| 2023年10月06日(金) |
終わり良ければ総て良し |
今朝は今シーズン一番の冷え込みだったようだ。
明日の朝はさらに気温が下がるらしい。
さすがに夏布団では寒いだろうと先ほど毛布を出したところだ。
日中は25℃ほど。快適な気温と言って良いだろう。
一年中そうだと良いのだけれどそれでは常夏の国になってしまう。
桜は寒さが無ければ咲かないらしい。それも寂しいことだと思う。
早いものでもう初七日。法要はお葬式と一緒に済ませていたが
義父がしきびを活け替えたりお供え物を新しくしてくれる。
母の好きだったショートケーキを買って来てくれていた。
本来なら娘である私がしなければいけない事なのだろう。
いそいそと動き回る義父がとても頼もしく見えた。
それは生前には見たこともないような姿である。
亡くなる数日前から義父はまるで人が変わったようだった。
こんなに優しい人だったのかとなんだか信じられないような気分だった。
母のことを疎ましく思っていたのではないか
もう愛情など少しも残っていないのではないか
そんなふうに感じるほど母には冷たく振舞っていたのだ。
最期の時を義父が看取ってくれて本当に良かったと思う。
母はどんなにか嬉しかったことだろうか。
だから私に会う前に息を引き取ったのだと思う。
「この人さえ居てくれたら」と幸せだったのではないだろうか。
波乱万丈な人生であったが終わり良ければ総て良しである。
そんな母の人生に結局は影響を受けざるを得なかったが
私は自分の人生を否定することは出来ないだろう。
母のおかげで今があるのかもしれないけれど
母を赦してはやれなかった。じゃあ憎んでいるのかと云うと
そんな気持ちは一切ない。かと云って感謝も出来ないのだ。
母を忘れる娘など居ないだろう。それは生まれた時からの約束である。
私には「未来」と云うほどの時は残っていないが
来世でもきっと母と巡り会うことだろう。
晴れたり曇ったり。にわか雨が降った時間帯もあった。
ちょうど良い気温で風もあり過ごし易かったのだが
明日の朝はぐんと気温が下がり肌寒くなりそうである。
血圧の高い日が続いているので用心しなければいけない。
ぽっくりと死んでしまうわけにはいかないだろう。
母の死をきっかけに死がさらに身近になってしまったが
以前のように「明日死ぬかもしれない」とは思わなくなった。
「明日死んでたまるか」とけっこう強気になっている。
病ではないけれど何事も気の持ちようだと思う。
弱気になってしまったら死神の思うつぼではないだろうか。

山里は今日も弔問客があった。とうとう2百人を超す。
義父の友人は泣いていた。それがとても不思議でならない。
泣けない私はどれほど薄情なのだろうと思ってしまったのだ。
こればかりはどうしようもなく自然に任せるしかないだろう。
悲しみはいったいいつ訪れるのだろうか。
帰宅したらポストにSNSを通じて知り合った友人から手紙が届いていた。
中を開けてびっくりする。手紙とお香典が入っていた。
咄嗟に夫に話したら「なぜ知っていたんだ?」と問い詰められた。
夫は私がSNSであれこれと発信していることを知らないのだ。
詳しく話せば叱られてしまいそうで何も言えなかった。
するりと逃げるように言葉を交わしもうその話には触れずにいた。
友人にはすぐに電話をしお礼を言った。
会おうと思えばいつでも会える処に彼女は住んでいる。
近いうちにゆっくり会う約束をして電話を切った。
友人は8月にご主人を亡くされたばかりでまだ悲しみの中に居る。
おそらく涙も涸れてしまったのではないだろうか。
同じ身内の死であるがその違いが私には解らなかった。
きっと楽になったのよと友人が言ってくれた。
午後7時。外はもうすっかり夜になっている。
虫の声が微かに聴こえているがずいぶんと弱ったようだ。
虫も死んでしまうのだろうか。それとも冬を越すのだろうか。
道路沿いにはセイタカアワダチソウが色づき始めた。
黄色い三角帽子のような花だ。花粉症の原因になるので嫌われ者だが
私は好きだなと思う。いったい花に何の罪があるのだろう。
セイタカアワダチソウには秋桜よりも芒が似合う。
川辺だとそれがいっそうに映えて秋らしい風景となるのだった。

山里には今日も弔問客が。昨日程ではなかったが10人位だったか。
工場の事務仕事は殆ど手が付かず応対に追われていた。
急ぎの整備もあったが義父は全くやる気が起こらないらしい。
溜息をつくことが多く時々ぼんやりと考え事をしているようだった。
心配になって訊けば昔のことを思い出していたのだそうだ。
母も義父もまだ若い30代の頃のことらしい。
50年以上もの歳月が流れている。私は知る由もなかった。
別居期間が長かったとは云え夫婦だったことには変わりない。
私は母と12年しか暮らしていないが義父はずっと長いのだ。
母の家族は義父一人きりと云っても過言ではないだろう。
言い換えれば私と母が家族だったのはわずか12年のことである。
だから今回私は家族を失ったとは言えないのだと思う。
じゃあ何を失ったのかと問うと答えが出て来ないのだ。
「母」とはいったい何だろう。私を生んでくれた人だろうか。
その母を失ったのに私はどうして悲しまないのだろう。
最愛でなかったのは確かなことである。
どれほど歳月が流れようと私は母を赦すことはないのだと思う。
ひんやりと肌寒い朝。日中も涼しく過ごし易い一日だった。
風に揺れる秋桜。まだ咲き始めたばかりで満開が楽しみである。
今日から少しずつ日常のことをと思っていたけれど
そうは問屋が卸さず葬儀の後始末に追われていた。
頂いたお香典の整理が大変でその数は二百人に近かった。
母がそれだけ慕われていたことはもちろんのことだが
義父の人望の厚さが招いた結果でもあるだろう。
お香典の有難さ。おかげで葬儀費用に充てることが出来そうだ。
朝から弔問客が絶えなかった。葬儀に来られなかった人の多いこと。
聞けば村の無線放送に不備があり訃報を知らずにいたのだそうだ。
高齢者も多く町の葬儀場まで来られなかった人もいたようだ。
工場の事務仕事も忙しく2時間の残業になる。
気がつけば朝から母にお線香もあげていなかった。
母のことだから怒りはしないだろうが私の良心が痛む。
帰り際に遺影に手を合わせて「ごめんね」と声を掛ける。
「早く帰って家のことをしなさいや」と声が聴こえたような気がした。
それが母の最後の言葉だったことを思い出す。
もう二度と聞くことは出来ないのだ。
あれこれと現実が押し寄せて来ても私は未だ悲しんではいなかった。
もしかしたら一生悲しまずにいるかもしれない。
母もそれを望んでいるのではないだろうか。

遅くなったのでスーパーのお惣菜を何種類か買って帰る。
娘も残業らしくまだ帰って来ていなかった。
洗濯物をたたみながらぼんやりとこの三日間のことを思い出していた。
やはり夢としか思えない。いったいいつ目が覚めるのだろう。
夕食時、あやちゃんに訳を話し「手抜きでごめんね」と言ったが
笑顔は見れなかった。無視されたように感じずにいられない。
あやちゃんは結局、お通夜にもお葬式にも出てはくれなかった。
朝は少しひんやりと日中は爽やかな秋晴れとなる。
午前9時から母の告別式が執り行われた。
昨夜に引き続き大勢の方が参列してくれて感激に尽きる。
母がどれほどの人に慕われていたのか改めて知った。
お坊さんが遅刻する前代未聞のハプニングもあったが
母がわざと遅らせているかのように思えた。
まだ死ぬつもりではなかったのだ。ちょっとふざけただけだったのだ。
どうしよう本当に死んでしまった。困ったことになったと。
お棺の中の母は相変わらず微笑んでおりお茶目ぶりを発揮している。
だから泣けない。どうしても涙が出てこなかった。
最後のお別れをしてから火葬場へ行く。
それは沢山の花に囲まれたままお棺がゆっくりと焼却炉に入った。
もう熱くはないだろう。痛みもないだろう。
義父が焼却炉のスイッチを押した。
そうしてお骨拾い。さすがにもう母の笑顔は見えない。
こんなに小さかったのかと思うほど骨は粉々になっていた。
弟が泣いている。どうしたらそんなに涙が出るのだろう。
母は確かに死んだらしい。それではいったい何処に行ったのか。
私はずっと夢を見ているような気分だった。
決して悪い夢ではない。どこか現実離れした不思議な夢である。
「じゃあね、ばいばい」すぐ近くから母の声が聴こえて来る。
「お母ちゃんどこ?」いったい何処に隠れているの?
消えてしまったのだろうか。どうしてそんなことが信じられようか。
十六夜の月の次は何と呼ぶのだろう。
今夜も綺麗な月が煌々と輝いている。
母の通夜式を無事に終えて帰って来た。
なんと多くの人が焼香に駆けつけて来てくれたのだろう。
お棺の中の母は相変わらず微笑んでおりとても嬉しそうであった。
弟がお棺に縋りつくようにして泣いている。
「お姉ちゃんはまだ一度も泣いていない」と言ったら
「おまんは薄情ながよ」と怒った顔をしていた。
私もどうして涙が出ないのか分からなかった。
もうお通夜だと云うのにまだ実感が湧かない。
母は確かに死んでしまったのだけれど失ったとは思えないのだ。
明日は骨になってしまうらしい。それさえも信じられないでいる。
いったいいつになったら私の心の中の母が死んでしまうのだろう。
もしかしたらずっと死なないまま生き続けているのかもしれない。
中秋の名月。十五夜の日に母は息を引き取った。
「秋月等照信女」と云う戒名を頂いた。
十六夜の月のなんと綺麗なことだろう。
9月もとうとう晦日となった。
午後0時5分、母が静かに息を引き取る。
義父が来てくれるのを待っていたかのように死んだそうだ。
危篤の知らせを受け大急ぎで駆け付けていたが間に合わなかった。
少しも苦しむこともなく大きく息を吸ってそのまま眠るように。
母らしい素晴らしい最期だったと医師が話してくれた。
寂しさも悲しさも感じない。まだ母が死んだ実感もない。
だって母が微笑んでいるのだもの。どうして悲しむ必要があるだろう。
義父が家へ連れて帰ってやりたいと言ってくれて
母は山里の義父の家に帰った。
別居が長かっただけに母もきっと喜んでいることだろう。
母の枕元にいつも一緒に寝ていた犬のぬいぐるみをそっと置いて帰って来た。
明日がお通夜。明後日が告別式である。
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