穏やかな冬晴れ。このまま春になればと思う。
でもそれだと桜の花が咲かない可能性があるらしい。
やはり寒さなければ花は咲かないのだ。
もし日本に四季がなかったらどうなるのだろう。
稲はもちろんのこと作物は育つことが出来ない。
梅雨がなくなればたちまち水不足になるに違いない。
春夏秋冬があってこその日本。私達は恵まれているのだと思う。

午後から仕事を休ませてもらって内科、整形外科とはしごする。
内科はまだ薬が残っていたが少し早めに受診した。
相変わらず医師との相性が悪く今日も悶々とするばかり。
先日から気になっていた「動脈硬化」は高齢になると
誰にでもあるのだそうだ。だから高血圧になるらしい。
特に治療法もなく生活習慣を見直したり降圧剤を服用するしかない。
そんなわけで今日も血圧の薬を増やしてもらった。
「生活習慣」は聞いただけで頭が痛くなる。
喫煙、飲酒、肥満。どれも私に当てはまることだ。
医師は私が昨年禁煙したとばかり思っている。
今更どうして本当のことが言えようか。
後ろめたい気持ちもあったが再び禁煙に臨むことはもう出来ない。
吸いたいだけ吸い、飲みたいだけ飲み、食べたいだけ食べる。
それはもしかしたら自殺行為に等しいのかもしれない。
整形外科ではリハビリに臨む。若い理学療法士さんの優しい手。
なんとも心地よく痛みがほぐれて行くのを感じた。
今日はリハビリ計画書にサインをし毎週木曜日に行うことに決まる。
どんなに仕事が忙しくてもこれだけはと思った。
すっかり帰りが遅くなりサニーマートであたふたする。
もう5時だったので半額品を狙っていたが残念ながら空振りであった。
仕方なく鮮魚売り場で「べいけん」と云う煮魚を買った。
一瞬べんけい?と思う。県外では「角あじ」とも呼ばれているそうだ。
白身の魚で少し癖があるが生姜と甘辛く煮付けたら美味しい。
孫達には焼くだけのハンバーグを。これは2割引きだった。
我が家はいつも和風の煮込みハンバーグにする。
娘がフライパンで手際よく作ってくれて助かった。
今夜はめいちゃんのダンス教室があってまだ帰宅していない。
あやちゃんは娘達と食べるらしく部屋に閉じ籠っている。
そんな時は決して声を掛けてはいけないことになっている。
昼間、保健室の先生が訪ねて来てくれたのだそうだ。
夫が応対してあやちゃんを呼んだら玄関まで下りて来て
しばらく先生と話していたと聞きほっとした。
どんな話をしていたのかは定かではないが心がほぐれたことだろう。
誰が何を言っても頑なに貫こうとしている気がする。
あやちゃんは決して弱虫ではない。とてもとても強い子だと思う。
曇りのち晴れ。午前中にはにわか雨が降っていた。
被災地には大雨警報が出ていて救援活動に支障があったのでは。
甚大な被害にただただ心を痛めるばかりで何も出来ずにいる。
仕事で村のバスセンターへ行ったら近くの畑に菜の花が咲いていた。
それはとても思いがけずなんとほっとしたことだろうか。
まだまだ寒中だけれどそこだけ春のように見えた。
写真を撮りたかったがその畑まで歩く自信がない。
日に日に足の痛みが増しているようだ。
情けない気持ちと悔しい気持ち。負けるもんかと思う気持ち。

今日は結婚記念日だった。もう45年も経ったらしい。
夫が「あと5年だな」と言ってくれたがその後で
「生きていればな」と言ったので一気に心細くなる。
「そんなこと言わんとってや、一緒にがんばろう」と告げた。
金婚式なんて夢のようだ。だからこそ何としてもその日を迎えたい。
死ぬかもしれないと生きたくてたまらないが渦巻いている。
もう十分に生きたとはどうしても思えないのだ。
人にはそれぞれ「定命」があるらしい。
それは生まれた時からもう決まっているのだそうだ。
だからどんなに願ってもそれを変えることは出来ない。
幼くして亡くなる子もいれば長寿を全うして亡くなる人もいる。
それを運命だと捉えるほど人は強くはないのだと思う。
この45年を思い起こす。山あり谷ありだったが
お互いを労わりつつ暮らして来たのかもしれない。
私は決して良妻ではなかったので夫の苦労は人並みではなかっただろう。
何度赦されたことか。夫には感謝しかなかった。
だからこそ定命が尽きるまで恩返しをしたいと思っている。

義父にへと近所の人がお肉をたくさん届けてくれた。
牛肉、豚肉、鶏肉と一人ではとても食べ切れないほど。
義父は鶏肉が苦手などで私が頂き、豚肉も分けてもらった。
メインのお肉があったので食費がずいぶんと助かる。
鶏肉はチキンカツに豚肉は生姜焼きにした。
後はほうれん草の白和え、長芋の短冊、チンするだけの焼売。
めいちゃんは長芋の短冊が大好物でポン酢醬油をたっぷりと掛ける。
あまりにも掛け過ぎるので止めたら泣き出してしまった。
あやちゃんはチキンカツが好きなので美味しそうに食べてくれる。
今夜は殆どしゃべらなかったが情緒は安定しているようだった。
顔色も良い。それが何よりに思う。
義父は牛肉で「すき焼き」を作ると言っていたが
独りで食べるのも寂しいものだろう。
母が元気だった頃は昼食に作っていたこともあった。
けれども母と一緒に食べたことは殆どなかったように思う。
義父は憶えているだろうか。寂しかったあの頃の母のことを。
山里では氷点下の朝。やはり平野部より気温が低い。
職場の周りの田んぼも霜で真っ白になっていた。
被災地の雪は止んだようだが冷たい雨だったようだ。
昨日は3百人を超えていた安否不明者がかなり減っていたけれど
それだけ亡くなられた方が増えたと云うことなのだ。
「どんな形でもいい、見つかって欲しい」と高齢の女性が訴えていた。
報道を見るたびに心が痛む。被災地はまるで地獄のようである。
SNSでは「負けません、頑張ります」と若者の声。
今は希望など無いかもしれないけれど立ち向かって行く勇気はある。
そんな被災者に寄り添う気持ちを忘れてはいけないと思う。

仕事始めの日から5日ぶりの仕事だった。
いったい何から手を付けたら良いのかパニックになりそうな忙しさ。
お弁当を食べる時間はあったがお昼休みは取れなかった。
あらあらという間に時計は3時になっている。
残り仕事を机の上に置いたままタイムカードを押した。
晩ご飯は何にしよう。直ぐには思い浮かばない。
サニーマートへ行ってから考えることにした。
そう云えば冷蔵庫の野菜室に大根が半分残っていたっけ。
鰤大根にしようと鮮魚売り場へ行ったが残念ながら鰤が無かった。
じゃあ豚バラ大根にしようと精肉売り場へ行って豚バラ肉を買う。
厚切りの豚バラ肉があまりにも高かったので薄切りにした。
後は半額の鯵の干物。これも半額の有頭海老。マカロニサラダ。
海老は塩茹でにしたらあやちゃんが喜んで食べてくれた。
それから昨夜のカレーも残っていて皆で少しずつ食べる。
あやちゃんのテンションが高くて終始笑顔を絶やさない。
情緒が安定しているのだろう。それは何よりのことだった。
めいちゃんは気を遣っているようで学校の話を一切しなかった。
子供心に我慢をしているように感じてそれも可哀想に思う。
久しぶりに先生や友達に会えてどんなにか嬉しかったことだろう。
それでもまあるく収まっている。波風を立てないようにと
家族皆がそれぞれを思い遣っているのだと思った。
明日のことを考えるとこころが「あした」になるのだそうだ。
これは誰の言葉でもない私の言葉である。
今朝は寒中らしい冷え込みだった。
ほぼ氷点下ではなかっただろうか。
けれども被災地の雪を思うと些細なことである。
救助作業も並大抵のことではない。
まだ安否不明者が大勢おりただただ力を尽くすのみだ。
家族10人を生き埋めで亡くされた男性に報道陣がマイクを向ける。
男性は嗚咽しながら叫んでいた。「なんでこんなことに」
けれども最後に「俺は生きます」と力強い声が聞こえた。
失った現実は変えられない。遺族は「これから」を考えようとしている。

今日も娘が仕事だったのでめいちゃんとサニーマートへ行く。
店内の百円ショップが10時の開店なのでその時間に合わせた。
首からお財布をぶら下げためいちゃんがまっしぐらに駆けて行く。
お昼はほか弁。夜はカレーと決めていたので今日の買物は楽ちん。
セルフレジで精算を済ませたらめいちゃんが笑顔で戻って来た。
なんと880円も買物をしたようだ。ぬいぐるみのような帽子も。
それは440円だったらしい。以前から欲しかったのだそうだ。
車の中で早速被って見せてくれたが子犬のように可愛いかった。
帰宅してから一緒にちーちゃんの家を訪ねる。
お饅頭は日持ちがしないのでカントリーマアムをお供えした。
遺影に向かってきちんと正座し小さな手を合わせる。
ちーちゃんの奥さん「なっちゃん」がとても喜んでくれた。
めいちゃんはお葬式の時に渡した手紙のことを気にしていて
「ちーちゃんは読んでくれたろうか」と。
なっちゃんは手紙のことを知っていたので「ちゃんと読んだよ」と
それがよほど嬉しかったのだろう。ほっとしたように微笑んでいた。
初七日は明日だが学校が始まるので今日にして良かったと思う。
宿題の作文には「おそうしき」の事を書いたのだそうだ。
ちーちゃんの家の庭には猫が5匹くらい集まって遊んでいた。
すべて野良猫だそうだがもう何年も居着いているらしい。
ちーちゃんが可愛がっていたと聞きその優しさを感じずにいられない。
夕飯は予定通りにカレー。甘口と辛口をふたつのお鍋で作る。
あやちゃんがお代わりをしてくれて嬉しかった。
機嫌も良くにこにこと美味しそうに食べてくれる。
明日から新学期なので気が重くなっているのではと心配していた。
でもなんだか吹っ切れているように感じる。
もう「行かない」と決めているのだろう。
それはあやちゃん自身が決めることで周りが決めることではない。
その意思を尊重し受け止めてやらなければと思う。
長い長いトンネルの中だ。でも決して暗くなどなかった。
あやちゃんはてくてくと歩いている。それは真っ直ぐな道である。
出口のないトンネルなど無いのだ。みんながそう信じている。
冬型の気圧配置となり真冬並みの寒さとなる。
晴れたり曇ったりで時雨が降る時間帯もあった。
被災地はやはり雪とのこと。
避難所で身を寄せ合っている人達の心痛を察する。
SNSを見ていたら「罪悪感を感じる必要はない」と
発信している方が居て考えさせられた。
与えられた場所で与えられた日常を大切に過ごすべきなのだろう。
しかし明日は我が身であることを決して忘れてはならないと思う。
寒空に健気に咲く桜草が今日は5輪になっていた。
まだまだ沢山の花芽が見えていてほっこりと心が和む。
お隣の奥さんに報告したら「まあ、それは良かった」と笑顔が返って来る。
お隣のブロック塀の上にも桜草が次々に咲いていた。

娘が仕事だったので朝のうちにめいちゃんとサニーマートへ。
「お昼は何を食べようかね?」「お好み焼き!」の声が弾む。
キャベツは冷蔵庫にあるので粉と豚バラ肉を買った。
「晩ごはんは何をたべようかね?」「う〜ん、わからん」と悩んでいる。
そこで閃いたのは我が家の定番「天下茶屋」であった。
お昼にホットプレートを使うのでそのまま夜まで置いておけば良い。
牛肉、もやし、ニラを買う。ウィンナーは確か冷蔵庫にあった。
今日は七草の日であったが七草セットの高いこと。
毎年のことだけれど作っても誰も食べたがらないので止めることに。
めいちゃんが「ななくさってなに?」と訊くので簡単に説明をした。
「みんなが病気にならないように」それで合っているだろうか。
買物を終えると荷物をせっせと車に運んでくれる。
めいちゃんは力持ちだ。そうしてとても優しい子。
帰り道にちーちゃんの家の前を通って遺骨の話になった。
「おうちにおるの?」「そうよ小さな箱の中におるの」
私は今日が初七日だとばかり思っていたのだけれど
3日に亡くなったのだから9日が初七日だった。
「おい、まだちいと早いぞ」とちーちゃんの声が聞こえる。
めいちゃんとお線香を上げに行きたかったが日を改めることにした。
夕食時、テレビから津波の被害に遭った能登町からの映像が流れる。
小学2年生の女の子が津波にのみ込まれおじいちゃんが助けたそうだ。
その映像を見ていたあやちゃんがとても心配そうな顔をして
「助かったの?ああ、良かった」とほっとしたように微笑んだのだった。
決して無関心ではないのだ。悲しく辛い思いをしている人達が大勢いる。
そんな被災地の人達に寄り添う気持ちが確かにあるのだと思う。
もしかしたら自分の葛藤や悩みなど些細なことだと気づくかもしれない。
冬休みも残り一日となった。学校はそれほどまでに遠い場所だろうか。
曇りのち晴れ。気温は高めだったが肌寒さを感じる。
明日は冬型の気圧配置になり真冬の寒さになりそうだ。
能登の被災地では冷たい雨が雪に変わるとのこと。
天は何処まで仕打ちを続けるのだろうと心が痛んでならない。
日常のことを当たり前のように思って過ごしている。
三度の食事。トイレ。お風呂。暖かな布団で寝る。
それがどれほど恵まれているかを思い知らずにはいられなかった。
自分達が恵まれていることを決して忘れてはならない。
東日本大震災の時に何も書くことが出来なくなった私に
当時の友人であったRが言ってくれた言葉を思い出している。
「普通にしていればいい」その一言にどれほど救われたことだろう。
けれども今回はその「普通」が心苦しくてならない。
悲しみのどん底にいる人達にいったい自分は何が出来るのか。
少しでも痛みに寄り添うような言葉を綴りたいと大それたことを思う。

昨日の告別式を終えてからちーちゃんの顔が目に浮かび続けている。
それが供養になるのならと思うがなんとも寂しくてならない。
残されたご家族はもっと寂しい思いをしていることだろう。
明日はもう初七日。訪ねて行ってお線香を上げさせてもらおうと思う。
お昼に息子とけい君がやって来た。
息子は準夜勤で帰宅が遅くなるのだそうだ。
その時間までけい君を我が家で預かることになった。
いつもは離婚したお嫁さんが一緒に居てくれているようだ。
「通い婚」のようなカタチだが息子達が決めたことである。
けい君もお母さんに会えるので喜んでいるらしい。
お嫁さんの実家のお母さんがインフルエンザで寝込んでいるとのこと。
お嫁さんも風邪気味らしく今夜は来られなくなったそうだ。
けい君を預かるのはもう慣れているつもりであったが
やはり娘婿の顔色を窺ってしまう。義理とは云え甥っ子には違いないが
明らかに不機嫌な時があり気を遣わずにはいられなかった。
めいちゃんの友達が遊びに来ても何も言わないのに
どうしてけい君を嫌がるのか理由は定かではない。
午後はあやちゃんの部屋で過ごしていた。
一緒に遊ぶと云うよりお互いがタブレット三昧である。
けれども誰とも会いたがらないあやちゃんがけい君を受け入れてくれる。
傍に居ることを許してくれるのは微笑ましいことだった。
それは娘もおどろいている。「けい君なら」と皆が思っているのだ。
夕食は鶏のチューリップを5本も平らげる。
それから鰹のお刺身も残さずに食べてくれた。
お風呂は帰宅してから息子と入るのだそうだ。
あやちゃんの部屋に行きたがっていたがさすがに夜はと制止した。
茶の間はネット環境がイマイチでひたすら我慢するしかない。
息子の仕事が終わるまで宥めつつ一緒に待とうと思っている。
夫が「先に寝ろや」と言ってくれているがそうはいかないだろう。
息子の帰りを待つなんて何年ぶりだろう。
深夜まで待っていて怒られたことも今では懐かしい思い出となった。
陽射しをいっぱいに浴びて川面がきらきらと輝いていた。
「佳き日」と云ってしまうと不謹慎でもあるが
そうとしか云いようのないほど穏やかな晴天となる。
午後一時より告別式。めいちゃんは朝から喪服を着ていた。
午前中はちーちゃんに手紙を書いていたようだ。
読ませてもらったがとても丁寧な字で
「大好きなちーちゃん、空からみまもっていてね」
「べんきょうもダンスもがんばるからみまもっていてね」と
思わず目頭が熱くなるような微笑ましい手紙であった。
私がお棺に入れてあげようねと言ったら夫が凄い剣幕で怒る。
そんな余計なことをするなと言うのだった。
それにはさすがの私も反論せずにはいられなかった。
いったい何が余計なことなのだろう。
めいちゃんが心を込めて書いた手紙の何がいけないのだろうか。
恐らく夫は他の人がしないことをするなと言いたかったのかもしれない。
目立つことをとても嫌がる性格は昔から変わっていなかった。
だからと云って子供の心を傷つけるようなことを言うのは許せない。
実は私も昨日の朝書いた詩をプリントアウトしていた。
川漁師だったちーちゃんのことを書いた詩だった。
その詩とめいちゃんの手紙を封筒に入れこっそりと持って行く。
出棺前の最後のお別れの時に夫に見つからないようにお棺に入れた。
それは沢山の生花に埋もれすぐに見えなくなる。
でもちーちゃんはきっと受け止めてくれたのに違いない。
めいちゃんのほっとしたような顔。私もとてもほっとした。
詩も手紙も焼かれてしまうけれど「カタチ」ではないのだと思う。
灰になっても「こころ」は永遠に残り続けることだろう。
霊柩車がクラクションを鳴らして火葬場へと行った。
「めいも行きたかった」と今にも泣きだしそうな顔をする。
小さな手をぎゅっと握りしめたらぎゅっと握り返して来た。
子供心に死を受け止めていることを感じる。
大好きなちーちゃんにもう会えなくなった。
ちーちゃんは何処に行ってしまうのだろうと。
帰り道に見た四万十川のなんと清らかな流れだったことか。
川と共に生き抜いたちーちゃんの人生を想う。
川を見るたびに思い出すことだろう。あの満面の笑顔を。
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