曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降っていたがもう止んでいるようだ。
最高気温が18℃まで上がり三月並み暖かさだったらしい。
週末には「大寒」だがこのまま暖冬が続くとは思えない。
かつて3月に大雪が降ったことを思い出す。
やはり冬は冬らしくあるべきだろう。異常気象は不気味なものである。
昨日、内科と眼科へ通院していた同僚が「緑内障」の疑いがあるとのこと。
来週また再検査だそうで心配でならない。
緑内障は失明する可能性が大きいと聞く。いったいどうなってしまうのか。
気の弱い同僚のこと。あまり周りが騒ぎたててもいけないと思う。
しかし一人でも欠けたらもう会社の存続を諦めねばならない。
私は週一のリハビリへ。3時の予約だったので大急ぎで駆け付けた。
今日の理学療法士さんは若い男性で少し緊張する。
でも施術をしてもらったら女性の手のように優しかった。
つかの間ではあったがやはりリハビリをすると足の痛みが和らぐ。
そう医師に告げると「そりゃあ良かった」と喜んでくれた。
痛みに真剣に取り組み少しでも楽になるようにと誠意を尽くしてくれる。
そうして親身になって患者の話に耳を傾けてくれるのだ。
私は「医師の鑑」のように思ってとても尊敬している。

サニーマートへ着いた頃にはもう4時を過ぎていた。
例の如くで半額品を漁ったが目ぼしいものがない。
辛うじて鮮魚売り場に鰆の切り身があったので2パック買った。
私は鰆の塩焼きが好きだが家族には不評である。
それでも買わずにはいられない。とにかく半額なのだから。
後は豚ニラキムチ。麻婆豆腐。ワンタンスープにする。
昨日娘婿がニラを沢山貰って来ていた。買えば高いのでとても助かる。
麻婆豆腐は丸美屋の素を使うが甜麵醬を加えると味が濃くなり美味しい。
ワンタンスープはキャベツたっぷり。キャベツは買い置きがあった。
清算すれば2200円程。今日は少し節約が出来たようだ。
めいちゃんのダンス教室のある夜だったが珍しく食べてから出掛ける。
豚ニラキムチは大好き。それから麻婆丼にしてぺろりと食べてくれた。
入浴後二階へ上がろうとしていたらあやちゃんの姿がちらっと見えた。
声を掛けようとしたが逃げるように子供部屋へ閉じ籠ってしまう。
そんな時は決して声を掛けてはいけないことを学んでいる。
そろそろ娘達が帰って来る頃だ。
どうかあやちゃんが少しでも笑顔を見せてくれますように。
今朝は放射冷却で厳しい冷え込みとなる。
しかし不思議なものだ。寒さに慣れてしまったのか少しも苦にはならず。
日中との寒暖差にも身体はしっかり順応しているようだ。
29年目の阪神忌。能登大震災と重なり記憶が積み重なるようだった。
誰もが二度とあってはならないと思ったことだろう。
しかしその後の東日本、熊本と地震は後を絶たずにいる。
そうして多くの尊い命を奪ったことを忘れてはいけない。
私はやはり不安神経症なのか恐怖心が募るばかりだった。
何をしていても今地震が起きたらと考えてしまうのだ。
今もそうだ。気分は落ち着いているようでも不安でならない。
地震イコール死では決してないはずだが死をとても身近に感じている。
家が圧し潰される。津波に吞み込まれる。
私はいったいどんな死に方をするのだろうか。
なんとしても命だけは守りたいが果たしてそれが出来るだろうか。

同僚が通院のため工場は午後から開店休業となった。
義父も農作業に出掛け事務所で独り留守番をする。
事務仕事も一段落していたので自分時間を頂くことにする。
参加している同人誌の締め切りが近づいているため
この2ヶ月の間SNSで発信していた短歌をワードに移す。
なんと自分でも驚いたが全部で160首もあった。
同人誌に発表できるのはその内の16首である。
それが簡単なようで難しく読み返すとろくな短歌がない。
下手な鉄砲も数打てば当たると云うが当たりどころではなかった。
頭を悩ませながらなんとか16首を選んだ。
仕事時間中に心苦しくもあったがお許し願いたいと思う。
詩も毎朝書いているので60作程あったがこれは行き場がない。
同人誌の代表者から詩の掲載を許されていないのだ。
その代表者が選者をしている高知新聞詩壇に何度か投稿したが
ことごとく落選となっている。私の詩は認められることはないだろう。
口惜しさをバネにするべきだが私はそれほど強くはなかった。
儚く消える運命だと思えばそれもまた詩になるほど切ないものだ。

3時に義父が帰って来てくれて留守番から解放される。
義父は昼食も食べないまま頑張っていたようだ。
すぐに帰る訳にも行かず少し会話を交わしてから帰路に着いた。
サニーマートで例のごとく半額品を漁る。
今日は蛸とめじかの生節を仕留めた。
蛸は胡瓜と若布で酢の物に。めじかの生節は明日の朝のおかずである。
メインは一口カツにした。豚肉のもも肉が3パックで千円ほど。
野菜はブロッコリーを買い塩茹でにしてマヨポンで食べることに。
帰宅したらあやちゃんが珍しく階下に居て「ただいまぁ」と言ったら
「おかえりぃ」と応えてくれてなんとも嬉しかった。
早速夫に話したら昼間も茶の間でしばらく一緒に過ごしたそうだ。
何となくだけれど光が射し始めたように感じる。
まだ少しずつだが何かが動き出しているようだ。
「必ずや出口はあると信じたい長いトンネルあともう少し」
お粗末ではあるが今日の一首である。
風は確かに北から吹いて来るが陽射しはたっぷりとある。
今朝はもう白梅の花が咲いているのを見つけ心が和んだ。
山道にもぽつぽつと民家がありその近くである。
かなり古い梅の木だと思うが大木ではなかった。
おそらく民家に住む人が楽しみにと植えていたのだろう。
遍路道のこと。足を止めて見上げるお遍路さんも多いのではと思う。
職場の庭にも母が植えた紅梅の木があるが蕾をふっくらと膨らませている。
あと数日もすれば花開くだろう。母に見せてやりたいものだ。
母の机の上を整理していてふっと母は何処に居るのだろうと思った。
まるで子供のようであるが同僚に訊いたら
笑いながら「お星さまになったがよ」と教えてくれた。
そうか星なのかと思う。私にとっては決して笑い事ではなかった。

毎月中旬になると「詩の通信教室」に詩を送っていたが
今年からもう止めようかと思っている。
理由はあるようでない。ただなんとなく虚しくなってしまったのだ。
有名な詩人さんに詩を読んで頂き感想まで頂けるのは
本当に有難く身に余ることだと思っている。
しかし「教室」であるのなら学びの場所であるべきだろう。
学びだけではない人としてふれあうことも大切なことだと思う。
けれどもこの半年、私はいったい何を学んだのだろう。
事務的な感想が返って来るだけで「手応え」のようなものは一切ない。
「ふゆさん」の詩を送った時は虐められたような気がした。
所詮、鯛には雑魚の詩など分かるはずがないのだ。
もう無意味なことは止めよう。そう思うと心の霧が晴れたように感じる。

仕事が忙しく少し残業。3時半にやっとタイムカードを押せた。
サニーマートで半額品を漁るには丁度良い時間である。
いつもは高くて買えない鰤のみりん干し。鯖のみりん干しもあった。
牛肉のタレ漬けは3割引きだったので2パック買う。
後はポテトサラダとちく胡、高野豆腐の煮物にする。
帰宅したらあやちゃんが久しぶりに「今夜は何?」と訊いてくれた。
ポテサラ大好きなので文句は言わないだろうと思っていたが
食べる段になって娘に「他に何かないの?」と言っていた。
そんなことは珍しく今まで聞いたことがなかった。
もしかしたら母親に甘えたかったのかもしれないと思う。
身体はすっかり成長していても心はまだ子供なのかもしれない。
遡れば2歳でお姉ちゃんになってから母親離れをしている。
まだまだ甘えたい盛りだったのではないだろうか。
娘がチャルメラを作って食べさせていた。
あやちゃんはそれは満足そうににこにこしながら食べている。
もっともっと甘えてわがままを言っても良いのだ。
それがもしかしたら固い殻を破るきっかけになるかもしれない。
夜明け前からにわか雨が降っていたようだ。
音もせずあまりにも静かな雨だったので全く気がつかず
杖を付きながらやっとの思いで洗濯物を玄関まで運んだ。
庭の物干し台まで運ぶのはいつも夫が手を貸してくれるので
声を掛けたら茶の間からすぐに出て来てくれる。
そうして外に出るなり「見てみろ!」と叫ぶのだった。
まるで霧のような雨が降っていた。
「だから今日は干すなと言ったじゃないか」
決して怒っている訳ではないのだがしゅんとせずにはいられない。
夫は直ぐに重い洗濯籠を提げて乾燥機まで運んでくれたのだ。
そんな何でもないようなことが嬉しくてならなかった朝のことである。
幸せってきっとささやかなことなのだ。ただ気づかずにいることが多い。
私がもし「当たり前のこと」だと思ったら幸せは消えてしまっただろう。

今日は職場に昔好きだった人が来てくれた。
年甲斐もなく胸がドキドキして照れくさくてならない。
私より2歳年上なので今年70歳になるのだけれど
とてもそんな歳には見えない。すらりと伸びた長い脚は昔のままだ。
私はと云えば杖を付いた白髪のお婆さんである。
穴があれば入りたいくらいだったが生憎穴が見当たらなかった。
なんと恥さらしなこと。これでは千年の恋も台無しである。
長い髪をなびかせながら見つめ合った日のことを思い出す。
片思いではあったが彼は確かに私の気持ちを知っていたのだと思う。
既に付き合っている彼女が居たのだ。私はおじゃま虫であった。
どれほど涙を流したことだろう。叶わない恋ほど切ないものはない。
記憶は遠ければ遠いほど鮮やかに光り続ける。
こんな私でも若さで輝いていた頃があったのだ。
長靴を履いた彼は軽トラックに乗って颯爽と去って行った。
今朝は氷点下だったのか厳しい冷え込みとなる。
日中は穏やかな冬晴れとなりほっとするような暖かさだった。
朝陽が射し始めた頃に洗濯物を干す。
おかげで夫の小言を聞かずに済んだ。
とにかく炬燵に潜り込んではいけない。
すぐに眠ってしまうのが癖になっているようだ。
洗濯物を干し終えてから台所で蕪をスライスする。
年末にご近所さんから頂いていた蕪が5個ほどあった。
保存状態が良かったのかまだ新鮮なままで2個を残す。
市販の千枚漬けの酢を掛ければすぐに食べられて美味しい。
サニーマートの開店時間に合わせて買物に行った。
昨夜娘から「あやが寄せ鍋を食べたいがやと」と聞いていたので
迷うこともなく寄せ鍋の材料を買う。白菜が半額になっていて嬉しい。
あやちゃんの好きな葛切り、めいちゃんの好きなエノキ茸。
お魚は調理済みのグレがあったが骨の無いタラにする。
すり身、ベビーホタテ、牡蠣、お肉は鶏の手羽元を買った。
直接ではなかったがあやちゃんが食べたい物を言ってくれて嬉しかった。
いつも私が訊いたら「別に・・」と応えるばかりである。
まるで食べることへの興味を失っているように感じていた。
どうでも良いような投げ遣りな言葉を聞くと悲しいものである。

昼食後はついに炬燵に潜り込み当然のように寝てしまう。
でも2時には起きられたので良しとしよう。
陽射しがあるうちに洗濯物を取り入れ畳むことが出来た。
今日閃いたのは取り入れながら畳む方法である。
さすがに片手では出来ないが立ったまま畳むと随分と楽だった。
一度座敷に座ると立ち上げれなくなりどれほど苦労だったことか。
風のない穏やかな午後である。西に傾き始めた陽の眩しさを感じる。
精神的にはとても落ち着いていると思っていたのだが
ふっと劣等感が襲って来てその後自己嫌悪に陥る。
SNSでの反応を見ながら詩も短歌もこれでは駄目だなと思う。
そんな反応など気にしなければ良いのだがどうしても気になるのだ。
自分を信じてこつこつと。いつかはきっと報われる日が来ると思いたい。
どんなに拙いものでも読んでくれる人が居てくれるのだ。
もしたった一人であっても書くことを諦めてはいけないのだと思う。
煙草の吸い過ぎだろう咳き込むことが多くなった。
その度に尿漏れがある。ナプキンを当てているが役に立たない。
酷い時はズボンまで濡れてしまいどうしようも出来ない。
顔はまるでお化けのようだ。皴もあればシミもある。
髪の毛は白髪だらけ。おまけにいくら櫛で梳いてもぼさぼさになる。
カラダは幕下三枚目の力士である。座ればお腹の肉が太腿に触れる。
トイレの後始末も出来なくなった。太腿の肉が邪魔をするのだ。
あの部分に手が届かない。仕方なく立ってから拭かねばならない。
この醜態を何としよう。いったい私はどうなってしまうのだろう。
せめて心は清く美しくと思うのだがそれも自信はなかった。
生きているだけで丸儲けらしいがそうそう儲けるつもりはない。
醜いまま死ぬのか。骨になればもう思い残すことはないのだろうか。
日中は汗ばむ程の陽気となる。
やはり暖冬なのだろう。それにしても異常な暖かさだ。
被災地は雪。東京でも初雪が舞ったらしい。
同じ日本でありながらこうも違うのが不思議でならない。
例の如くで朝から眠気。8時前から9時まで寝ていた。
「早く洗濯物を干さないか」夫のなんと口うるさいこと。
言われなくても分かっていることなのだ。しかし動き出せない。
娘が仕事なのでめいちゃんと買い物に行く約束をしていたが
洗濯物を干すのが遅くなり買物は後回しにする。
先にカーブスへ行っていたが義父から2度も着信があった。
仕事を休ませてもらっている私が悪いのだが
どうにも落ち着かず筋トレどころではなかった。
帰宅してからやっとサニーマートへ。
めいちゃんは今日もまっしぐらに百均へと走る。
お正月にお年玉を沢山貰ったので買物が嬉しくてならないようだ。
あれこれ好きな物を買い満足そうに微笑んでいた。
それからフルーツを食べたいと言い出して売り場へ行ったが
好物のシャインマスカットのそれは高いこと。一房3千円以上もする。
それはさすがに買ってやれず苺にすることにした。
「おばあちゃん、いちごも高いよ」と心配そうな顔をしていたが
一パック650円。決して安くはないが可愛い孫の為である。
昼食には「鶏そぼろ弁当」を買う。私は「鶏弁」夫には「天津飯」
どれもほか弁より高くけっこう痛い出費となった。
夕食には焼き鳥用のせせり。お刺身用のハマチ。めじかの生節。
熊本産の芝海老は安く塩茹でにすることに。お浸し用のほうれん草など。
他にもトイレットペーパーやティッシュも買わねばならず
総額7千円以上の出費となる。とても節約どころではない。
昼食を食べ終えてからまた眠くなり炬燵に潜り込んでいた。
途中で何度か目を覚ましたが結局4時まで眠り込んでいたようだ。
「洗濯物を入れんといかんぞ」夫のまた口うるさいこと。
これももちろん分かっていることなのだ。しかし起き上がれない。
杖を付きながら庭に出る。片手では思うようにいかない。
そうしたら友達と遊んでいためいちゃんが手伝ってくれた。
なんと有難いことだろう。めいちゃんが天使のように見える。
「孫の手が天使に見える夕近く洗濯物に残る陽だまり」一首出来た。
夕食の支度に取り掛かろうとしたら娘が何処かへ出掛けて行った。
一気に苛立ちが募り胃がきりきりと痛みだす。
もう知らない。自分達の食べる物は勝手に作ればいいと思う。
洗濯物にしたってそうだ。早くから帰っているのに取り入れてくれない。
大量の洗濯物を干すのも私で畳むのも私なのかと腹が立ってくる。
夫も同じく口ばかりうるさく言って手伝おうともしないのだ。
みんなして私を舐めているのか。この野郎めと爆発しそうになった。
夕食を食べ始めるとやっと冷静になっていた。
娘や夫とも笑顔を交すことが出来る。これでよしよしと思う。
あやちゃんがお昼に食べてくれなかった鶏そぼろ弁当を食べた。
おそらく今日は食べたくない気分だったのだろう。
気にしていたらきりがない。さらりと水に流そうと思う。
明日も冬晴れのようだ。ようし頑張って洗濯物を干そう。
日中はまるで春のような暖かさとなる。
「小春日和」と云いたいところがこれはもう使えない。
それは晩秋から初冬の言葉で今は真冬である。
日本語のなんと奥深いこと。私ももっと学びたいと思う。
被災地は冷たい雨。明日はその雨が雪に変わりそうだ。
深く傷ついた人達になんと容赦ないことだろう。
報道が流れるたびに心を痛めている。
それはどうしようもなく辛いことであった。
平穏無事に暮らしていることが心苦しくてならないが
そんな日常に感謝するべきなのだろう。
自分たちがどれほど恵まれているか思い知らなければいけない。

今週はたった4日しか働いていないのに疲れが酷い。
今日はお昼休みを頂き車中で30分程仮眠する。
降り注ぐ陽射しのなんと暖かいこと。とろりろりと眠った。
午後からも忙しく3時まで仕事。落花飴をしゃぶりながら帰る。
噛んだら落花生が出て来るが自然に出て来るのを待つのが良い。
母が好きだったことを思い出す。なんだかとても懐かしい味だ。
死んでしまったら何も食べられないぞと義父は言う。
いくら仏前に供えても匂いを嗅ぐことも出来ないのだろうか。
それでも人は故人の好きだった物を供え続けている。
要は気持ちなのだろう。「こころ」を供えているのかもしれない。

いつものようにサニーマートで買物をする。
今日は山里の地場産店で原木椎茸とキャベツを買っていた。
肉厚の椎茸はタタキに。キャベツは回鍋肉にしようと決めていた。
豚バラ肉を買い、回鍋肉の素を買う、お刺身は「ハガツオ」にする。
孫達には炒めるだけのナポリタン。これは簡単で美味しい。
最近めいちゃんがお刺身を好んで食べるようになって
今夜は私が我慢することにした。昨夜の煮魚の残りで十分である。
例の如くで娘達が食べ始めるのが遅くなり階下が賑やかだ。
さっきちらっと見たらあやちゃんが笑顔だったのでほっとする。
今朝は夜明け前にあやちゃんのことを詩に書いた。
もしかしたらあやちゃんが読んでくれるかもしれないと思ったが
どうやら期待外れだったようだ。その方が良かったのかもしれない。
私はあやちゃんのことを守ってやれているのだろうか。
書いてはいけないことを書いているような気もする。
でも後悔はしたくない。だって書かずにはいられないのだもの。
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