけずに嬉しかった。

もうそんな子供じみたことしない。馬鹿みたいって言うと思っていたのだ。


家の中に入ると娘が「ご苦労様、ありがとうね」と言ってくれる。

その言葉が胸に沁みる。ずっとずっと鬼でいたいと思う。


どうか平穏無事な日々が続きますように。

家族皆が健康で過ごせますように。








2024年02月02日(金) ご機嫌如何ですか?

小雨が降ったり止んだり。気温はそう低くないのに肌寒い。

やはり陽射しあってこそのこと。おひさまは有難いものだ。


お天気が悪く農作業に行けない義父が精力的に仕事に取り組んでいる。

それは驚くほどでまるで人が変わったようにも見えるのだ。

きっと自分が社長であることを思い出したのだろう。

時には口うるさい時もあるがそれも威厳に満ちている。


嬉しいのは何でも私に相談してくれることだ。

決してワンマンではない。ほんの些細なことでも話してくれる。

「そうだな、その方がいいな」最近ではそれが口癖のようになった。


私はそうして義父の片腕になって行くのだろう。

70歳までだろうか。もしかしたら80歳まで続くのかもしれない。




仕事が一段落していたので今日は早めに終えることが出来た。

帰り道の自動車専用道路には覆面パトカーが度々走行しているらしい。

それを聞くまでは横着に百キロ近くのスピードで走っていたが

さすがに怖くなって今日から制限時速を守るようになった。

追い越し車線でも決して前の車を追い越してはならない。

検挙された人はなんと覆面パトカーを追い越してしまったのだそうだ。



3時にはサニーマートに着いていた。今日はゆっくりと買い物が出来る。

「鰹のたたき」「親子丼」冷蔵庫にピーマンとレタスがあった。

ピーマンはめいちゃんのお友達の家がハウス農家をしていて

よく届けてくれるのだった。だから買うことはめったにない。

レタスは先日「しゃぶしゃぶ」をした時の残り物だった。

今朝、野菜室を確かめたらまだ新鮮なままだったので良かった。


ピーマンはベーコンとコンソメ炒めにして

レタスはオイスターソース炒めにする。

どちらも娘が手際よく作ってくれて助かる。


鰹は静岡産の解凍物だったが鮮度は良かった。

海が荒れているのだろうか土佐沖産の鰹は見当たらない。


親子丼はブラジル鶏で作る。卵が値下がりしており大助かりだ。

あやちゃんもめいちゃんも親子丼が好きなので喜んでくれた。


後はめいちゃん大好物のキムチもやしをまた買ってしまった。

それから買い置きのミートボールはレトルトで賞味期限がぎりぎり。

今夜は食べておかないととレンジでチンして食卓に並べる。


明日は節分なので恵方巻にするか手巻き寿司にするか迷う。

あやちゃんに訊いたら「どっちでもいい」と少しそっけない。

娘が手巻きにしようと云うのでそうすることにした。


夕食後めいちゃんがリコーダーを吹き始めた。

まだ習い始めたばかりなのだろうあまり上手くは吹けない。

娘が「あやは上手やん」と言ったのがいけなかったのか

あやちゃんは無言のまま二階へ駆け上がってしまった。

とにかく学校に関する発言は慎まなければいけないようだ。


何が良くて何が悪いのか家族みんながピリピリしているけれど

そうして硝子細工のようなあやちゃんを守り続けている。


何度も云うが出口のないトンネルなどないのだ。

あやちゃんは今何処を歩いているのだろう。



2024年02月01日(木) 如月の一歩

雨の匂いがする朝。気温は高めで随分と暖かい。

やがて雨が降り始めたがほんの小雨で傘も要らないほどだった。

そうして如月二月が始まる。春の足音が聴こえて来そうである。


能登地震からひと月が経った。未だ行方不明の方がいて心が痛む。

家族をすべて亡くして独り残された遺族もいる。

家を失い車を失い最愛の家族も失ってしまったある人は

「何を頑張れと言うのだ、頑張れるはずがないじゃないか」と

涙ながらに報道陣に訴えていた。まさにその通りである。

「日にち薬」とよく言うがいったいどれほどの歳月が流れれば良いのか。

それは今回の地震だけではなく過去の地震でも同じことだと思う。

家や車は取り戻すことが出来るかもしれないが

失った家族はもう二度と取り戻すことなど出来ないのだ。


生き残るのが運命だったのだろうと夫が言う。

私は直ぐには頷けなかった。運命で済まされてたまるものかと思った。

もしそれが私だったらとても耐えられないことだ。





仕事を早めに終わらせてもらって整形外科のリハビリへ。

毎週木曜日のリハビリがとても楽しみでならなくなった。

終った直後には嘘のように足の痛みが和らいでいる。

今日は診察もあったので医師に見せたくてならない。

杖を付かずに診察室へ入り得意顔をして見せたら

医師が「おお!」と声をあげとても喜んでくれた。

私は調子に乗って足踏みまでして見せる。

診察を終えてから再び見せようとしたら「もういいぞ」と医師が笑った。

完治の見込みはないが痛みはゆっくりと改善されているようだ。

医師と相談し今夜から痛み止めの薬を止めることになった。



サニーマートに着いたのはもう4時過ぎ。

何のメニューも思い浮かばず取り合えず半額品を探す。

今日はけっこうあった。ボイルしたあさりの剥き身、鯵の開きなど。

あさりは2パック買い「しぐれ煮」にすることにした。

孫たちには半額ではなかったが揚げるだけの「海老フライ」を買う。

後は家にあるじゃが芋で「ジャーマンポテト」をすることに。

ベーコンを忘れずに買い大急ぎで帰路に着く。


直ぐに夕食を作らなくてはいけなくて短歌を詠む時間がなかった。

それでも毎日の日課である。パソコンに向かい走り書きをする。

我ながらお粗末な短歌だった。「こんなもの」と思う。

それなのになんとびっくり。普段は全く「いいね」をしないめいさんが

まるで奇跡のように「いいね」をしてくれたのだった。

寄りによってこの駄作にと思ったが素直に嬉しくてならなかった。


台所に下りて行ったらあやちゃんと会って

「海老フライでかまんかね?」と訊いたら「かまんよ」と言ってくれる。

ジャーマンポテトも好きなので今夜もなんとかなりそうだ。


海老フライは娘が揚げてくれたがすぐにダンス教室へ行ってしまう。

あやちゃんは娘達が帰宅してから食べるものだと思っていた。

娘もそのつもりだったのだろう。あやちゃんに声も掛けずに行く。


お風呂から出たら食卓にあやちゃんが独りぼっちで居た。

自分でご飯もよそったらしく黙々と食べている。

私は思わず「ごめんね」と謝ってしまった。

独りぼっちにさせるつもりなど全く考えてもいなかったのだから。

けれどもあやちゃんは少しも寂しそうではなかった。

そうして「おばあちゃんいいよ」と言ってくれる。

その顔があまりにも大人びていて少しドキッとした。


葛藤ばかりの日々の中で彼女は確かに成長しているのだと感じた。

それはこの先きっと良い方向に向かうことだろう。





2024年01月31日(水) 火事場の馬鹿力

雨が降ったり止んだり。菜種梅雨にはまだ早過ぎるが

しばらく雨の日が続きそうである。

気温は3月並みらしく雪に変わることはなさそうだ。


母の紅梅が枯れるのではないかとお客さんが心配してくれて

手入れも全くせず水遣りもしていなかったことが悔やまれた。

しかし今日の雨で花の色も鮮やかになり生き返ったように見える。

やはり鉢植えの梅は手入れを怠ってはならない。

昨年から殆どまとまった雨も降っていないのだ。



月末の仕事をなんとか無事に乗り越える。

資金繰りが思うようにいかず切羽詰まっていた。

ATMで通帳を記帳しても何処からも入金がない。

ありったけの現金を搔き集め四苦八苦するばかりであった。

それでも奇跡のようになんとかなるものである。

取引先に買掛金の送金をし午後には最後の支払いを終えた。

通帳の残高は殆ど無くなったが決してゼロではない。

仕事は後を絶たない程あるのでお先真っ暗でもなかった。


義父に報告し、写真の母にも報告する。

「やったね」と思う。なんとも心地よい達成感であった。

会社の経理を金庫番を任されてもう何年になるのだろう。

これまでずっと順調だったが今日はついに落とし穴かと思った。

けれども追い詰められてこそ発揮できる力があることを知る。

火事場の馬鹿力ではないが似たようなものだろう。





少し残業。今日も遅くなり4時過ぎにサニーマートへ着いた。

最初にお稲荷さんを買う。無性に食べたくてならなかったのだ。

茄子は「茄子そうめん」にすることに。これは母の味である。

夏場の素麺がまだ残っていたので閃くように思いついた。


今日の半額は「ぶり子」鰤の卵巣で薄甘く煮付けると美味しい。

娘の好物なので迷わずに買う。きっと喜ぶに違いない。

お刺身用の鰹。まだまだ新鮮なので半額にはなりそうになかった。


後は揚げるだけの鶏のから揚げ。特売で2パック680円である。

それでは足らないので3パック買ったつもりだったが

清算時に見たらカゴに4パック入っていた。

いくら特売でも買い過ぎだと思ったが売り場に戻しに行けなかった。


帰宅して休む間もなく夕食の支度である。

娘が唐揚げを揚げてくれたので私は茄子そうめんを作ったが

素麺を入れ過ぎてしまって煮込み素麺みたいになってしまった。

鍋の中でふやけてしまって茄子は何処へやらである。

味はまあまあだったが母には敵わないだろう。

かなり残りそうなので明日のお弁当に持って行こうと思う。


鶏のから揚げは4パックで正解だったようだ。

めいちゃんの食べること。あっという間に半分になっていた。

あやちゃんは今夜も静かに黙々と食べていた。

娘が急きょ「卵スープ」を作りそれが気に入ったらしい。

「茄子そうめん」にはさすがに箸を付けなかったようだ。


特に会話もなかったがそんな平凡さが自然なのだろうと思う。

あやちゃんは自分のペースで淡々と日々を送っているのだ。


そうして今日で睦月が終る。

節分も立春もすぐにやってくるだろう。

私はもうすっかり春の気分だ。







2024年01月30日(火) 一期一会

予報では3月並みの暖かさと聞いていたが

午後から雲が広がり少し肌寒く感じた。

明日からしばらくは雨の日が続きそうである。

間もなく立春とはいえ雨が雪に変わらないことを願っている。



お昼休みに田中美智子の「まだ生きている」を読了。

読書のペースがすっかり落ちていて全く読めない日もあり

読了まで一か月以上も費やしてしまった。

図書館で借りた本ではないので返却の必要がないのが幸いである。


あれは昨年の11月だったか図書館で田辺聖子の本と間違えてしまい

読み始めるまで全く気が付かなかったのだ。

「今日は何日何曜日」と云う本で初めて田中美智子と出会う。

そうして著者が作家ではなく共産党の元国会議員だったことを知った。


80歳でがんの宣告を受け余命わずかと知らされたが

もういつ死んでも良いと思っていてもなかなか死ななかったのだそうだ。

その間に最愛の夫に先立たれ田舎で猫と二人暮らしを始めている。

84歳の時に若者からネットを教えられブログを書き始めたのだそうだ。

そのブログが本になった。それが今日読了した「まだ生きている」である。


死をまったく怖れずに淡々とした日常を綴り続けていて清々しいこと。

時には嘆くこともあるがすぐに立ち直る姿に感動を覚えた。

こんなふうに老いたいと心から思う。私は著者が大好きになった。


本にはブログの一部しか書かれていなかったので気になってならない。

なんとかして全文を読めないものかとネットで検索をしてみたが

アドレスをクリックしたらもうすでに消滅しているサイトであった。


享年96歳とあるのに驚くとともに感激で胸がいっぱいになる。

しっかりと逞しく生きていたのだ。なんと素晴らしい人生だったことか。


私にとってこれほどの出会いはないと思う。

まさに「一期一会」のように感じたのは云うまでもなかった。





仕事が忙しく少しだけ残業。サニーマートには4時前に着く。

今日の半額はベビー帆立だけだった。バター炒めにすることに。

後は豚肉と糸コン、冷凍のいんげんを買う。

生姜を効かせて甘辛く炒め煮にすればご飯の良きおかずになるのだ。

お惣菜の鯵の南蛮漬け。コロッケも買った。

それから大きめの有頭海老も。これは塩茹でにする。

夫の好きなめじかの生節も。明日のお昼にも食べられるだろう。

めいちゃんの大好きなキムチもやしも買った。

今日はビールも買わなくてはいけなくてカゴいっぱいになる。

セルフレジで精算をしたら6200円も買っておりびっくりした。

明日は少し節約をしなければいけないと反省する。


下校後近所の友達の家で宿題をしていためいちゃんが帰って来る。

キムチもやしを見るなりもうお箸を提げていた。

凄い勢いでもしゃもしゃと食べ残った真っ赤な汁まで飲み干す。

辛くはないかと気遣えば「めっちゃおいしい」のだそうだ。


あやちゃんは塩茹での海老を好んで食べる。

娘が殻を剥き直ぐに食べられるようにしていた。

静かに黙々と食べている。そうして「ごちそうさま」と言ってくれる。


昼間は保健室の先生が訪ねて来てくれていたそうだ。

どんな会話をしたのかいつも気になってしょうがないが

それは決して訊いてはいけないことであった。

若い先生で気が合うらしい。それだけで救われているのだと思う。


明後日はもう二月。ゆっくりと春が近づいている。

種を蒔けば芽が出るだろう。そうしてやがては花が咲くのだ。



2024年01月29日(月) 蛸の顚末

放射冷却だったのか今朝は冷え込んだが

日中は暖かくなりまるで春かと思うほどだった。


職場の近くに小さな梅園があり白と紅が競うように咲いている。

勝ち負けはともかくとしてなんとも長閑な景色なのだろう。

足さえ悪くなければゆっくりと散策してみたいものだと思う。

出来ないことが日に日に増えていくが確かな春に違いなかった。



義父がそろそろ田起こしをしなければいけなくなり

工場の忙しさと重なり四苦八苦しているのが分かる。

あちらを立てればこちらが立たないのだ。

身体はひとつきりしかも80歳の高齢である。

いくらタフな義父でも倒れてしまうのではないかと気遣う。

どうか順調にと願いつつはらはらしながら見守っているのだった。


今日はお米を貰って帰る。30キロの玄米を車に積み込んでくれた。

問題は夫である。前回の精米の時にすっかり弱音を吐いていたから

果たして精米が出来るかどうか心配でならなかった。

でもいざとなるとなんとかなるもので上白米にして帰ってくる。

「まだまだいけそうなぞ」と今日は得意顔であった。


お米を買わなくても良いのは本当に助かっている。

だからと云うわけではないが義父の米作りを応援したいのだ。





毎日仕事を終えてからのサニーマート。

今日は生食用の蛸が半額だったので2パック買う。

酢の物ではなくお刺身にしてみようと思ったのだ。

後は炒めるだけの「イカの葱塩」これは夫用である。

蛸をがんがん先に食べてしまったら娘達の分が少なくなってしまう。

食費は嵩むがよくよく考えて買わないと大変なことになるのだった。


精肉売り場で格安のセセリを3パック。これは焼き鳥用である。

ついこの前も食べたような気がしたがセセリの安さに負けてしまった。

娘が塩コショウ味と醤油だれの二種類を焼く。


野菜はこれも安い胡瓜を。3本で130円だった。

カニカマと茹で卵でサラダにする。茹で卵が決めてである。


ご飯が少ないかもしれないと思い即席のナポリタンも買った。

これはパスタを茹でる手間が要らずソーセージと玉葱で炒めるだけだ。


夕食の支度が出来たら二階からあやちゃんが下りて来て

「蛸だ、やったあ」と喜んでくれてとても嬉しかった。

いつも酢の物を作った時に蛸ばかり選んで食べているのを知っている。

お刺身は初めてだったが蛸好きにはたまらなかったことだろう。


でも食後の食卓を見てがっくり。お刺身が沢山残っていた。

娘が苦笑いしながら「酢の物の方が良かったみたいなね」と言った。

私はそうして学んでいる。なんとしても完食を目指したい。

毎日メニューを考えるのはけっこう大変なことだが

家族の美味しい顔が私の幸せなのだと思っている。


仕事を終えてから「しらすうなぎ漁」に行っている娘婿が帰って来たようだ。

どうか蛸を残さず食べて下さい。お願いしますと祈っている夜である。


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