今日も真冬とは思えない暖かさとなる。
やはり暖冬なのだろうか。元旦も暖かくなるらしい。
今朝は庭先に出るなり桜草が咲いていて嬉しかった。
まだ一輪だが花芽がいくつか見えている。
そのうち満開になるだろう。なんと楽しみなことである。
小晦日となり過ぎ去ったこの一年を思い起こすべきなのだが
秋に母を亡くしてから遠い昔の事ばかり思い出している。
父と母と弟が居て平和だった子供の頃だったり
母に捨てられた13歳の冬の事だっり
そうして悔恨ばかりの青春時代の事だったりする。
私は沢山の人を傷つけずっと生き永らえて来たのだ。
過ぎ去った事は忘れようとどれほど思ったことだろう。
けれどもそんな時代が無ければ今の私は存在しないことになる。
何が良くて何が悪いのか決められないまま新しい年を迎えるしかない。
向かう先には「死」が待ち受けている。
それは誰にも変えられない宿命のようなものである。
だからと云って生きることを諦めてはいけないのだ。
一日一日を頂き物だと思って感謝しながら過ごしていかなければ。
そうでなければ今まで生きて来た甲斐が無いも同然だった。
あとどれくらいだろうといつも思う。
それを知らないことはある意味幸せなことなのかもしれない。

大掃除どころか小掃除もせずに寝てばかりいた。
「何もせんでも新年は来るぞ」夫の言葉のなんと有難いことだろう。
今年は喪中なので余計に気が抜けてしまっているようだ。
午前中はカーブスへ。これも行き渋っていたら
「最後じゃないか行ってこい」と夫が声を掛けてくれた。
おかげで薄っすらと心地よい汗を流すことが出来る。
人並みに出来ることは何もない。それでも私はまだ諦めていない。
カーブスを終えてからほか弁を買いに行く。
今日は娘達の分も私のおごりである。「やったあ」と喜ぶ娘。
ボーナスを貰ったおかげでお財布には「福の神様」が宿っている。
夕飯は娘達がお婿さんの実家へ行くと云うので簡単手抜き。
昨夜の猪が残っていたので近所の魚屋で鰹のタタキを買って来た。
それから残りご飯で「すし太郎」のちらし寿司にする。
二人きりだと本当に楽だ。いつかはまたこんな日が来るのだろうか。
ぽつぽつと雨だれの音が聴こえ始めた。
まるで春先のような優しい雨である。
月は雨雲に隠されているが少し欠けているのだろう。
「欠ける」ことは痛くはないか。辛くはないかと思うけれど
月はただ地球の影に隠されているだけである。

今年最後の日記になりました。
この一年私のつまらない日々にお付き合い下さり有難うございました。
読んで下さる皆様のおかげで書き続けること出来たのだと思います。
これからもこの場所がある限り書き続けたいと思っています。
喪中のため新年のご挨拶は控えさせて頂きますが
どうか穏やかな新年をお迎え下さい。
真冬とは思えない程の暖かさとなる。
冬枯れた野に蝶々が舞っているのを見た。
花は何処にも見当たらず緑の草さえ在りはしない。
蝶々はなんだか戸惑っているようだった。
そう長くはない命だろうと知っているのに違いない。
予定通りの仕事納め。午前中は残り仕事、午後から掃除をした。
そうして手元に置いてあった現金でボーナスの段取りをする。
とは云えほんの寸志で雀の涙ほどであるが
この一年頑張ってくれた同僚と義父を労ってやりたかった。
義父は昨年同様に「俺は要らんぞ」と手を横に振るばかり。
それでも押し付けるように渡したら内心は喜んでいるようだった。
私が資金繰りに頭を痛めていることを知っているからだろう。
経理は全て私に任せているのが心苦しいのかもしれない。
私は昨夜も書いたがやれるだけのことをやったのだと思う。
その達成感は半端ではなかった。我ながら見事だと言いたい程だ。
いつも自分が試されているように感じていた。
諦めてはいけない。きっと何とかなると信じていた甲斐がある。
不安を数えていたらきりがない。それよりも希望を捨てないことだ。

3時には終えられ帰路に着く。
「来年も頑張ろうね」と義父達に声を掛けて職場を後にした。
サニーマートは今日も大混雑であたふたとするばかり。
とりあえず味付け数の子を買う。娘の大好物なのだ。
今日は職場でお客さんから猪の肉を貰っていた。
それからチキン館の「まるっぽ鶏」も。
それは大助かりで特に買う物も無いような気がしたが
お肉ばかりではと思ってサニーレタスとトマトを買った。
孫達の好物で和風ドレッシングを掛けて兎のように食べる。
猪は大根と一緒に圧力鍋で煮たらとろとろの柔らかさである。
夫と娘婿が大喜びする。めいちゃんも初めての猪であった。
あやちゃんは猪と聞いただけで怖いのだそうだ。
それも頷ける話で食べたら猪に襲われるかもしれない。
娘婿が鯵を釣って来ていたので塩焼きとお刺身にする。
娘は鯵を捌くのが初めてのようで大奮闘していた。
娘婿がお刺身を作ったら中骨に身が沢山残っていて大笑いする。
なんだかんだで結構豪華な夕食となった。
嬉しかったのは別々ではなく皆が一緒に食べられたことだ。
なんだかお盆とお正月が一緒に来たような気がする。
今年もあと二日となった。この一年のなんと早かったことだろう。
なんだか追い詰められているような気もするが
確かなのは生きていることなのだと思う。
不安が少しずつ薄れているのを感じる。
まだまだ「お終い」にするわけにはいかない。
風もなく穏やかな冬晴れ。空から光の天使たちが舞い降りて来る。
それが自分に相応しいのか知る由もないが
老いたこの身に何かが沁み込むような気がしたのだった。
もしかしたら新鮮になれるのかもしれない。
そうして命が長らえるのかもしれないと思う。
実はあまりにも順調すぎて怖くなってしまった。
今夜だろうか明日だろうか死んでしまうような気がしてならない。
ひしひしと押し寄せて来る得体の知れないモノから逃げなければ。
コロサレテシマウ。それだけはなんとしても避けたい。
明日になれば奇跡のように朝がやって来るのだろうか。

今日も3時過ぎまで仕事。なんとなく大きな山を越えたようだ。
このまま何事もなければ明日は無事に仕事納めが出来そうである。
私は自分に百点満点をやりたいと思っている。
我ながら本当によくやったと思うのだ。
しかしそれも同僚や義父の助けがあってこそのことで
感謝の気持ちを決して忘れてはいけない。
いつものようにサニーマートへ。
今日から大晦日までポイントが10倍だとかで大混雑していた。
娘が昆布巻きを食べたがっているのでそれだけは作ろうと思い
早煮昆布、かんぴょう、牛蒡を買っておくことにした。
後は夕食の材料。「豚肉の生姜焼き」にしようと精肉売り場へ行ったら
いつも売っているカナダ産がなく国産のお高い豚ロースばかり。
仕方なく2パック買ったがそれだけで千円を超す。
2パックでは4人分がやっとだろう。夫には3割引きの「こてっちゃん」を
それから鮮魚売り場でお刺身用の鰹を買った。
片身で千円。これは安い方だと思う。近海の土佐清水産で新鮮。
めじかの生節が半額。これは夫が好きなのでとりあえず買っておく。
野菜ではないけれど野菜売り場でいつも安いエリンギを買う。
これはオイスターソースで炒めることにした。
それから冷凍の枝豆。これは「枝豆ペペロンチーノ」にする。
帰宅したら娘がまだ帰っていなかった。
大量の洗濯物を畳まねばならず疲れがどっと押し寄せて来る。
夫が畳んでくれていたらどれほど助かることだろうか。
やがて娘が帰宅し二人肩を並べて夕食を作った。
今夜はめいちゃんのダンス教室があるので食べないまま出掛けて行く。
娘婿も帰って来ない。あやちゃんも部屋に閉じ持っている。
ひっそりと静かな夜だがそろそろ帰って来る頃である。
そうしたら一気に賑やかになることだろう。
今夜も既に眠くてたまらない。
自分が何を書いているのか分からなくなってしまった。
このまま死んだら最悪である。
明日の朝は何を書いたのか確かめてみなければいけない。
日中は陽射しが降り注ぎぽかぽかと暖かくなる。
仕事の手を止めた同僚が誰かと話していて
いったい誰と話しているのだろうと不思議に思っていたら
庭の陽だまりでみい太が日向ぼっこをしていたのだった。
忙しさに荒れてしまいそうな心がほっこりと癒される。
たかが猫ではない。みい太はれっきとした仲間であった。
しかし猫の手も借りたい忙しさであっても手を貸さない。
まるで監督のような顔をして工場の中を見張っているのである。

今日も3時過ぎまで仕事。お昼に休めなかったのでぐったりとしていた。
もう今年のゴールが目前に見えている。もうひと踏ん張りだと思う。
月末の支払いをすべて終えたがまだ資金に余裕があった。
机の前に母の写真を貼ってあり「どんなもんだい」と胸を張る。
母はいつも笑っているが内心は気が気ではなかっただろう。
ずっと見守りながらはらはらしていたのではないだろうか。
サニーマートへ行ったらもうすっかりお正月モードである。
今年は喪中なので鏡餅もしめ縄も必要ないが
ついつい目が行ってしまうのは不思議なものだ。
喪中でもお雑煮くらいは食べても良いのだろうかと気になる。
鮮魚売り場の蟹には目もくれず鯖を二匹買った。8百円の安さ。
店員さんに三枚に卸して貰ったが何を作るかは決めていない。
帰宅して娘に相談したら「鯖の南蛮漬け」になった。
後は孫達に「ジャーマンポテト」「ちく胡」も作る。
メインは「塩焼きそば」買い置きのキャベツを始末するためだった。
今夜はあやちゃんの機嫌がとても良くて嬉しくてならない。
普段は食べない鯖も「食べてみようかな」と言ってくれた。
そうしていつもはすぐに二階に上がってしまうのを
今夜は最後まで食卓に残っていてくれたのだった。
ついつい顔色を窺うのが癖になってしまって
目が合わないように気をつけながらちらちらと見てしまうのだった。
気のせいかもしれないけれど少し痩せたように思う。
髪も随分と長くなったが美容院には行きたくないそうだ。
青白い顔は仕方ないと思う。ずっと家の中に居るのだもの。
今は冬休みだから学校の心配をしなくてもいい。
少しでも気楽にのほほんと過ごせることを願って止まない。
連日氷点下の朝が続いている。
いちばん辛いのはまだ薄暗いうちに洗濯物を干すこと。
平日にはそれが当たり前のことで私の役目である。
6人分の洗濯物のそれは重いこと。庭に運び出すのも一苦労だった。
杖を付きながら片手で干すことは出来ないので
痛む左足をひこずるようにして干さなければいけない。
けれども干し終えるとなんだか嬉しくなるのだった。
主婦冥利に尽きるとはきっとこんなことを云うのだろう。
冬至を過ぎたので少しずつ日が長くなるはずである。
そのうち朝陽を浴びながら干せる日も来るだろう。

仕事は相変わらず怒涛の忙しさだった。
今日は今年最後の車検予約の車が入庫した。
不具合さえ見つからなければ明日は納車出来そうである。
資金繰りも今のところ順調でなんとか年を越えられそうだ。
それが一番の難関だったのでほっと肩の荷が下りたような気がする。
昨年ほどの奮発は出来そうにないが寸志は支給出来ると思う。
同僚にはもちろんこと。私も義父も会社から頂くことにしよう。
3時過ぎまで仕事。今日も遅くなってしまった。
いつものようにサニーマートへ寄り夕食の献立を考える。
今日はもやしが特売だった。家族には不評だが「もやし炒め」にする。
雑魚天と炒めるのでいかにも貧乏くさい料理となる。
後は茄子と海老の天婦羅。期待していたが海老は半額ではなかった。
その代わり加熱用の牡蠣が半額。ぷりぷりとした大きな牡蠣だった。
これはバター焼きにしてポン酢醤油で食べることにする。
あやちゃんとめいちゃんは海老天で「天むす」これが大好物である。
沢山炊いていたご飯が空っぽになってしまった。
残念ながら時間差で美味しい顔は見ることが出来なかったが
食べ終えて二階に上がるあやちゃんとすれ違った。
「美味しかったかね?」と訊くと「うん」と一言。
その一言だけで私はほっと嬉しくなるのだった。
家族ではないのかもしれないけれど
毎日家族のために献立を考えている。
それが私の役目でなくてなんだろうと思う。
日中の暖かさをそのままに過ごしやすい夜になった。
もう眠くなってしまってとろりとろりとこれを記す。
最高気温が10℃に届かず風が冷たい一日だった。
なんだか陽射しがよそ見をしているように感じる。
真っ直ぐに見て欲しくて空をみあげるばかり。
毎朝みい太に会いに来てくれるお客さんがいて
今朝は私にと金柑をたくさん持って来てくれた。
庭に金柑を植えているのだけれど誰も食べないのだそうだ。
以前に私が好きだと言っていたのを憶えていてくれたらしい。
早速一粒口にいれてみた。甘くて美味しい懐かしい味がした。
我が家にも畑の隅に金柑を植えていたのだけれど
ここ数年なぜか実が成らなくなり残念でならない。
亡き姑さんの好物で冬になるとよく甘露煮を作ってくれた。
大きなお鍋をストーブの火でことことと煮詰めるのだ。
嫁いだ頃それが懐かしくてならなかったのは
祖母だろうか母だろうか幼い頃から慣れ親しんだ味だったからだろう。
姑さんにはあまり良い思い出がないけれど
金柑の甘露煮がとても美味しかったことは忘れられない。

仕事は年末に向けてラストスパートとなり怒涛の忙しさであった。
それでもなんとか3時で終わらせてもらい家路を急ぐ。
サニーマートは混雑しており駐車場もほぼ満車状態だった。
例の専用スペースにも停めることが出来ず仕方なくまた違反。
黄色い斜線を引いてある安全地帯らしき場所に停めた。
駐車禁止とは書いていないが停めてはいけない場所なのだろう。
店の入り口に向かいながら専用スペースに停めてある車を見ると
8台中5台が許可証を提示していないので呆れてしまう。
なんだかとても不愉快な気分になってお店に通報しようかと思ったが
そんなクレーマーになるような勇気もないのだった。
それよりも夕飯の献立である。昨夜は焼き肉だったので今日はお魚。
鮮魚売り場へ行くと寒グレが沢山並んでおり一番大きいのを買う。
店員さんにお願いすると鱗とはらわたを取り除いてくれて助かる。
「グレとお豆腐の煮付け」「ほうれん草の卵とじ」「チキンナゲット」
お刺身は「ひょう鯛」が思いがけずに安かった。
帰宅すると娘が鶏ミンチを買ってきており「鶏そぼろ」も加わる。
いつものように夫と先に食べ終えると娘達の番だった。
あやちゃんが鶏そぼろご飯にしてニコニコしながら食べている。
父親と談笑しており満面の笑顔を見るのも久しぶりのこと。
ああ平和だなと思った。ずっとずっとこの平和が続きますように。
| 2023年12月24日(日) |
家族のようで家族ではない |
朝のうちは晴れていたが日中は曇り空となる。
小春日を期待していても思うようにはいかないものだ。
洗濯物も乾ききっておらず乾燥機のお世話になった。
早起きをしためいちゃんの嬉しそうな声。
慌てんぼうのサンタさんが枕元にプレゼントを置いてくれていたようだ。
きっと真っ先に届けてくれたのに違いない。
サンタさんを信じている純真な心がとても微笑ましく感じる。
大掃除どころか小掃除もせずに朝からごろごろと寝てばかり。
お風呂の椅子と洗面器が酷く汚れていて気になっていたが
夫が「買えばいいじゃないか」と言ってくれて渡りに船だった。
早速ホームセンターへ行き真っ白な椅子と洗面器を買う。
その足で商店街のお肉屋さんに行って牛ハラミを1,2キロ買った。
歳末大売出しだそうでガラガラ抽選のクーポンを一枚もらう。
特等が3万円と聞きすっかり当たった気分になっていた。
抽選会場へ行くと小学3年生くらいの男の子が母親と来ていて
なんと21回もガラガラを回せるのだそうだ。
「がんばれ」と母親の声に男の子は真剣な顔をしてガラガラを回した。
そうしたら何と云うことでしょう。1等、3等、4等と当たり
その度に太鼓の音が鳴り響くのであった。
周りに居た大人たちも歓声をあげている。男の子の得意そうな顔。
さあ次は私だ。たった一回でも諦めてはいけないと思う。
しかし「ころりん」と出て来た玉は真っ白けの外れ玉だった。
飴玉一個をもらいなんだか酷く恥ずかしくてならない。
殆どの大人は欲深いのだ。その点子供はあくまでも純真である。

夕食は焼き肉。新しいホットプレートの使い初めでもあった。
イブの夜だものてっきり焼き肉パーティーだと思い込んでいたが
そうは問屋が卸さず夫と二人きりでひっそりと焼いて食べた。
ハラミは沢山買って来ていたが娘達に残しておかなければいけない。
それなのに夫の食べること。どんどん減って行くのではらはらした。
「今夜くらい一緒に食えばええがじゃ」と夫の言う通りだと思う。
あやちゃんが二階から下りて来ても娘達が居なかったので
「後から食べるけん」と言ってまた二階に戻ってしまった。
私と夫はしんみりとするばかりである。
娘の一存だとは思えなかった。もちろん孫達もである。
おそらく娘婿が嫌がっているのだろうと思うとやるせなかった。
それでも特別な日があっても良いのではないかと思うのだ。
家族のようで家族ではない。それを証明するような夜になってしまう。
「そんなに嫌ならさっさと出て行けばええがじゃ」と夫は言うが
面と向かってそんなことがどうして言えようか。
私は何があってもまあるく納めて行きたいと思っている。
学校へ行っていないあやちゃんが昼間独りぼっちになってしまうのだ。
それだけは避けたいと思う。あまりにも可哀想でならない。
娘達が何を考えているのか知る由もないが
近い将来であっても未来であっても愛しい家族に他ならない。
|