立冬。暦の上では今日から冬が始まる。
今年は暖冬だと云われているがどうなのだろう。
雪の降る日もあるのではないだろうか。
「寒さなければ花は咲かず」の花とは桜のことを指す。
厳しい寒さを乗り越えてこそ桜の花は咲くのだ。
人生も同じだと思う。どんなに辛くても乗り越えなければいけない。
そうしてやがて「人生の春」を迎えることが出来る。
日中は小春日和。やっとそう云えるようになった。
「小春日和」は冬の季語なのだ。
早く使いたくてうずうずしていたほど好きな日本語である。

母の49日の法要が近づき義父とあれこれと段取りをしている。
納骨はしないのだそうだ。その前に義父の家には納骨堂が無かった。
昔は土葬だったので先祖代々のお墓はあるのだけれど
5年前に亡くなった義祖母の遺骨は穴を掘って埋めたらしい。
母の遺骨は一周忌まで置きまた穴を掘って埋めるのだろう。
なんだか憐れにも思えるが仕方ないことだと思う。
立派な納骨堂を建てるほどの経済的な余裕はないのだ。
母の実家にはちゃんとした納骨堂があるが
今更どうして義父に言えよう。もう何も言ってはならない。
母もきっと許してくれるだろうと祈るような気持でいる。
49日が過ぎれば複雑な気分も少しは落ち着くだろう。
心に何かが絡んでいるような日々がずっと続いていた。
母が無事に天国に辿り着くまではと気が張っているのかもしれない。
まともにお線香もあげずなんと親不孝な娘なのだろうか。
母が植えていた百日紅の花がまだわずかに残っている。
本当に百日咲く花だったのだ。仏間に居る母に見せてやりたいと思う。
雨上がりの爽やかな朝。
寒さを覚悟していたけれど思いがけずに暖かくなる。
日中は20℃ほど。さすがにもう夏日はないだろうと思う。
午後から風が少し冷たくなった。かすかに冬の気配を感じる。
関東などでは大荒れの天気だったようでまるで嵐のありさま。
強風の被害も少なからずあったようだ。
全国的に穏やかな晴天とはなかなか叶わないものである。
もう7時半。最近この日記を書き始めるのが遅くなっている。
夕食後、食器洗いもせずに短歌を唸ったりしているものだから
入浴の時間がずれてしまってめいちゃんが先に入るようになった。
今夜も私が先に入ろうとしていたら怒られてしまう。
さほど長風呂ではないので待ち時間は苦にならないけれど
ついつい煙草に火を点けてしまったりしていけない。
家での禁煙は9ヶ月続けることが出来ていたのだけれど
先日からどうしようもなくまた吸い始めてしまった。
もう我慢はするまいと思う。自分を責めるのもよそうと思う。
吸いたいだけ吸えばいいと開き直ってしまったのだ。
不思議なことにあれほど高かった血圧が下がり始めている。
それが健康だとは決して思ってはいないけれど
禁煙がストレスになっていたことは確かなのではないだろうか。
昼間は職場で義父に散々お説教をされた。
このまま煙草を吸い続けていたら母のようになると云う。
母は過剰な喫煙が原因で心臓を悪くしたのだそうだ。
「おまえも死ぬぞ」それほど怖ろしい言葉があるだろうか。
すぐ暗示に掛かりやすい私にひしひしと死が迫ってくる。
それからずっと自分が死ぬことについて考えている。
今もそうだ。頭から振り払うことが出来ない。
だからと云ってすぐに煙草を止めることも困難に思える。
どうしたら良いのだろう。私は死ぬしかないのだろうか。
このループはなかなかに手強い。すでに雁字搦めになっているようだ。
夫の祖母は百歳近くまで長生きをしたが
愛煙家で亡くなる寸前までキセルで煙草を吸っていたそうだ。
幼い頃に祖母と同居していた夫はそうして煙草嫌いになったらしい。
そのせいか未だに喫煙者を憎むような発言をする時がある。
癌や心臓病や避けられない病は確かにあるけれど
長生きをした祖母のような人も居るのだと思うと救われる気がする。
まだ死にたくはない。けれども煙草を止めることも出来ない。
雨が降ったり止んだり。果たして恵みの雨になったのだろうか。
冬野菜を育てている農家の人達はどんなにか待ちわびていたに違いない。
雨が降れば気温が下がるのかと思いきやほぼ夏日となり蒸し暑かった。
やはり異常気象なのだろう。南風が吹き荒れた地域もあったようだ。
明後日はもう立冬である。正しい季節の訪れを願っている。
樹々の紅葉も今年は少し遅れているようだが
朝の山道では所々に色づいた樹が見られるようになった。
職場の近くの銀杏の木も日に日に黄金色になっている。
セイタカアワダチソウは枯れ始め芒の穂も老いてきた。
秋桜はいつの間にか散ってしまい種を見せている。
何処に向かっているのだろうと思う時がある。
背中を押されているように日々が流れていく。

来客が多くなんとも忙しい月曜日だった。
以前はお昼休みに本を読むのが楽しみであったが
最近は全く読めない日が続いている。
週末には返却しなければいけないが読み終わることが出来るだろうか。
なんだか時間がぎゅうぎゅう詰めなのだ。
焦りを感じることはないが余裕を持つことが出来ない。
夜明け前の詩と日が暮れてからの短歌は毎日書き続けている。
たぶん私の生きがいなのだろう。この日記もそうだと思う。
ある日突然に書けなくなるのが怖くてならない。
生きているうちにどれほどのものを書き残すことが出来るのだろうか。
やがては消滅するのだとしても私が存在していたことは消えない。
おそらく無名のままでこの世を去ることになるだろう。
「詠み人知らず」である。それほど光栄なことはないのだそうだ。
雨が止んでまるで梅雨時のような夜気が漂っている。
窓を開け広げて真っ暗な空を仰いでいると
どれほどちっぽけな私でも光になれるような気がするのだった。
今日も季節外れの暑さ。汗ばむほどの陽気となる。
明日は雨の予報だが一雨ごとに冬が近づいてくるのだろうか。
去年の今頃鉢植えの小菊を二鉢買ってそれは綺麗に咲いていた。
花が終ってから来年も咲かせようとプランターに植え替えたのだった。
あっという間の一年である。蕾が色づきもう少しで咲きそうになる。
しかし夏の間に水遣りを怠ったせいだろう葉が枯れてしまって
せっかくの菊がなんとも痛々しく無残な有り様となった。
足が不自由になってから思うように庭いじりが出来ない。
ホームセンターでパンジーを見つけても買う勇気がなかった。
歯がゆいような情けないような悲しい気分になる。
猫の額ほどの庭であるが見渡せば枯れ始めたセイタカアワダチソウ。
その他の雑草が生い茂っておりもう手に負えないのである。
娘が多肉植物を育てていたのもいつの間にかほったらかしになっている。
そのうち目覚めてくれるかもしれないと気長に待つしかない。
出来ていたことが出来なくなる。これも運命だと受け止めなければ。

お昼に巨大なお好み焼きを作って食べた。
4人分の粉で二枚焼くのだからどれ程のものか想像がつくだろう。
夫はビール。私はノンアルでお腹がはち切れそうになった。
なんという幸せだろうか。天にも昇るような気持ちである。
その後はばたんきゅうと横になり2時間ほど寝ていた。
食っちゃ寝ばかりだもの太るのは当たり前なのだ。
天気予報がよく当たりすっかり曇り空になっていた。
杖に縋り付きながら片手で洗濯物を取り入れるのが辛くてならない。
いつもは夫が取り入れてくれているけれど休日は私の役目である。
何もかも甘える訳にはいかないのだ。出来ることは自分でやらねば。
夕飯は焼くだけの餃子。娘がせせりで焼き鳥を焼いてくれる。
ほうれん草の白和え。しめじのバター炒め。レタスの炒め物。
元気になった娘婿が鯛を釣って来ておりお刺身にして頂く。
あやちゃんは今夜も皆が食べ終わってからだったが
餃子が好きなのでにこにこしながら食べてくれていて嬉しかった。
「美味しいかね?」と声を掛けたら「うん、美味しい」と応えてくれる。
最近は焼酎の水割り二杯でよれよれになる。
またばたんきゅうと寝ることだろう。
| 2023年11月04日(土) |
まあこんなもんだろう |
朝陽を浴びつつ洗濯物を干していたら汗ばむ。
11月だと云うのになんと異常な暑さだろう。
晴れのち曇り。午後もひどく蒸し暑かった。
その汗は異常ではないかと夫が心配してくれる。
カーブスで相談したら代謝が良くなっている証拠だと言われた。
代謝が良くなると筋肉が付き太らない身体になるとか
また免疫力も高まり風邪等に強くなるのだそうだ。
そんなの嘘っぱち。信じてたまるものかと思う。
体重はどんどん増えておりもう手に負えない。
恥ずかしい話だがついに65キロになりお腹周りは一メートルになった。
我ながらうんざりしており鏡を見るのも嫌になっている。
とにかく筋トレを続けましょうとカーブスのコーチは励ましてくれるが
週に一度の筋トレで成果があるとはとても思えない。
それも杖を付きながらである。みっともないったらありゃしない。
今日はもう止めてしまおうかとも考えたが決断は出来なかった。
運動不足の身体である。もしかしたらと一縷の望みが残っている。
何事にも限界があるだろう。その限界まで自分を試すのも良いだろう。

娘婿の39歳の誕生日であったが、まだ本調子ではないため
パーティーは延期することにした。「何か食べたい物はある?」
そうしたら「豚汁が食べたい」と言ってくれた。
お安い御用である。早速スーパーで材料を買って来る。
豚汁を食べるにはいささか蒸し暑い夕べであったが
娘婿はもちろんのこと孫達も喜んで食べてくれて嬉しかった。
明日の朝は残りにおうどんを入れて食べるのも楽しみである。
同居を始めて9年が経ちすっかり「家族」らしくはなったが
娘に云わせれば家族ではないと。それは複雑な気持ちになってしまう。
以前はどうすれば家族になれるのだろうと悩んだこともあるが
今は「まあこんなもんだろう」と思えるようになった。
サザエさんだと「マスオさん」である。
口数は少ないが酔っぱらうと饒舌になる愉快な娘婿であった。
文化の日で祭日。今日も夏日となり異常な程の暑さとなる。
富山県では28℃を超えていたそうで驚くばかり。
冬は雪深い地域である。どんなにか戸惑ったことだろう。
やはりその季節に相応しい気候を望まずにはいられない。
昨夜は深夜にハプニングがあり大騒ぎをした。
夫がトイレに閉じ込められ出られなくなってしまったのだ。
どうやらドアノブが壊れてしまってロック状態となったらしい。
私は熟睡していてすぐには気づかず娘夫婦のお世話になった。
トイレの天井をどんどん叩いて知らせたのだそうだ。
娘達はすぐ真上で寝ており何事かと駆け付けてくれたのだった。
娘婿がドアノブを分解しやっとの思いで夫を救出する。
今朝は笑い話になっていたが夫ではなく孫達だったら
どんなにかパニックになり泣きじゃくっていたことだろう。
今日は新しいドアノブを買いにホームセンターへ行く。
隣接するスーパーで食料品も買ったのだが
夫が車まで荷物を運んでくれてずいぶんと助かった。
毎日は無理だけれど週末だけでも一緒に来てくれたらと思う。
午後は山里で頂いた柚子を絞る作業をする。
規格外で出荷出来ない柚子を10キロ近くも頂いていたのだ。
柚子農家さんが丹精込めて作った柚子も傷があったり小さ過ぎたりすると
廃棄処分になるのだそうだ。なんともったいないことだろう。
手間は掛かるけれど果汁にすれば立派な柚子である。
台所で奮闘していたら見かねたのか夫が手伝ってくれた。
搾り機が無いので手で絞られねばならず握力がものを云う。
女の手よりも男の手の方がずっと効率が良いのだ。
たくさんあった柚子も搾れば一リットル程。
それでも一年分はあるだろう有難いことである。
我が家は毎年自家製の柚子醤油を作るようにしている。
市販の物よりもずっと美味しく重宝しているのだ。
台所はもちろんのこと家中に柚子の香りが漂っていた。
柑橘系の匂いは不思議と心身を癒してくれるものだ。
窓から夕雲を仰ぎながらあしたのことを想う。
西に沈みかけた夕陽が雲を貫くように射していた。
最高気温が27℃まで上がり夏日となった。
かつて11月にこれほどの気温の日があっただろうか。
なんだか異変が起こりそうに思えて不安になってくる。
けれども秋は確実に深まっているようで
銀杏の葉が黄金色に染まり桜紅葉も見られるようになった。
山茶花の蕾もふくらみもうすぐ咲くことだろう。
来週の月曜日が雨の予報。その後急激に寒くなるのだそうだ。
そうして立冬がやって来る。暦の上ではもう冬が始まる。

娘の熱が下がりもう峠は越えたようだ。
めいちゃんはまだ少し咳をしているが食欲が出て来て元気。
娘婿はまだビールを飲みたくないようで様子見である。
三人とも長引かずに済み何よりに思う。
あやちゃんも私達夫婦も今のところ感染の兆しはない。
どうかこのまま平穏無事な日々が続くことを祈るばかりである。
昼間弟から電話があり母の49日法要の打ち合わせ。
遠方ではあるが駆け付けて来てくれるようで何よりだった。
弟がしきりに母のお墓の心配をしていて
生前母が生まれ故郷の実家のお墓に入りたいと言っていたこと。
それは私もしっかりと聞いており母の願い通りにしてやりたかった。
しかし義父の立場を考えるとどうしても押し切ることが出来ない。
いくら長いこと別居をしていたとは云え夫婦には違いなかった。
お墓を別にするとなると縁を切るように思えてならない。
それはなんだか義父に対しての仕打ちのように感じるのだった。
母は決して義父を恨んでなどいなかった。
義父も最後の最期まで母に愛情を注いでくれたのだと思う。
弟に相談もしないで私は母を義父の家のお墓に入れて欲しいと頼んだ。
義父はとてもほっとした様子で頷いてくれたのだった。
夫婦とはと考える。様々なかたちをした夫婦がいることだろう。
母のように子を捨ててまで女の道を選んだひとも居る。
大切なものを失い多くの犠牲を払ってでも貫きたかったのだろう。
弟は「そうか・・」と納得してくれたようだった。
いつかは義父も亡くなる日が来るだろう。
その時には母がきっと迎えに来てくれると信じている。
そうしてふたりは生まれ変わってもまた巡り合うことだろう。
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