ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年10月18日(水) 子豚の喪失

今夜も三日月。昨夜よりも少しだけふっくらとしている。

誰かのこころもそんなふうにふくらめばよいのだけれど。


土足で踏み込まれるのは嫌だ。きっと誰だってそうだろう。

そうして掻き回されるのも嫌だ。いったい何の権利があってか。

触らぬ神に祟りなし。危険だなと思う人には近づかないことだ。



職場の栴檀の木にオリーブ色の実がたわわになった。

夏の風に揺れていた薄紫の花を想う。

夏の終りには雪のように散っていたこと。

栴檀の花もそれはそれは儚い命なのだ。

けれども花が散ってしまった後には必ず実を付ける。

それは冬になると黄金色の実に変わるのであった。


今朝はそんな栴檀の木の実のことを詩に書いてみた。

読んだ人はいったい何の実だろうと思ったことだろう。

私の詩は解り難い。それだけ未熟だと云っても過言ではない。





仕事が忙しく今日も残業となった。

帰り際に職場にストックしてある煙草を持ち帰ろうかと思ったが

それだけはいけないとなんとか思い留まった。

しかし今になって後悔している。無性に吸いたくてたまらないのだ。

家ではずっと禁煙出来ていたのに今頃になってどうしたことだろう。

思い起こせば母が死んでしまってからである。

精神的には落ち着いているようだが何かが狂ってしまったようだ。

もしかしたらまだ母の死を受け止められないせいかもしれない。


今日もあの骨は本当に母の骨だったのだろうかと思った。

義父に話せば「何を馬鹿なことを」と笑い飛ばされてしまった。

粉々になった骨の間に黒焦げになったペースメーカーが転がっていた。

「何よりの証拠じゃないか」と義父は言うのだった。


いったいいつになったら信じられるようになるのだろうか。


煙草は何処にもない。



2023年10月17日(火) 無名のあがき

今夜は三日月。今にも折れてしまいそうな月だ。

か細いものを見るとなんとなく切なくなるのは何故だろう。

誰かのこころのカタチに似ているのかもしれないと思う。


3日程前からSNSにまた短歌を書き始めた。

最初は黄昏時にふっと浮かんだのだったが

どうやらその時間帯が一番しっくりと来るようである。

明くる日も書いてみる。そうして今夕にもまたひとつ。

これからも続けられる限り書いてみようと思っている。

もしかしたらまた同人誌に復活出来るかもしれない。

活字にして残すことが出来たら救われるような気がするのだ。


詩は松下育夫氏の通信教育に10月分として送信した。

怖れ多い気もしているが読んで頂けるだけで十分である。

先月は「良い詩だ」と感想を頂きなんと嬉しかったことだろう。

所詮は無名のあがきであるが無名だからこそ書ける詩があるのだと思う。





仕事を終えて帰り道に逆打ちのお遍路さんに会った。

逆打ちだと正面からはっきり顔が見えるのだった。

外国人の若い女性で金髪をなびかせながら颯爽と歩いている。

咄嗟に窓から手を出し思いっきり振っていた。

そうしたらしっかりと気づいてくれて手を振り返してくれる。

その時の満面の笑顔が今も心に残っている。

ほんとうに一瞬の出会いではあるがこれも一期一会であろう。

声を掛けることは出来なかったが心の声はきっと届いたと思う。





夕飯はあやちゃんの好きな物ばかり。

別に機嫌を取ろうとしているわけではないが自然とそうなってしまう。

エビフライ、餃子、胡瓜と若布とタコの酢の物。

エビフライと餃子は揚げるだけ焼くだけの手抜きであった。


やはり今夜も家族が食べ終わってから一人で食べる。

寂しそうに見えるが本人はそれが気に入っているようだった。

「要らぬ口出しをしたらいかん」娘からは強く言われている。

ついつい顔色を窺う癖が付いてしまってちらりちらりと見てしまう。

本当は声を掛けてもいけないのだが「おいしいかね」と訊ねた。

「うん、おいしい」その一言で私は舞い上がってしまうのだった。


時が解決してくれるのかもしれない。いつまでもは続かないと思うが

なんだか長いトンネルの中で迷子になってしまったような気がする。

それはあやちゃんも同じなのではないだろうか。


出口のないトンネルはない。そこには秋の青空が広がっているだろう。



2023年10月16日(月) 未知との遭遇?

朝はひんやりと肌寒く日中は夏の名残を感じた。

10月も半ばを過ぎたけれどまだ夏日の日があるのだろうか。


たとえ伝えたい人が居ても直球はいけないと今朝は思った。

かと云って回りくどいのもあまり好きではない。

やんわりとしていてもしっかりと届く詩でなくてはいけないのだ。

そうして決して下心を持たないこと。見返りを求めないことだ。

50年以上も書いて来たが私はまだまだ未熟なのだと思う。




今朝は出勤までのわずかな時間に昨日借りて来た本を開く。

読み始めてすぐに違和感を感じた。これは田辺聖子ではない。

図書館でうっかり間違えて選んでしまったらしい。

改めて本の表を見ると「田中美智子」と書いてあった。

有名な作家ではあるだろうが初めて知った名前だった。

1922年生まれと紹介されているのですでに亡き人であろう。

予備知識は全くないがこれも何かの縁だろうと思うのである。

大げさに云えば「未知との遭遇」のようなものなのかもしれない。


本にも出会いがあってなんとなく手に取った本だったり

誰かから贈られた本がとても好きになることがあるだろう。

私は偶然にも田中美智子さんに会ってしまったようだ。





仕事が忙しく今日も残業となった。西日を浴びながら帰路につく。

スーパーで献立に悩みながら超簡単な「天下茶屋」にする。

天下茶屋は宿毛市にある有名な野菜炒めの専門店である。

牛肉バージョンと豚肉バージョンがあって焼き肉のタレで食べるのだ。

今夜の我が家は「牛天茶」にした。家族は皆豚よりも牛を喜ぶ。

キャベツ、もやし、ニラと先にフライパイで炒めてから

どさっとホットプレートに載せるのだった。その方が高級感がある。

牛肉はあらあらという間に無くなり残った野菜をお皿に移すと

今度は目玉焼きを作るのが定番であった。

目玉焼きを焼き肉のタレで食べるとこれがまた美味しいのだ。



家族が皆食べ終わってからやっとあやちゃんが二階から下りて来る。

もうすでにホットプレートは片付けられておりお肉も冷めている。

「あやちゃん、お肉は足りるかね?」と訊くと

「うん、いっぱいあるけん大丈夫」と笑顔で応えてくれて嬉しかった。


みんなと一緒に食べたらもっと美味しいだろうなと思うけれど

何も言ってはいけないのだそうだ。そう娘が言う。


複雑な気持ちも寂しさもあやちゃんの笑顔にはかなわない。






2023年10月15日(日) 子豚の懺悔

爽やかな秋晴れ。心地よい風が吹き抜けていく。

四万十川ウルトラマラソンが4年ぶりに開催されるので

お天気が気になっていたが好天で何よりだった。


今朝はSNSで初めてスペースに参加する。

チャットとは違ってリアルタイムで声の会話が出来るのである。

すごい世の中になったものだと驚くばかり。


ホストはいつも私の詩を読んでくれているMさんだった。

以前にもここに書いたことがあるが昨年暮れに奥様を亡くされている。

私の詩のよき理解者で「救われる」とまで言ってくれたことがあった。

大勢の人でなくてもいいただ一人の人に伝わればと思って書いている。

その一人が他ならぬMさんである。私にとっては尊い存在であった。


会話は5分程ですぐに退室したが十分に思った。

心根の優しいとても実直な人である。息子と同じくらいの年頃かと。

最愛の奥様を亡くされどれほど辛い思いをしたことだろう。

それでも前向きに生きようとしている姿にいつも心を打たれている。


またきっと話せる日が来るだろう。

私はひとつでも心に残る詩を書き続けようと思っている。





昼食は宿毛市郊外のレストラン「一風」へ。

母の葬儀後の会食でお世話になって以来だった。

久しぶりにラーメンセットを食べる。やはり顎が落ちるほど美味。

49日の法要後もお世話になることにして帰路についた。


出掛けに孫達に声を掛けたが二人とも行きたがらなかった。

あやちゃんは「行って来れば」と相変わらずそっけない。

めいちゃんは「あやが行かないならいや」と頑固である。

それも成長のあかしであろうが寂しさを感じずにはいられない。


帰宅後はまた3時間の昼寝。もう身体が腐ってしまいそうだ。

けれどもそうしてリフレッシュしているのだろうと思うことにした。


今朝もコンビニに走り煙草を買って来てしまった。

「紫煙」の詩を書きつつ自己嫌悪に陥る。

自分をひたすら正当化しようとしているのだ。なんとおぞましい。

何処の誰なのか分からない方からコメントを頂き

断煙の素晴らしさを延々と述べていた。まさにその通りである。

私も出来ることならばそうなりたいと切に願っている。


とにかく今一度初心に帰らなければいけない。

禁煙を思い立ってからもう10ヶ月になろうとしている。



2023年10月14日(土) 海鳴りが聴こえる

雨の予報だったがさほど降らず。時おり小雨が降る程度だった。

気温は20℃位だったか少し肌寒く感じる。


今朝は昨日の光景を思い浮かべながら「赤とんぼ」の詩を書いた。

赤とんぼのことを「お日和とんぼ」と教えてくれた母のことを。


いつも読んで下さっている方からコメントがあり

「遠くに行かれてほっとされたことでしょう」と。

一瞬胸を矢で刺されたような衝撃を受ける。

軽く受け流せないのはそれが的を射ているからではないだろうか。


もしかしたら私は母が死んでほっとしているのかもしれない。

そう思うと言葉に出来ないような罪悪感が襲って来たのだった。

だから少しも寂しさを感じず悲しむこともないのかもしれない。

私はやはり薄情な娘なのだと思い知るしかなかった。


その後のやりとりでその方はそんなつもりで言ったのではないと。

私の思い込みから来る誤解だと判った。

救われたのだと思ったがいまだ心に霧が掛ったような気分でいる。

この霧の正体はいったい何だろう。やがて晴れて来るのだろうか。





午前中にカーブスへ行っていたが足の痛みが酷く途中でリタイヤする。

筋トレマシンが12機あるのだけれどその間にボードがあって

そこで足踏みをしなければいけないのだがそれが出来なかった。

悔しさよりも情けなさが勝る。今にも泣きだしてしまいそうだった。

今日は駄目でも次は出来るかもしれない。そう宥めて家に帰った。



午後はひたすら寝る。なんと目覚めたら4時を過ぎていた。

乾燥機に洗濯物を入れたままだったのでしぶしぶと畳んだ。


夕方コンビニに走りとうとう煙草を買って来てしまう。

これも情けない一言に尽きるが自分を抑えることが出来なかった。

今夜は特別なのだと自分に言い聞かせながら吸っている。

二度とあってはならないことと重々承知の上である。



夕飯はすき焼きだったがあやちゃんが喜んでくれて嬉しかった。

娘達もそうだがなんだか腫れ物に触れているような気がする。

腫れ物と云うよりガラス細工のようでもある。

乱暴に扱えばすぐに粉々に割れてしまうことだろう。

繊細な少女の心に何が巣食っているのか誰も知らない。



今夜は海鳴りが聴こえる。ごうごうと海が叫んでいる。

訴えたいことがあるのならそっと聴かせてくれないだろうか。






2023年10月13日(金) 赤とんぼ

爽やかな秋晴れの日が続いていたけれど明日は雨になりそうだ。

気温も一気に下がり秋の深まりを感じることだろう。


どこからともなく金木犀の香りがする。

職場の庭の片隅に母が植えていたのをすっかり忘れていた。

草が生い茂っており見るも無残な有り様ではあるが

しっかりとオレンジ色の花を咲かせて芳香を放っている。

一枝手折って母の仏前に供えようと思ったが足元が悪く近づけない。

せめて仏間の窓を開け広げてやれば良かったと後から思った。


今日でふた七日。日々はあらあらという間に流れていく。





午後、義父が思い立ったように稲刈りをすると言い出す。

塞ぎ込んでいる日が多かったのでやっと気力が湧いたように見えた。

稲は「中手」で自家用米にと遅くに植えたものだった。

僅かなので2時間もあれば刈ってしまえそうだと言う。

それでも手伝いが必要で私が引き受けることになった。

コンバインで刈った籾米を軽トラックで運ぶのだ。


稲刈りを見るのはとても面白い。じっくりと見たのは今日が初めてだった。

あらあらという間に稲が刈られていく。なんと勇ましい義父の姿。

とても80歳には見えない程の活気に溢れていた。


午後4時前にすべて刈り終える。義父のなんと嬉しそうな顔。

帰るのがすっかり遅くなってしまったが私も心地よくてならない。

母に報告したかったがきっと見ていてくれただろうと思う。

お線香も上げられず急いで帰路についたことだった。


稲刈りを終えた田んぼにそれは沢山の赤とんぼが群れていた。

その光景が今も目に焼き付いている。

今日はとても好い日だった。



2023年10月12日(木) 冥途の土産

今日も爽やかな晴天。真っ青な空に秋桜が映える。

純白の秋桜がたくさん咲いている場所があるが

写真を撮りたい気持ちばかりで身体が云うことを聞かない。

以前の私ならすぐに車を停めて駆け出していたことだろう。



今日は整形外科の通院日だったが朝から憂鬱でならない。

ずっと仕事が忙しかったので予約時間に間に合うだろうか。

その時間までに行かなかったら後回しにされるのではないか。

どれほど通い続けても足が治ることもないのだった。

あれこれ考えているとなんだか無駄足のように思えて来る。

そうして行き着く先は「めんどくさい」なのであった。

他の誰のためでもない自分のためだと云うのになんたることだろう。


結局は定時で仕事を終えられ予約時間に間に合った。

それでも30分は待たなければいけない。少し苛々する。

診察ではどうしても痛みを訴えるしかなく医師に慰められる。

レントゲンを撮ったら前回よりも明らかに悪化しているようだった。

大学病院だったら即手術室に運ばれる程らしい。

職場の状態や私の仕事の内容を話して医師はなんとか納得してくれたが

必ず限界が来ると半ば脅かすような口ぶりで話していた。


レントゲン技師の説明で私は赤ちゃんの時に股関節を脱臼していたようだ。

それは亡き母も知らないことでそのまま成長したらしい。

昔は今のように乳児検診で詳しく調べなかったのだろう。

今更何を言ってもそればかりはもう仕方のないことである。


そうか赤ちゃんの時からなのかと感慨深く思った。

母が知ったら嘆くかもしれないがもうその母はこの世にいない。

もし生きていても私は話さなかっただろうと思う。


そんなことを考えていると「痛み」は母の置き土産のようなものだ。

このまま私が冥途の土産に持って行っても良いかもしれないと思う。


医師からは今までよりの強力な湿布を処方してもらったが

今のところ何の効き目も感じられない。

それでもとても親身になってくれた医師には感謝している。

「痛いろうね、なんぼか痛いろうね」と誰が言ってくれるだろう。






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