| 2023年12月08日(金) |
お好きなようになさって下さい |
山里は一面の霜。いちだんと冷え込んだ朝だった。
日中は予報通りの小春日和となり陽射しが降り注ぐ。
午後は事務所のエアコンを切り窓を開けて仕事をしていた。
真冬だと云うのにこの暖かさ。やはり異常気象なのだろうか。
明日はもっと気温が上がり季節外れの暖かさになるそうだ。
詩は毎朝それなりに書けているが夕暮れ時の短歌はいまいちである。
それでもなるべく3首書くようにしている。
ふっと思い出したのは高校時代に短歌を書いていたこと。
今のようにネットが普及しておらず発表する機会もなかった。
詩のノートの片隅にそっと書き残していた記憶がある。
そのノートは今も手元にあるのだが押し入れに突っ込んだまま
もう取り出して見ることもなくなってしまった。
どんな短歌を書いていたのだろう。近いうちに見てみようと思っている。
出来れば50年前の短歌としてSNSで発信してみたい。
詩や短歌を半世紀にもわたり書き続けて来たけれど
それは決して自慢するようなことではないのだと思う。
けれども私は私を誇りに思っている。
そうでなければあまりにも惨めでならなかった。

仕事が忙しく残業となり帰宅が遅くなってしまった。
夕飯のメニューを考える余裕もなく出来ているお惣菜を買う。
どれも美味しそうだがお値段の高いのには驚く。
「チキン南蛮のタルタルソース掛け」が2パックで9百円なり。
「茄子の挟み揚げ」は350円、6個入りだったので1パック買う。
「鯵フライ」は120円と安かったが揚げ過ぎているようだった。
たくさん買っても残るだろうと思い2匹分だけ買った。
出来合いばかりではブーイングがあるかもしれないと思い
精肉売り場で牛肉のタレ漬けを2パック買う。三割引きだった。
これはフライパンで炒めるだけなので超簡単である。
どれも脂っこい物ばかりなので買い置きのトマトで中華風サラダを作る。
輪切りにしたトマトに中華風のドレッシングを掛けるだけだ。
市販の物ではなくポン酢醬油にお砂糖とごま油を混ぜて作る。
娘は子供の頃からトマトが苦手だったがこれだけは食べられるのだ。
それなりに豪華に見える夕食ではあったが
孫達の食べる物が無いと言って娘がフライドポテトを揚げた。
それからウィンナーも炒めていた。お好きなようになさって下さい。
今週はハードだったので疲れが出たのだろうか。
今夜はかったるくてすでに眠くなっている。
焼酎も程々にしたほうが良さそうだ。
ぐっすりと眠れば朝が来るのだろうか。
最近寝る前にそんな不安がよく襲って来る。
眠ったまま死んでしまうかもしれない。
いやそれはないない。きっと奇跡のように朝がやって来るだろう。
二十四節気の「大雪」もう真冬と云っても良いだろう。
今年は暖冬だと云われているがこれまで雪の積もらない冬などなかった。
明日の朝はまたぐんと冷え込むそうだ。覚悟しておかなければいけない。
今朝も夜明け前に詩を書いたが、思いがけないコメントを頂く。
私の詩に毎朝励まされていると言ってくれたひとがいた。
それはあり得ないと思った。そんなはずはないだろうと。
いつも暗い詩になりがちで明るい詩が書けずにいる。
書こうと思って書いているのではないので書けてしまうのだ。
大げさな表現にすれば「たましいの詩」ではないだろうか。
そこには大切な「いのち」が宿っている。
もしかしたらそのひとは私とよく似たひとなのかもしれない。
何か通じ合うところがありこころを動かしてくれるのだろう。
私にとっては身に余ることであるが素直に喜んで良いものか。
こんな私のことである。いつ裏切ってしまうか分からない。
在りのままであることは時にはひとを傷つけてしまうことがある。

今日は整形外科の受診日だった。2時半の予約だったので
少し早めに仕事を終わらせてもらい駆け付ける。
医師が股関節の痛みだけではないかもしれないと言って
腰から下の下半身のレントゲンを撮った。
他にも悪いところがあったらどうしようと不安でならなかったが
幸いなことに腰にも膝にも異常がなくほっと胸を撫で下ろしていた。
しかし足の一部にわずかな動脈硬化が見られると聞き愕然とする。
思わず「死にますか?」と医師に問うていた。
医師は笑い飛ばしてくれたが内科の医師に相談するようにと言われた。
内科の医師には今まで一度も言われたとの無い動脈硬化である。
整形外科の医師に言われるとは夢にも思っていなかった。
詳しいことは何も聞けなかったので帰宅してネットで調べてみたら
高血圧はもちろんのこと酷い眠気に襲われることもあるのだそうだ。
私の素人考えではあるが毎朝悩まされているあの眠気である。
内科の医師は何と言うだろう。親身になってくれるだろうかと思うと
受診するのがとても気が重くなってしまう。
そうかと云って他の病院に行くのも気が引けるのだった。
しかしこのまま何もせずにいるわけにはいかないので
近いうちにいつもの病院へ行ってみようと思っている。
動脈硬化は高齢になると誰しも少しはあるのだそうだ。
これが67歳になった贈り物なのだろうか。

夕飯は肉厚の原木椎茸を見つけたので高知の郷土料理である
「椎茸のたたき」トッピングは玉ねぎスライスとカイワレ大根である。
作り方は簡単でとにかく肉厚の椎茸でなければいけない。
椎茸を決して水洗いをせず一口大に切り片栗粉をまぶして油で揚げる。
小麦粉ではいけない。揚げた時にべたっとしてしまうからだ。
タレは鰹のたたきと同じでも良いが我が家は少しお砂糖を加える。
甘味があった方がずっと美味しく感じるのだ。
もう一品は鶏のもつ煮。生姜と葱を一緒に煮込む。
鶏もつは独特の臭みがあるので生姜は必須である。
サニーマートでは夕方にはいつも売り切れているのだけれど
今日は精肉コーナーに鶏もつが沢山あってラッキーだった。
夫と娘夫婦の好物。あやちゃんも食べるがめいちゃんと私は苦手。
私はいつも生姜だけ食べる。甘辛い生姜でご飯が進むのだ。
もう一品は先日出来なかった「ちくきゅう」箸休めのようなもの。
これも高知の郷土料理らしく竹輪に丸ごと胡瓜を詰めるのだ。
竹輪はなるべく柔軟性のある物を選び胡瓜は細いほど良い。
するりと胡瓜が竹輪の中に入ったら成功である。
これはマヨ醤油でお好みで七味を入れて食べると美味しい。
なんだか書き始めたらきりがなく夜も寝ないで書きそうになった。
どうでも良いようなことをよくも毎晩書けるものだなと思う。
でもこれが私の生きがいなのだろう。死ぬまで書いてみせよう。
| 2023年12月06日(水) |
憎まれたいほど生きたい |
晴れのち曇り。午後は陽射しがなく肌寒く感じた。
今夜は雨だろうかと思っていたけれど降りそうにはない。
明日は穏やかな晴天になるのだそうだ。
今朝は深い海の底にいるような詩を書いてしまった。
あまりにも暗いので最後に少しだけ光を当てる。
まるで死んだ者を生き返らすようなこと。
私は死んでなどいないのだ。確かに生きている。
「生きたい」も人間の欲なのだろうか。
いや執着なのかもしれない。その執着が私は人一倍強いように思う。
だからもういつ死んだって良いとはどうしても思えないのだ。
「憎まれ者は世に憚る」と云うが誰か私を憎んではくれまいか。
そんな馬鹿げたことを口にするほど私は生きたくてならない。

そろそろ我が家の米櫃が空になりそうなので義父にお米を貰った。
30キロの玄米なので精米しなければいけない。
少し早めに帰らせてもらって夫に精米所に行ってもらうことした。
しかし夫の体力が著しく低下しているのに驚く。
腰痛持ちではあったが30キロの米袋を抱えるのがやっとになっていた。
これでは精米を頼めるのも今日が最後かもしれないと思う。
来春には72歳になる。もうれっきとした高齢者なのだ。
若い頃にはどれほどの肉体労働にも耐えて来たけれど
もうとっくに限界を迎えているのだと思う。
川仕事も休業となりゆったりとした日々を過ごしている。
もし海苔養殖が順調であったとしても一人ではとても無理だったろう。
「なるようにしてなった」と良い方に受け止めようと思う。
私ももう川仕事は無理だ。杖を付きながらどうして出来ようか。

夕飯は迷った挙句に「豚肉の生姜焼き」これも便利なタレがある。
宿毛産のハマチが安かったのでお刺身に。
後はあやちゃんの好きな肉じゃが。お肉は合い挽きミンチで。
香川産のブロッコリーが特売だったのでざっと茹でて
マヨネーズとポン酢醤油で食べるのが我が家流である。
あやちゃんは肉じゃがのミンチをご飯にのっけて食べるのが好きだ。
今夜もそうして食べてくれていたのでほっと嬉しかった。
けれども笑顔は見られない。ずっと俯いているのは膝の上に
タブレットを置いて操作しているからだろう。
「ご飯の時には止めようよ」娘が言わないことを私が言えるわけがない。
傍目には甘やかしているように見えるがこれが我が家流なのだ。
あやちゃんがお風呂に入っている時、部屋の戸が開いていて
覗くつもりではなかったがあやちゃんの机の上が見えてしまった。
そこにはテストのようなプリント用紙がたくさん並んでいた。
あやちゃんは学校へ行かなくてもちゃんと勉強をしている。
担任の先生とも繋がっているのだなととても安心した。
硝子細工のような少女をなんとしても守ってやりたいと思う。
久しぶりにまとまった雨が降る。
冷たい雨だったが様々ないのちが潤ったことだろう。
我が家の小菊も秋の名残を告げるように咲いていた。
ずっと水遣りを怠っていたのだ。もう枯れるだろうと。
私はどこまでも薄情な人間であるらしい。
猫の額ほどの庭には土だけのプランターが寂しげに佇んでいる。
パンジーやそろそろ葉牡丹も植えてやりたいが
杖を付きながら立っていては植えることが出来ない。
座り込んでしまえば立つことが困難になった。
歯がゆさもあるけれど情けなくてならない。
花屋さんの店先に並んでいるシクラメンやポインセチアが
たまらなく欲しくてならないが私には高価過ぎる。
誰か贈ってはくれまいかと身勝手なことばかり考えているのだった。

昨日あまりにも幸せだったので今日は死ぬのではと思った。
突然死がそれとも交通事故かと頭から離れない。
生きたくてたまらないその反動なのかもしれないが
一度不安になるとどうしようもなく怖くなってしまうのだ。
もし死んだらこれまで書いて来た詩や短歌やこの日記は
いったいどうなってしまうのだろうと考える。
いつまでもネット上に在り続けるとは思えなかった。
しばらくは残ってもやがては消滅してしまうだろう。
私はもうこの世には存在しないので読み返すことは出来ないが
もしかしたら家族や友人が見つけてくれるかもしれない。
それでどうなるわけでもないが少しでも「わたし」を残したい。
生きていた証のようなもの。それは欲なのかもしれないけれど。
今日は死ななかった。なんだか大きな山を乗り越えたような気がする。
だからと云って明日のことなど誰にも分からないのだ。
とにかく書きたい。必死の思いで書きたいと思っている。

冷たい雨の一日だったので今夜は「ちゃんぽん」にした。
先日貰っていたキャベツの残りを全部入れてしまったので
なんだかキャベツ鍋のようになってしまったがとても美味しかった。
後は鯵の唐揚げ。ひじきと油揚げの卵とじ。
ひじきに塩分が残っていたのだろうかしょっぱくて失敗だった。
もちろん家族は誰も食べてくれないので一人で少しだけ食べる。
高価な卵を二個も使ってしまったので捨てる訳にはいかない。
明日のお弁当に持って行こう。明後日も持って行こう。
あやちゃんが「ちゃんぽん」を気に入らないかもと心配していたが
ちゃんと食べてくれていたので嬉しかった。
見ると黒いカーディガンを羽織っている。
今まで見たことのないカーディガンだったので娘が新調したのだろう。
これから少しずつ冬物を着てくれるようになると思う。
あったかそうなあやちゃんが少しだけ微笑んでいた。
| 2023年12月04日(月) |
豚もおだてりゃ木に登る |
今朝も冷え込み真冬並みの寒さとなった。
二十四節気の「大雪」も近づいている。
もう冬からは逃れられないだろう。
悪夢ではないが道に迷った夢を見た。
海岸線を走っており真っ青な海が見える。
行き止まりではなかったが目的地に着くことが出来ない。
焦りなのか動揺なのかハンドルを握る手が汗ばんでいた。
トイレを我慢しているとよく同じような夢を見る。
笑い話のようでもあるがかなり切羽詰まった状態なのだ。
今朝は迷いつつもSNSで67歳になったことを報告する。
もう少しもめでたいことでもなく騒ぎ立てるつもりもなかった。
しかし反応がすごい。あっという間にコメントがいっぱいになる。
一人一人にお礼を言うべきだろう。けれどもとても手に負えない。
仕方なくお昼休みにお詫びと感謝の気持ちを発信した。
コメントを下さった方の中には私の詩や短歌を楽しみにしていると
それはとても思いがけないことで身に余ることであった。
まさに「豚もおだてりゃ木に登る」ではないだろうか。
私のようにすぐ調子に乗る者を決しておだててはいけない。
けれども正直云ってこんなに嬉しいことはなかった。
もう67歳ではなくまだ67歳だと思ってこれからもこつこつと
頑張って書き続けて行こうと思う。

めいちゃんからお手紙をもらった。
登校前の事で昨夜のうちに書いてくれたのだろう。
可愛らしい字で最後に「大好き」とハートマークが付いていた。
これ以上のプレゼントがあるだろうか。なんと優しい子だろう。
長生きをしなければと今日ほど思ったことはない。
仕事を終えて「しまむら」へ寄り自分のためにエプロンを買う。
前から誕生日に買おうと決めていたのだった。
家族にはなんだか当てつけのようになってしまうが自分へのご褒美である。
980円。やっぱりしまむらは安い。
夕飯は特にご馳走ではなかったがせめてもと思い「ちきん館」へ行って
「まるっぽ鶏」を買った。鶏一羽の丸焼きである。
見た目は可哀想なくらいグロテスクだがこれがとても美味しいのだ。
娘夫婦や孫達の好物で夫もささ身と胸肉なら食べられる。
身をほぐした後の鶏ガラで娘はスープを作っていた。
後は「落ち鮎の塩焼き」「里芋と豆腐の煮物」
落ち鮎はお向かいのご主人から頂き、里芋は従姉妹が持って来てくれた。
なんと有難いことだろうか。
あらあらという間に夜が更けて一日が終ろうとしている。
幸せいっぱいの誕生日をしみじみと噛みしめながら眠ろう。
今夜は道に迷いたくない。
最低気温が1℃。もう少しで氷点下になるところだった。
市内では初霜や薄氷が観測されたらしい。
真夜中にけたたましいサイレンの音。何事かと目を覚ます。
テレビを点けるとフィリピンで大地震があり
日本の太平洋側に津波注意報が発令されていた。
防災無線ではしきりに海に近づかないよう呼び掛けている。
わずか数センチの津波でも警戒するに越したことはないのだろう。
しばらく夫と二人で起きていたがいつの間にか寝ていた。
4時のアラームで目覚めたが二度寝をしてしまったようだ。
いつもより30分も遅い。とても詩など書けないと思っていた。
その時あたまの中から「きをつけまえへならえやすめ」と声がする。
それをそのまま書いたら詩のようなものになったのだった。
我ながらふざけているようにも感じたが
書けてしまったものはどうしようも出来ない。
そんなふうにお目汚しの詩を書き散らしている日々である。
読んでくれる人がいてくれる。まるで奇跡のように思う。

今日も7時頃から8時半まで炬燵で眠っていた。
怠惰にも程があるが眠気にはどうしても勝てないのだ。
流し台の汚れた食器を洗いやっと洗濯物を干す。
少し雲が広がっていたが雲間からほっとするように青空が見えていた。
それからサニーマートへ。今日はメニューが決まっておらず悩む。
取り合えず特売の茄子を買う。じゃが芋の買い置きがあるので
ポテトサラダにしようと決めた。鮮魚売り場ではパナマ海老が安い。
ほうれん草を買いお昼に食べようとお稲荷さんも買った。
寄せ鍋の残りにおうどんを入れて昼食。お稲荷さんも美味しい。
まだつゆが残っているので今夜は雑炊も作ろう。
茄子は豚バラ肉と生姜で甘辛く炒め煮に。
海老は天婦羅にしようかと思っていたがあやちゃんが海老フライが良いと
ちゃんと言ってくれたのでとても嬉しかった。
ポテトサラダは手間が掛かるがこれもあやちゃんの好物である。
昨夜の不機嫌を挽回しなくてはいけないと思っていた。
ほうれん草の胡麻和え。雑炊には葱と仕上げに溶き卵を入れる。
めいちゃんはポパイのようにほうれん草を食べてくれた。
あやちゃんは雑炊も気に入ってくれたようだった。
今夜は百点満点だと嬉しくてならない。
夕食後に日課の短歌を3首捻る。我ながらまあまあのが書けた。
入浴後には焼酎を飲みつつこの日記を書いているのだけれど
めいちゃんがにこにこしながら部屋へ入って来て
「おばあちゃん、明日はお手紙書くね」と言ってくれた。
とうとう明日は67歳になる。
氷点下にこそならなかったが冬らしい寒い朝だった。
さすが12月だなと思う。これから真冬がやって来るのだ。
誕生日も近くなった。もうめでたくもない67歳である。
母を恨む気持ちはないがあれから54年の歳月が流れてしまったようだ。
この世に生んでくれた母に感謝しなければいけなのだろう。
けれども少女時代の記憶があまりにも重くのしかかっている。
どうして私の誕生日の日を選んだのか母に問うことも出来ないまま
母は黄泉の国へと旅立ってしまったのだ。
49日の法要の日に母を赦せると思っていた。
しかし未だに尾を引いているのがなんとも哀しくてならない。

今朝も朝ドラの「まんぷく」を見てからそのまま炬燵で眠っていた。
いつもなら出勤時間である。きっともう習慣になっているのだろう。
一時間ほど眠り陽が高くなってからやっと洗濯物を干す。
風もなく穏やかな晴天となり陽射しにぬくもりを感じた。
カーブスに行く前に買物をしにサニーマートへ。
今夜は「寄せ鍋」に決まっていたので段取り良く材料を買う。
カセットコンロのガスも忘れずに買ったが荷物が重くなってしまった。
セルフレジで精算を済ませるなり店員さんが駆け寄って来てくれる。
そうして手際よくカートに載せてくれたのだった。
「お気をつけてお帰り下さいね」となんと親切で有難いことだろう。
それから隣接するホームセンターで衣装ケースを買った。
片手でなんとかレジまで運んだが薄っすらと汗をかいていた。
店員さんが「お車までお持ちしますよ」と言ってくれる。
これもなんとも有難いことで涙が出そうになった。
カーブスは例の如くで低浮上。計測日であったがスルーさせてもらう。
実は体重を測るのが怖ろしかった。お腹周りなどとんでもないこと。
足の痛みも酷くとてもそんな気分にはならなかったのだ。
カーブスを終えるなり「ほっかほっか亭」に電話してお弁当を頼む。
今日はあやちゃんの分も。ステーキ弁当が食べたいのだそうだ。
近くのセリアで10分ほど買物をしてから行ったらもう出来ていた。
店員さんが「お車ですか?」と問うのでそうだと応えると
「お持ちしましょうか」と言ってくれる。でもこれ位は大丈夫。
そうしたらカウンターから駆け出て来てくれて扉を開けてくれたのだった。
自動ドアではないのでいつもちょっと苦労していただけに嬉しかった。
今日はなんて優しい人達に巡り会えたことだろうと感動する。
これこそが「至れり尽くせり」なのかなと思う。
他人を思い遣る気持ちの大切さを改めて感じた一日だった。
夕飯の「寄せ鍋」はちょっと残念。
いつもは鶏肉を入れるのに豚肉にしてしまったものだから
鶏肉大好きのあやちゃんが気に入らなかったようだ。
ご機嫌うるわしくなく少しも笑顔を見せてくれなかった。
「ごめんね」と謝ったが応えてはくれなかったのだ。
何かある度にこれくらいのことで思うのだけれど
すぐに落ち込んでしまう性格は直らないのかもしれない。
どうして鶏肉を買わなかったのかと今もまだ後悔している。
けれどもお昼のステーキ弁当はきれいに平らげてくれていた。
あやちゃんは何も言ってはくれなかったがきっと嬉しかったのだろう。
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