| 2023年10月25日(水) |
溺れる者は藁をもつかむ |
朝の肌寒さもつかの間。日中は25℃の夏日となる。
長期予報では今年は暖冬になるらしい。
冬野菜が心配だと農家の人が嘆いていた。
やはり冬らしい寒さが必要なのだろう。
昨夜は寝つきが悪かったがなんとか眠ることが出来た。
20年ほども飲み続けている薬を止めたのだから
体調が悪くなるのではと不安だったが心地よく朝を迎える。
今日こそはと思っていた。絶対に眠気が来ない自信があったのだ。
しかしいつもの山道に差し掛かるなりそれが襲って来る。
なんだか気を失ってしまうような酷い眠気であった。
幸い事故にはならず無事に職場に着きほっと肩の荷を下ろす。
薬が原因でないのならいったい何が悪いのだろうか。
医師に相談することも考えなければいけない。

私の足を気遣ってくれるお客さんから治療院を紹介してもらった。
指圧とマッサージで痛みを取り除くのだそうだ。
半信半疑ではあったが一度診てもらうことにして予約を入れる。
その治療院は遠方の津野町にあり片道3時間ほど掛かる。
私に運転が出来るはずはなく夫が引き受けてくれたが
「そんなもんで治るもんか」と疑っているような口ぶりであった。
溺れる者は藁をもつかむである。その藁を掴んでみなくては分からない。
整形外科の医師からはもう限界だと云われている。
その時はまだまだと思っていたが最近の痛みは度を越しているようだ。
スーパーで買物をするのも辛くなった。
カートを押していても思うように歩けなくなってしまったのだ。
荷物の持ち運びにもとても苦労している。
この痛みが少しでも薄れてくれたらどんなにか助かることだろうか。
予約は今度の土曜日。ドライブがてら行ってみようと思っている。

最後にはついあやちゃんのことを書いてしまうのだけれど
本人が読んだら気を悪くするだろうと心配でもあった。
もしかしたら傷つけてしまうかもしれないのだ。
腫れ物に触るような日々が続いており
かと云ってどうすることも出来ないもどかしさがある。
先日、出口のないトンネルなどないとここに書いたが
せめて少しでも光を届けてやりたくてたまらない。
二十四節気の「霜降」。冬の始まりを思わすような節気であるが
今朝はさほど冷え込まず日中も穏やかな秋晴れとなった。
そろそろつわぶきの花が咲く頃だが今朝はまだ見つけられなかった。
相変わらず朝の眠気が続いており今朝も危ないところだった。
山道をぼんやり走っていて対向車に気づくのが遅れてしまったのだ。
危機一髪のところでハンドルを切り事故を免れる。
先日から薬は職場に着いてから飲むようにしているのだから
やはり副作用ではなさそうである。いったい何が悪いのだろう。
昼間、常連のお客さんが来てくれてその話をしていたら
夜の薬がそのまま朝まで残っているのではないかと云う。
長いこと看護師さんをしていた人で真実味があった。
夜は精神安定時と抗不安薬を服用している。
精神安定剤は頓服であるが習慣になっており毎晩服用していた。
飲まないと眠れないような気がしてならないのだ。
おそらくそれが原因ではないかと云う。
その手の薬は歳を重ねるごとに副作用が強まるのだそうだ。
眠気はもちろんのことふらつきや眩暈もあるらしい。
もう20年ほど服用しているが昔は何も感じなかった。
40代から60代へと私も随分と歳を重ねたのだ。
今日のアドバイスはとても参考になり有難かった。
試しに今夜はその薬の服用を中止している。
これで朝の眠気が治まればやはりその薬が原因だと判るだろう。
薬のおかげで元気でいられる気がしていたが
薬ほど怖いものはないとも思い始めている。
このままでは死ぬまで薬漬けの日々が続くのかもしれない。

今夜は珍しくあやちゃんが娘達と一緒に夕飯を食べていた。
けれども一言も口を聞かずにいるのがとても気になっている。
おまけに服装も真夏のままで寒そうに見えた。
いくら気になっても口出しをしないようにと娘からきつく言われているので
なんだか無視するようなカタチとなり私まで気が塞いでしまう。
明るく笑顔を見せる日もあるのだ。今夜は虫の居所が悪いのかもしれない。
それにしても硝子細工のように見えて心細くてならなかった。
割れないでいて欲しい。ひびひとつもあってはならないのだ。
今朝は目覚める寸前まで母の夢を見ていた。
とても切実な顔をして「ガソリン代がない」と云う。
もう免許も失効し運転は出来ないのに何処にいくのだろうと思った。
生前からよくあったことで「お金がない」は日常茶飯事のこと。
特に私が会社の金庫番をするようになってから
母は自由にお金が使えなくなり困惑していたようだった。
夢の中で私は金庫から一万円札を出し母に渡した。
そうしたらとてもほっとしたように微笑む。
しかしその後忽然と姿を消してしまったのだった。
そうして目が覚める。母にお金を渡した後で良かったなと思う。
もし渡せないまま目覚めたらなんとも悔やまれたことだろう。
まだ三途の川は渡っていない。母は車なのでフェリーだろうか。
サングラスを掛け三山ひろしの歌を聴いているに違いない。
決して苦しく辛い旅ではないはずだ。笑顔のままで逝ったのだもの。
職場に着くなり義父に夢のことを話したら
持たせたお金が底をついたのかもしれないと言う。
途中にパチンコ屋さんがあったのかもしれないと。
義父は毎晩母の仏前にお寿司を供えビールをコップに注いでいるらしい。
そのことを今日聞くまで私は知らずにいた。
私はと云えばもう幾日もお線香も上げず母に会ってはいなかった。
いくら忙しくてもそれはあんまりことではないかと反省するばかり。
それ以前に私の薄情さが明るみになったと云っても過言ではない。
仕事を終えてからやっと母に会いに行く。
玄関を開けて「お母ちゃん」と声を掛けてから仏間に行った。
母は決して怒ってはいなかった。その微笑みに救われるような思いである。
母の夢を見なかったら仏前に手を合わすこともなかっただろう。
おざなりにしながら49日を迎えていたのかもしれない。
一万円で足りるだろうか。もし足らなかったらちゃんと伝えてね。
昨日よりも今日と冷え込んだ朝。
まだまだこれからの寒さだけれど老体には厳しい。
血圧が高いとよけいに不安がつのるばかりである。
買物に行くと真冬を思わすような服装の人を多く見かけた。
私はと云えば七分袖のシャツに秋物のベストを羽織っただけである。
なんだか貧乏くさいような引け目を感じずにいられなかった。
去年の今頃は何を着ていたのだろうと思う。
新しい服を買うような余裕もない。

秋晴れの好天に恵まれ夫とふたりぶらりと出掛けることにした。
先日行われた四万十川ウルトラマラソンのコースを走ることにする。
百キロなので2時間ほどのドライブになりそうだった。
昼食の心配もあり街でほか弁を買って行く。
夫はステーキ弁当、私はチキン南蛮弁当にした。
スタート地点まで行きさあここからだと云うところであったが
空腹に耐えられなくなり早めにお弁当を食べることにする。
四万十川の支流の後川(うしろがわ)の土手でお弁当を開く。
すると夫が川向の民家を指さし「あの家だったな」と言う。
そこはなんと息子の最初のお嫁さんの実家であった。
気立ての良い可愛らしい娘さんだったことなどを話す。
今となってはどうしようも出来ないことであったが
縁はあったもののなんと儚い縁だったのだろう。
子供さえ無事に生まれていたらと残念でならない。
息子に話せば「そんな昔のことを」と叱られてしまうだろう。
時が経て息子はまた新たに結婚したがそれも破局となった。
「病める時も健やかなる時も」と云うが
病には勝てなかったのだと思う。どうして息子を責められようか。
今はけい君とふたり楽しく暮らしているようで何よりのことだろう。
息子には息子の人生がある。私達父母はただそっと見守るしかない。
さて肝心のドライブであるがお腹がいっぱいになり眠くなってしまった。
まだスタート地点を過ぎたばかりである。どうする?と顔を見合わす。
「リタイヤしようぜ」と夫が云うので私も大賛成であった。
それにしても何と愉快な珍道中であろうか。
二人でくすくす笑いながらさっさと家に帰っていた。
帰宅して炬燵に潜り込むなり三時まで寝ていた。
夕飯はおでんの残りにはんぺんを足し「はんぺん鍋」にする。
今朝は全国的に今季いちばんの冷え込みだったようだ。
早朝は暖房を。その後茶の間に炬燵を出す。
また寒い冬が近づいているのだと思うと不安でならない。
血圧は相変わらず高い日がずっと続いている。
朝食後いつものように薬を服用したが眠気は襲って来なかった。
なんだか狐につままれたような気になる。
薬イコール眠気とは限らないのかもしれない。
そうだとすると一体原因は何なのだろうか。
娘がおでんを食べたいと云うので材料を買って来る。
卵はいつまでたっても安くならない。大根のこれまた高いこと。
牛筋も高かったので鶏の手羽先を代わりに買った。
買物から帰るともうカーブスの時間になっていた。
出掛けようとしていたら義父から電話があり延々と仕事の話。
私が仕事を休んでしまうとやはり苛々してしまうようだ。
まくしたてるように話すのでつい気分が塞いでしまう。
出鼻をくじかれカーブスを休もうかと考えていたが
気分転換になるかもしれないと思い出掛けて行った。
やはり足が痛く思うように動けない。
これでは気分転換どころではなく増々落ち込むばかりだった。
そもそもが楽しく身体を動かす場所らしい。
けれどもメンタルをやられ今後続ける自信も失われていくのだった。
そう言いつつ来週も行くのだろう。なんだか試練のようでもある。
昼食は温かい蕎麦。夫とふたりお汁まで飲み干す。
私は天かすが好きだ。お汁に浮かんでいるのが特に気に入っている。
午後はおでんを煮込む。茹で卵と大根の下ごしらえが面倒。
大きな土鍋でことこと煮ながら少し炬燵でお昼寝をする。
その間、夫が火加減を見ていてくれたようだ。
「よう煮えて美味そうだぞ」と晩酌が楽しみな様子であった。
夕方、トイレに行っていたあやちゃんと台所ですれ違った。
「今日は寒いね」と話し掛けてくれて嬉しかった。
見ると半袖Tシャツに短パン姿である。
娘がまだ秋物を準備していないのかと思った。
去年まで着ていた服はサイズダウンしていることだろう。
身体はもうすっかり大人並みである。
「お母さんにぬくいの買ってもらわんといかんね」と言ったら
娘が二階から大声で怒鳴っているのだった。
新しい服を買っているのに着てくれないのだそうだ。
そっか、まだ着たくないのかな。それはあやちゃんの自由だものね。
娘に叱られたのでまた少し落ち込む。
今日はやたら落ち込む日だったなと思ったが
おでんはとても美味しかった。
朝のうちは晴れていたが午後からぽつぽつと雨が降り出す。
幸い小雨のままですぐに止んだけれど思いがけないほどに冷たかった。
もうすっかり秋の雨なのだなと思う。濡れたら風邪を引きそうだ。
今朝も酷い眠気。なんとか無事に職場に着いたが
義父が毎朝食後に服用している薬のせいではないかと言う。
私も他に思い当たることがなくそうに違いないと思った。
以前に病院でも相談し幾つか薬を減らしてもらったことがあったが
すぐに体調が悪くなり元に戻してもらっていたのだった。
それはそれで良しとして薬を飲む時間帯が問題なのである。
どうしてそのことにもっと早く気づかなかったのだろう。
食後に飲まずに職場に着いてから飲むようにすれば良いのだ。
早速月曜日から試してみようと思っている。
それで運転中の眠気から解放されれば何よりではないか。
そうして煙草に依存することが無くなればこの上ないことである。

母が亡くなってからもうみ七日になった。
死んだ人は七日ごとに修行をしながら極楽浄土に旅をしているのだそうだ。
四九日が経ってやっとその旅が終ると云われている。
魂もその極楽浄土とやらへ行ってしまうのだろうか。
そこは空の果てにある星のような処なのかもしれない。
しかしもしかしたらそう遠くないのではと思う。
母はきっとすぐ近くにいる。だから私は寂しくないのだろう。
未だに失った実感はなく母の死を受け止められずにいる。
以前に読んだ本に魂は生まれ変わる準備をするのだと書いてあった。
前世に縁のあった人のもとに必ず導かれていくのだそうだ。
私も遅かれ早かれ母の後を追うがまたきっと巡り合うだろう。
今度は私が母になるのかもしれない。
遠い遠いはるか彼方の未来のことである。
朝と昼間の寒暖差が著しい。
今は窓を開けて三日月を仰いでいるが、夜風が心地よく感じている。
早朝6時頃から酷い眠気。なんとか洗濯物は干せたが
こっくりこっくりしてしまうほど目を開けているのが辛かった。
仕方なくコンビニまで走り煙草を買い求めて来る。
立て続けに3本程吸っただろうか。一気に覚醒しすっきりとしてくる。
いけないことは重々承知している。自己嫌悪も半端なかった。
このままでは元の木阿弥になってしまうしかない。
初心は何処に行ってしまったのか。なんとしても帰らねばならない。

山里の職場に向かっているとまた眠気が襲って来る。
曲がりくねった山道がいけないのだろうか。
慣れているだけあって緊張感が薄れてしまうのかもしれない。
ルームミラーで自分の顔を見たら目が半分つぶれているではないか。
このままでは危険だと分かっているのだけれどどうしようも出来ない。
5分でも寝てみようと路肩に車を停めて眼を閉じてみた。
しかしどうしたわけか今度は眠気が治まってしまうのだった。
仕方なくまた車を走らせやっとの思いで職場に着いた。
すぐに喫煙所へ行きまた立て続けに3本吸う。
それでやっと覚醒し仕事に取り掛かることが出来た。
いったい自分の身体に何が起こっているのか理解出来ない。
身体と云うより脳だろう。狂っているとしか思えなかった。
だらだらとどうしようもないことを書き連ねてしまったが
これは自分を正当化しようとしているのに違いない。
喫煙を認めさせようとしている。とても卑怯なことだと思う。
禁煙は禁じること。断煙は断つことである。
禁じようとするから精神的に苦痛を伴うのだろう。
断とうと思えばもしかしたら出来るのかもしれないと思っている。
今日は大目に見て許そう。しかし明日からは許すわけにはいかない。
強い意志を持って立ち向かっていかなければいけないのだ。

仕事を終えてスーパーで半額の嵐に遭遇する。
あれもこれもと片っ端カゴに入れていた。
ふぐの唐揚げ、むき海老、めじかの生節等。
あやちゃんが海老好きなので「海老マヨ」にすることにした。
娘が作ってくれたのだけれど「あやは食べんかもよ」と言う。
そう云えば海老チリも食べなかった。海老マヨも駄目なのか。
もうその時点で悲しくなってしまう。がっくりと落ち込んでしまった。
家族はみな喜んで食べてくれたがあやちゃんはまだ部屋に居る。
そろそろ8時になろうとしているのでもう少しだろうか。
娘がフライドポテトを揚げたようだ。あやちゃんの好物である。
「あやちゃんはよう食べたや」
娘はどうして何も言わないのだろう。
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