爽やかな秋晴れの日が続いていたけれど明日は雨になりそうだ。
気温も一気に下がり秋の深まりを感じることだろう。
どこからともなく金木犀の香りがする。
職場の庭の片隅に母が植えていたのをすっかり忘れていた。
草が生い茂っており見るも無残な有り様ではあるが
しっかりとオレンジ色の花を咲かせて芳香を放っている。
一枝手折って母の仏前に供えようと思ったが足元が悪く近づけない。
せめて仏間の窓を開け広げてやれば良かったと後から思った。
今日でふた七日。日々はあらあらという間に流れていく。

午後、義父が思い立ったように稲刈りをすると言い出す。
塞ぎ込んでいる日が多かったのでやっと気力が湧いたように見えた。
稲は「中手」で自家用米にと遅くに植えたものだった。
僅かなので2時間もあれば刈ってしまえそうだと言う。
それでも手伝いが必要で私が引き受けることになった。
コンバインで刈った籾米を軽トラックで運ぶのだ。
稲刈りを見るのはとても面白い。じっくりと見たのは今日が初めてだった。
あらあらという間に稲が刈られていく。なんと勇ましい義父の姿。
とても80歳には見えない程の活気に溢れていた。
午後4時前にすべて刈り終える。義父のなんと嬉しそうな顔。
帰るのがすっかり遅くなってしまったが私も心地よくてならない。
母に報告したかったがきっと見ていてくれただろうと思う。
お線香も上げられず急いで帰路についたことだった。
稲刈りを終えた田んぼにそれは沢山の赤とんぼが群れていた。
その光景が今も目に焼き付いている。
今日はとても好い日だった。
今日も爽やかな晴天。真っ青な空に秋桜が映える。
純白の秋桜がたくさん咲いている場所があるが
写真を撮りたい気持ちばかりで身体が云うことを聞かない。
以前の私ならすぐに車を停めて駆け出していたことだろう。
今日は整形外科の通院日だったが朝から憂鬱でならない。
ずっと仕事が忙しかったので予約時間に間に合うだろうか。
その時間までに行かなかったら後回しにされるのではないか。
どれほど通い続けても足が治ることもないのだった。
あれこれ考えているとなんだか無駄足のように思えて来る。
そうして行き着く先は「めんどくさい」なのであった。
他の誰のためでもない自分のためだと云うのになんたることだろう。
結局は定時で仕事を終えられ予約時間に間に合った。
それでも30分は待たなければいけない。少し苛々する。
診察ではどうしても痛みを訴えるしかなく医師に慰められる。
レントゲンを撮ったら前回よりも明らかに悪化しているようだった。
大学病院だったら即手術室に運ばれる程らしい。
職場の状態や私の仕事の内容を話して医師はなんとか納得してくれたが
必ず限界が来ると半ば脅かすような口ぶりで話していた。
レントゲン技師の説明で私は赤ちゃんの時に股関節を脱臼していたようだ。
それは亡き母も知らないことでそのまま成長したらしい。
昔は今のように乳児検診で詳しく調べなかったのだろう。
今更何を言ってもそればかりはもう仕方のないことである。
そうか赤ちゃんの時からなのかと感慨深く思った。
母が知ったら嘆くかもしれないがもうその母はこの世にいない。
もし生きていても私は話さなかっただろうと思う。
そんなことを考えていると「痛み」は母の置き土産のようなものだ。
このまま私が冥途の土産に持って行っても良いかもしれないと思う。
医師からは今までよりの強力な湿布を処方してもらったが
今のところ何の効き目も感じられない。
それでもとても親身になってくれた医師には感謝している。
「痛いろうね、なんぼか痛いろうね」と誰が言ってくれるだろう。
爽やかな秋晴れ。気温は夏日だったが少しも暑さを感じなかった。
遍路道に金剛杖の鈴の音が響く。秋遍路さんがずいぶんと多くなる。
最近は外国の方をよく見かけ今日も男女二人連れが歩いていた。
以前のように声を掛けることも殆どなくなってしまって
ふれあうことが出来ないが会釈をすることだけはずっと続けている。
気づいてくれたら嬉しいが目が合うことはなかった。
一生懸命に歩いているのだからそれが当たり前のことだろう。
会釈はエールである。そうして旅の無事を祈っている。

今日も仕事が忙しく残業になった。
同僚がお母さんの入院している病院へ行ったので
工場の仕事は義父が引き受けてくれて助かった。
同僚のお母さんは食事が摂れなくなったそうで心配である。
もう90歳を過ぎているので老衰もあり得るかもしれない。
午後3時、義父はまだ昼食も済んでいなかった。
ご飯は炊いてある。大根も煮てあると誇らしげに言う。
その時、母の思い出話になった。料理がとても上手だったこと。
そうして亡くなる寸前まで義父の食事の心配をしていたこと。
義父も私ももう二度と母の手料理を食べられなくなったのだ。
帰る前に母に会いに行く。足が痛く玄関の敷居に上がれない。
仕方なく這って母の仏前まで行った。
なんとみっともない恰好だろう。我ながら情けなかった。
母にあれこれと話し掛けたがもちろん母の声は聴こえない。
それでも母がちゃんと聴いてくれているように感じた。
そうなのだ。母は決して遠い処に行ってしまったのではない。
すぐ近くに寄り添っていて見守ってくれているのだと思う。
母のことを書いた詩を高知新聞に送った。
| 2023年10月10日(火) |
死んでなどいないのだ |
爽やかな秋晴れ。今朝は肌寒さも緩んでいた。
日中は夏日となり少し暑くなったが心地よい風が吹く。
心配していた眠気も無く無事に山里の職場に着く。
寝溜めの効果もあるかもしれないがやはり緊張感がものを言うのだろう。
なにかこうピンと張り詰めたような心地よさがあった。
仕事は目まぐるしいほどの忙しさ。昼休みも取れない。
本来の事務仕事と母の葬儀関係の雑事が後を絶たなかった。
やっと葬儀屋さんへ支払いを済ませとてもほっとする。
それにしても葬儀費用の高いこと。
お香典でなんとかなったが自腹で払える金額ではなかった。
もし自分が死んだらと思わずにいられない。
残された家族にどれほどの負担を強いることだろうか。
2時間近くの残業となり遅くなったが母がお世話になっていた病院へ。
9月分の最後の支払いを済ませ職員の皆さんにお礼を。
息子に訊いたらやはり何か品物を持って行った方が良いと云うので
ドリップ珈琲の詰め合わせをを用意していた。
菓子折りよりも喜ばれると息子が教えてくれたのだった。
お世話になったケアマネさんや介護士さんにもちゃんと会えて
お礼を言うことが出来て良かった。介護士さんは目に涙を溜めていた。
そうしてスマホに入っている母の動画をいくつか見せてくれた。
母が動いている。母がしゃべっている。死んでなどいないのだ。
その介護士さんは母と一番の仲良しだったそうで
母が亡くなった日も休みだったのに駆けつけて来てくれたのだ。
息子と同じくらいの年頃で母にとっては孫のような存在だったのだろう。
母はどれほど幸せだったことか。決して孤独ではなかったのだ。
そう思うことで私自身が救われているように思う。
最後の最後まで薄情な娘であったが母を見捨ててはいなかった。
| 2023年10月09日(月) |
このままで良いのだろうか |
6時半にはもう日が暮れて真っ暗になった。
曇り日。雨は降りそうで降らずどんよりとした一日。
今朝も異常な眠気で朝の家事を終えるなり寝ていた。
寝溜めになっているのだろうか、明日からが不安である。
運転中に眠くなったら大事故にも繋がり兼ねない。
動いたのは買物に行っただけで後は殆ど寝てばかりだった。
お昼はお好み焼き。4人分の粉を2人分にして焼く。
もちろんそれは巨大なお好み焼きである。
夫はビールを。私はノンアルビールを飲みつつ食べた。
お腹がいっぱいになるとなんとも幸せな気分になる。
そのまま2時間ほど寝てから少しだけ本を読んだ。
このところまったく集中出来ず読書は遅々として進まない。
母の葬儀も重なり図書館に延長の手続きをしてもらったばかりだ。
田辺聖子も読んでいたら面白い。関西弁が好きなせいもあるだろう。
NHKの朝ドラ「芋たこなんきん」を思い出しながら読む。
小説よりもエッセイが好きだ。エッセイには嘘がない。

朝からあやちゃんの姿を一度も見ていなくて
娘に訊いたらちゃんと部屋に居るとのこと。
家族は皆もう夕食を終えているがまだ食べていないようだった。
娘達の方針があるので要らぬ口を叩くのは憚られるが
夕食ぐらいは家族揃って一緒に食べたら良いのにと思う。
食べている日もあるのであやちゃんの気分次第なのだろう。
それがあやちゃんにとっての「自由」なのかもしれないが
なんと寂しい自由なのだろうと思わずにいられない。
難しい年頃であるのは重々承知しているが
本当にこのままで良いのだろうか。

煙草を我慢している。どうしようもなく我慢している。
そのストレスのせいなのかは定かではないけれど
最高血圧が170と異常に高くなっている。
まさかこれくらいで死にはしないだろうけれど不安でならない。
禁煙外来に通っていた時、禁断症状は3日がピークだと聞いた。
今日がその3日目であるがなんとしても乗り越えたいと思う。
明日になれば職場で吸ってしまうのだ。いくらでも吸ってしまう。
その悪循環を断つために通った禁煙外来であったはずである。
情けない気持ちもあるけれど許したい気持ちもあるのだった。
こればかりは誰も助けてはくれない。
しとしとと雨の一日。肌寒くいかにも秋の雨らしかった。
血圧が高くても自覚症状はまったく無いのだけれど
まるで病人のように一日中寝てばかりいた。
眠気はやはり異常で朝の7時からもう眠くてたまらない。
9時まで寝てよっこらしょと起きて買物に行く。
酒類や洗剤など重くて杖を付きながらでは大変である。
ショッピングカートにしがみついているうちはまだ良いが
車に積み込む時にはとても難儀であった。
帰宅しても車から下ろせず夫の助けが必要である。
その時どうしてぶつぶつ文句を言うのだろうといつも思う。
黙って手を貸してくれたらどんなに有難いことだろうか。

お昼は温かい蕎麦。天かすもとろろ昆布も入れてとても美味しい。
これから寒くなるので週末の楽しみになることだろう。
食べ終わり茶の間でテレビを観ていたがまた眠くなった。
寝室に行き本格的に寝る。ぐっすりと3時間ほどだったろうか。
高血圧と云い、異常な眠気と云い身体の変調を感じるが
病院へ行ってももう相手にしてくれなくなった。
病院を代わりたいと夫に相談したら「いいかげんにしろ」と叱られる。
しばらく様子を見るしかないが死んでしまったら元も子もない。
まあそう簡単に死ぬつもりはないが不安なのは仕方ないことだ。
夕食後、娘夫婦が台所の換気扇の下で煙草を吸っていた。
まるで深呼吸をしているようで心地よさそうに見える。
私はとにかく我慢するしかない。それが大きなストレスであった。
家での喫煙を止めてから急に血圧が高くなったのだが
医師は笑い飛ばして「太ったからだ」と云って聞かない。
眠気も同じくであるが医師は全く聞く耳を持たなかった。
だからと云って家での喫煙を再開するつもりはない。
やっと止めることが出来たのだ。どれほどの苦労だったか。
もう9ヶ月が過ぎた。
あの気が狂ったような子豚のことを憶えているだろうか。
曇り日。日中の気温は25℃を超えていたようだ。
まだ半袖で過ごせるが思い切って衣替えをした。
朝からまた酷い眠気。7時半にはベッドに横になっていた。
9時までぐっすりと眠る。目覚めてからのかったるいこと。
10時にはカーブス。足を動かせない程に痛みがあった。
上半身だけでもと思いマイペースで筋トレをしていたら
「頑張りましょう」とコーチが声を掛けて来る。
私はすこぶる機嫌が悪い。いったいどれほど頑張れと云うのだろう。
計測もあったが体重は増えウエストもヒップも増えていた。
やはりご飯をもりもり食べるのがいけないのだろう。
分かっているけれどどうしても食欲を抑えられない。
体重の増加が足の痛みに拍車を掛けていることも承知している。
いったいどうなってしまうのだろうと不安にもなるのだった。

母の死から一週間。先週の今頃は母の亡骸と一緒に居た。
お通夜や葬儀の打ち合わせ等でなんと忙しかったことだろう。
その忙しさが未だに尾を引いているような気もするが
今日は仕事が休みだったので気が抜けたように過ごしていた。
こうして母の死に触れなければきっと忘れていることだろう。
書いているうちはまだ解放されないのだと思う。
少しずつ母の死から遠ざかっていければと考えている。
義父から電話があり今日も弔問客があったとのこと。
やはり知らなかった人が多かったらしい。
49日までは続くかもしれない。有難いことである。

娘達が夕飯は要らないと言いお婿さんの実家へ行ったようだ。
あやちゃんは行きたがらず部屋に閉じこもっている。
娘が何も食べさせなくて良いと言うので気になりつつも
声も掛けずにそっとしているがとても複雑な気分である。
お腹が空いていないだろうか。それも訊くことが出来ない。
「おばあちゃんお腹が空いた」と言ってくれたらどんなにか嬉しいことか。
この目に見えないような壁はいったいいつまで聳えているのだろうか。
焼酎のお代わりをしに階下に下りて行ったら台所にあやちゃんが居た。
冷凍パスタを温めようとしていたらしく「6分?7分?」と訊いてくれた。
6分30秒にしてスイッチを入れ温まるのを待っている。
「熱くなるけん気をつけて」と言ったら「うん、分かった」と応えた。
これが今日の唯一の会話である。
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