ぽつぽつと小雨降る一日。夕方には止み北風が吹き始めた。
明日の朝は冷え込むかもしれない。
夏の花だとばかり思っていた朝顔がまだ咲いているのを見た。
詳しくは朝顔によく似た花と言ったほうが良いだろう。
青い大輪で蔓を伸ばしなんとも逞しく見える。
朝顔はその名の通り朝に咲き昼間はしぼんでしまうのだが
その花は昼間も誇らしげに咲いているのだった。
夏の忘れ物かもしれない。きっと寒さに強いのだろう。

昨日のミスはすっかり許され気分よく仕事を始める。
義父の機嫌も良かったのでほっと嬉しかった。
しかしどうしたことだろうまた今日も胃痛に悩まされる。
同僚に話したら「絶対にストレスだ」と言って聞かない。
やはり義父の顔色ばかり気にしているせいだろうか。
私はそれほど精神的に弱い人間だったのかと思う。
ストレス以外に考えられるのは季節の変わり目だからかもしれない。
夏から秋への暴飲暴食も祟っているのだろう。
しばらくは胃薬に頼りながら様子を見るしかないように思う。
家に帰れば胃痛が治まる。それが何を意味しているかだ。
ずっと残業続きの一週間だった。週末はとにかくゆっくりと休もう。

今日は珍しくお昼休みがあったのでこの日記の一部を手直して
高知新聞の「あけぼの」に投稿した。
10月23日に書いた「母の冥銭」である。
原稿用紙2枚以内に納めなければいけないのでかなり削ったが
それなにりまとまったものとなり自分では満足している。
採用されたら新聞に掲載されるので母もきっと喜んでくれるだろう。
出来れば一週間後の49日の法要に間に合えばと思っている。
今回だけはかなり自惚れが強いがもし駄目だったら奈落の底だ。
どうかどうかと手を合わせつつポストに投函した。
書くことは生きること。そう言った作家は誰だったか忘れたけれど
私も同じ気持ちでいる。なんとも大それたことではあるが
もし書けなくなってしまったら死んだも同然だと思う。
何処に向かっているのか分からない。
生きている以上は死に向かうしかないのかもしれない。
生きた証をどれだけ残すことが出来るのだろうか。
天気予報が外れてしまって曇り日。
肌寒くはなかったがやはり陽射しが欲しくなる。
明日は雨の予報で強く降る時間帯がありそうだ。
来週から一気に気温が下がり初冬らしくなるとのこと。
北海道は雪と聞く。なんと短い秋だったことか。
今朝のニュースで春になっても桜が咲かない地域があるらしい。
暖冬の影響だと言っていたがなんだか信じられなかった。
冬になってみないと分らないし春になってみないと分らない。
夕方のローカルニュースでは県内の紅葉の情報が流れていた。
すでに見頃になっている場所もあり気になって仕方ない。
夫が「ろくに歩けもしないのに」と意地悪なことを言う。
私は車窓からで十分に思っているのだけれど駄目なのだろうか。
諦めたくはないがなんだか楽しみが薄れていくような気がする。

仕事でうっかりミス。義父に散々叱られてしまった。
今に始まったことではないがネチネチとくどいのだ。
ひたすら謝って勘弁してもらったがなんとも後味が悪い。
どうしてあんなミスをしてしまったのだろうと
自分を責めてみたりして後悔ばかりしている。
全てが順調とはいかないものである。人間だもの失敗もするのだ。
けれども教訓にしなければまた同じ過ちを犯すだろう。
もうすぐ67歳になろうとしているがまだ成長しなければいけない。
母が亡くなってしまったので私が専務取締役に就任することになった。
ちっぽけな会社ではあるが専務不在では成り立たないのだそうだ。
カタチだけだけれど喜んで引き受けてしまった。
「専務」なんと心地よい響きであろうか。えっへんと声を出したくなる。
仕事内容はこれまでと全く変わらないが責任が少し重くなった。
ストレスなのかもしれないが最近胃痛に悩まされている。
家に帰れば治まるなんとも分かりやすい症状である。
通勤時の酷い眠気。左足の痛み。そのうえに胃痛と三重苦なのだ。
泣きたいような気持になるけれど負けるもんかと思っている。
昼間、銀杏の葉がはらはらと散っているのを見た。
もうそんな頃なのか。銀杏はやがて裸木になるだろう。
自然の命は逆らうことをしない。いつだって受け止めながら生きている。
立冬。暦の上では今日から冬が始まる。
今年は暖冬だと云われているがどうなのだろう。
雪の降る日もあるのではないだろうか。
「寒さなければ花は咲かず」の花とは桜のことを指す。
厳しい寒さを乗り越えてこそ桜の花は咲くのだ。
人生も同じだと思う。どんなに辛くても乗り越えなければいけない。
そうしてやがて「人生の春」を迎えることが出来る。
日中は小春日和。やっとそう云えるようになった。
「小春日和」は冬の季語なのだ。
早く使いたくてうずうずしていたほど好きな日本語である。

母の49日の法要が近づき義父とあれこれと段取りをしている。
納骨はしないのだそうだ。その前に義父の家には納骨堂が無かった。
昔は土葬だったので先祖代々のお墓はあるのだけれど
5年前に亡くなった義祖母の遺骨は穴を掘って埋めたらしい。
母の遺骨は一周忌まで置きまた穴を掘って埋めるのだろう。
なんだか憐れにも思えるが仕方ないことだと思う。
立派な納骨堂を建てるほどの経済的な余裕はないのだ。
母の実家にはちゃんとした納骨堂があるが
今更どうして義父に言えよう。もう何も言ってはならない。
母もきっと許してくれるだろうと祈るような気持でいる。
49日が過ぎれば複雑な気分も少しは落ち着くだろう。
心に何かが絡んでいるような日々がずっと続いていた。
母が無事に天国に辿り着くまではと気が張っているのかもしれない。
まともにお線香もあげずなんと親不孝な娘なのだろうか。
母が植えていた百日紅の花がまだわずかに残っている。
本当に百日咲く花だったのだ。仏間に居る母に見せてやりたいと思う。
雨上がりの爽やかな朝。
寒さを覚悟していたけれど思いがけずに暖かくなる。
日中は20℃ほど。さすがにもう夏日はないだろうと思う。
午後から風が少し冷たくなった。かすかに冬の気配を感じる。
関東などでは大荒れの天気だったようでまるで嵐のありさま。
強風の被害も少なからずあったようだ。
全国的に穏やかな晴天とはなかなか叶わないものである。
もう7時半。最近この日記を書き始めるのが遅くなっている。
夕食後、食器洗いもせずに短歌を唸ったりしているものだから
入浴の時間がずれてしまってめいちゃんが先に入るようになった。
今夜も私が先に入ろうとしていたら怒られてしまう。
さほど長風呂ではないので待ち時間は苦にならないけれど
ついつい煙草に火を点けてしまったりしていけない。
家での禁煙は9ヶ月続けることが出来ていたのだけれど
先日からどうしようもなくまた吸い始めてしまった。
もう我慢はするまいと思う。自分を責めるのもよそうと思う。
吸いたいだけ吸えばいいと開き直ってしまったのだ。
不思議なことにあれほど高かった血圧が下がり始めている。
それが健康だとは決して思ってはいないけれど
禁煙がストレスになっていたことは確かなのではないだろうか。
昼間は職場で義父に散々お説教をされた。
このまま煙草を吸い続けていたら母のようになると云う。
母は過剰な喫煙が原因で心臓を悪くしたのだそうだ。
「おまえも死ぬぞ」それほど怖ろしい言葉があるだろうか。
すぐ暗示に掛かりやすい私にひしひしと死が迫ってくる。
それからずっと自分が死ぬことについて考えている。
今もそうだ。頭から振り払うことが出来ない。
だからと云ってすぐに煙草を止めることも困難に思える。
どうしたら良いのだろう。私は死ぬしかないのだろうか。
このループはなかなかに手強い。すでに雁字搦めになっているようだ。
夫の祖母は百歳近くまで長生きをしたが
愛煙家で亡くなる寸前までキセルで煙草を吸っていたそうだ。
幼い頃に祖母と同居していた夫はそうして煙草嫌いになったらしい。
そのせいか未だに喫煙者を憎むような発言をする時がある。
癌や心臓病や避けられない病は確かにあるけれど
長生きをした祖母のような人も居るのだと思うと救われる気がする。
まだ死にたくはない。けれども煙草を止めることも出来ない。
雨が降ったり止んだり。果たして恵みの雨になったのだろうか。
冬野菜を育てている農家の人達はどんなにか待ちわびていたに違いない。
雨が降れば気温が下がるのかと思いきやほぼ夏日となり蒸し暑かった。
やはり異常気象なのだろう。南風が吹き荒れた地域もあったようだ。
明後日はもう立冬である。正しい季節の訪れを願っている。
樹々の紅葉も今年は少し遅れているようだが
朝の山道では所々に色づいた樹が見られるようになった。
職場の近くの銀杏の木も日に日に黄金色になっている。
セイタカアワダチソウは枯れ始め芒の穂も老いてきた。
秋桜はいつの間にか散ってしまい種を見せている。
何処に向かっているのだろうと思う時がある。
背中を押されているように日々が流れていく。

来客が多くなんとも忙しい月曜日だった。
以前はお昼休みに本を読むのが楽しみであったが
最近は全く読めない日が続いている。
週末には返却しなければいけないが読み終わることが出来るだろうか。
なんだか時間がぎゅうぎゅう詰めなのだ。
焦りを感じることはないが余裕を持つことが出来ない。
夜明け前の詩と日が暮れてからの短歌は毎日書き続けている。
たぶん私の生きがいなのだろう。この日記もそうだと思う。
ある日突然に書けなくなるのが怖くてならない。
生きているうちにどれほどのものを書き残すことが出来るのだろうか。
やがては消滅するのだとしても私が存在していたことは消えない。
おそらく無名のままでこの世を去ることになるだろう。
「詠み人知らず」である。それほど光栄なことはないのだそうだ。
雨が止んでまるで梅雨時のような夜気が漂っている。
窓を開け広げて真っ暗な空を仰いでいると
どれほどちっぽけな私でも光になれるような気がするのだった。
今日も季節外れの暑さ。汗ばむほどの陽気となる。
明日は雨の予報だが一雨ごとに冬が近づいてくるのだろうか。
去年の今頃鉢植えの小菊を二鉢買ってそれは綺麗に咲いていた。
花が終ってから来年も咲かせようとプランターに植え替えたのだった。
あっという間の一年である。蕾が色づきもう少しで咲きそうになる。
しかし夏の間に水遣りを怠ったせいだろう葉が枯れてしまって
せっかくの菊がなんとも痛々しく無残な有り様となった。
足が不自由になってから思うように庭いじりが出来ない。
ホームセンターでパンジーを見つけても買う勇気がなかった。
歯がゆいような情けないような悲しい気分になる。
猫の額ほどの庭であるが見渡せば枯れ始めたセイタカアワダチソウ。
その他の雑草が生い茂っておりもう手に負えないのである。
娘が多肉植物を育てていたのもいつの間にかほったらかしになっている。
そのうち目覚めてくれるかもしれないと気長に待つしかない。
出来ていたことが出来なくなる。これも運命だと受け止めなければ。

お昼に巨大なお好み焼きを作って食べた。
4人分の粉で二枚焼くのだからどれ程のものか想像がつくだろう。
夫はビール。私はノンアルでお腹がはち切れそうになった。
なんという幸せだろうか。天にも昇るような気持ちである。
その後はばたんきゅうと横になり2時間ほど寝ていた。
食っちゃ寝ばかりだもの太るのは当たり前なのだ。
天気予報がよく当たりすっかり曇り空になっていた。
杖に縋り付きながら片手で洗濯物を取り入れるのが辛くてならない。
いつもは夫が取り入れてくれているけれど休日は私の役目である。
何もかも甘える訳にはいかないのだ。出来ることは自分でやらねば。
夕飯は焼くだけの餃子。娘がせせりで焼き鳥を焼いてくれる。
ほうれん草の白和え。しめじのバター炒め。レタスの炒め物。
元気になった娘婿が鯛を釣って来ておりお刺身にして頂く。
あやちゃんは今夜も皆が食べ終わってからだったが
餃子が好きなのでにこにこしながら食べてくれていて嬉しかった。
「美味しいかね?」と声を掛けたら「うん、美味しい」と応えてくれる。
最近は焼酎の水割り二杯でよれよれになる。
またばたんきゅうと寝ることだろう。
| 2023年11月04日(土) |
まあこんなもんだろう |
朝陽を浴びつつ洗濯物を干していたら汗ばむ。
11月だと云うのになんと異常な暑さだろう。
晴れのち曇り。午後もひどく蒸し暑かった。
その汗は異常ではないかと夫が心配してくれる。
カーブスで相談したら代謝が良くなっている証拠だと言われた。
代謝が良くなると筋肉が付き太らない身体になるとか
また免疫力も高まり風邪等に強くなるのだそうだ。
そんなの嘘っぱち。信じてたまるものかと思う。
体重はどんどん増えておりもう手に負えない。
恥ずかしい話だがついに65キロになりお腹周りは一メートルになった。
我ながらうんざりしており鏡を見るのも嫌になっている。
とにかく筋トレを続けましょうとカーブスのコーチは励ましてくれるが
週に一度の筋トレで成果があるとはとても思えない。
それも杖を付きながらである。みっともないったらありゃしない。
今日はもう止めてしまおうかとも考えたが決断は出来なかった。
運動不足の身体である。もしかしたらと一縷の望みが残っている。
何事にも限界があるだろう。その限界まで自分を試すのも良いだろう。

娘婿の39歳の誕生日であったが、まだ本調子ではないため
パーティーは延期することにした。「何か食べたい物はある?」
そうしたら「豚汁が食べたい」と言ってくれた。
お安い御用である。早速スーパーで材料を買って来る。
豚汁を食べるにはいささか蒸し暑い夕べであったが
娘婿はもちろんのこと孫達も喜んで食べてくれて嬉しかった。
明日の朝は残りにおうどんを入れて食べるのも楽しみである。
同居を始めて9年が経ちすっかり「家族」らしくはなったが
娘に云わせれば家族ではないと。それは複雑な気持ちになってしまう。
以前はどうすれば家族になれるのだろうと悩んだこともあるが
今は「まあこんなもんだろう」と思えるようになった。
サザエさんだと「マスオさん」である。
口数は少ないが酔っぱらうと饒舌になる愉快な娘婿であった。
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