爽やかな秋晴れ。気温は夏日だったが少しも暑さを感じなかった。
遍路道に金剛杖の鈴の音が響く。秋遍路さんがずいぶんと多くなる。
最近は外国の方をよく見かけ今日も男女二人連れが歩いていた。
以前のように声を掛けることも殆どなくなってしまって
ふれあうことが出来ないが会釈をすることだけはずっと続けている。
気づいてくれたら嬉しいが目が合うことはなかった。
一生懸命に歩いているのだからそれが当たり前のことだろう。
会釈はエールである。そうして旅の無事を祈っている。

今日も仕事が忙しく残業になった。
同僚がお母さんの入院している病院へ行ったので
工場の仕事は義父が引き受けてくれて助かった。
同僚のお母さんは食事が摂れなくなったそうで心配である。
もう90歳を過ぎているので老衰もあり得るかもしれない。
午後3時、義父はまだ昼食も済んでいなかった。
ご飯は炊いてある。大根も煮てあると誇らしげに言う。
その時、母の思い出話になった。料理がとても上手だったこと。
そうして亡くなる寸前まで義父の食事の心配をしていたこと。
義父も私ももう二度と母の手料理を食べられなくなったのだ。
帰る前に母に会いに行く。足が痛く玄関の敷居に上がれない。
仕方なく這って母の仏前まで行った。
なんとみっともない恰好だろう。我ながら情けなかった。
母にあれこれと話し掛けたがもちろん母の声は聴こえない。
それでも母がちゃんと聴いてくれているように感じた。
そうなのだ。母は決して遠い処に行ってしまったのではない。
すぐ近くに寄り添っていて見守ってくれているのだと思う。
母のことを書いた詩を高知新聞に送った。
| 2023年10月10日(火) |
死んでなどいないのだ |
爽やかな秋晴れ。今朝は肌寒さも緩んでいた。
日中は夏日となり少し暑くなったが心地よい風が吹く。
心配していた眠気も無く無事に山里の職場に着く。
寝溜めの効果もあるかもしれないがやはり緊張感がものを言うのだろう。
なにかこうピンと張り詰めたような心地よさがあった。
仕事は目まぐるしいほどの忙しさ。昼休みも取れない。
本来の事務仕事と母の葬儀関係の雑事が後を絶たなかった。
やっと葬儀屋さんへ支払いを済ませとてもほっとする。
それにしても葬儀費用の高いこと。
お香典でなんとかなったが自腹で払える金額ではなかった。
もし自分が死んだらと思わずにいられない。
残された家族にどれほどの負担を強いることだろうか。
2時間近くの残業となり遅くなったが母がお世話になっていた病院へ。
9月分の最後の支払いを済ませ職員の皆さんにお礼を。
息子に訊いたらやはり何か品物を持って行った方が良いと云うので
ドリップ珈琲の詰め合わせをを用意していた。
菓子折りよりも喜ばれると息子が教えてくれたのだった。
お世話になったケアマネさんや介護士さんにもちゃんと会えて
お礼を言うことが出来て良かった。介護士さんは目に涙を溜めていた。
そうしてスマホに入っている母の動画をいくつか見せてくれた。
母が動いている。母がしゃべっている。死んでなどいないのだ。
その介護士さんは母と一番の仲良しだったそうで
母が亡くなった日も休みだったのに駆けつけて来てくれたのだ。
息子と同じくらいの年頃で母にとっては孫のような存在だったのだろう。
母はどれほど幸せだったことか。決して孤独ではなかったのだ。
そう思うことで私自身が救われているように思う。
最後の最後まで薄情な娘であったが母を見捨ててはいなかった。
| 2023年10月09日(月) |
このままで良いのだろうか |
6時半にはもう日が暮れて真っ暗になった。
曇り日。雨は降りそうで降らずどんよりとした一日。
今朝も異常な眠気で朝の家事を終えるなり寝ていた。
寝溜めになっているのだろうか、明日からが不安である。
運転中に眠くなったら大事故にも繋がり兼ねない。
動いたのは買物に行っただけで後は殆ど寝てばかりだった。
お昼はお好み焼き。4人分の粉を2人分にして焼く。
もちろんそれは巨大なお好み焼きである。
夫はビールを。私はノンアルビールを飲みつつ食べた。
お腹がいっぱいになるとなんとも幸せな気分になる。
そのまま2時間ほど寝てから少しだけ本を読んだ。
このところまったく集中出来ず読書は遅々として進まない。
母の葬儀も重なり図書館に延長の手続きをしてもらったばかりだ。
田辺聖子も読んでいたら面白い。関西弁が好きなせいもあるだろう。
NHKの朝ドラ「芋たこなんきん」を思い出しながら読む。
小説よりもエッセイが好きだ。エッセイには嘘がない。

朝からあやちゃんの姿を一度も見ていなくて
娘に訊いたらちゃんと部屋に居るとのこと。
家族は皆もう夕食を終えているがまだ食べていないようだった。
娘達の方針があるので要らぬ口を叩くのは憚られるが
夕食ぐらいは家族揃って一緒に食べたら良いのにと思う。
食べている日もあるのであやちゃんの気分次第なのだろう。
それがあやちゃんにとっての「自由」なのかもしれないが
なんと寂しい自由なのだろうと思わずにいられない。
難しい年頃であるのは重々承知しているが
本当にこのままで良いのだろうか。

煙草を我慢している。どうしようもなく我慢している。
そのストレスのせいなのかは定かではないけれど
最高血圧が170と異常に高くなっている。
まさかこれくらいで死にはしないだろうけれど不安でならない。
禁煙外来に通っていた時、禁断症状は3日がピークだと聞いた。
今日がその3日目であるがなんとしても乗り越えたいと思う。
明日になれば職場で吸ってしまうのだ。いくらでも吸ってしまう。
その悪循環を断つために通った禁煙外来であったはずである。
情けない気持ちもあるけれど許したい気持ちもあるのだった。
こればかりは誰も助けてはくれない。
しとしとと雨の一日。肌寒くいかにも秋の雨らしかった。
血圧が高くても自覚症状はまったく無いのだけれど
まるで病人のように一日中寝てばかりいた。
眠気はやはり異常で朝の7時からもう眠くてたまらない。
9時まで寝てよっこらしょと起きて買物に行く。
酒類や洗剤など重くて杖を付きながらでは大変である。
ショッピングカートにしがみついているうちはまだ良いが
車に積み込む時にはとても難儀であった。
帰宅しても車から下ろせず夫の助けが必要である。
その時どうしてぶつぶつ文句を言うのだろうといつも思う。
黙って手を貸してくれたらどんなに有難いことだろうか。

お昼は温かい蕎麦。天かすもとろろ昆布も入れてとても美味しい。
これから寒くなるので週末の楽しみになることだろう。
食べ終わり茶の間でテレビを観ていたがまた眠くなった。
寝室に行き本格的に寝る。ぐっすりと3時間ほどだったろうか。
高血圧と云い、異常な眠気と云い身体の変調を感じるが
病院へ行ってももう相手にしてくれなくなった。
病院を代わりたいと夫に相談したら「いいかげんにしろ」と叱られる。
しばらく様子を見るしかないが死んでしまったら元も子もない。
まあそう簡単に死ぬつもりはないが不安なのは仕方ないことだ。
夕食後、娘夫婦が台所の換気扇の下で煙草を吸っていた。
まるで深呼吸をしているようで心地よさそうに見える。
私はとにかく我慢するしかない。それが大きなストレスであった。
家での喫煙を止めてから急に血圧が高くなったのだが
医師は笑い飛ばして「太ったからだ」と云って聞かない。
眠気も同じくであるが医師は全く聞く耳を持たなかった。
だからと云って家での喫煙を再開するつもりはない。
やっと止めることが出来たのだ。どれほどの苦労だったか。
もう9ヶ月が過ぎた。
あの気が狂ったような子豚のことを憶えているだろうか。
曇り日。日中の気温は25℃を超えていたようだ。
まだ半袖で過ごせるが思い切って衣替えをした。
朝からまた酷い眠気。7時半にはベッドに横になっていた。
9時までぐっすりと眠る。目覚めてからのかったるいこと。
10時にはカーブス。足を動かせない程に痛みがあった。
上半身だけでもと思いマイペースで筋トレをしていたら
「頑張りましょう」とコーチが声を掛けて来る。
私はすこぶる機嫌が悪い。いったいどれほど頑張れと云うのだろう。
計測もあったが体重は増えウエストもヒップも増えていた。
やはりご飯をもりもり食べるのがいけないのだろう。
分かっているけれどどうしても食欲を抑えられない。
体重の増加が足の痛みに拍車を掛けていることも承知している。
いったいどうなってしまうのだろうと不安にもなるのだった。

母の死から一週間。先週の今頃は母の亡骸と一緒に居た。
お通夜や葬儀の打ち合わせ等でなんと忙しかったことだろう。
その忙しさが未だに尾を引いているような気もするが
今日は仕事が休みだったので気が抜けたように過ごしていた。
こうして母の死に触れなければきっと忘れていることだろう。
書いているうちはまだ解放されないのだと思う。
少しずつ母の死から遠ざかっていければと考えている。
義父から電話があり今日も弔問客があったとのこと。
やはり知らなかった人が多かったらしい。
49日までは続くかもしれない。有難いことである。

娘達が夕飯は要らないと言いお婿さんの実家へ行ったようだ。
あやちゃんは行きたがらず部屋に閉じこもっている。
娘が何も食べさせなくて良いと言うので気になりつつも
声も掛けずにそっとしているがとても複雑な気分である。
お腹が空いていないだろうか。それも訊くことが出来ない。
「おばあちゃんお腹が空いた」と言ってくれたらどんなにか嬉しいことか。
この目に見えないような壁はいったいいつまで聳えているのだろうか。
焼酎のお代わりをしに階下に下りて行ったら台所にあやちゃんが居た。
冷凍パスタを温めようとしていたらしく「6分?7分?」と訊いてくれた。
6分30秒にしてスイッチを入れ温まるのを待っている。
「熱くなるけん気をつけて」と言ったら「うん、分かった」と応えた。
これが今日の唯一の会話である。
| 2023年10月06日(金) |
終わり良ければ総て良し |
今朝は今シーズン一番の冷え込みだったようだ。
明日の朝はさらに気温が下がるらしい。
さすがに夏布団では寒いだろうと先ほど毛布を出したところだ。
日中は25℃ほど。快適な気温と言って良いだろう。
一年中そうだと良いのだけれどそれでは常夏の国になってしまう。
桜は寒さが無ければ咲かないらしい。それも寂しいことだと思う。
早いものでもう初七日。法要はお葬式と一緒に済ませていたが
義父がしきびを活け替えたりお供え物を新しくしてくれる。
母の好きだったショートケーキを買って来てくれていた。
本来なら娘である私がしなければいけない事なのだろう。
いそいそと動き回る義父がとても頼もしく見えた。
それは生前には見たこともないような姿である。
亡くなる数日前から義父はまるで人が変わったようだった。
こんなに優しい人だったのかとなんだか信じられないような気分だった。
母のことを疎ましく思っていたのではないか
もう愛情など少しも残っていないのではないか
そんなふうに感じるほど母には冷たく振舞っていたのだ。
最期の時を義父が看取ってくれて本当に良かったと思う。
母はどんなにか嬉しかったことだろうか。
だから私に会う前に息を引き取ったのだと思う。
「この人さえ居てくれたら」と幸せだったのではないだろうか。
波乱万丈な人生であったが終わり良ければ総て良しである。
そんな母の人生に結局は影響を受けざるを得なかったが
私は自分の人生を否定することは出来ないだろう。
母のおかげで今があるのかもしれないけれど
母を赦してはやれなかった。じゃあ憎んでいるのかと云うと
そんな気持ちは一切ない。かと云って感謝も出来ないのだ。
母を忘れる娘など居ないだろう。それは生まれた時からの約束である。
私には「未来」と云うほどの時は残っていないが
来世でもきっと母と巡り会うことだろう。
晴れたり曇ったり。にわか雨が降った時間帯もあった。
ちょうど良い気温で風もあり過ごし易かったのだが
明日の朝はぐんと気温が下がり肌寒くなりそうである。
血圧の高い日が続いているので用心しなければいけない。
ぽっくりと死んでしまうわけにはいかないだろう。
母の死をきっかけに死がさらに身近になってしまったが
以前のように「明日死ぬかもしれない」とは思わなくなった。
「明日死んでたまるか」とけっこう強気になっている。
病ではないけれど何事も気の持ちようだと思う。
弱気になってしまったら死神の思うつぼではないだろうか。

山里は今日も弔問客があった。とうとう2百人を超す。
義父の友人は泣いていた。それがとても不思議でならない。
泣けない私はどれほど薄情なのだろうと思ってしまったのだ。
こればかりはどうしようもなく自然に任せるしかないだろう。
悲しみはいったいいつ訪れるのだろうか。
帰宅したらポストにSNSを通じて知り合った友人から手紙が届いていた。
中を開けてびっくりする。手紙とお香典が入っていた。
咄嗟に夫に話したら「なぜ知っていたんだ?」と問い詰められた。
夫は私がSNSであれこれと発信していることを知らないのだ。
詳しく話せば叱られてしまいそうで何も言えなかった。
するりと逃げるように言葉を交わしもうその話には触れずにいた。
友人にはすぐに電話をしお礼を言った。
会おうと思えばいつでも会える処に彼女は住んでいる。
近いうちにゆっくり会う約束をして電話を切った。
友人は8月にご主人を亡くされたばかりでまだ悲しみの中に居る。
おそらく涙も涸れてしまったのではないだろうか。
同じ身内の死であるがその違いが私には解らなかった。
きっと楽になったのよと友人が言ってくれた。
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