ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年01月20日(土) 生まれ変わったような日

曇り日。雨が降りそうで降らず夕方から小雨が降り始める。

気温は今日も3月並みで「大寒」とは思えない程の暖かさだった。

庭の桜草がほぼ満開となる。なんと心が和むことだろう。

猫になって一日中眺めていたいものだと思う。


予定通り内科の病院へ。予約なしなのでとにかく早くと

7時半過ぎに家を出る。それでも既に数人待っていて10番目だった。

一時間ほど待っただろうか。やっと名前を呼ばれてほっとする

待合室にいる間に例の咳が出始めてしまってごほごほと咳き込む。

そうしたら直ぐに看護師さんがやって来て

「その場を動かないで下さいね」と注意を受けた。

コロナやインフルが流行っており病院も神経質になっているようだ。


院長先生との再会。ほぼ5年ぶりではなかっただろうか。

嬉しくて懐かしくて涙が出そうになった。

若い医師には話せなかったことが後か後から湧き出すように出て来る。


禁煙に失敗したことも咎められることもなく受け止めてもらえた。

「本当は止めた方が良いけど無理に止めなくてもいいよ」と

咳が頻繁に出るのはやはり喫煙の影響らしい。

聴診器を当ててもらったが呼吸器には乱れがないそうだ。

それから血圧を測ってもらったらなんとびっくり正常値になっていた。

今朝までの高血圧が嘘のようである。こんなことがあるのかと思う。

血圧は全く心配ないと太鼓判を押してもらった。


朝の酷い眠気もあまり神経質に考えてはいけないと云う。

先生も往診中に酷い眠気に襲われることがよくあるのだそうだ。

そんな時は車の窓を開けてリフレッシュ。大音量で音楽を聴いたり

それでも治まらない時はとにかく一時停止をすると良いそうである。

早速月曜日から実行してみようと思う。諦めてはいけないことなのだ。


診察が終わってからのなんと清々しいこと。

まるで生まれ変わったような気分になっていた。

次回の通院からも土曜日の午前中にしようと決める。

そう思っただけで一気に救われたような安心感があった。


その足でカーブスへ行っていたがいつもの憂鬱は何処へやら。

なんだか自分が別人になったように楽しかった。





カーブスを終えてからサニーマートへ。

もうお昼近くになっており空腹でたまらない。

そんな時はついつい余計な物を買ってしまうので注意が必要である。

お昼はラーメンにすることにして夕飯の献立を考えた。

むき海老を2パック買い「海老チリ」にすることに。

それから「スパイシーポーク」これは焼くだけの簡単なもの。

野菜売り場で思い切って菜花を買った。少量で170円もする。

しかし昨日から食べたくてたまらなかったので許してみた。


今日は寝ないつもりだったが結局午後から2時間ほど昼寝。

目覚めてから夕方まで大相撲を観ていた。


娘が手際よく海老チリを作ってくれる。ポークも焼いてくれた。

私はわくわくしながら菜花を茹でたが何と云うことでしょう。

うっかり茹で過ぎてしまってべちゃべちゃになってしまった。

「まあもったいない」娘も苦笑いをしている。

でも胡麻和えにしたら結構美味しかったので今回は良しとしよう。

菜花はまだ出始めなので高いがそのうち百円で手に入る時が来る。



今夜のあやちゃんは「まあまあ」上機嫌ではなかったが

少しはにかむような笑顔を見せてくれたのでそれが精一杯なのだろう。

ハイテンションのめいちゃんと比べたら可哀想に思う。


決して無理をしないこと。在りのままでいることが大切なのだ。



2024年01月19日(金) 菜花の季節に

今日もすっきりとしない空模様。

気温は17℃まで上がりまた3月並みの暖かさであった。


あちらこちらに菜の花が見えるようになる。

冬野菜が育ち過ぎもうトウが立っているのだそうだ。

この暖かさでは無理もないことだろう。

農家の人達の嘆き声が聞こえて来そうである。


「菜花」を菜の花と勘違いする人が多いようだ。

同じアブラナ科だが「菜花」は食用として栽培されている。

種類も色々あるようだが私には詳しい知識がなかった。

黄色い花が咲く前に収穫し「旬の野菜」として店頭に並ぶ。

今日も見かけたがあまりの高さに手を出せなかった。

苦みが少しあり癖のある野菜だが私はとても好きである。





血圧の薬が増えて一週間が過ぎたが未だ改善されていない。

もうしばらく様子を見ても良いのだが不安でならないので

明日の午前中に再度病院へ行ってみようと思っている。

元々の主治医だった院長先生の診察があるらしい。

今診てもらっている若い医師には申し訳ないが苦肉の策である。

禁煙に失敗したことも話したい。咳が酷いことも話したい。

院長先生ならきっと親身になってくれると信じている。

心療内科の専門医でもあるので精神的にも楽になるのではないだろうか。




今週の仕事が一段落していたので今日は早めに終えることが出来た。

3時過ぎにはもうサニーマートへ着いておりゆっくりと買物をする。

どうやら3時になったら半額シールを貼っているようだ。

今日は歓声を上げたくなるほど半額品であふれていた。

まず大好物の辛子明太子。それからお刺身のお造り。

イカ、鯛、サーモンと三種類を仕留める。

それだけですっかり満足して後は鶏肉と茄子を買う。

油で揚げて南蛮漬けにすると孫達も喜んで食べてくれるのだ。

もう一品はニラ玉。昨日のニラがまだ沢山残っている。

ニラは傷みやすいので無駄にしないように食べ尽くしたい。



帰宅して日課の短歌を捻っていたら部屋のドアが少し開いた。

そこにあやちゃんの姿が見えてはっと驚く。

咄嗟に「おかえりぃ」と言ってしまって急いで「ただいまぁ」と言う。

そうしたら少し乱暴な音をさせてドアを閉めてしまったのだった。

もちろん何も声は聴こえない。それがいささかショックであった。


機嫌のよい日もあれば悪い日もあるのだろう。

決して振り回されてはいないが一喜一憂することが多い。

だからと云って無関心ではいられない。いつだってあやちゃんを見ている。


いつものように私と夫が先に食べ終え娘達の夕食が始まる。

それとなくあやちゃんの様子を見るのも日課になった。

スマホを操作しながら隣の父親としきりに会話をしている。

後から後から話したいことがあるのだ。それも笑顔でのこと。

それは親子だからこそのことだろう。私には務まらないのだと思う。


深く考えてしまうと歪な家族なのかもしれないが

それでまあるく収まって一日を終えられるのが一番に思った。



2024年01月18日(木) 冬は冬らしく

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降っていたがもう止んでいるようだ。

最高気温が18℃まで上がり三月並み暖かさだったらしい。


週末には「大寒」だがこのまま暖冬が続くとは思えない。

かつて3月に大雪が降ったことを思い出す。

やはり冬は冬らしくあるべきだろう。異常気象は不気味なものである。



昨日、内科と眼科へ通院していた同僚が「緑内障」の疑いがあるとのこと。

来週また再検査だそうで心配でならない。

緑内障は失明する可能性が大きいと聞く。いったいどうなってしまうのか。

気の弱い同僚のこと。あまり周りが騒ぎたててもいけないと思う。

しかし一人でも欠けたらもう会社の存続を諦めねばならない。



私は週一のリハビリへ。3時の予約だったので大急ぎで駆け付けた。

今日の理学療法士さんは若い男性で少し緊張する。

でも施術をしてもらったら女性の手のように優しかった。

つかの間ではあったがやはりリハビリをすると足の痛みが和らぐ。

そう医師に告げると「そりゃあ良かった」と喜んでくれた。

痛みに真剣に取り組み少しでも楽になるようにと誠意を尽くしてくれる。

そうして親身になって患者の話に耳を傾けてくれるのだ。

私は「医師の鑑」のように思ってとても尊敬している。





サニーマートへ着いた頃にはもう4時を過ぎていた。

例の如くで半額品を漁ったが目ぼしいものがない。

辛うじて鮮魚売り場に鰆の切り身があったので2パック買った。

私は鰆の塩焼きが好きだが家族には不評である。

それでも買わずにはいられない。とにかく半額なのだから。

後は豚ニラキムチ。麻婆豆腐。ワンタンスープにする。

昨日娘婿がニラを沢山貰って来ていた。買えば高いのでとても助かる。

麻婆豆腐は丸美屋の素を使うが甜麵醬を加えると味が濃くなり美味しい。

ワンタンスープはキャベツたっぷり。キャベツは買い置きがあった。

清算すれば2200円程。今日は少し節約が出来たようだ。


めいちゃんのダンス教室のある夜だったが珍しく食べてから出掛ける。

豚ニラキムチは大好き。それから麻婆丼にしてぺろりと食べてくれた。


入浴後二階へ上がろうとしていたらあやちゃんの姿がちらっと見えた。

声を掛けようとしたが逃げるように子供部屋へ閉じ籠ってしまう。

そんな時は決して声を掛けてはいけないことを学んでいる。


そろそろ娘達が帰って来る頃だ。

どうかあやちゃんが少しでも笑顔を見せてくれますように。





2024年01月17日(水) 儚く消える運命

今朝は放射冷却で厳しい冷え込みとなる。

しかし不思議なものだ。寒さに慣れてしまったのか少しも苦にはならず。

日中との寒暖差にも身体はしっかり順応しているようだ。


29年目の阪神忌。能登大震災と重なり記憶が積み重なるようだった。

誰もが二度とあってはならないと思ったことだろう。

しかしその後の東日本、熊本と地震は後を絶たずにいる。

そうして多くの尊い命を奪ったことを忘れてはいけない。


私はやはり不安神経症なのか恐怖心が募るばかりだった。

何をしていても今地震が起きたらと考えてしまうのだ。

今もそうだ。気分は落ち着いているようでも不安でならない。

地震イコール死では決してないはずだが死をとても身近に感じている。

家が圧し潰される。津波に吞み込まれる。

私はいったいどんな死に方をするのだろうか。

なんとしても命だけは守りたいが果たしてそれが出来るだろうか。




同僚が通院のため工場は午後から開店休業となった。

義父も農作業に出掛け事務所で独り留守番をする。

事務仕事も一段落していたので自分時間を頂くことにする。


参加している同人誌の締め切りが近づいているため

この2ヶ月の間SNSで発信していた短歌をワードに移す。

なんと自分でも驚いたが全部で160首もあった。

同人誌に発表できるのはその内の16首である。

それが簡単なようで難しく読み返すとろくな短歌がない。

下手な鉄砲も数打てば当たると云うが当たりどころではなかった。

頭を悩ませながらなんとか16首を選んだ。

仕事時間中に心苦しくもあったがお許し願いたいと思う。


詩も毎朝書いているので60作程あったがこれは行き場がない。

同人誌の代表者から詩の掲載を許されていないのだ。

その代表者が選者をしている高知新聞詩壇に何度か投稿したが

ことごとく落選となっている。私の詩は認められることはないだろう。

口惜しさをバネにするべきだが私はそれほど強くはなかった。

儚く消える運命だと思えばそれもまた詩になるほど切ないものだ。





3時に義父が帰って来てくれて留守番から解放される。

義父は昼食も食べないまま頑張っていたようだ。

すぐに帰る訳にも行かず少し会話を交わしてから帰路に着いた。


サニーマートで例のごとく半額品を漁る。

今日は蛸とめじかの生節を仕留めた。

蛸は胡瓜と若布で酢の物に。めじかの生節は明日の朝のおかずである。

メインは一口カツにした。豚肉のもも肉が3パックで千円ほど。

野菜はブロッコリーを買い塩茹でにしてマヨポンで食べることに。


帰宅したらあやちゃんが珍しく階下に居て「ただいまぁ」と言ったら

「おかえりぃ」と応えてくれてなんとも嬉しかった。

早速夫に話したら昼間も茶の間でしばらく一緒に過ごしたそうだ。


何となくだけれど光が射し始めたように感じる。

まだ少しずつだが何かが動き出しているようだ。


「必ずや出口はあると信じたい長いトンネルあともう少し」

お粗末ではあるが今日の一首である。





2024年01月16日(火) 梅花咲いた

風は確かに北から吹いて来るが陽射しはたっぷりとある。

今朝はもう白梅の花が咲いているのを見つけ心が和んだ。

山道にもぽつぽつと民家がありその近くである。

かなり古い梅の木だと思うが大木ではなかった。

おそらく民家に住む人が楽しみにと植えていたのだろう。

遍路道のこと。足を止めて見上げるお遍路さんも多いのではと思う。


職場の庭にも母が植えた紅梅の木があるが蕾をふっくらと膨らませている。

あと数日もすれば花開くだろう。母に見せてやりたいものだ。


母の机の上を整理していてふっと母は何処に居るのだろうと思った。

まるで子供のようであるが同僚に訊いたら

笑いながら「お星さまになったがよ」と教えてくれた。

そうか星なのかと思う。私にとっては決して笑い事ではなかった。





毎月中旬になると「詩の通信教室」に詩を送っていたが

今年からもう止めようかと思っている。

理由はあるようでない。ただなんとなく虚しくなってしまったのだ。

有名な詩人さんに詩を読んで頂き感想まで頂けるのは

本当に有難く身に余ることだと思っている。

しかし「教室」であるのなら学びの場所であるべきだろう。

学びだけではない人としてふれあうことも大切なことだと思う。

けれどもこの半年、私はいったい何を学んだのだろう。

事務的な感想が返って来るだけで「手応え」のようなものは一切ない。

「ふゆさん」の詩を送った時は虐められたような気がした。

所詮、鯛には雑魚の詩など分かるはずがないのだ。


もう無意味なことは止めよう。そう思うと心の霧が晴れたように感じる。





仕事が忙しく少し残業。3時半にやっとタイムカードを押せた。

サニーマートで半額品を漁るには丁度良い時間である。

いつもは高くて買えない鰤のみりん干し。鯖のみりん干しもあった。

牛肉のタレ漬けは3割引きだったので2パック買う。

後はポテトサラダとちく胡、高野豆腐の煮物にする。


帰宅したらあやちゃんが久しぶりに「今夜は何?」と訊いてくれた。

ポテサラ大好きなので文句は言わないだろうと思っていたが

食べる段になって娘に「他に何かないの?」と言っていた。

そんなことは珍しく今まで聞いたことがなかった。

もしかしたら母親に甘えたかったのかもしれないと思う。

身体はすっかり成長していても心はまだ子供なのかもしれない。

遡れば2歳でお姉ちゃんになってから母親離れをしている。

まだまだ甘えたい盛りだったのではないだろうか。


娘がチャルメラを作って食べさせていた。

あやちゃんはそれは満足そうににこにこしながら食べている。


もっともっと甘えてわがままを言っても良いのだ。

それがもしかしたら固い殻を破るきっかけになるかもしれない。



2024年01月15日(月) 遠い日の恋

夜明け前からにわか雨が降っていたようだ。

音もせずあまりにも静かな雨だったので全く気がつかず

杖を付きながらやっとの思いで洗濯物を玄関まで運んだ。

庭の物干し台まで運ぶのはいつも夫が手を貸してくれるので

声を掛けたら茶の間からすぐに出て来てくれる。

そうして外に出るなり「見てみろ!」と叫ぶのだった。

まるで霧のような雨が降っていた。


「だから今日は干すなと言ったじゃないか」

決して怒っている訳ではないのだがしゅんとせずにはいられない。

夫は直ぐに重い洗濯籠を提げて乾燥機まで運んでくれたのだ。


そんな何でもないようなことが嬉しくてならなかった朝のことである。

幸せってきっとささやかなことなのだ。ただ気づかずにいることが多い。

私がもし「当たり前のこと」だと思ったら幸せは消えてしまっただろう。




今日は職場に昔好きだった人が来てくれた。

年甲斐もなく胸がドキドキして照れくさくてならない。

私より2歳年上なので今年70歳になるのだけれど

とてもそんな歳には見えない。すらりと伸びた長い脚は昔のままだ。


私はと云えば杖を付いた白髪のお婆さんである。

穴があれば入りたいくらいだったが生憎穴が見当たらなかった。

なんと恥さらしなこと。これでは千年の恋も台無しである。


長い髪をなびかせながら見つめ合った日のことを思い出す。

片思いではあったが彼は確かに私の気持ちを知っていたのだと思う。

既に付き合っている彼女が居たのだ。私はおじゃま虫であった。

どれほど涙を流したことだろう。叶わない恋ほど切ないものはない。


記憶は遠ければ遠いほど鮮やかに光り続ける。

こんな私でも若さで輝いていた頃があったのだ。


長靴を履いた彼は軽トラックに乗って颯爽と去って行った。



2024年01月14日(日) 醜い私

今朝は氷点下だったのか厳しい冷え込みとなる。

日中は穏やかな冬晴れとなりほっとするような暖かさだった。


朝陽が射し始めた頃に洗濯物を干す。

おかげで夫の小言を聞かずに済んだ。

とにかく炬燵に潜り込んではいけない。

すぐに眠ってしまうのが癖になっているようだ。


洗濯物を干し終えてから台所で蕪をスライスする。

年末にご近所さんから頂いていた蕪が5個ほどあった。

保存状態が良かったのかまだ新鮮なままで2個を残す。

市販の千枚漬けの酢を掛ければすぐに食べられて美味しい。


サニーマートの開店時間に合わせて買物に行った。

昨夜娘から「あやが寄せ鍋を食べたいがやと」と聞いていたので

迷うこともなく寄せ鍋の材料を買う。白菜が半額になっていて嬉しい。

あやちゃんの好きな葛切り、めいちゃんの好きなエノキ茸。

お魚は調理済みのグレがあったが骨の無いタラにする。

すり身、ベビーホタテ、牡蠣、お肉は鶏の手羽元を買った。


直接ではなかったがあやちゃんが食べたい物を言ってくれて嬉しかった。

いつも私が訊いたら「別に・・」と応えるばかりである。

まるで食べることへの興味を失っているように感じていた。

どうでも良いような投げ遣りな言葉を聞くと悲しいものである。





昼食後はついに炬燵に潜り込み当然のように寝てしまう。

でも2時には起きられたので良しとしよう。

陽射しがあるうちに洗濯物を取り入れ畳むことが出来た。

今日閃いたのは取り入れながら畳む方法である。

さすがに片手では出来ないが立ったまま畳むと随分と楽だった。

一度座敷に座ると立ち上げれなくなりどれほど苦労だったことか。

風のない穏やかな午後である。西に傾き始めた陽の眩しさを感じる。



精神的にはとても落ち着いていると思っていたのだが

ふっと劣等感が襲って来てその後自己嫌悪に陥る。

SNSでの反応を見ながら詩も短歌もこれでは駄目だなと思う。

そんな反応など気にしなければ良いのだがどうしても気になるのだ。

自分を信じてこつこつと。いつかはきっと報われる日が来ると思いたい。

どんなに拙いものでも読んでくれる人が居てくれるのだ。

もしたった一人であっても書くことを諦めてはいけないのだと思う。



煙草の吸い過ぎだろう咳き込むことが多くなった。

その度に尿漏れがある。ナプキンを当てているが役に立たない。

酷い時はズボンまで濡れてしまいどうしようも出来ない。


顔はまるでお化けのようだ。皴もあればシミもある。

髪の毛は白髪だらけ。おまけにいくら櫛で梳いてもぼさぼさになる。


カラダは幕下三枚目の力士である。座ればお腹の肉が太腿に触れる。

トイレの後始末も出来なくなった。太腿の肉が邪魔をするのだ。

あの部分に手が届かない。仕方なく立ってから拭かねばならない。


この醜態を何としよう。いったい私はどうなってしまうのだろう。

せめて心は清く美しくと思うのだがそれも自信はなかった。


生きているだけで丸儲けらしいがそうそう儲けるつもりはない。

醜いまま死ぬのか。骨になればもう思い残すことはないのだろうか。


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