雨の匂いがする朝。気温は高めで随分と暖かい。
やがて雨が降り始めたがほんの小雨で傘も要らないほどだった。
そうして如月二月が始まる。春の足音が聴こえて来そうである。
能登地震からひと月が経った。未だ行方不明の方がいて心が痛む。
家族をすべて亡くして独り残された遺族もいる。
家を失い車を失い最愛の家族も失ってしまったある人は
「何を頑張れと言うのだ、頑張れるはずがないじゃないか」と
涙ながらに報道陣に訴えていた。まさにその通りである。
「日にち薬」とよく言うがいったいどれほどの歳月が流れれば良いのか。
それは今回の地震だけではなく過去の地震でも同じことだと思う。
家や車は取り戻すことが出来るかもしれないが
失った家族はもう二度と取り戻すことなど出来ないのだ。
生き残るのが運命だったのだろうと夫が言う。
私は直ぐには頷けなかった。運命で済まされてたまるものかと思った。
もしそれが私だったらとても耐えられないことだ。

仕事を早めに終わらせてもらって整形外科のリハビリへ。
毎週木曜日のリハビリがとても楽しみでならなくなった。
終った直後には嘘のように足の痛みが和らいでいる。
今日は診察もあったので医師に見せたくてならない。
杖を付かずに診察室へ入り得意顔をして見せたら
医師が「おお!」と声をあげとても喜んでくれた。
私は調子に乗って足踏みまでして見せる。
診察を終えてから再び見せようとしたら「もういいぞ」と医師が笑った。
完治の見込みはないが痛みはゆっくりと改善されているようだ。
医師と相談し今夜から痛み止めの薬を止めることになった。
サニーマートに着いたのはもう4時過ぎ。
何のメニューも思い浮かばず取り合えず半額品を探す。
今日はけっこうあった。ボイルしたあさりの剥き身、鯵の開きなど。
あさりは2パック買い「しぐれ煮」にすることにした。
孫たちには半額ではなかったが揚げるだけの「海老フライ」を買う。
後は家にあるじゃが芋で「ジャーマンポテト」をすることに。
ベーコンを忘れずに買い大急ぎで帰路に着く。
直ぐに夕食を作らなくてはいけなくて短歌を詠む時間がなかった。
それでも毎日の日課である。パソコンに向かい走り書きをする。
我ながらお粗末な短歌だった。「こんなもの」と思う。
それなのになんとびっくり。普段は全く「いいね」をしないめいさんが
まるで奇跡のように「いいね」をしてくれたのだった。
寄りによってこの駄作にと思ったが素直に嬉しくてならなかった。
台所に下りて行ったらあやちゃんと会って
「海老フライでかまんかね?」と訊いたら「かまんよ」と言ってくれる。
ジャーマンポテトも好きなので今夜もなんとかなりそうだ。
海老フライは娘が揚げてくれたがすぐにダンス教室へ行ってしまう。
あやちゃんは娘達が帰宅してから食べるものだと思っていた。
娘もそのつもりだったのだろう。あやちゃんに声も掛けずに行く。
お風呂から出たら食卓にあやちゃんが独りぼっちで居た。
自分でご飯もよそったらしく黙々と食べている。
私は思わず「ごめんね」と謝ってしまった。
独りぼっちにさせるつもりなど全く考えてもいなかったのだから。
けれどもあやちゃんは少しも寂しそうではなかった。
そうして「おばあちゃんいいよ」と言ってくれる。
その顔があまりにも大人びていて少しドキッとした。
葛藤ばかりの日々の中で彼女は確かに成長しているのだと感じた。
それはこの先きっと良い方向に向かうことだろう。
雨が降ったり止んだり。菜種梅雨にはまだ早過ぎるが
しばらく雨の日が続きそうである。
気温は3月並みらしく雪に変わることはなさそうだ。
母の紅梅が枯れるのではないかとお客さんが心配してくれて
手入れも全くせず水遣りもしていなかったことが悔やまれた。
しかし今日の雨で花の色も鮮やかになり生き返ったように見える。
やはり鉢植えの梅は手入れを怠ってはならない。
昨年から殆どまとまった雨も降っていないのだ。
月末の仕事をなんとか無事に乗り越える。
資金繰りが思うようにいかず切羽詰まっていた。
ATMで通帳を記帳しても何処からも入金がない。
ありったけの現金を搔き集め四苦八苦するばかりであった。
それでも奇跡のようになんとかなるものである。
取引先に買掛金の送金をし午後には最後の支払いを終えた。
通帳の残高は殆ど無くなったが決してゼロではない。
仕事は後を絶たない程あるのでお先真っ暗でもなかった。
義父に報告し、写真の母にも報告する。
「やったね」と思う。なんとも心地よい達成感であった。
会社の経理を金庫番を任されてもう何年になるのだろう。
これまでずっと順調だったが今日はついに落とし穴かと思った。
けれども追い詰められてこそ発揮できる力があることを知る。
火事場の馬鹿力ではないが似たようなものだろう。

少し残業。今日も遅くなり4時過ぎにサニーマートへ着いた。
最初にお稲荷さんを買う。無性に食べたくてならなかったのだ。
茄子は「茄子そうめん」にすることに。これは母の味である。
夏場の素麺がまだ残っていたので閃くように思いついた。
今日の半額は「ぶり子」鰤の卵巣で薄甘く煮付けると美味しい。
娘の好物なので迷わずに買う。きっと喜ぶに違いない。
お刺身用の鰹。まだまだ新鮮なので半額にはなりそうになかった。
後は揚げるだけの鶏のから揚げ。特売で2パック680円である。
それでは足らないので3パック買ったつもりだったが
清算時に見たらカゴに4パック入っていた。
いくら特売でも買い過ぎだと思ったが売り場に戻しに行けなかった。
帰宅して休む間もなく夕食の支度である。
娘が唐揚げを揚げてくれたので私は茄子そうめんを作ったが
素麺を入れ過ぎてしまって煮込み素麺みたいになってしまった。
鍋の中でふやけてしまって茄子は何処へやらである。
味はまあまあだったが母には敵わないだろう。
かなり残りそうなので明日のお弁当に持って行こうと思う。
鶏のから揚げは4パックで正解だったようだ。
めいちゃんの食べること。あっという間に半分になっていた。
あやちゃんは今夜も静かに黙々と食べていた。
娘が急きょ「卵スープ」を作りそれが気に入ったらしい。
「茄子そうめん」にはさすがに箸を付けなかったようだ。
特に会話もなかったがそんな平凡さが自然なのだろうと思う。
あやちゃんは自分のペースで淡々と日々を送っているのだ。
そうして今日で睦月が終る。
節分も立春もすぐにやってくるだろう。
私はもうすっかり春の気分だ。
予報では3月並みの暖かさと聞いていたが
午後から雲が広がり少し肌寒く感じた。
明日からしばらくは雨の日が続きそうである。
間もなく立春とはいえ雨が雪に変わらないことを願っている。
お昼休みに田中美智子の「まだ生きている」を読了。
読書のペースがすっかり落ちていて全く読めない日もあり
読了まで一か月以上も費やしてしまった。
図書館で借りた本ではないので返却の必要がないのが幸いである。
あれは昨年の11月だったか図書館で田辺聖子の本と間違えてしまい
読み始めるまで全く気が付かなかったのだ。
「今日は何日何曜日」と云う本で初めて田中美智子と出会う。
そうして著者が作家ではなく共産党の元国会議員だったことを知った。
80歳でがんの宣告を受け余命わずかと知らされたが
もういつ死んでも良いと思っていてもなかなか死ななかったのだそうだ。
その間に最愛の夫に先立たれ田舎で猫と二人暮らしを始めている。
84歳の時に若者からネットを教えられブログを書き始めたのだそうだ。
そのブログが本になった。それが今日読了した「まだ生きている」である。
死をまったく怖れずに淡々とした日常を綴り続けていて清々しいこと。
時には嘆くこともあるがすぐに立ち直る姿に感動を覚えた。
こんなふうに老いたいと心から思う。私は著者が大好きになった。
本にはブログの一部しか書かれていなかったので気になってならない。
なんとかして全文を読めないものかとネットで検索をしてみたが
アドレスをクリックしたらもうすでに消滅しているサイトであった。
享年96歳とあるのに驚くとともに感激で胸がいっぱいになる。
しっかりと逞しく生きていたのだ。なんと素晴らしい人生だったことか。
私にとってこれほどの出会いはないと思う。
まさに「一期一会」のように感じたのは云うまでもなかった。

仕事が忙しく少しだけ残業。サニーマートには4時前に着く。
今日の半額はベビー帆立だけだった。バター炒めにすることに。
後は豚肉と糸コン、冷凍のいんげんを買う。
生姜を効かせて甘辛く炒め煮にすればご飯の良きおかずになるのだ。
お惣菜の鯵の南蛮漬け。コロッケも買った。
それから大きめの有頭海老も。これは塩茹でにする。
夫の好きなめじかの生節も。明日のお昼にも食べられるだろう。
めいちゃんの大好きなキムチもやしも買った。
今日はビールも買わなくてはいけなくてカゴいっぱいになる。
セルフレジで精算をしたら6200円も買っておりびっくりした。
明日は少し節約をしなければいけないと反省する。
下校後近所の友達の家で宿題をしていためいちゃんが帰って来る。
キムチもやしを見るなりもうお箸を提げていた。
凄い勢いでもしゃもしゃと食べ残った真っ赤な汁まで飲み干す。
辛くはないかと気遣えば「めっちゃおいしい」のだそうだ。
あやちゃんは塩茹での海老を好んで食べる。
娘が殻を剥き直ぐに食べられるようにしていた。
静かに黙々と食べている。そうして「ごちそうさま」と言ってくれる。
昼間は保健室の先生が訪ねて来てくれていたそうだ。
どんな会話をしたのかいつも気になってしょうがないが
それは決して訊いてはいけないことであった。
若い先生で気が合うらしい。それだけで救われているのだと思う。
明後日はもう二月。ゆっくりと春が近づいている。
種を蒔けば芽が出るだろう。そうしてやがては花が咲くのだ。
放射冷却だったのか今朝は冷え込んだが
日中は暖かくなりまるで春かと思うほどだった。
職場の近くに小さな梅園があり白と紅が競うように咲いている。
勝ち負けはともかくとしてなんとも長閑な景色なのだろう。
足さえ悪くなければゆっくりと散策してみたいものだと思う。
出来ないことが日に日に増えていくが確かな春に違いなかった。
義父がそろそろ田起こしをしなければいけなくなり
工場の忙しさと重なり四苦八苦しているのが分かる。
あちらを立てればこちらが立たないのだ。
身体はひとつきりしかも80歳の高齢である。
いくらタフな義父でも倒れてしまうのではないかと気遣う。
どうか順調にと願いつつはらはらしながら見守っているのだった。
今日はお米を貰って帰る。30キロの玄米を車に積み込んでくれた。
問題は夫である。前回の精米の時にすっかり弱音を吐いていたから
果たして精米が出来るかどうか心配でならなかった。
でもいざとなるとなんとかなるもので上白米にして帰ってくる。
「まだまだいけそうなぞ」と今日は得意顔であった。
お米を買わなくても良いのは本当に助かっている。
だからと云うわけではないが義父の米作りを応援したいのだ。

毎日仕事を終えてからのサニーマート。
今日は生食用の蛸が半額だったので2パック買う。
酢の物ではなくお刺身にしてみようと思ったのだ。
後は炒めるだけの「イカの葱塩」これは夫用である。
蛸をがんがん先に食べてしまったら娘達の分が少なくなってしまう。
食費は嵩むがよくよく考えて買わないと大変なことになるのだった。
精肉売り場で格安のセセリを3パック。これは焼き鳥用である。
ついこの前も食べたような気がしたがセセリの安さに負けてしまった。
娘が塩コショウ味と醤油だれの二種類を焼く。
野菜はこれも安い胡瓜を。3本で130円だった。
カニカマと茹で卵でサラダにする。茹で卵が決めてである。
ご飯が少ないかもしれないと思い即席のナポリタンも買った。
これはパスタを茹でる手間が要らずソーセージと玉葱で炒めるだけだ。
夕食の支度が出来たら二階からあやちゃんが下りて来て
「蛸だ、やったあ」と喜んでくれてとても嬉しかった。
いつも酢の物を作った時に蛸ばかり選んで食べているのを知っている。
お刺身は初めてだったが蛸好きにはたまらなかったことだろう。
でも食後の食卓を見てがっくり。お刺身が沢山残っていた。
娘が苦笑いしながら「酢の物の方が良かったみたいなね」と言った。
私はそうして学んでいる。なんとしても完食を目指したい。
毎日メニューを考えるのはけっこう大変なことだが
家族の美味しい顔が私の幸せなのだと思っている。
仕事を終えてから「しらすうなぎ漁」に行っている娘婿が帰って来たようだ。
どうか蛸を残さず食べて下さい。お願いしますと祈っている夜である。
曇り空の朝だったが次第に青空が見えて来た。
まずまずの暖かさ。日中は暖房が要らない。
昨日のこと。SNSで県内在住の方と知り合う。
俳句や短歌を詠まれていてとても風流な人だと感じた。
書かれている作品に温かみがあり心惹かれるばかりである。
縁と云うものは不思議なもので同時にフォローし合っていた。
その方が私の短歌に「短歌」でコメントを下さり
私も返歌のつもりで短歌を詠み返信をしたのだった。
その即興の短歌が我ながら素晴らしくて悦に入っている。
「きっかけ」がなければ生まれなかった短歌だったのだろう。
有難いことだと思う。出来ればこれからも続けさせて頂きたいものだ。
そうして互いに惹かれ合いながら詠み続けていけたらと思っている。

今朝は珍しくあやちゃんが早起きをして私の部屋へ入って来た。
娘は仕事で娘婿も出掛けていたので心細かったのかもしれない。
一緒に買い物に行かないかと誘ってみたがそれはやはり無理だった。
「午前中ならそんなにお客さんおらんよ」と私が言うと
「ちがう、そんなんじゃない」と否定し俯くばかりである。
どうして無理強いが出来るだろう。そこには大きな葛藤が見えていた。
「お腹空いたね、朝ごはん作ろうか?」と問うと
ローソンのイクラおにぎりが食べたいと言ってくれた。
早速買いに行く。ちゃんと話してくれたのが嬉しくてならない。
夫は地区会に出掛けておりめいちゃんもまだ帰宅していなかった。
「じゃあお留守番たのむね」と言うと素直に「うん」と頷いてくれる。
頑なだった心に少しだけ光が射したように思えた朝のこと。
今夜はめいちゃんのダンス教室があり夕飯は要らないと娘が言う。
ダンスは毎週木曜日だが発表会が近く総練習をしているようだった。
サニーマートで2割引きの牛肉を買う。
それからお惣菜のサラダセットを買った。
こんな日に手を抜かなくていつ抜くかなのである。
牛肉はごま油で玉葱と炒めプルコギのたれを混ぜれば出来上がり。
サラダは三種類入っておりポテト、マカロニ、パスタである。
家ではとても三種類も作れないのでこれはとても助かった。
大相撲の千秋楽を見終わってからの夕食であったが
琴ノ若をずっと応援していたので優勝を逃し残念でならない。
照ノ富士が優勝して君が代が流れるのも違和感があった。
モンゴル人はどうしてこうも相撲が強いのだろうと思う。
でも琴ノ若の大関昇進はほぼ確定なのだそうだ。
来場所を楽しみにしていよう。日本人がんばれである。
この日記を書く前にあやちゃんに声を掛けていた。
好きな時間にお風呂に入るように告げたら「うん、わかった」と。
今日はいつになくいっぱい話せて嬉しくてならない。
明日は月曜日。あやちゃんの葛藤はまだまだ続くことだろう。
でも自分で決めたことを貫くのも勇気なのだと言ってやりたい。
寒気が緩みずいぶんと暖かな一日だった。
燦々と降り注ぐ陽射しはまるで後光のようである。
観音様だろうか。とても尊い光に思えた。
観音様と云えば我が夫である。額の中央に大きな黒子があるのだ。
若い頃にはあまり目立たなかったが歳を重ねるごとに大きくなった。
孫達が幼い頃には「おじいちゃんのスイッチ」と言って
面白半分に黒子を押していたことがあり愉快な思い出である。
私は手を合わせたくなる。私にとって夫は観音様のような人だ。
俺よりも先に逝くなよといつも言っているが
もし夫に先立たれたらと思うと悲しみに圧し潰されそうになる。
同じ歩幅で歩いて行きたい。出来ることならば一緒に逝きたい。

今朝は開店時間にサニーマートへ行く。
真っ先に鮮魚売り場へ向かった。鰤のアラが欲しかったのだ。
お刺身や切り身はいつもあるけれどアラは滅多に手に入らない。
朝一番だったらきっとあるに違いないと思った通りだった。
頂き物の大根がしばらく冷蔵庫で眠っており
今日こそは「鰤大根」を食べられるので嬉しくてならない。
大根を下茹でしアラは湯引きをした。お酒と生姜は欠かせない。
大きめの鍋でぐつぐつと煮込む。全体が飴色になったら出来上がりだ。
孫達には揚げるだけの「チキンスティック」を買っていた。
これはサニーマート特製で下味の付いた鶏肉の細切りフライである。
あやちゃんの好物でいつもオーロラソースを付けて食べている。
もう一品はこれも頂き物のピーマンでベーコン炒めをすることにした。
買い物から帰るなりもうカーブスの時間である。
娘が仕事だったのでめいちゃんも一緒に行くことになった。
カーブスは市内の「アピアさつき」と云うショッピングセンター内にある。
娘の勤めているセリアも同じ店内にあるのだった。
首からお財布とスマホをぶら下げためいちゃんはまっしぐらにセリアへ。
百均にすっかりハマっていて買い物が楽しくてならないようだ。
娘には許しを得ていたので私は安心して筋トレに励んだ。
寒い朝だったのに汗が噴き出るように流れなんとも心地よかった。
けれども相変わらず脂肪は燃えている気配はない。
来週は計測日だがお腹周りが気になってしょうがなかった。
カーブスを終えてセリアに行ったらまだ買い物中のめいちゃん。
手に持てなかったのかカゴを提げてあれこれ迷っている。
私もお茶碗を買った。自分のとあやちゃんのと可愛らしいのがあった。
私はずっと長いことご飯を断っていたので専用のお茶碗が無かった。
あやちゃんのお茶碗は数日前から欠けていてそのままだったから。
灯台下暗しではないが娘はいつまで経っても買って来ないのだ。
昼食はお好み焼きを作った。あやちゃんは好まないので3人分である。
めいちゃんは小さいのにしてと言っていたが焼けたらけっこう大きい。
残してもえいけんねと言っておいたが全部食べてくれていた。
ずっと昼夜逆転のあやちゃんはいつもお昼まで寝ている。
シーチキン巻のお寿司を買って来ていたが気に入らなかったようだ。
2時頃部屋をノックして訊いたらカップうどんを食べたのだそうだ。
そんな時は何も言ってはならない。あくまでも自主性に任せる。
自分でカップうどんにお湯を注げるようになったのも成長だと思う。
夕方にはめいちゃんがリュックを背負って出掛けて行った。
まあちゃんの家でお泊りをするのだそうだ。
娘が駄目だと叱っていたが泣いてでも勝つめいちゃんであった。
ハイテンションのめいちゃんがいない夜は静かでしんみりとしている。
あやちゃんは機嫌よく夕食を食べてくれていた。
「そのお茶碗気にいったかね」声を掛けたら「うん」と一言。
だから今日はお茶碗記念日だ。俵万智先生すみませんね。
| 2024年01月26日(金) |
こころまでしゃぶしゃぶ |
雲ひとつない晴天。やわらかな陽射しが燦々と降り注ぐ。
日陰に残っていた雪もすっかり融けたようだ。
立春まであと10日足らず。このまま春にならないものだろうか。
水仙、梅の花、菜の花と真冬から早春へと季節を繋げるように咲く花。
ひともきっと冬のままではいられない。
こころをあたためながら向かう春があるのだ。
いつものように夜明け前に詩を。帰宅してから短歌を詠んだ。
なんとなくだけれど手応えがある。以前とは違うように感じるのだ。
だからと云って世間に認められているわけではない。
自己満足だと分かっているが満足せずにはいられないのである。
とにかく残された時間がない。ある意味切羽詰まっている。
追い詰められているからこそ書けるものがあるように思う。
怖いのはある日突然書けなくなること。それは死にも等しい。

今日は義父が珍しく「もう帰っていいぞ」と言ってくれた。
仕事も一段落していたのでお言葉に甘えさせてもらう。
でも時計を見たらいつも通りの3時だったので可笑しかった。
今週も我ながらよく頑張ったと思う。心地よい達成感がある。
来週はもう月末になってしまうのでいっそう頑張らなくてはいけない。
3時半にはサニーマートへ着いていた。
今夜は「しゃぶしゃぶ」にしようと決めていたので気楽である。
娘達も食べたがっていたのできっと喜ぶことだろう。
豚肉はしゃぶしゃぶ用のロースを。野菜はレタスとエノキ茸。
お豆腐もしゃぶしゃぶするのが我が家流である。
タレは自家製のポン酢醤油と娘婿は市販の胡麻ダレが好みだった。
私は「しゃぶしゃぶ」をあまり好まずいつもお豆腐だけ食べる。
後はご飯にわさびふりかけを掛け沢庵をかじった。
夫と娘婿は食べないが娘がクリームシチューを作ってくれた。
これは久しぶりだったので満足この上ない美味しさである。
若い頃にはご飯にシチューを掛けて食べたこともあった。
お刺身はグレのお造りとイカのお造りを奮発して買って来ていた。
先日のサーモンのお詫びである。高かったが節約どころではない。
夫も娘婿も喜んでくれたのでよしとしよう。
あやちゃんも機嫌よく食べてくれていたので嬉しかった。
シチューを口に運ぶ時に熱かったのかふうふうしている姿が可愛い。
おとなぶっていてもまだ子供なのだなと思った。
今日は落ち込むことも一切なくなんと幸せだったことか。
どんな日もあるものなのだ。明日はあしたの風が吹くだろう。
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