西の空にナイフのような三日月が浮かんでいる。
いったい何を切ろうとしているのだろうか。
母の49日の法要。
身内だけのささやかな法要であったが
和やかな雰囲気となり母もきっと喜んでくれたと思う。
とうとう逝ってしまうのか。何かが千切れてしまうような感覚があった。
縁が切れるわけはない。ではいったい何が切れてしまうのか。
「存在」について考える。それはこの世に生きて在ってのことだろうか。
私はそうではないと思う。魂は永遠に存在するのではないだろうか。
三途の川を渡り切った母が花の道を歩いている。
もう山茶花の季節。その一輪を手折り母の髪に挿してやりたい。
これはきっとひとつの「区切り」だと思う。
区切ってやらなけれ母は黄泉の国に辿り着けないのだ。

けい君とめいちゃん。伯母の孫のけんた君。
子供達も小さな手を合わせ無事に法要を終える。
それから皆で「一風」へ行き昼食会となった。
上機嫌の義父。子供達が来てくれたのがよほど嬉しかったらしい。
けい君もめいちゃんも血の繋がりこそないが義父のひ孫に違いない。
私はふっと義父の葬儀を思い浮かべていた。
それは縁起でもないことだけれど必ず訪れることである。
義父が寂しくないように賑やかに送ってやらねばと思った。
たとえ義理の仲ではあっても私は義父のたった一人の娘である。
人生において二人の父に恵まれたのだ。
母の死には涙ひとつこぼさなかったが義父が死んだらきっと泣くだろう。
それほどまでに義父は尊い存在であった。

「一風」でテイクアウトのステーキを二枚焼いてもらった。
あやちゃんと娘婿の夕食用である。
あやちゃんが「めっちゃ美味しい」と言って食べてくれる。
その笑顔のなんと嬉しかったことだろう。
お葬式にも今日の法要にも出席することは出来なかったが
あやちゃんも母の大切なひ孫に違いなかった。
母はきっと見守ってくれることだろう。
ひ孫たちの成長を楽しみにしてくれることだろう。
朝のうちは晴れていたがお昼頃からぽつぽつと雨が降り始める。
気温は上がらず肌寒い一日となった。
今夜は強く降る予報だけれど今は止んでいてとても静かだ。
ずっと空気が乾燥していたのでまとまった雨が必要なのかもしれない。
明日が母の49日の法要なので義父の姉に当たる伯母が来てくれた。
仏前にお供えするお団子を作って来てくれてとても助かる。
本来なら娘である私が準備しなければいけないことだった。
義父には姉と妹が二人いて三人とも心安く付き合ってくれている。
特に伯母は穏やかな性格で一番好きだった。
相談相手にもなってくれてとても頼りがいのある人だ。
昔々、母が義父の元に転がり込んで来た時には
どれほどの迷惑を掛けたことだろう。
狭い山村のことである。人々の噂の標的にもなっていたと思う。
それを耐えてくれて母を赦し受け入れてくれたのだ。
母の性格では恩を感じたことはなかったのではないだろうか。
母の悪口は言いたくないが本当に身勝手な人だった。
そうでなければどうして子供を捨ててまでして男に走るだろうか。
書きながら今気づいたが、私は未だに母を赦していないのだと思う。
いったいいつになったら心から赦せる日が来るのだろう。
もう母はこの世にいない。その現実さえも受け止められずにいる。
母は亡くなってからやっと私の本心を知ったのかもしれない。
このままでは成仏出来ないのではないか。私はわたしを責めている。
赦すなら明日だろう。心から母を赦してやりたいものだ。

今日は今年の「高知県文芸賞」の入選者の発表があった。
どきどきしながら見たが何処にも私の名前がなかった。
きっと当然のことなのだろう。ずいぶんと己惚れていたらしい。
祖母の命日に書いた詩だったので残念でならないが
賞よりも何よりも活字になることが出来ないのがとても辛く思える。
私の詩はそんなものなのだ。儚く消えてしまう運命なのだろう。
だからと云って諦めてしまったら何もかもお終いなのである。

今日はほぼ残業無しで早めに帰宅した。
夕飯はチンするだけのグラタン。鯵のお刺身。
炒めるだけの牛肉のタレ漬け。群馬産ほうれん草の胡麻和え。
あとはハムもどきの焼豚。すべて簡単な手抜き料理である。
娘達はめいちゃんのダンス教室のある日なのでまだ帰宅していないが
あやちゃんは一緒に食べるつもりなのだろう一切顔を見せない。
今夜は鉛筆削りの音も聞こえず静まり返っている。
一昨日の夜にちらっとあやちゃんの顔を見たきりだ。
あやちゃんに会いたい。
冬型の気圧配置が少し緩んだようだ。
日中は20℃近くまで気温が上がりぽかぽかと暖かだった。
今日も季節を忘れたかのように蝶々が飛んでいるのを見た。
職場の近くには二本の銀杏の木があり心を和ませてくれていたが
そのうちの一本はもうすっかり葉を落とし裸木になっている。
枝を空に伸ばしているのがなんだか骨のように見えてせつない。
これから本格的な冬になるがどんなにか冷たいことだろう。
耐えながら春を待つ。そうして若葉の季節がやって来るのだ。

父の命日。もう20年もの歳月が流れた。
あの夜、父の遺体に寄り添って眠ったことを忘れられない。
離れ離れになってから何年経っていたのだろう。
私は本当に親不孝な娘だったと思う。
父が亡くなってから不思議なことがたくさんあった。
その度に父の気配を感じ魂の存在を感じずにいられなかった。
私はそうしてずっと父に守られて来たのだと思う。
父が近くなった。それは生前よりもずっと近くに。
私もやがて黄泉の国に旅立つ時が来るが
母には悪いけれど真っ先に父に会いたいと思っている。
もしかしたら既に生まれ変わっているかもしれない。
だとしたらきっと身近な存在になっていることだろう。
魂は何度でも巡り合うことが出来るのだそうだ。

昨日の朝「ふゆさん」で始まる冬の詩を書いた。
自分でも好きだなと思う。もうこれ以上の詩は書けないとさえ思った。
松下育夫さんの「詩の通信教室」に送信する。
いつもなら直ぐに「受け取りました」と返信が来るのだけれど
それが来ないのだ。こんなことは初めてである。
おそらくたくさんの詩が送られて来ていて返信が漏れたのだろう。
そうは思っても届いていない可能性も無きにしも非ずだった。
2週間程すれば感想が送られて来るのだが来なかったらどうしよう。
私の詩が行方不明になってしまうのだ。それはなんとも悲しい。
「届いていますか?」とメールすれば解決するかもしれないが
そんな厚かましいことなどどうして出来ようか。
私など足元にも及ばない有名な詩人なのである。

今日も一時間ほど残業。どうやらもう定時を切り替えた方が良さそうだ。
専務なのだもの。いつまでもパートの事務員ではいられない。
その専務が今日もうっかりミスをしてしまった。
最近ミスが多く歳のせいだろうと自分を宥めている。
挽回に挽回を重ねているが追いつけないのが現実である。
もうすでに12月の予約が入り始めている。
なんとしても順調に年内の仕事を終わらせなければいけない。
夕飯は揚げるだけのエビフライ。豚肉の生姜焼き。
鰤の仲間のような魚のお刺身。後はブロッコリーを茹でた。
昨日の夜からあやちゃんの姿を見ていない。
今夜も夕食を食べたのかどうかも分からない。
勉強をしているのだろうか子供部屋から鉛筆削りの音が聞こえている。
日毎に朝の寒さが更新されているようだ。
もう秋の服は着られず今朝は冬の服を着た。
日中は冬型の気圧配置が緩んだのか小春日和になった。
蝶々がひらりひらりと飛んでいる。まさに春のようである。
職場の看板猫みい太が心地よさそうに日向ぼっこをしていた。
義父が高知市内へ出張。一気に緊張感が薄れる。
気のせいか同僚もゆったりと仕事をしているように見えた。
やはり義父は社長なのだ。その権威は当然の事なのだろう。
お昼に母の親友がお線香を上げに来てくれた。
お葬式には息子さん夫婦が焼香に来てくれていたが
おばちゃんは体調があまり良くなかったのだそうだ。
49日までに母に会いたいとずっと気になっていたらしい。
「お母ちゃん、まさ子おばちゃんが来てくれたよ」
母もきっと嬉しかったことだろう。もう思い残すこともないと思う。
二人で色んな所に遊びに行ったのだそうだ。
母の運転で高速道路も走り抜けたらしい。
「思い出がいっぱい」おばちゃんは目に涙を浮かべていた。

午後は定期の内科通院。病院は空いていてすぐに名前を呼ばれた。
若い医師とはずっと前から相性が悪くぶつかり合うことが多かったが
今日は私がよほど素直だったのだろう。医師も笑顔を見せてくれた。
血圧の薬を調整してくれて一錠だったのが二錠になった。
ゆっくりと血圧を下げていくのだそうだ。
次の通院日にはもう新年を迎えている。なんと早いことだろう。
寒い冬を乗り越えていかねばならない。どうか血圧が下がりますように。
朝の酷い眠気の相談もしてみたがやはり原因が分からないらしい。
単なる寝不足かもしれないと言われたが納得がいかなかった。
早寝早起きを心掛けているが睡眠の質が悪いのかもしれない。
とにかく用心しながら様子を見るしかないようだ。
居眠り運転だけはなんとしても避けなければいけない。

夕飯は豚ニラキムチ、めいちゃんの好物である。
後はカマスの塩焼き、ぶり子の煮つけ。水炊きの残りにうどんを入れた。
何をうっかりしていたのだろう。あやちゃんの好きな物がない。
娘に相談したら「大丈夫!」と言って茹で卵を作ってくれた。
あやちゃんは茹で卵にマヨネーズを付けて食べるのが好きだった。
夕食後また日課の短歌を唸る。今夜は三句、我ながらまずまずだろう。
夜明け前の詩もそうだが何も考えずに書いている。
言葉が勝手に自由気ままに浮かんでくるのだった。
私はもしかしたら天才なのかもしれませんね。ふふふ。
明け方から冷たい雨。真冬なら雪になっていたことだろう。
全国的に今季一番の冷え込みだったようだ。
日中も気温が上がらず一日中暖房のお世話になっていた。
今朝は血圧がびっくりするほど高い。
おろおろしていたら夫が「気にしたらいかんぞ」と声を掛けてくれた。
寒いからだと言う。そうかそんなもんかと気が楽になった。
夫も高血圧の治療をしているが家では一切血圧を測らない。
だから当たり前のように全く気にならないのだそうだ。
私はそうはいかない。毎朝毎晩測らなければ気が済まないのだ。
神経質な性格は父に似たのだろうと思う。
ストレス性の胃炎も父と同じであった。
ちなみに父方の祖父は胃がんで亡くなっている。
父の死因は明らかではないがおそらく食道がんではなかっただろうか。
病院へ連れて行ってやれなかった事が未だに悔やまれてならない。
明後日が命日。もう20年もの歳月が流れた。

今日も2時間の残業。もう慣れてしまって苦にはならないが
必死の思いで義父のペースに合わせている。
来客があれば長時間話し込む。電話も一時間は日常茶飯事だった。
義父の手が空いてからやっと一緒に仕事が出来るのだった。
車検が二台。一台は不適合で再修理が必要となる。
同僚は大型車と格闘しており全く余裕が無い有り様であった。
何事も順調にとはいかない。また胃がきりきりと痛みだす。
ふっと母は見ているだろうかと思った。
きっとはらはらしていることだろう。心配をかけて済まない。

寒い日だったので夕飯は水炊きにした。
いつもより遅い時間だったので半額になっているだろうと期待する。
鮮魚売り場へ行ってがっくり。鍋物用の魚はすべて定価だった。
仕方なく鯛を買う。6百円だったのでそう高くはない。
調理済みなのが有難い。鍋に放り込めば良いのだ。
後は牡蠣と魚のすり身を買った。鶏肉は家の冷凍庫にある。
水炊きはポン酢で食べるのが習いだが、我が家は大根おろしを入れる。
先日搾ったばかりの柚子と頂き物の直七を搾った。
お醤油を加え刻み葱と唐辛子でそれは美味しいタレが出来る。
ぐつぐつと煮えたところでさあ食べようとなったが
私は無性にご飯が食べたくてたまらなかった。
水炊きには殆ど箸を付けず大盛ご飯に蕪の千枚漬け。
沢庵もポリポリ食べてお腹がいっぱいになってしまった。
夕食後は日課の短歌を唸る。
大した短歌でもないのに「いいね」のなんと有難いことだろう。
お目汚しばかりで本当に申し訳なく思っている。
階下へ降りたらあやちゃんが笑顔で水炊きを食べてくれていた。
一日の疲れが一気に癒されていく。
あやちゃんありがとうね。もうそれ以外に言葉の見つからない夜だ。
今日も冬型の気圧配置。南国高知も冷たい北風が吹いていた。
日中は陽射しがあり過ごし易く感じたが
夕方からまた一気に寒くなってしまった。
お風呂で温まりちゃんちゃんこを羽織ってこれを記している。
お隣の山茶花が可愛らしく咲き始めている。
まだ一輪二輪だがたくさんの蕾が見えておりこれからが楽しみだ。
我が家には土の庭が無いので木を植えることは出来ないが
ご近所さんの庭で季節を感じることが多い。
南天や千両、おたふくの紅い葉も心を和ませてくれる。

お昼は「一風」へラーメンセットを食べに行っていた。
宿毛市の郊外だが車で20分もあれば着く。
小学校の同級生の「なっちゃん」が働いている。
いつも笑顔で迎えてくれるのでそれも嬉しくてならない。
母の葬儀後の会食をお世話になったが49日の法事も頼むことになった。
義父とは打ち合わせ済みで予約を私に任せてくれたのだ。
最初は皿鉢料理を配達してもらって自宅ですると言っていたが
準備や後片付けが大変なので出向くことになった。
私の足が痛く座敷に座れないのでそれも考慮してくれたようだ。
今のところ順調に法事の準備が進んでいる。
母もきっと安心していることだろう。
なんとしても無事に三途の川を渡らせてやらねばならない。

夕食は「天下茶屋」以前にも説明したが牛肉多めの野菜炒めである。
杖を付きながら片手でホットプレートを出していたら
手を滑らせ落としてしまった。大きな音がして本体がバラバラになる。
すぐに夫が駆け付けて来てくれたがぶつぶつ文句を言うので腹が立つ。
「私にさせるからだ」と言うと「俺は頼まれていないぞ」と言う。
頼んだら何でも手を貸してくれのだろうか。次から試してみよう。
今夜は珍しくあやちゃんが娘達と一緒に食べてくれていた。
ついつい顔色を窺ってしまうのだがにこにこしていてほっとする。
その日の気分次第なのだろう。いつもそうだとは限らない。
まあるく納めるのは難しくはらはらすることが多いけれど
あやちゃんは彼女なりに葛藤しながら過ごしているのだと思う。
笑顔の日がずっと続きますように。祈るばかりの日々であった。
西高東低の冬型の気圧配置。高知県はさほどの冷え込みはなかったが
北海道の平野部では初雪が降ったようだ。
どうしようもなく冬が始まる。後はもう春を待つしかない。
今朝から血圧がいつもよりも高く今もまだ落ち着いていない。
特に自覚症状はないのでどうと云うことはないのだけれど
突然に倒れたりするのではないかと不安でならない。
死が頭を過るのだけは勘弁して欲しい。まだ死ぬわけにはいかない。
生きて全うしなければいけないことがたくさんあるのだ。
午前中はカーブスに行っていたがまたメンタルをやられる。
もうこそ止めようかと思いつつ肩を落として帰宅した。
下半身が駄目でも上半身だけでもと思うのだ。
何もしないでいるとどんどん体力が無くなってしまうだろう。
弱気になってはいけないと自分を励まそうとしても
こころに頑丈な鍵が掛かっているように感じる。
その鍵を開けられるのは自分しかいないのだと思う。
午後はひたすら寝ていた。目覚めたらもう3時になっていて
のろのろと庭に出て洗濯物を取り入れる。
あやちゃんはまだ半袖短パンのようだ。
いつになったら暖かく着込んでくれるのだろう。
一切口出しをしてはいけないのがもどかしくてならない。
夕飯はカレーライス。甘口と辛口とふたつの鍋で煮込んだ。
娘が手伝ってくれたのでずいぶんと助かる。
あやちゃんは一緒に食べてはくれなかった。
娘が何も言わないので私も何も言えない。
夕食後は短歌をふたつ。これももう日課になった。
今月は同人誌の締め切りがあるので久しぶりに送ってみようと思っている。
少しでも活字にして残しておきたい。まるで遺書のようだ。
北風だろうか窓の外でひゅひゅると唸っている。
北海道はどんなにか寒いことだろうと友に想いを馳せている夜だ。
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