ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年09月29日(金) なるようにしかならない

晴れのち曇り。残念ながら中秋の名月は雲に隠れているようだ。

満月の時は大潮であり人の生死に関わると昔から云われている。

たとえば潮が満ちる時に生まれる命があれば

潮が引く時に失くしてしまう命がある。

科学的には何も証が無いが地球の重力と関係あるのかもしれない。



今日は母に会いに行かなかった。

なんとなく気が重くて憂鬱な気分になっていた。

今日かもしれない明日かもしれない時に心配にならないのかと

自分を責めたくもなったが今日は許すことにしたのだった。


義父は今日も会いに行ってくれると云う。

あんなに母と距離を置いていたのにと思わずにいられない。

元々は優しい人なのだ。最期を看取るつもりなのだろう。

それに比べ私はあまり拘ってはいなかった。

だからどんな別れになるのか想像すら出来ないでいる。

なるようにしかならないのだ。考えても何も変わらないと思う。





いつものように夫と二人で夕飯を食べ終えてから娘達の番となり

二階から下りて来たあやちゃんと階段の下ですれ違った。

一日一言で良いと願っているのだけれど会話は殆どない日が続いている。

とにかく私から話し掛けてはいけないのだそうだ。

それが「干渉」になるのだと云われたらそうなのかもしれないと思う。

夫はもう同居が無理なのではないかと言っているのだけれど

娘達が何も言い出さない限りこちらから切り出すことは出来ない。


食卓に付いたあやちゃんが娘と向かい合って笑顔で語り合っている。

私はそんなあやちゃんを見るだけでほっとして嬉しくなる。


あやちゃんはひいばあちゃんのお葬式に行ってくれるだろうか。

訊きたくても訊けないままその日が近づこうとしている。







2023年09月28日(木) このクソ野郎め

9月も残りわずかとなり信じられないような暑さ。

日本国内では猛暑日だった地域もあるようだ。

長期予報では10月になっても暑い日があるとのこと。

今年の冬は暖冬になるのかもしれない。



今日も仕事を終えてから母に会いに行く。

一足先に義父も来ており一緒になった。

義父は約束通りに葡萄を持参しており母に食べさせていた。

「美味しい」と母。どんなにか嬉しかったことだろう。


昨日の今日で母の笑顔を見られて私も嬉しかった。

母に訊けば昨日私が来たことを全く知らなかったと言う。

おそらく眠っていたのだろう。なんと人騒がせなことか。

今日はそれも笑い話になったが冗談ではないと内心思った。


母に会う前にケアマネさんに着物を届ける。

衣装持ちの母はそれは沢山の着物を箪笥に仕舞っており

どれにしようと迷ったが母の好きな紫色の付け下げにした。

義父が言うには一度も着たところを見たことがないと。

初めて着る日が死装束とは皮肉なものだなと思う。

着ている母の姿が目に浮かぶ。もう微笑むことも出来ない。

お化粧は看護師さんがしてくれるそうだ。それを聞いてほっとした。


必死の思いで生きようとしている母がいるのに

死に支度をしている私はやはり薄情な娘なのかもしれない。

医師は相変わらず「今月いっぱい」だと言う。

その言葉がとても残酷な響きとなり耳に残り続けている。

明日明後日のうちに母は死ぬのだろうか。とても信じられなかった。

急変する可能性がとても大きいのだそうだ。

そんな医師の言葉に義父は憤りを感じるらしく医師を悪く言う。

「もういいよお父さん」そう言って今日も宥めたことだった。


母は義父の持参したモンブランを二口。葡萄を4粒食べた。

そうしたら急に便意を催しトイレに行きたがった。

けれどももう便器に座ることが出来なくなっているのだそうだ。

介護士さんに説得され寝たままオムツにすることになった。

それがどうしても出ない。歯を食いしばりながら踏ん張る母。

義父と私とで「頑張れ」と声を掛け続けたがやはり出なかった。

「もういい、糞はいい」と母の機嫌が一気に悪くなる。

「このクソ野郎め」私がおどけて言っても母はもう笑顔を見せない。


力んで力尽きたかのように母がうつらうつら眠り始めた。

それを機会に私は帰ることにする。

「お母ちゃん、もう帰るよ」と耳元に声を掛けたら

思いがけずに「早く帰って家のことをしたや」と言ってくれた。

家族の多い私のことをいつも気遣ってくれる母がそこに居たのだ。


義父は母が眠ってしまうまでもう少し傍に居てくれると言う。

その言葉に甘えて私は先に部屋を出た。

その時なんだか逃げているような気がしたのだ。

逃げる?これは現実逃避なのかもしれないと思う。

現実を上手く受け止められずにいるのかもしれない。


遅かれ早かれ母は死ぬだろう。

私はその現実を受け止めることが出来るのだろうか。





2023年09月27日(水) 葡萄が食べたい

夏の名残を感じるような真夏日。秋はすぐそこまで来ているのだろう。

急がずゆっくりで良いと思う。私はまだ秋にはなりたくなかった。



午前中に施設のケアマネさんから電話がある。

母の様子がいつもと違うこと。一気に弱ってしまったらしい。

一昨日電話で話したばかりだったのでとても信じられなかった。

出来れば面会に来て欲しいと言う。私はひとつ返事では頷けない。

ただ自分の目で母の様子を確かめなければ気が済まないと思った。


仕事を終えてからすぐに駆け付けたが母は個室に移されていた。

ベッドに横たわっている姿を見るなり自分の目を疑う。

ほとんど生気を感じられずもうすでに死んでいるかのように見えた。

かすかに胸が動いている。それはそのまま母の「いのち」である。


息が苦しそうなので酸素マスクをと医師が勧めてくれていたが

母は断固としてそれを拒否する。その時だけ大きな唸り声を発した。

よほど嫌なのだろう。こればかりは無理強いは出来ないのだそうだ。


一時間ほど傍に付き添っていたが沈黙が怖ろしくてならない。

母は私の声には微かに反応を示すが自分からは一言もしゃべらなかった。

もう声を発する力も気力も無くなってしまったのだろう。

せめて目を開けてくれたら通じることもあるのではと思ったが

必死に開けようとしていてもそれが開くことはなかった。

「おかあちゃん見て、私のこのすごい白髪を」と言ってみたが

もう笑い声も聴こえない。血の気の失せた真っ白な顔が見えるだけだった。



後ろ髪を引かれるようにして部屋を出たが

覚悟というよりもうこれは観念としか言いようがなかった。

とうとう諦める時が来たのだと思う。そう思う以外にない。



と、これが今日の私の面会であったが先ほど義父から電話があり

夕方から2時間ほど付き添っていたが母と話せたと云うのだ。

これにはびっくり。まるで母に騙されていたように思う。


母は義父の姿を見るなり「喪服を着た人が来た」と言ったそうだ。

しっかりと目を開けていてそんな冗談も言えたのだろう。

そうして何よりもあんなに嫌がっていた酸素マスクを付けたのだそうだ。

義父が「何か食べたいもんはないか?」と訊いたら

迷う様子も見せず「葡萄が食べたい」と応えたらしい。

「おう、明日持って来てやるから頑張れよ」と父が言うと

とても楽しみな様子でにっこりと笑っていたのだそうだ。


なんだか狐につままれたような話であったが本当のことである。

覚悟やら観念やらは何処に消えてしまったのだろう。

今の私は微かな希望の光を追い求めている。




2023年09月26日(火) 駄目で元々

おおむね晴れ。日中はほぼ真夏日となる。

山里では法師蝉が声を限りに鳴き赤とんぼが飛び交っていた。



今年も高知県芸術祭文芸賞の締め切りが近づいており

先日から書き始めていた詩をやっと完成させた。

私の場合一気に書き上げてしまうことが多いが

賞等に応募する時は推敲に推敲を重ねる。

そうして出来上がった詩を何度も朗読してから納得するのだった。

自信はあるようでない。とにかく送り届けようと思う。

29日の締め切りぎりぎりなので速達便で送った。


「駄目で元々」と云う言葉があるが駄目なら振り出しに戻るのだろう。

そうしてまた努力をし機会があれば挑戦をし続けて行く。

しかし私の場合は駄目ほど落ち込む。失意のどん底なのである。

夢も希望も失くしてしまうことはけっこう簡単なことなのだと思う。

入選発表は11月上旬とのこと。嘆く準備はとっくに出来ている。





今朝は職場に向かっていたらけい君の担任の先生から電話があった。

今日はお弁当が要る日でけい君が持って来ていないと言う。

息子はすでに仕事中らしく連絡が取れないので私に掛けてきたようだ。

私も職場に着く寸前で今更家に帰ることは出来なかった。

どうしようかとあたふたしていたら先生から助言があり

家庭の事情でお弁当を持参出来ない子も居るのだそうだ。

コンビニのパンでもおにぎりでも良いのですよと言ってくれる。

そうなればもう夫に頼むしかないと思ったのだが

ふと娘が休みではないかと思い電話してみたらOKを貰えた。

娘も心配してくれて「本当にコンビニで良いの?」と言ってくれたが

これもけい君の試練だと思って娘に届けてもらうことにした。


クラスのお友達がみんなお母さんの作ってくれたお弁当を

嬉しそうに食べている姿を見るのはきっと辛いだろう。

そこを「僕はボク」と思って受け止めて欲しいと思うのだ。

無い物は無いのだし、出来ないものは出来ないのだから。


完全な父子家庭になって2ヶ月が過ぎた。

息子が夜勤の夜にはけい君一人で夜を明かしているそうだ。

それがどれほどの成長だろう。随分と逞しくなったと思う。


息子はこれまでもう十分に苦労をしてきたはずである。

けい君も寂しい思いをいっぱいしたけれど

助け合って支え合ってこの先の未来を歩んで欲しいと願って止まない。





2023年09月25日(月) 心臓に毛が生えている

山里は雨の一日だったが市内はさほど降らなかったようだ。

一雨ごとに秋が深まっていくことだろう。

朝晩は随分と涼しくなりエアコンも扇風機も要らなくなった。


彼岸の終りを知っているかのように彼岸花が枯れ始めている。

紅い彼岸花は燃え尽きたように黒くなっていく。

葉は花がすっかり終わってから見え始めるのだそうだ。

その葉も翌年の春になれば枯れてしまうらしい。

土の中では球根が逞しく生きているのだろう。

生い茂った葉が光合成により球根に養分を与えているのだそうだ。

だから葉をむやみに刈ってはいけないらしい。


そんな枯れ始めた彼岸花の傍に黄色い彼岸花が咲いていた。

「しょうき水仙」と言って彼岸花の仲間だと云うこと。

白、紅の次に咲き始めるのでまだしばらくは楽しめそうである。





午後、思い立って母に電話をしてみる。

まだ意識はしっかりしているので繋がるかもしれないと思ったのだ。

そうしたら介護士さんが出てくれてすぐに母と代わってくれた。

開口一番に「まだ死にそうにない」と少しおどけた声が聴こえた。

笑っているようでいて弱々しい。母の精一杯の声なのだろう。

息が苦しそうにあったので長話は出来なかったけれど

「また電話するね」と私が言ったら「ばいばい、またね」と母の声。


電話を切ってから確信したのは今月いっぱいだなんてあり得ないと

医師はもう諦めているのかもしれないが私はまだ諦めてはいない。

それは義父も同じで私の傍で大きく頷いていたのだった。

確かに気力だけで生きているのかもしれないが母の気力は並大抵ではない。

心臓に毛が生えていると言ってもいい。それはとても逞しい心臓だ。

「もうボロボロですよ」と医師は言うが手に取って直に見たのだろうか。


医学的なことはいくら説明を受けても理解できなかった。

レントゲンに母の心臓の毛が映るわけがないのだ。


母はこれまで何度か生死の境を彷徨ったことがあるけれど

その度になんとあっけらかんと乗り越えて来たことだろう。

それもこれも心臓に生えている逞しい毛のおかげである。



2023年09月24日(日) 風はもう秋風

午後6時30分、あたりはもうすっかり暗くなってしまっている。

風は秋風となり随分と涼しい。暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものだ。


今日は何処にも出掛けずごろごろと寝てばかり。

朝7時からもう眠気に襲われまずは9時までベッドで寝る。

11時に昼食を食べそれから3時まで寝ていた。

ほぼ6時間の昼寝?なのかさすがに自分でも異常ではないかと思う。

夜も8時間は寝ているから合計すると14時間である。

一日の半分以上を寝て過ごしていることになる。

当然のように家事も疎かになり、読書も遅々として進まない。

平日は仕事があるのでそういうわけにはいかないけれど

休日には何処か身体の螺子が外れているのではないだろうか。


不思議なのは以前のように平日の眠気が全く無くなったことだ。

一番怖かった運転中の眠気からもすっかり解放されている。

夫が云うには週末に「寝溜め」しているからではないかと。

私もそうとしか考えられず頷くしかなかった。

とにかく眠くなったらすぐ寝ることを心掛けようと思っている。






母の容態は落ち着いているらしく今日は施設から電話がなかった。

気になり始めるときりがなくなんだか気が抜けたような気持だった。

ずっと張り詰めてばかりいたら気を安める暇もない。

母を想う気持ちはあってもつかの間でも母のことを忘れたい時もある。

やはり私は薄情な娘なのだろうか。自分でもよく解らなくなった。



夕方は大相撲の千秋楽。熱海富士に初優勝させてやりたかったが

決定戦で貴景勝に残念ながら負けてしまった。

「はたき込み」だったか大関とは思えない技である。

勝つためには手段を選ばない気持ちは解らないでもないが

がっつりと組み合って正々堂々と勝負して欲しかったと思う。

なんだかとても後味の悪い優勝決定戦であった。


ずっと応援していた豊昇龍はなんとか勝ち越し。

大関になったばかりでプレッシャーも大きかったと思う。

悔しい思いをしたこともあったと思うが

その悔しさをバネに来場所も頑張って欲しいと願っている。


大相撲中継を観るのが楽しみでならなかった夫が

「終わったなあ」と寂しそうに呟いていた。



2023年09月23日(土) 気力だけで生きている

秋分の日。今朝は一気に秋を感じるような気温となる。

ぽつぽつと雨が降っていたがもう蒸し暑さはなかった。


「降る降る詐欺」ではないけれど天気予報はまた外れ

快晴ではなかったが陽射しの降り注ぐ一日となった。



無性にほか弁の「鶏そば」が食べたくてならない。

夫に話したらお弁当を買って近場をドライブすることになる。

母のこともありさすがに遠出は出来ず市内の黒尊地区まで行った。

秋には紅葉の有名なスポットであるが今はまだ何もなかった。

ただ四万十川の支流である黒尊川の渓流がとても綺麗である。

鮎が釣れるのだろうか。渓流釣りをしている人も見かけた。


川沿いに車を停めてお楽しみのお弁当を頬張る。

「鶏そば」はご飯の上に海苔と鶏のから揚げが載った鶏飯と

少し甘めのソースで味付けした焼きそばのお弁当である。

以前にもここに書いたが私の一番好きなほか弁メニューだった。

お腹いっぱいになりとても幸せな気分になる。


食べてすぐに帰る訳にも行かず黒尊地区を少し散策。

昔の営林署の官舎が今も残っており感慨深く眺めた。

子供の頃に父と訪れたことがあったがどの家だったのだろう。





午後、弟一家が無事に面会を終えたと連絡があった。

「そんなに悪い風には見えなかった」と言っていた。

機嫌も良く元気な母に会うことが出来て何よりに思う。

何よりも嬉しかったのは弟の孫も会うことが出来たのだそうだ。

母にとってはひ孫である。どんなにか会いたかったことだろう。

施設側はコロナ対策で子供との面会を制限していたのだが

今日は特別に許してくれたらしい。なんと有難い配慮である。


私も弟一家とは2年前に会ったきりであるが

近いうちにまた会えるだろうと話し合った。それは母のお葬式である。

考えたくもないけれど弟達も覚悟の上の話であった。

それはどうしようもなく押し寄せて来る現実なのだろう。



夕方義父から電話があり明日の遠方行きを中止しようかと相談があった。

母にもしものことがあった時に間に合わない可能性がある。

義父も義父なりに悩んだり心配したりしているのだった。

そこまで母のことを想っていてくれることが思いがけなくもあった。

どんなカタチであったとしてもやはり夫婦なのだと思う。

「気が進まんと思うたら止めたらええけん」と私が言ったら

「おお、止めちょくわ」と義父はきっぱりと応えた。


医師は今月いっぱいと言ったがやはりどうしても信じられない。

もしかしたら今年いっぱい持つかもしれないと思い始めている。


母はすでに気力だけで生きているのだそうだ。




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