ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年11月22日(水) 雑魚と鯛

二十四節気の「小雪」本格的な冬の始まりであるが

今日は昨日よりも気温が高くなり異常な程の暖かさだった。

これで一気に冬らしくなればどんなにか戸惑うことだろう。

いくつもの冬を乗り越えてきたが耐える自信があまりない。

けれども恐る恐るでも立ち向かって行こうと思っている。



松下育夫さんの「詩の通信教室」から感想が届いた。

先日メール送信した時に返事が無かったので

行方不明になったのではと心配していたがちゃんと届いていたらしい。


しかし今回は手厳しい。なんだかとても惨めな気持ちになった。

やはり私は負け組なのだろう。上から目線の感想が辛くてならない。

「ふゆさん」は自分でも好きだなと思うほど自信があったので

よけいに傷ついてしまったのだと思う。

雑魚にはそれなりに相応しい詩があり鯛には敵わないのだ。

だからと云って馬鹿にされて喜ぶ雑魚がいるだろうか。

口惜しさよりも悲しくてならないがじっと耐えねばなるまい。

どれほど傷ついても死んでしまうわけではないのだから。


「詩の通信教室」はこれからも続けようと思っている。

もしかしたら読んでもらえるだけで幸せなのかもしれないのだ。





義父の熱がやっと平熱になった。5日間もよく耐えたと思う。

これまでずっと元気だった義父がすっかりやつれてしまった。

すぐに元通りとはいかないかもしれないがきっとまた元気になるだろう。

仕事が順調だったのは何よりで私もそれなりに頑張ったのだと思う。

明日は祭日なので今週いっぱいは様子見をしながら

来週から通常通りに仕事が出来るようになるだろう。


仕事を終えてから裁判所へ行っていた。

母の相続放棄の手続きを済ませて来る。

多額の負債がありそうするしか手段がなかったのだ。

弟はしきりに母の実家を惜しがっていたのだが

目先の事よりも今後のことを重視しなければいけない。

私も弟も守らねばならない大切な家族が居るのだ。


なんだか母を切り捨ててしまったような複雑な気持ちであったが

母もきっとそうすることを望んでいるのだと思う。


捨ててしまったものはもう二度と戻らないのだけれど。







2023年11月21日(火) 一喜一憂

連日の小春日和。猫は日向ぼっこをし蝶々が飛ぶ。

まるで天国のようだと思うのだが母からは便りがない。


今朝は出勤前にぽらぱらと高知新聞をめくっていたら

先日投稿していた「母の冥銭」が掲載されていた。

いつも夫が先に読むのだが見落としてしまったのだろう。

読まれたら照れくさいのでバレないうちにと切り抜いてしまった。


題名は「お母ちゃんへの一万円」と変えられていたが

それではまるで子供の作文ではないかと可笑しかった。

本文はそのままではあったが難しい漢字はひらがなになっており

おそらく小学生でも読めるようにと配慮されたのだと思う。

「三途の川」が「さんずの川」に「忽然と消えた」が「こつぜん」に

少し違和感を感じたがそれよりも掲載されたことが嬉しかった。

小学生が読んでくれたらもっと嬉しいのだが一握りであろう。


いつも新聞をチェックしてくれている親友からメール。

久しぶりだったので折り返し電話をしてみた。

どんなに離れていてもまるで昨日も会ったように話す。


中学の時の恩師からも電話があった。読みながら泣いたそうだ。

その言葉を聞いて私も涙ぐんでしまった。

母の死にも涙一つ流さなかったのに不思議なものである。

恩師は母よりも高齢であり「先生、長生きしてね」と伝える。

職場のすぐ近くに住んでいるので近いうちに会いに行こうと思う。


帰宅してSNSをチェックしていたら母がお世話になっていた

病院の介護士さんがなんと新聞記事をそのまま発信してくれていた。

病院の皆さんも読んでくれたらいいなと思っていただけに

感動で胸がいっぱいになった。なんと有難いことだろうか。

私は自分の新聞記事など発信出来なかったと思う。

小心者ではないかもしれないがなんとなくおこがましいのだ。

得意顔も出来ない。自慢するようなことではないのだと思う。


自分の「作品」と云って良いのかそれもおこがましいが

一喜一憂することがとても多い。

落選は日常茶飯事のことである。もうそれにも慣れてしまった。

そのくせプライドが高いので酷く傷つけられたように思う。


諦めたらそれでお終いと自分を励まし続けているが

どちらかと云うと「負け組」なのではないだろうか。


書きたい気持ちは常にある。それだけが救いなのかもしれない。

最期の日がいつなのか分りもしないがその直前まで書きたいと思う。





コロナ発症から4日目の義父。今日も微熱が続いていた。

少し弱気になっており母が連れに来ているとまで言う。

そんなことは絶対に在り得ない。母はきっと見守ってくれているはずだ。

明日はどうか熱が下がっていますように。そればかりを祈っている。



2023年11月20日(月) 命の蝋燭

今日も20℃近くまで気温が上がり小春日和となる。

この暖かさも後数日で週末には厳しい寒波がやって来るらしい。

少しずつ身体を慣らせていかなければいけない。

血圧は落ち着いて来ているがやはり不安が付きまとう。

夫曰く。ぽっくり死ねば良いが半身麻痺は困るのだそうだ。

私はどちらも嫌だ。あと20年くらいはなんとしても元気でいたい。

しかしこればかりは自分で決めることが出来ないのだ。

命の蝋燭があとどのくらい残っているのか知ることも出来ない。





義父、昨夜再発熱。38℃を超えていたようだ。

解熱剤を服用しても熱は下がり切らない。

今朝は布団でぐったりしていて可哀想でならなかった。

コンビニでおにぎりを買って来ていたので一個だけ食べる。

食欲があるわけもない。無理やり詰め込むようにしていた。

感染から3日目なのでそろそろ峠を越すだろう。

体力はあるのだ。後は気力で乗り越えて欲しいと願って止まない。



月曜日のせいか仕事がとても忙しくパニック状態となる。

コロナは理由にはならないのだ。お客さんは待ったなしである。

同僚が協力してくれてなんとか今日のノルマを遣り遂げた。

明日も忙しくなるだろう。まるで仕事と闘っているようだ。

なんだか自分が試されているような気がする。

出来るのか出来ないのかと矢を放たれたかのように。

身を交すことは無理だろう。こうなったら受け止めるしかないと思う。



ぐったりと疲れて帰宅。今日は娘が休みだったようだ。

以前から物置状態になっていた和室を片付けてくれていた。

それからあやちゃんと久しぶりに買物に行っていたらしい。

あやちゃんはよほど嬉しかったのかおじいちゃんに報告してくれたそうだ。

良き気分転換になったのだろう。夕食時も笑顔を見せてくれていた。


一時的なことかもしれないが希望が見えたような気がする。

あやちゃんの閉じ籠っている殻は簡単には砕けない。

周りの大人が無理に砕こうとしてはいけないのだ。

それはあやちゃん自身がこつこつと砕いて行くものだと思う。

まるで卵からひよこが生まれるように。







2023年11月19日(日) コロナの嵐

朝は冷え込んだが日中は陽射しが降り注ぎ小春日和となった。

こんな日がずっと続けばどんなにか良いだろうか。

冬はどうしようもなく深まることだろう。

それも春に向かうための約束のようなものだ。



早朝から近くのローソンへ。予め電話をしたら体温計の在庫があるとのこと。

ドラッグは9時にならないと開店しないのでとても助かった。

おかげで8時過ぎにはもう山里へ着くことが出来る。


義父は空腹になったらしくインスタントラーメンを食べていた。

聞けば昨日の朝から何も食べていなかったそうだ。

早速熱を測ってみたら36℃8分、ほぼ平熱に近い。

咳と声枯れのみで頭痛など他の症状は無いようだった。


ただの風邪なのかもしれないが念のために病院へ連れて行く。

休日の当直医は四万十市立市民病院で私の住む町にある。

義父を車に待機させ受付へ行ったらひと悶着あった。

「発熱外来」はすべて予約制でいきなり来ても診てもらえないらしい。

もうすでに午前中の予約はいっぱいになっていると言われた。

困り果てていたら担当の看護師さんが親身になってくれて

遠方からなので特別に割り込ませてくれることになった。

本来なら出直さなければいけないところをなんと有難いことだろう。


義父は院内には入れず私も一緒に駐車場で待機していた。

医師が出向いて来てくれてPCR検査をする。

30分程で結果が出た。やはり心配していた通りコロナ陽性であった。

義父はしきりにコロナワクチンを何度も打ったのにと納得しない。

そのワクチンのおかげで軽症で済んだのだと言い聞かした。

もう熱は下がっているので急変することはないと思うが

高齢なのでくれぐれも用心するよう医師から注意を受ける。


おそらく度重なる高知市内への出張。大切な会議があったのだ。

その時に感染したと思われるがそれも定かではなかった。

明日も会議があるので帰宅しながら電話を掛けまくっていた。

そうしたら先日から同じ会議に出席していた人も義父と同じ症状らしい。

その人はただの風邪だと思い病院には行っていないと言う。

「絶対にコロナだ!すぐに検査してもらえ」義父の口調も荒くなる。


もっと心配なのは母の49日の法要での事である。

義父がすでに感染していたのなら親族皆が濃厚接触者になるのだ。

数名だが電話で確かめたら今のところ異変はないようだった。

それで安心して良いものか。数日は様子を見なければいけない。


一番接触しているのはこの私であるが

二度もコロナに罹ってたまるもんかと気を強く保っている。

しかし気のせいかもしれないがなんとなく喉に違和感を感じている。

まさかまさかと思いつつ焼酎で消毒をしているが如何なものだろう。


明日から23日の祝日までが勝負だと思っている。

義父不在の職場をなんとしても順調に守らなければいけない。


もうコロナは御免だ。どれほどの嵐でも立ち向かって行こうと思う。







2023年11月18日(土) 冬の足音

冬型の気圧配置が強まり今季の寒さを更新する。

強い北風。午前中は時雨れて霰のようなものが降る。

高知県の山間部では初積雪もあったようだ。

暖冬だと聞いていたけれどやはり冬なのに違いない。

11月の中旬に雪が降ったことがかつてあっただろうか。



朝のうち例の眠気に襲われ炬燵で一時間半ほど寝ていた。

カーブスに行く予定だったが先に買物を済ませて置く。

なんとなく気が向かない。寒さのせいか足の痛みも酷かった。

無理に行ってもまた落ち込むばかりだと思い「休む」連絡をする。

もしかしたらこのまま止めてしまうのかもしれない。

自分でもよく分からないのだ。続けたいのかどうか。



お昼には温かいおそばを食べた。身体の芯から温まる。

とろろ昆布と天かすをたっぷりと入れて美味しい。


おでんの材料を買って来ていたので玉子を茹で大根を茹でる。

大きな土鍋でことことと煮込んだ。家中におでんの匂いが漂う。

煮込みながらまた炬燵に潜り込み2時間ほど寝ただろうか。

ガスの火は夫が消してくれておりすでにおでんは出来上がっていた。


娘の帰宅が遅かったので夕飯はおでんのみ。

めいちゃんは食べてくれたがあやちゃんは箸も付けない。

娘が大急ぎでチャーハンを作ってくれた。


なんと怠惰な一日だったことだろう。

ごろごろと寝てばかりで家事らしきことは殆どしていなかった。





日が暮れて義父から電話がありどうやら熱が出ているらしい。

体温計が何処にも見当たらないと言って困っていた。

母の49日が終わるまではと気が張っていたのだろう。

昨日の上機嫌が嘘のように弱り果てている様子であった。

もしかしたらコロナかもしれない。インフルエンザの可能性も大きい。

とりあえず風邪薬で様子を見ることにしたが

心配なので明朝すぐに駆け付けてみようと思っている。


人一倍タフな義父である。熱にうなされることなどあってはならない。

たとえ80歳だとしてもだ。義父ほど元気な人は居ないのだと思う。


母と別居してからずっと独り暮らしだったが

これまで母の心配はしても義父の心配などしたことがなかった。


もし心配している人が居るのならそれは母以外に考えられない。

黄泉の国から義父の姿が見えているのならどうか守ってやって欲しい。



2023年11月17日(金) 山茶花の季節

西の空にナイフのような三日月が浮かんでいる。

いったい何を切ろうとしているのだろうか。



母の49日の法要。

身内だけのささやかな法要であったが

和やかな雰囲気となり母もきっと喜んでくれたと思う。


とうとう逝ってしまうのか。何かが千切れてしまうような感覚があった。

縁が切れるわけはない。ではいったい何が切れてしまうのか。

「存在」について考える。それはこの世に生きて在ってのことだろうか。

私はそうではないと思う。魂は永遠に存在するのではないだろうか。


三途の川を渡り切った母が花の道を歩いている。

もう山茶花の季節。その一輪を手折り母の髪に挿してやりたい。


これはきっとひとつの「区切り」だと思う。

区切ってやらなけれ母は黄泉の国に辿り着けないのだ。





けい君とめいちゃん。伯母の孫のけんた君。

子供達も小さな手を合わせ無事に法要を終える。

それから皆で「一風」へ行き昼食会となった。

上機嫌の義父。子供達が来てくれたのがよほど嬉しかったらしい。

けい君もめいちゃんも血の繋がりこそないが義父のひ孫に違いない。


私はふっと義父の葬儀を思い浮かべていた。

それは縁起でもないことだけれど必ず訪れることである。

義父が寂しくないように賑やかに送ってやらねばと思った。

たとえ義理の仲ではあっても私は義父のたった一人の娘である。

人生において二人の父に恵まれたのだ。

母の死には涙ひとつこぼさなかったが義父が死んだらきっと泣くだろう。

それほどまでに義父は尊い存在であった。





「一風」でテイクアウトのステーキを二枚焼いてもらった。

あやちゃんと娘婿の夕食用である。

あやちゃんが「めっちゃ美味しい」と言って食べてくれる。

その笑顔のなんと嬉しかったことだろう。


お葬式にも今日の法要にも出席することは出来なかったが

あやちゃんも母の大切なひ孫に違いなかった。


母はきっと見守ってくれることだろう。

ひ孫たちの成長を楽しみにしてくれることだろう。



2023年11月16日(木) 赦すこと

朝のうちは晴れていたがお昼頃からぽつぽつと雨が降り始める。

気温は上がらず肌寒い一日となった。

今夜は強く降る予報だけれど今は止んでいてとても静かだ。

ずっと空気が乾燥していたのでまとまった雨が必要なのかもしれない。



明日が母の49日の法要なので義父の姉に当たる伯母が来てくれた。

仏前にお供えするお団子を作って来てくれてとても助かる。

本来なら娘である私が準備しなければいけないことだった。


義父には姉と妹が二人いて三人とも心安く付き合ってくれている。

特に伯母は穏やかな性格で一番好きだった。

相談相手にもなってくれてとても頼りがいのある人だ。



昔々、母が義父の元に転がり込んで来た時には

どれほどの迷惑を掛けたことだろう。

狭い山村のことである。人々の噂の標的にもなっていたと思う。

それを耐えてくれて母を赦し受け入れてくれたのだ。


母の性格では恩を感じたことはなかったのではないだろうか。

母の悪口は言いたくないが本当に身勝手な人だった。

そうでなければどうして子供を捨ててまでして男に走るだろうか。


書きながら今気づいたが、私は未だに母を赦していないのだと思う。

いったいいつになったら心から赦せる日が来るのだろう。

もう母はこの世にいない。その現実さえも受け止められずにいる。


母は亡くなってからやっと私の本心を知ったのかもしれない。

このままでは成仏出来ないのではないか。私はわたしを責めている。

赦すなら明日だろう。心から母を赦してやりたいものだ。





今日は今年の「高知県文芸賞」の入選者の発表があった。

どきどきしながら見たが何処にも私の名前がなかった。

きっと当然のことなのだろう。ずいぶんと己惚れていたらしい。


祖母の命日に書いた詩だったので残念でならないが

賞よりも何よりも活字になることが出来ないのがとても辛く思える。

私の詩はそんなものなのだ。儚く消えてしまう運命なのだろう。

だからと云って諦めてしまったら何もかもお終いなのである。





今日はほぼ残業無しで早めに帰宅した。

夕飯はチンするだけのグラタン。鯵のお刺身。

炒めるだけの牛肉のタレ漬け。群馬産ほうれん草の胡麻和え。

あとはハムもどきの焼豚。すべて簡単な手抜き料理である。


娘達はめいちゃんのダンス教室のある日なのでまだ帰宅していないが

あやちゃんは一緒に食べるつもりなのだろう一切顔を見せない。

今夜は鉛筆削りの音も聞こえず静まり返っている。


一昨日の夜にちらっとあやちゃんの顔を見たきりだ。

あやちゃんに会いたい。


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