| 2023年12月06日(水) |
憎まれたいほど生きたい |
晴れのち曇り。午後は陽射しがなく肌寒く感じた。
今夜は雨だろうかと思っていたけれど降りそうにはない。
明日は穏やかな晴天になるのだそうだ。
今朝は深い海の底にいるような詩を書いてしまった。
あまりにも暗いので最後に少しだけ光を当てる。
まるで死んだ者を生き返らすようなこと。
私は死んでなどいないのだ。確かに生きている。
「生きたい」も人間の欲なのだろうか。
いや執着なのかもしれない。その執着が私は人一倍強いように思う。
だからもういつ死んだって良いとはどうしても思えないのだ。
「憎まれ者は世に憚る」と云うが誰か私を憎んではくれまいか。
そんな馬鹿げたことを口にするほど私は生きたくてならない。

そろそろ我が家の米櫃が空になりそうなので義父にお米を貰った。
30キロの玄米なので精米しなければいけない。
少し早めに帰らせてもらって夫に精米所に行ってもらうことした。
しかし夫の体力が著しく低下しているのに驚く。
腰痛持ちではあったが30キロの米袋を抱えるのがやっとになっていた。
これでは精米を頼めるのも今日が最後かもしれないと思う。
来春には72歳になる。もうれっきとした高齢者なのだ。
若い頃にはどれほどの肉体労働にも耐えて来たけれど
もうとっくに限界を迎えているのだと思う。
川仕事も休業となりゆったりとした日々を過ごしている。
もし海苔養殖が順調であったとしても一人ではとても無理だったろう。
「なるようにしてなった」と良い方に受け止めようと思う。
私ももう川仕事は無理だ。杖を付きながらどうして出来ようか。

夕飯は迷った挙句に「豚肉の生姜焼き」これも便利なタレがある。
宿毛産のハマチが安かったのでお刺身に。
後はあやちゃんの好きな肉じゃが。お肉は合い挽きミンチで。
香川産のブロッコリーが特売だったのでざっと茹でて
マヨネーズとポン酢醤油で食べるのが我が家流である。
あやちゃんは肉じゃがのミンチをご飯にのっけて食べるのが好きだ。
今夜もそうして食べてくれていたのでほっと嬉しかった。
けれども笑顔は見られない。ずっと俯いているのは膝の上に
タブレットを置いて操作しているからだろう。
「ご飯の時には止めようよ」娘が言わないことを私が言えるわけがない。
傍目には甘やかしているように見えるがこれが我が家流なのだ。
あやちゃんがお風呂に入っている時、部屋の戸が開いていて
覗くつもりではなかったがあやちゃんの机の上が見えてしまった。
そこにはテストのようなプリント用紙がたくさん並んでいた。
あやちゃんは学校へ行かなくてもちゃんと勉強をしている。
担任の先生とも繋がっているのだなととても安心した。
硝子細工のような少女をなんとしても守ってやりたいと思う。
久しぶりにまとまった雨が降る。
冷たい雨だったが様々ないのちが潤ったことだろう。
我が家の小菊も秋の名残を告げるように咲いていた。
ずっと水遣りを怠っていたのだ。もう枯れるだろうと。
私はどこまでも薄情な人間であるらしい。
猫の額ほどの庭には土だけのプランターが寂しげに佇んでいる。
パンジーやそろそろ葉牡丹も植えてやりたいが
杖を付きながら立っていては植えることが出来ない。
座り込んでしまえば立つことが困難になった。
歯がゆさもあるけれど情けなくてならない。
花屋さんの店先に並んでいるシクラメンやポインセチアが
たまらなく欲しくてならないが私には高価過ぎる。
誰か贈ってはくれまいかと身勝手なことばかり考えているのだった。

昨日あまりにも幸せだったので今日は死ぬのではと思った。
突然死がそれとも交通事故かと頭から離れない。
生きたくてたまらないその反動なのかもしれないが
一度不安になるとどうしようもなく怖くなってしまうのだ。
もし死んだらこれまで書いて来た詩や短歌やこの日記は
いったいどうなってしまうのだろうと考える。
いつまでもネット上に在り続けるとは思えなかった。
しばらくは残ってもやがては消滅してしまうだろう。
私はもうこの世には存在しないので読み返すことは出来ないが
もしかしたら家族や友人が見つけてくれるかもしれない。
それでどうなるわけでもないが少しでも「わたし」を残したい。
生きていた証のようなもの。それは欲なのかもしれないけれど。
今日は死ななかった。なんだか大きな山を乗り越えたような気がする。
だからと云って明日のことなど誰にも分からないのだ。
とにかく書きたい。必死の思いで書きたいと思っている。

冷たい雨の一日だったので今夜は「ちゃんぽん」にした。
先日貰っていたキャベツの残りを全部入れてしまったので
なんだかキャベツ鍋のようになってしまったがとても美味しかった。
後は鯵の唐揚げ。ひじきと油揚げの卵とじ。
ひじきに塩分が残っていたのだろうかしょっぱくて失敗だった。
もちろん家族は誰も食べてくれないので一人で少しだけ食べる。
高価な卵を二個も使ってしまったので捨てる訳にはいかない。
明日のお弁当に持って行こう。明後日も持って行こう。
あやちゃんが「ちゃんぽん」を気に入らないかもと心配していたが
ちゃんと食べてくれていたので嬉しかった。
見ると黒いカーディガンを羽織っている。
今まで見たことのないカーディガンだったので娘が新調したのだろう。
これから少しずつ冬物を着てくれるようになると思う。
あったかそうなあやちゃんが少しだけ微笑んでいた。
| 2023年12月04日(月) |
豚もおだてりゃ木に登る |
今朝も冷え込み真冬並みの寒さとなった。
二十四節気の「大雪」も近づいている。
もう冬からは逃れられないだろう。
悪夢ではないが道に迷った夢を見た。
海岸線を走っており真っ青な海が見える。
行き止まりではなかったが目的地に着くことが出来ない。
焦りなのか動揺なのかハンドルを握る手が汗ばんでいた。
トイレを我慢しているとよく同じような夢を見る。
笑い話のようでもあるがかなり切羽詰まった状態なのだ。
今朝は迷いつつもSNSで67歳になったことを報告する。
もう少しもめでたいことでもなく騒ぎ立てるつもりもなかった。
しかし反応がすごい。あっという間にコメントがいっぱいになる。
一人一人にお礼を言うべきだろう。けれどもとても手に負えない。
仕方なくお昼休みにお詫びと感謝の気持ちを発信した。
コメントを下さった方の中には私の詩や短歌を楽しみにしていると
それはとても思いがけないことで身に余ることであった。
まさに「豚もおだてりゃ木に登る」ではないだろうか。
私のようにすぐ調子に乗る者を決しておだててはいけない。
けれども正直云ってこんなに嬉しいことはなかった。
もう67歳ではなくまだ67歳だと思ってこれからもこつこつと
頑張って書き続けて行こうと思う。

めいちゃんからお手紙をもらった。
登校前の事で昨夜のうちに書いてくれたのだろう。
可愛らしい字で最後に「大好き」とハートマークが付いていた。
これ以上のプレゼントがあるだろうか。なんと優しい子だろう。
長生きをしなければと今日ほど思ったことはない。
仕事を終えて「しまむら」へ寄り自分のためにエプロンを買う。
前から誕生日に買おうと決めていたのだった。
家族にはなんだか当てつけのようになってしまうが自分へのご褒美である。
980円。やっぱりしまむらは安い。
夕飯は特にご馳走ではなかったがせめてもと思い「ちきん館」へ行って
「まるっぽ鶏」を買った。鶏一羽の丸焼きである。
見た目は可哀想なくらいグロテスクだがこれがとても美味しいのだ。
娘夫婦や孫達の好物で夫もささ身と胸肉なら食べられる。
身をほぐした後の鶏ガラで娘はスープを作っていた。
後は「落ち鮎の塩焼き」「里芋と豆腐の煮物」
落ち鮎はお向かいのご主人から頂き、里芋は従姉妹が持って来てくれた。
なんと有難いことだろうか。
あらあらという間に夜が更けて一日が終ろうとしている。
幸せいっぱいの誕生日をしみじみと噛みしめながら眠ろう。
今夜は道に迷いたくない。
最低気温が1℃。もう少しで氷点下になるところだった。
市内では初霜や薄氷が観測されたらしい。
真夜中にけたたましいサイレンの音。何事かと目を覚ます。
テレビを点けるとフィリピンで大地震があり
日本の太平洋側に津波注意報が発令されていた。
防災無線ではしきりに海に近づかないよう呼び掛けている。
わずか数センチの津波でも警戒するに越したことはないのだろう。
しばらく夫と二人で起きていたがいつの間にか寝ていた。
4時のアラームで目覚めたが二度寝をしてしまったようだ。
いつもより30分も遅い。とても詩など書けないと思っていた。
その時あたまの中から「きをつけまえへならえやすめ」と声がする。
それをそのまま書いたら詩のようなものになったのだった。
我ながらふざけているようにも感じたが
書けてしまったものはどうしようも出来ない。
そんなふうにお目汚しの詩を書き散らしている日々である。
読んでくれる人がいてくれる。まるで奇跡のように思う。

今日も7時頃から8時半まで炬燵で眠っていた。
怠惰にも程があるが眠気にはどうしても勝てないのだ。
流し台の汚れた食器を洗いやっと洗濯物を干す。
少し雲が広がっていたが雲間からほっとするように青空が見えていた。
それからサニーマートへ。今日はメニューが決まっておらず悩む。
取り合えず特売の茄子を買う。じゃが芋の買い置きがあるので
ポテトサラダにしようと決めた。鮮魚売り場ではパナマ海老が安い。
ほうれん草を買いお昼に食べようとお稲荷さんも買った。
寄せ鍋の残りにおうどんを入れて昼食。お稲荷さんも美味しい。
まだつゆが残っているので今夜は雑炊も作ろう。
茄子は豚バラ肉と生姜で甘辛く炒め煮に。
海老は天婦羅にしようかと思っていたがあやちゃんが海老フライが良いと
ちゃんと言ってくれたのでとても嬉しかった。
ポテトサラダは手間が掛かるがこれもあやちゃんの好物である。
昨夜の不機嫌を挽回しなくてはいけないと思っていた。
ほうれん草の胡麻和え。雑炊には葱と仕上げに溶き卵を入れる。
めいちゃんはポパイのようにほうれん草を食べてくれた。
あやちゃんは雑炊も気に入ってくれたようだった。
今夜は百点満点だと嬉しくてならない。
夕食後に日課の短歌を3首捻る。我ながらまあまあのが書けた。
入浴後には焼酎を飲みつつこの日記を書いているのだけれど
めいちゃんがにこにこしながら部屋へ入って来て
「おばあちゃん、明日はお手紙書くね」と言ってくれた。
とうとう明日は67歳になる。
氷点下にこそならなかったが冬らしい寒い朝だった。
さすが12月だなと思う。これから真冬がやって来るのだ。
誕生日も近くなった。もうめでたくもない67歳である。
母を恨む気持ちはないがあれから54年の歳月が流れてしまったようだ。
この世に生んでくれた母に感謝しなければいけなのだろう。
けれども少女時代の記憶があまりにも重くのしかかっている。
どうして私の誕生日の日を選んだのか母に問うことも出来ないまま
母は黄泉の国へと旅立ってしまったのだ。
49日の法要の日に母を赦せると思っていた。
しかし未だに尾を引いているのがなんとも哀しくてならない。

今朝も朝ドラの「まんぷく」を見てからそのまま炬燵で眠っていた。
いつもなら出勤時間である。きっともう習慣になっているのだろう。
一時間ほど眠り陽が高くなってからやっと洗濯物を干す。
風もなく穏やかな晴天となり陽射しにぬくもりを感じた。
カーブスに行く前に買物をしにサニーマートへ。
今夜は「寄せ鍋」に決まっていたので段取り良く材料を買う。
カセットコンロのガスも忘れずに買ったが荷物が重くなってしまった。
セルフレジで精算を済ませるなり店員さんが駆け寄って来てくれる。
そうして手際よくカートに載せてくれたのだった。
「お気をつけてお帰り下さいね」となんと親切で有難いことだろう。
それから隣接するホームセンターで衣装ケースを買った。
片手でなんとかレジまで運んだが薄っすらと汗をかいていた。
店員さんが「お車までお持ちしますよ」と言ってくれる。
これもなんとも有難いことで涙が出そうになった。
カーブスは例の如くで低浮上。計測日であったがスルーさせてもらう。
実は体重を測るのが怖ろしかった。お腹周りなどとんでもないこと。
足の痛みも酷くとてもそんな気分にはならなかったのだ。
カーブスを終えるなり「ほっかほっか亭」に電話してお弁当を頼む。
今日はあやちゃんの分も。ステーキ弁当が食べたいのだそうだ。
近くのセリアで10分ほど買物をしてから行ったらもう出来ていた。
店員さんが「お車ですか?」と問うのでそうだと応えると
「お持ちしましょうか」と言ってくれる。でもこれ位は大丈夫。
そうしたらカウンターから駆け出て来てくれて扉を開けてくれたのだった。
自動ドアではないのでいつもちょっと苦労していただけに嬉しかった。
今日はなんて優しい人達に巡り会えたことだろうと感動する。
これこそが「至れり尽くせり」なのかなと思う。
他人を思い遣る気持ちの大切さを改めて感じた一日だった。
夕飯の「寄せ鍋」はちょっと残念。
いつもは鶏肉を入れるのに豚肉にしてしまったものだから
鶏肉大好きのあやちゃんが気に入らなかったようだ。
ご機嫌うるわしくなく少しも笑顔を見せてくれなかった。
「ごめんね」と謝ったが応えてはくれなかったのだ。
何かある度にこれくらいのことで思うのだけれど
すぐに落ち込んでしまう性格は直らないのかもしれない。
どうして鶏肉を買わなかったのかと今もまだ後悔している。
けれどもお昼のステーキ弁当はきれいに平らげてくれていた。
あやちゃんは何も言ってはくれなかったがきっと嬉しかったのだろう。
とうとう師走。いったい誰が背中を押しているのだろう。
私は立ち止まりたくてならない。秋を惜しむわけではないが
冬にどんどん引きずり込まれるような感覚がある。
そうして年の瀬。気忙しさは嫌でもやって来るのだ。
始まれば終わる時が来る。そうしてまた新しくなるのだけれど
私はそれほど器用ではなかった。終われないことがたくさんある。
まるで足枷を付けたようによろよろと進んでいるような気がするのだ。
行かなければならないのではなく「行こう」と思えるようになりたい。

今日はドジなことばかり。仕事を終えてぼんやりしていたのだろう。
いつものようにサニーマートで買物をしたのだけれど
買い忘れたり間違って買ってしまった物があった。
昨日頂いたキャベツが残っていたので回鍋肉をするつもりが
主婦の味方「回鍋肉の素」を買い忘れてしまった。
恥ずかしながらそれがないと作り方を知らないのだ。
それから冷蔵庫に大根があったのを思い出し鶏手羽元と煮込むことに。
二割引きのシールを貼ってあったので「これこれ」と籠に入れた。
それが精算時によく見ると手羽元ではなく手羽先だったのだ。
グロテスクなので夫が嫌って食べようとはしない。
取り替えることは出来たがもう歩く気力がなかった。
帰宅したら娘がまだ帰って来ていなくて洗濯物の山が待っていた。
すぐに畳む気にはならず例の如くで炬燵に潜り込む。
夫が「早く畳んでおけ」とうるさい。もうお黙りなさい。
5時過ぎてやっと娘が帰って来た。
回鍋肉が出来ないことを伝え手羽先をどうするか相談した。
そうしたら豚バラ肉と大根を煮れば良いと言う。
手羽先は塩コショウをしてグリルで焼けば美味しいのだそうだ。
もう一品は「ちく胡」竹輪に胡瓜を詰め込むのだけれど
めいちゃんが「ピリ辛きゅうり漬け」を作りたいと言い出す。
調味料は激辛もやしナムルと同じなのだそうだ。
訊けばもうもやしは飽きたらしい。今度は胡瓜のブームになったのだ。
さて胡瓜を失った竹輪をどうするかだ。ただ切るだけでは味気ない。
そうだと思い出したのは昔よく作っていたマヨネーズ炒めだった。
フライパンに油ではなくマヨネーズを入れて弱火で炒める。
仕上げにお醤油と小口切りの葱を加えれば出来上がりなのだ。
失敗は成功のもとではないがなんとか夕食が整う。
あやちゃんの食べる物が無いのではと心配していたら
手羽先が気に入ったのか結構美味しそうに食べてくれていた。
めいちゃん特製のピリ辛胡瓜は美味しいが後から辛さが襲って来る。
それをまったく気にせずモリモリと食べるめいちゃんは凄いなと思った。
明日は胡瓜を忘れずに買って来ないといけない。
昼下がりに小学校の保健の先生が家庭訪問に来ていたそうだ。
これは今年の春からずっと定期的に行われていて
先生に心配を掛けっぱなしで申し訳ないと思っている。
忙しい合間を縫ってあやちゃんに会いに来てくれているのだ。
あやちゃんはどんな気持ちなのだろう。
その繊細な心の内側を未だ誰も分かってやれないのだ。
霜月も晦日。なんと早いことだろう。
日々が急ぎ足で流れていくばかりである。
曇りのち晴れ。午後からは陽射しがあったが風の冷たい一日だった。
夕方から一段と冷え込み風がひゅるひゅると唸っている。
夕焼けがとても綺麗だった。以前は写真を撮りに土手まで駆け上がっていたが
今はもうとてもそんなことは出来ない。気力も体力も無くなってしまった。
このまま老いて行くのも侘しいものである。
20年ほど前だろうか。たぶん恋をしていたのではないだろうか。
色んな写真を撮ってあの人に見せたいといつも思っていた。
ネット空間で出会った顔も知らない人である。
今のようにSNSなど無い時代だった。
写真にコメントが入るサイトがあったのだ。
一番先にあの人のコメントが入りどんなにか嬉しかったことだろう。
今はもう恋をすることも無くなったがそんな懐かしい時代があった。
「仙ちゃん」はその名の通り仙人のような人だった。
何処からともなく現れいつの間にか去って行くような人である。
今は何処に居るのだろう。もう消息を知る由もなかった。

月末の仕事を無事に終える。資金繰りがなんとかなりほっと安堵。
会社経営はとても大変であるが遣り甲斐がある仕事だと思う。
なんとしても守らなければいけない責任も大きいが苦にはならない。
ただ今はまだゴールが見えず漠然とした不安が立ちはだかっている。
社長である義父も専務もどきの私も同僚もすっかり歳を取ってしまった。
後継者のいない会社ほど心細いものはないように思う。
一人でも欠けたらもうそこでお終いなのだ。
明日から師走。一年で一番忙しい繁忙期を迎える。
よほど段取りよく仕事をしないとパニックに陥ることだろう。
年末には僅かでもボーナスを支給してやりたいと思っている。
義父は要らないと言っているがそんな遠慮はしなくても良いのだ。
実は一番欲しがっているのは私なのだけれど。

夕飯はキャベツたっぷりの塩焼きそば。
お客さんに無農薬の大きなキャベツを頂いて義父と半分こにした。
田舎の山里ならではのことである。有難いことだった。
後は魚のすり身の天ぷら。あやちゃんには揚げるだけの海老フライ。
メインが焼きそばなので今夜はいささか質素であった。
娘とめいちゃんはダンス教室に行っておりまだ食べておらず
あやちゃんも娘達の帰りを待っているようだ。
昼間あやちゃんが二階から下りて来て炬燵に潜り込んだのだそうだ。
「寒くて我慢できない」と言っていたそうで
そろそろ半袖と短パンは止めてくれるのではないだろうか。
風邪を引かないで下さいね。家族みんなが見守っていますよ。
大好きなあやちゃんへ。おばあちゃんより。
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