ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年10月04日(水) 私を生んでくれた人

午後7時。外はもうすっかり夜になっている。

虫の声が微かに聴こえているがずいぶんと弱ったようだ。

虫も死んでしまうのだろうか。それとも冬を越すのだろうか。


道路沿いにはセイタカアワダチソウが色づき始めた。

黄色い三角帽子のような花だ。花粉症の原因になるので嫌われ者だが

私は好きだなと思う。いったい花に何の罪があるのだろう。

セイタカアワダチソウには秋桜よりも芒が似合う。

川辺だとそれがいっそうに映えて秋らしい風景となるのだった。





山里には今日も弔問客が。昨日程ではなかったが10人位だったか。

工場の事務仕事は殆ど手が付かず応対に追われていた。

急ぎの整備もあったが義父は全くやる気が起こらないらしい。

溜息をつくことが多く時々ぼんやりと考え事をしているようだった。


心配になって訊けば昔のことを思い出していたのだそうだ。

母も義父もまだ若い30代の頃のことらしい。

50年以上もの歳月が流れている。私は知る由もなかった。


別居期間が長かったとは云え夫婦だったことには変わりない。

私は母と12年しか暮らしていないが義父はずっと長いのだ。

母の家族は義父一人きりと云っても過言ではないだろう。


言い換えれば私と母が家族だったのはわずか12年のことである。

だから今回私は家族を失ったとは言えないのだと思う。

じゃあ何を失ったのかと問うと答えが出て来ないのだ。

「母」とはいったい何だろう。私を生んでくれた人だろうか。

その母を失ったのに私はどうして悲しまないのだろう。


最愛でなかったのは確かなことである。

どれほど歳月が流れようと私は母を赦すことはないのだと思う。





2023年10月03日(火) 夢としか思えない

ひんやりと肌寒い朝。日中も涼しく過ごし易い一日だった。

風に揺れる秋桜。まだ咲き始めたばかりで満開が楽しみである。


今日から少しずつ日常のことをと思っていたけれど

そうは問屋が卸さず葬儀の後始末に追われていた。

頂いたお香典の整理が大変でその数は二百人に近かった。

母がそれだけ慕われていたことはもちろんのことだが

義父の人望の厚さが招いた結果でもあるだろう。

お香典の有難さ。おかげで葬儀費用に充てることが出来そうだ。


朝から弔問客が絶えなかった。葬儀に来られなかった人の多いこと。

聞けば村の無線放送に不備があり訃報を知らずにいたのだそうだ。

高齢者も多く町の葬儀場まで来られなかった人もいたようだ。


工場の事務仕事も忙しく2時間の残業になる。

気がつけば朝から母にお線香もあげていなかった。

母のことだから怒りはしないだろうが私の良心が痛む。

帰り際に遺影に手を合わせて「ごめんね」と声を掛ける。

「早く帰って家のことをしなさいや」と声が聴こえたような気がした。

それが母の最後の言葉だったことを思い出す。

もう二度と聞くことは出来ないのだ。


あれこれと現実が押し寄せて来ても私は未だ悲しんではいなかった。

もしかしたら一生悲しまずにいるかもしれない。

母もそれを望んでいるのではないだろうか。






遅くなったのでスーパーのお惣菜を何種類か買って帰る。

娘も残業らしくまだ帰って来ていなかった。

洗濯物をたたみながらぼんやりとこの三日間のことを思い出していた。

やはり夢としか思えない。いったいいつ目が覚めるのだろう。


夕食時、あやちゃんに訳を話し「手抜きでごめんね」と言ったが

笑顔は見れなかった。無視されたように感じずにいられない。


あやちゃんは結局、お通夜にもお葬式にも出てはくれなかった。



2023年10月02日(月) じゃあね、ばいばい

朝は少しひんやりと日中は爽やかな秋晴れとなる。


午前9時から母の告別式が執り行われた。

昨夜に引き続き大勢の方が参列してくれて感激に尽きる。

母がどれほどの人に慕われていたのか改めて知った。


お坊さんが遅刻する前代未聞のハプニングもあったが

母がわざと遅らせているかのように思えた。

まだ死ぬつもりではなかったのだ。ちょっとふざけただけだったのだ。

どうしよう本当に死んでしまった。困ったことになったと。


お棺の中の母は相変わらず微笑んでおりお茶目ぶりを発揮している。

だから泣けない。どうしても涙が出てこなかった。


最後のお別れをしてから火葬場へ行く。

それは沢山の花に囲まれたままお棺がゆっくりと焼却炉に入った。

もう熱くはないだろう。痛みもないだろう。

義父が焼却炉のスイッチを押した。


そうしてお骨拾い。さすがにもう母の笑顔は見えない。

こんなに小さかったのかと思うほど骨は粉々になっていた。

弟が泣いている。どうしたらそんなに涙が出るのだろう。


母は確かに死んだらしい。それではいったい何処に行ったのか。

私はずっと夢を見ているような気分だった。

決して悪い夢ではない。どこか現実離れした不思議な夢である。


「じゃあね、ばいばい」すぐ近くから母の声が聴こえて来る。

「お母ちゃんどこ?」いったい何処に隠れているの?


消えてしまったのだろうか。どうしてそんなことが信じられようか。



2023年10月01日(日) 秋月等照信女

十六夜の月の次は何と呼ぶのだろう。

今夜も綺麗な月が煌々と輝いている。


母の通夜式を無事に終えて帰って来た。

なんと多くの人が焼香に駆けつけて来てくれたのだろう。

お棺の中の母は相変わらず微笑んでおりとても嬉しそうであった。


弟がお棺に縋りつくようにして泣いている。

「お姉ちゃんはまだ一度も泣いていない」と言ったら

「おまんは薄情ながよ」と怒った顔をしていた。


私もどうして涙が出ないのか分からなかった。

もうお通夜だと云うのにまだ実感が湧かない。

母は確かに死んでしまったのだけれど失ったとは思えないのだ。

明日は骨になってしまうらしい。それさえも信じられないでいる。


いったいいつになったら私の心の中の母が死んでしまうのだろう。

もしかしたらずっと死なないまま生き続けているのかもしれない。


中秋の名月。十五夜の日に母は息を引き取った。

「秋月等照信女」と云う戒名を頂いた。




2023年09月30日(土) 十六夜の月

十六夜の月のなんと綺麗なことだろう。

9月もとうとう晦日となった。


午後0時5分、母が静かに息を引き取る。

義父が来てくれるのを待っていたかのように死んだそうだ。

危篤の知らせを受け大急ぎで駆け付けていたが間に合わなかった。

少しも苦しむこともなく大きく息を吸ってそのまま眠るように。

母らしい素晴らしい最期だったと医師が話してくれた。


寂しさも悲しさも感じない。まだ母が死んだ実感もない。

だって母が微笑んでいるのだもの。どうして悲しむ必要があるだろう。


義父が家へ連れて帰ってやりたいと言ってくれて

母は山里の義父の家に帰った。

別居が長かっただけに母もきっと喜んでいることだろう。


母の枕元にいつも一緒に寝ていた犬のぬいぐるみをそっと置いて帰って来た。


明日がお通夜。明後日が告別式である。





2023年09月29日(金) なるようにしかならない

晴れのち曇り。残念ながら中秋の名月は雲に隠れているようだ。

満月の時は大潮であり人の生死に関わると昔から云われている。

たとえば潮が満ちる時に生まれる命があれば

潮が引く時に失くしてしまう命がある。

科学的には何も証が無いが地球の重力と関係あるのかもしれない。



今日は母に会いに行かなかった。

なんとなく気が重くて憂鬱な気分になっていた。

今日かもしれない明日かもしれない時に心配にならないのかと

自分を責めたくもなったが今日は許すことにしたのだった。


義父は今日も会いに行ってくれると云う。

あんなに母と距離を置いていたのにと思わずにいられない。

元々は優しい人なのだ。最期を看取るつもりなのだろう。

それに比べ私はあまり拘ってはいなかった。

だからどんな別れになるのか想像すら出来ないでいる。

なるようにしかならないのだ。考えても何も変わらないと思う。





いつものように夫と二人で夕飯を食べ終えてから娘達の番となり

二階から下りて来たあやちゃんと階段の下ですれ違った。

一日一言で良いと願っているのだけれど会話は殆どない日が続いている。

とにかく私から話し掛けてはいけないのだそうだ。

それが「干渉」になるのだと云われたらそうなのかもしれないと思う。

夫はもう同居が無理なのではないかと言っているのだけれど

娘達が何も言い出さない限りこちらから切り出すことは出来ない。


食卓に付いたあやちゃんが娘と向かい合って笑顔で語り合っている。

私はそんなあやちゃんを見るだけでほっとして嬉しくなる。


あやちゃんはひいばあちゃんのお葬式に行ってくれるだろうか。

訊きたくても訊けないままその日が近づこうとしている。







2023年09月28日(木) このクソ野郎め

9月も残りわずかとなり信じられないような暑さ。

日本国内では猛暑日だった地域もあるようだ。

長期予報では10月になっても暑い日があるとのこと。

今年の冬は暖冬になるのかもしれない。



今日も仕事を終えてから母に会いに行く。

一足先に義父も来ており一緒になった。

義父は約束通りに葡萄を持参しており母に食べさせていた。

「美味しい」と母。どんなにか嬉しかったことだろう。


昨日の今日で母の笑顔を見られて私も嬉しかった。

母に訊けば昨日私が来たことを全く知らなかったと言う。

おそらく眠っていたのだろう。なんと人騒がせなことか。

今日はそれも笑い話になったが冗談ではないと内心思った。


母に会う前にケアマネさんに着物を届ける。

衣装持ちの母はそれは沢山の着物を箪笥に仕舞っており

どれにしようと迷ったが母の好きな紫色の付け下げにした。

義父が言うには一度も着たところを見たことがないと。

初めて着る日が死装束とは皮肉なものだなと思う。

着ている母の姿が目に浮かぶ。もう微笑むことも出来ない。

お化粧は看護師さんがしてくれるそうだ。それを聞いてほっとした。


必死の思いで生きようとしている母がいるのに

死に支度をしている私はやはり薄情な娘なのかもしれない。

医師は相変わらず「今月いっぱい」だと言う。

その言葉がとても残酷な響きとなり耳に残り続けている。

明日明後日のうちに母は死ぬのだろうか。とても信じられなかった。

急変する可能性がとても大きいのだそうだ。

そんな医師の言葉に義父は憤りを感じるらしく医師を悪く言う。

「もういいよお父さん」そう言って今日も宥めたことだった。


母は義父の持参したモンブランを二口。葡萄を4粒食べた。

そうしたら急に便意を催しトイレに行きたがった。

けれどももう便器に座ることが出来なくなっているのだそうだ。

介護士さんに説得され寝たままオムツにすることになった。

それがどうしても出ない。歯を食いしばりながら踏ん張る母。

義父と私とで「頑張れ」と声を掛け続けたがやはり出なかった。

「もういい、糞はいい」と母の機嫌が一気に悪くなる。

「このクソ野郎め」私がおどけて言っても母はもう笑顔を見せない。


力んで力尽きたかのように母がうつらうつら眠り始めた。

それを機会に私は帰ることにする。

「お母ちゃん、もう帰るよ」と耳元に声を掛けたら

思いがけずに「早く帰って家のことをしたや」と言ってくれた。

家族の多い私のことをいつも気遣ってくれる母がそこに居たのだ。


義父は母が眠ってしまうまでもう少し傍に居てくれると言う。

その言葉に甘えて私は先に部屋を出た。

その時なんだか逃げているような気がしたのだ。

逃げる?これは現実逃避なのかもしれないと思う。

現実を上手く受け止められずにいるのかもしれない。


遅かれ早かれ母は死ぬだろう。

私はその現実を受け止めることが出来るのだろうか。




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