曇り時々雨の予報だったが雨は降らないまま日が暮れる。
気温はさほど高くないのにやはり蒸し暑くてならない。
夜明け前、祖母のことを思いながら詩を書いて発信する。
文字数が限られており短詩ではあるけれど自分では満足だった。
天国の祖母にもきっと伝わるだろうと思った。
18年目の命日である。ずいぶんと歳月は流れたけれど
最後に会った日の祖母のことを忘れることは出来ない。
もう意識が薄れかけていたのに私が手を握ると歌い始めたのだ。
「お手々つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって」
病室に祖母の歌声が響くのを溢れ出そうな涙を堪えながら聴いた。
夫が「もう最後だな」と呟いた時には肩を震わせながら泣きじゃくった。
その3日後祖母は安らかに息を引き取った。
真紅の彼岸花が満開だったことをまるで絵のように憶えている。

入院中だった同僚のお母さんが急変。心不全の上に肺炎を患っており
もう長くはないだろうと知らせがあったそうだ。
偶然なのかもしれないがこんなことがあって良いのかと皆で嘆く。
同僚は落ち着かない様子であったが今日の仕事を済ませてくれる。
義父も私も同じであるがとにかく目の前のことをやっつけていく。
幸い母の容態は落ち着いており今日明日と云うことは無さそうだった。
しかしこればかりは急変もあり得ることで油断は出来ない。
私の覚悟は揺らぎ続けており今日も自分の気持ちがよく解らない。
気丈な母のことだからそうそう簡単には死なないとも思うし
もし駄目だったらと思うとパニックになってしまいそうだった。
なんだか毎日が綱渡りのようにも感じるが恐る恐るであっても
一日が無事に終わればそれで良しと思うべきなのだろう。
明日は高知市内に住んでいる弟一家が面会に来てくれるそうだ。
コロナ前から一切会っておらず4年ぶりの再会ではないだろうか。
母がどんなにか喜ぶことだろう。嬉し泣きするかもしれない。
心残りがないようにと思えば切ないことがたくさんあるけれど
つかの間でも母が笑顔になってくれたらと願わずにいられない。
夜中に雨が降っていたようだが日中は曇り。
時おり薄日が射してずいぶんと蒸し暑かった。
紅い彼岸花に黒アゲハ(蝶)が止まっているのを見た。
その色のコントラストにはっとして胸がどきどきする。
よく写真でも見かけるが黒アゲハは彼岸花が好きなのだろうか。
蜜を吸っているのならそれはどんな味がするのだろう。

義父がやっと面会に行ってくれる。
よほど思いがけなかったのか母がとても喜んでくれたそうだ。
「ご飯は食べよるかよ?」と訊いたら「食べよるよ」と応えたらしい。
嘘だと分かっていても何も言えなかったそうだ。
話しているとやはり呼吸が荒くなりしんどそうになるのだが
酸素マスクは嫌だと母が拒否したと云う。
医師との面談もありこれ以上の治療法が無いこと
日に日に衰弱していくのを見守るしかないのだろう。
施設側は病院と連携し「看取り看護」を行うことになった。
「持って今月いっぱいでしょう」医師からそう告げられて
義父はさすがにショックな様子を隠せずにいた。
私はどうしたわけかさほどショックを感じない。
それだけの覚悟が出来ているのかも定かではなかった。
ただ「もう逃げられない」と思う。追い詰められているのだろう。
遅かれ早かれその時が来るのだ。もう受け止めるしかないと思う。
母の死装束に着物を持って来るようにと頼まれたらしいが
どうしてもそんな気分にならなかった。間に合わないかもしれない
そう思っても箪笥から着物を出すその行為が出来ないのだった。
挙句に昨夜もここに記したが母のミラクルを信じている。
まるで母が不死身であるかのように思い込んでいる。
矛盾しているが「そんなことがあるわけがない」とも思っているのだ。
どちらにせよ母の死は決して免れない。
覚悟とはいったいどう云うことなのだろうか。
私は本当に覚悟しているのかどうか分からなくなってしまった。
晴れてはいたが市内ではにわか雨が降ったそうだ。
夫が洗濯物を慌てて取り入れてくれていたが少し湿っていた。
男の手らしく洗濯籠にぎゅうぎゅうと押し込んであった。
山里では安定の晴れ。風が無かったので酷く蒸し暑く感じる。
暑さ寒さも彼岸までと云うがまだしばらくは残暑が続きそうだ。
一度散ったように見えていた百日紅がまた満開になる。
枝先から再度花芽が出て来たのだろう。
散っても散っても後から咲き続けるので百日紅と云うのだそうだ。
夏草の生い茂った職場の庭にそれは鮮やかな彩を添えている。

今日も母の施設のケアマネさんから電話があった。
医師からの伝言でやはり義父に面会に来て欲しいのだそうだ。
忙しいのは理由にはならないことはよく分かっている。
かと云って「すぐに行きます」とどうして言えるだろうか。
長い間別居をしていた母と義父である。
世間一般の仲睦まじい高齢夫婦とは明らかに違うのだ。
憐れに思う気持ちはあってもそれが愛情とは限らない。
今日も仕方なく再度義父に伝える約束をして電話を切った。
昨夜はノンアルビールを「飲みたくない」と拒否したそうだ。
食事も殆ど食べることが出来ずチョコレートを一個だけ食べたらしい。
食欲が落ちるとどんどん体力も失われていく。
栄養剤を点滴しているようだが身にもならないだろう。
電話を切る前に「娘さんはもう面会に来ませんか?」と訊かれた。
私は迷わず「もう行きません」と応えた。
それほどまでに私は薄情な娘である。
母の顔を見るのがとても辛い。それが正直な気持ちでもあった。
今更何を話そう。もう話すことなど何もないように思う。
先日の面会で母の手を握って互いに「ばいばい」と声を掛け合った。
その時にこれが最後になるかもしれないと覚悟をしたのだった。
「もう長くはありませんよ」と宣告されてから
何年も生き続けていた人もいるようだ。
もしかしたら母もそうかもしれないと思っている。
母はそんなミラクルを起こせる人なのだ。
| 2023年09月19日(火) |
お母さん頑張らんといかんよ |
日が暮れるのがずいぶんと早くなった。
いま6時45分、西の空に少しふっくらとした三日月が浮かんでいる。
室温は30℃、今日も厳しい残暑であった。
山里の郵便局の傍に咲いている白い彼岸花が
うっすらとピンク色に変わり始めた。
もう花の盛りを過ぎてしまったのだろうか。
彼岸の入りを前にあまりにも早過ぎる気がする。

午後、母の施設の介護士さんより電話があり
母がビールを飲みたがっているので飲ませますねと云う。
医師の許可も下りているらしくなんだか耳を疑うような話だった。
とにかく食べたい物を飲みたい物を一切制限はしないのだそうだ。
それだけ母の容態が悪い方へ向かっているのだろう。
最期が近いことを考えずにはいられなかった。
どう表現すれば良いのだろう。うまく言葉に出来ないけれど
なんだか一方的に押しつぶされているような危機感を感じる。
それは毎日母と接している介護士さんや職員の皆さんだからこそで
ちらっと面会に行ったきりの私などには分からないことなのだと思う。
母の顔色、母の声、食欲はあるのか気力はあるのか。
いくら娘でもまるで他人事のように思えて来るのだった。
一度電話を切ってから義父とも話していたのだけれど
さすがにいきなりのアルコールは母の身体に悪いのではないか。
たとえ一口でもどんな副作用が現れるか分からない。
考え過ぎかもしれないが意識を失う可能性もあるのではないだろうか。
そんなことを考えていると急いで止めなくてはと思った。
折り返して介護士さんに電話をしてノンアルビールに替えてもらう。
ビールだと思って飲めばけっこう美味しいのだ。
今夜と言っていたからもう飲み終わっている頃だろうか。
人一倍勘の鋭い母のことである。きっと察しているのではと思う。
まだ死にたくはない。死んでたまるもんかと思っていて欲しい。
気を強く持って立ち向かってくれることを願って止まない。
お母さん頑張らんといかんよ。
晴れのち曇り。昨日程の猛暑ではなかったようだ。
運動会が今日だったら良かったのにと思った。
敬老の日。地区では75歳以上の人を対象に長寿祝いが贈られる。
お赤飯もしくは商品券だがお赤飯を希望する人は少ないらしい。
千円の商品券。わずかでも買物をする楽しみになるのだろう。
今朝は71歳の夫が「もうちょいだな」と呟いていた。
彼もお赤飯よりも商品券が良いのだそうだ。
夫婦で貰えるようになったら私はお赤飯も良いなと思う。
それまでにくたばったら何もないよと言って笑い合った。
「おじいさん、元気に長生きせんといかんね」

お昼は約ひと月ぶりに外食。無性に冷やし中華が食べたかった。
出掛けに夫があやちゃんに声を掛けてみたのだった。
そうしたら「どうしようかな」と迷ってくれたのだそうだ。
迷うと云うことは嫌ではないと云うことだと思う。
それを聞いて私はとても嬉しかった。
これからも外食の度に誘ってみようと思ったのだ。
今日は「なんとなくそんな気分じゃない」と言ったそうだ。
また気が向く日がきっとあるだろう。
宿毛市の郊外にある「レストラン一風」へ。
他のお店を知らないのかと云うくらい通い詰めている。
とにかくチャーハンがとても美味しい。
夫は醤油ラーメンと半チャンセット。私は冷やし中華と半チャンセット。
冷やし中華は今月いっぱいはあるのだそうだ。今日が食べ納めだろうか。
美味しいものを食べている時がいちばん幸せである。
そんな有り様だからもうダイエットどころではなかった。
そうかと言ってどんどん体重が増えている訳でもない。
油断は禁物だが様子を見ながら食べ続けようと思っている。
やはり食欲の秋だ。ダイエットの秋ではあまりにも辛過ぎる。
満腹のお腹をさすりながらそのまま帰路に就く。
ドライブの気分ではなかった。それよりも早く横になりたい。
帰宅するなりまた眠り3時過ぎに目覚める。
洗濯物は娘が畳んでくれていてありがたやありがたや。
後はお決まりのコースで日が暮れて行った。
夕食時、あやちゃんがにこにこしながらお素麵を食べていた。
両親との会話も弾んでいてその光景がきらきらと眩しい。
輝ける子なのだと思う。きっと今日よりも明日と。
| 2023年09月17日(日) |
寂しさよりも悲しくて |
快晴。ほぼ猛暑日ではなかっただろうか。
風はあったが厳しい残暑となる。
8時半から運動会。例年よりも開始時間が早かった。
学校側も熱中症に用心していて競技の間に休憩時間もある。
百メートル走、借物競争、綱引き、一輪車リレー、よさこいソーラン等。
児童数が少ないので次から次へと競技が続いた。
応援にも熱が入る。無意識のうちに大声で叫んでしまう。
何よりも孫の成長を直に見れるのは嬉しいことであった。
めいちゃんは小柄だとずっと思い込んでいたけれど
今日見たら背も高い方で体格も良くびっくりしてしまった。
誰かさんに似たのかお尻もけっこう大きいのだ。
残念ながらあやちゃんのことは何も書けない。
ただとても複雑な思いが込み上げて来て寂しさも感じた。
一番苦しんでいるのはあやちゃんなのだろう。
今こそ寄り添ってあげなくてはいけないのだと思った。

午後は図書館へ。もうこそ椎名誠の未読本が無くなってしまった。
仕方なくと云っては申し訳ないが田辺聖子の本を借りて来る。
嫌いではないのだけれど少々鼻に付く作品が多い。
これも偏見かも知れず余計な先入観を持たないほうが良いだろう。
読んでみたらけっこう面白いかもしれないのだ。
とにかく活字中毒なので与え続けなければいけない。
図書館から買物へ。帰宅するなりまた眠り続ける。
今日も4時過ぎまでほぼ熟睡していた。
夫に急かされて洗濯物を取り入れ汗を流しながら畳み終えた。
大相撲は今日も豊昇龍が負けてしまって憐れでならない。
大関になったプレッシャーだろうか。その心中は図り兼ねる。
一度好きになったらなかなか簡単に手放せないものだ。
夕食時、あやちゃんの姿が無かった。
娘に訊いたら眠っているのでそっとして置くように言われた。
寄り添いたい気持ちの行き場所が途絶えてしまう。
求められてはいないだろうについついもがいてしまうのだ。
朝からまともに顔を見ていない。それは寂しさよりも悲しさに似ている。
| 2023年09月16日(土) |
心身ともに安らいでいる |
何という蒸し暑さだろう。お風呂上がりの汗が引かず
エアコンを点け扇風機まで回している。
明日は小学校の運動会だが熱中症がとても心配だ。
昔は10月に行っていたのに今は全国的に9月が多い。
国の教育方針なのかなと思うけれど考え直すべきではないだろうか。
何かあってからでは遅いのだ。命に関わるような厳しい残暑である。
今朝も眠く7時半から9時まで眠る。
熟睡ではなくとろりとろりと心地よい眠りであった。
おそらく心身ともに安らいでいる時間なのだろう。
カーブスから帰り昼食を食べてからまた眠る。
時々目を覚ましながら4時まで眠っていた。
呆れかえった夫が洗濯物を取り入れてくれていたのでしぶしぶと畳む。
かったるいなと思う。何もやる気にならない。
放っておいたら一日中眠っていることだろう。
夫とふたり大相撲を観ながら夕食。豊昇龍がまた負けてしまった。
今場所も誰が優勝するのか全く見当が付かない。
その方が面白いなと思う。千秋楽が楽しみである。
私達が夕食を終えると今度は娘夫婦。晩酌をするのでまるで居酒屋だ。
孫達の姿が見えないので苦言をと思いつつ何も言えなかった。
一時間ほど経っただろうか、今やっと家族4人が揃ったようだ。
あやちゃんもめいちゃんも笑顔でほっと胸を撫で下ろしている。
母の容態は落ち着いているらしく何の連絡もなかった。
こればかりは真夜中にある可能性もあり油断は出来ない。
けれどもその時はその時のことと思っていつも通りに過ごしている。
焼酎も飲んでいるしこうして日記も書いているのだった。
人は誰しも生まれた時から決まっている定命があるのだそうだ。
母は波乱万丈な人生を送ってきたがそれは私も同じである。
母のせいとは言いたくはないがそうとしか言えないこともある。
例えは可笑しいが洗濯機なら脱水状態なのではないだろうか。
涙が水分なのだとしたらとことん飛ばさなくてはならない。
そうして青空の元に干されるのが幸せなのだろう。
母の人生に私の人生を重ねるとまるでドラマのようだった。
すごいね。母さんも私も主役なのだからかっこいいね。
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