少しずつ日が短くなっているようだ。
午後6時50分、あたりはもうすっかり暗くなった。
昨日はめいちゃんの9歳の誕生日だったが
ダンス教室に行くためお祝いが出来なかった。
一日遅れとなったが今夜ささやかにお祝いをする。
とは言え家族皆が揃ってとはいかず先組と後組とに別れる。
私達夫婦が先に食べて娘達が後から食べるいつものパターンであった。
娘婿は残業で帰りが遅くなるのだそうだ。
ステーキを焼いていたので食べたいだけ食べる。
後から見たらあやちゃんも美味しそうに食べていた。
めいちゃんが主役なのに私の中ではあやちゃんが主役になっている。
分け隔てなくと思っているはずなのにこれはどうしたことだろう。
二人とも目に入れても痛くないがあやちゃんには訊かなくてはならない。
「目に入れてもいいかな?」きっと「駄目!」と応えるだろう。

義父に母の病状について話し今後のことを考える。
義父も覚悟はしているようだがいざとなったらどうなることだろう。
母は会社の取締役でもあった。あれこれと複雑な事情も当然出来て来る。
最悪の場合は義父と私とで対処しなければいけないだろう。
母の死よりも他の諸事情の方が大きく複雑な気持ちになっていく。
母を失う悲しみよりも大切なことがあるのだろうか。
午後、施設からまた電話があり今度は義父の面会を求めて来る。
それだけ切羽詰まった状態になっているのだろう。
義父が多忙なことは私がいちばんよく知っているものだから
曖昧に応えるしかなかったがなんと薄情な家族だろうと思ったことだろう。
なんだか得体の知れないものがじりじりと迫って来ているようだ。
もちろん逃げも隠れもしない。母はまだ一生懸命に生きている。
曇り日。山里ではにわか雨が降る。
田んぼの畦道に紅い彼岸花が咲き始めた。
稲はすでに刈られているが田んぼとのコントラストがなんとも云えない。
昔からモグラ除けとして畔に植えられていたそうだ。
もしかしたら百年近くも同じ場所で咲いているのかもしれなかった。
職場の庭では柿の実が色づき始めている。
葉の紅葉も見られ秋らしい風景である。
ゆっくりと少しずつではあるが季節が移り変わろうとしているようだ。
暑さ寒さも彼岸までと云うが彼岸の入りも近くなった。

仕事を少し早めに終えさせてもらっていつもの内科へ。
薬の処方だけしてもらって次は母の施設に向かった。
午前中にケアマネさんから電話があったのだ。
医師からの伝言でなるべく早く面会に来るようにと言われた。
それだけ母の状態が良くないと云うことなのだろう。
もしかしたら今日が最後になるかもしれないと思った。
先日の母からの電話で少し安心していたのだけれど
母がかなり無理をしていたことを知った。
母なりに心配をかけてはいけないと思ったのだろう。
お口だけは元気なんですよと施設のスタッフさんが口々に言う。
顔色はとても良く決してやつれているようには見えなかったが
あまり長く話すと息が荒くなりしんどそうな様子を見せる。
心不全と腎不全のダブルパンチなのだそうだ。
どちらの治療ももう限界に達しているらしい。
言い換えればもう手の施しようがないことに等しい。
「最期の看取り」医師からはその相談もあった。
私は出来る限り苦しまずに安らかな最期を望んでいる。
けれども義父はぎりぎりまでも延命治療を望んでいるのだった。
明日、義父に詳しいことを話さねばならないがなんとも気が重い。
最終的な決断は娘さんがと医師に言われたことも話さねばならない。
「ばいばい、またね」ベッドから起き上がった母が手を振った。
私はその手に握手をして笑顔で母の元を去って行った。
必死の思いで最後を否定している。きっときっとまだ時間がある。
握手をした時の母の手のぬくもりがなんだか愛そのものに思えた。
| 2023年09月13日(水) |
自分のために書いている |
夜中には雨音で目が覚めるくらい雨が降っていた。
日中は曇り空。薄日が射す時間帯もある。
気温が30℃を超すとまだまだ夏の蒸し暑さだ。
義父が飼料米の出荷準備をしていた。
一袋一トンの大きな袋である。
いつも疑問に思うのは家畜の飼料だけれど
玄米のまま与えるのか火を通してから与えるのか。
義父も詳しいことは知らないらしく
とにかく牛や豚の餌になるらしいのだ。
食糧米とは品種が違っていて「夢あおば」と云うらしい。
ネットでググれば詳しいことが分かるかもしれないが
実際に飼料として与えているところを見てみたいものだなと思う。
米つくりにはまったく知識がないけれど興味は大いにある。
学ぶ機会がないのはとても残念なことだ。

スーパーの鮮魚売り場でまた鰆(さわら)を見つけた。
高知県産と書いてある。土佐沖で釣れているのだろうか。
先日塩焼きにしたのをあやちゃんが食べてくれたので
また食べてくれるかもしれないと思い買って帰った。
娘と夕飯の準備をしていたらあやちゃんが二階から下りて来たので
鰆のことを話したら「食べる、食べる」と言ってくれてほっとする。
毎日顔色を窺っているように感じるかもしれないが
出来る限り自然な会話になるように心掛けているのだった。
昨夜はあやちゃんがこの日記を読んでいるかのように書いたが
やはり私の思い違いだったような気がする。
SNSもしかり。とても興味があるとは思えないのだった。
まだ11歳の少女である。ユーチューブの方がずっと好きだろう。
私は読んで下さっている皆さま(読者)を意識してはいけないと思う。
それをしてしまうとどうしても媚びた文面になってしまうからだ。
あくまでも自分のために記す日常で在るべきではないだろうか。
10年前、20年前の日記を読み返すとそれがよく分かる。
誰が懐かしいと思うだろうか。それは私以外には在り得ないことである。
この日記もいつか読み返すことがあるかもしれないが
最悪の場合は消失していることも考えられる。
これっきりだと思うとなぜか愛しさが込み上げて来るのだった。
いつまでもあると思うなとよく云うが
それってけっこう残酷な言葉だなと思う。
山里ではにわか雨が降った時間帯があったが概ね晴れ。
午後には法師蝉がしきりに鳴いていた。
毎朝のこと。今朝もSNSで詩を書き発信する。
ある方のことが頭にあった。少しでも寄り添うことが出来ればと思う。
愛する奥様を突然亡くされてどれほど辛い思いをされたことだろう。
けれどもその方はいつまでも悲しんではいなかった。
空を見上げ風に吹かれながらいつも魂と会話しているのだった。
その姿に心を打たれる。その気持ちをそのまま言葉にした。
たった一人の人のために心に響く詩を書きたいといつも思っている。
大それたことだがそれが私に与えられた使命のように思うのだ。
発信後、その方からメールが届いた。良かったちゃんと伝わったのだ。

あやちゃん?もしかしたらこの日記を読んでいるのですか?
以前にSNSのアカウントを訊かれて教えたことがあったから
この日記に辿り着くことも在り得ると思っている。
今日も笑顔を見せてくれてありがとう。すごい嬉しかった。
今夜のナポリタンはいつものよりずっと美味しかったよね。
麻婆豆腐も作っていたけどナポリタンでお腹いっぱいになったかな。
おばあちゃんは余計なことは一切言わない。
ただそっとあやちゃんを見守っていたいと思ってる。
あやちゃんのプライバシーは絶対に守らないといけないから
秘密は決してここには書きません。約束するからね。
ずっと昔、あやちゃんがまだ保育園に行っていた頃だったかな
「おばあちゃん何しよるの?」と訊かれたことがあったよね。
日記と云っても分からなかったから「お勉強」って応えた気がする。
おばあちゃんはそんなにお利口さんじゃないから勉強していたのかな。
ってここまで書いてんん?って思ったのは
すっかりあやちゃんを意識して書いてしまったけど
ただの勘違いだったらめっちゃ受けるよね。
おばあちゃんの独り芝居かもしれないけどなんとなくそんな気がしたから。
読んで欲しくて書いたのじゃない。それだけは分かって下さい。
晴れのち雨のち晴れ。雨の予報だったが朝のうちは晴れていたので
また天気予報が外れたなと思っていたら急に雨が降り始めた。
2時間ほど降っただろうかその後また青空が見え始める。
彼岸花が咲くにはまだ少し早いと思っていたのだけれど
郵便局へ行っていたら白い彼岸花がもう咲いていたのだった。
紅よりも白の方が先に咲くのだろうか紅はまだ見かけない。
私は白い彼岸花が好きなので思わず歓声をあげてしまった。
紅い彼岸花は不吉なイメージが強く子供の頃から苦手だった。
毒があるから触ってはいけないと教えてくれたのは祖母である。
お墓の傍などに咲いていると死んだ人の血を吸ったように思えて
恐る恐る眺めたものだった。ようく見れば美しい花なのだけれど
子供の頃から抱いていたイメージはけっこう根強いものだ。

今日はあやちゃんの好きな物をいっぱい作ろうと思った。
塩鮭、餃子、ジャーマンポテト。
娘と一緒に支度をしていたら珍しくあやちゃんが二階から下りて来た。
会話をするのは何日ぶりだろう。「あやちゃんの好きなもんばっかよ」と
言ったら小さな声で「やったあ」と喜んでくれたのだった。
私もじっくりと考えたのだ。どんな些細なことでも良いから
「取っ掛かり」のようなものが必要ではないだろうかと。
話し掛けてはいけないのだったらきっかけを見つけるべきなのだ。
何の警戒心もなく自然に応えられるように仕向けていかなくては。
決して過干渉になってはいけないことなのであくまでも慎重にである。
そうして必要以上に神経質にならないことも肝心だろう。
口には出さなくても「あら、そう」とさらりと受け流せるように。
あやちゃんにとってはごく自然なことなのだと思う。
祖母の存在などそんなに大したことではないのだ。
それを寂しいなどと云えば大きなエゴに他ならないと思う。
これを書きながらさきほど階下に下りて行ったら
めいちゃんとあやちゃんが仲良く夕食を食べていた。
すでに食べ終えている娘は聞き役のようで相槌を打っている。
笑顔でおしゃべりをしているあやちゃんを久しぶりに見た。
「書くよ、書いても良いよね」と心で呟きながらこれを記す。
曇り時々雨。今もぽつぽつと降っている。
湿度は高いが気温は低目で過ごし易い一日だった。
今日も今日とてまた眠い。朝7時から9時までベットで寝る。
夜の睡眠時間が足らないのだろうかとも思うが
4時起きとは云え7時間は寝ているので十分ではないだろうか。
休日はおそらく緊張感が無くなっているのだろう。
身体が自然と眠くなるようになっているとしか思えない。
暇さえあったら寝ているので読書は全く捗らない。
今日も一ページも読めず我ながら情けないことである。
決して退屈な本ではないのに読み始めるとすぐに眠くなってしまうのだ。
9時過ぎてから買物。ほんの30分程であったが唯一動いた時間である。
歩数200歩。全く歩かないよりもマシなのではないだろうか。
歩くと云ってもスーパーのカートにしがみついてのことだ。
お昼はお好み焼き。ホットプレートを出すのが面倒だったので
フライパンで巨大な一枚を焼き半分にして食べた。
麦茶では物足らず夫はビール。私はノンアルビールを飲む。
満腹になりなんと幸せなことだろう。お腹を撫でていたら
夫が食べ残した分を食べてくれと云うので遠慮なく頂く。
そのままバタンキューと倒れ込むようにして寝る。
なんと目覚めたらまた3時になっていた。ほんによく寝ることよ。
朝から合計したら5時間も寝ていたことになるのだった。
なんか忘れているなと思ったら洗濯物をたたんでいなかった。
今朝乾燥機に放り込んだままでとっくに乾いている。
乾燥機から洗濯物を出すのが億劫で嫌いな作業だった。
量が多いと絡み合ってスムーズに取り出せない。
ぶつぶつ文句を云いながら次第に腹が立ってくる。
やっと洗濯物をたたみ終えてから大相撲中継を観ていた。
先場所優勝した豊昇龍のインタビューでの笑顔がなんとも云えない。
こんなに愛嬌のある人だったのかと思いがけなかった。
一度好きだなと思うともう止まらないのが私の癖のようなものだ。
夕食時、あやちゃんの姿が見えない。
娘にそれとなく訊いたら後から食べるだろうと云う。
「食べなさい」とは決して云ってはならないようだ。
私が声など掛けたらまた怒られてしまうことだろう。
夕食だけは家族と一緒にと願わずにいられない。
娘達の方針には正直云って付いていけないと思うけれど
祖母である私が口を挟むべきことではないのが辛かった。
いつ食べるのだろう。いつお風呂に入るのだろう。いつ眠るのだろう。
知らないことがいっぱいになった。
雲が多かったものの概ね晴れ。暑さも少し和らいでいた。
また明日からしばらくは不安定な天気が続きそうである。
台風13号は熱低に変わったが千葉や茨城など浸水被害があったようだ。
こればかりはどうすることも出来ずただただ気の毒でならない。
まだ10月までは台風の心配をしなければいけないだろう。
早朝から異常なほどの眠気。7時半頃から9時までベッドで眠る。
なんとか起きて買物に行っていたが頭がぼんやりしていた。
10時からはカーブス。めいちゃんが一緒に行きたがる。
娘が勤めるお店が同じショッピングセンターの中にあるのだった。
「お母さんのお店で買物をしたいけん」と云うので連れて行く。
少し心配ではあったが娘が近くに居るから大丈夫だろうと思った。
カーブスを終えて外に出たらレジ袋をぶら下げためいちゃんが待っていた。
千円も買物をしたのだそうだ。まだ家には4千円あるのだそう。
「また一緒に来たい」と云うのでそれも楽しみだなと思う。
でも毎週来ていたらお小遣いがすぐに無くなってしまうだろうな。
昼食を食べ終えてからまた眠くなる。目覚めたら3時を過ぎていた。
「いくらなんでも寝過ぎじゃないか」と夫が心配する程である。
自分でも異常ではないかと思うのだがもう病気はこりごりである。
お休みの日はいくらでも寝て良いのだと決めると気が楽になった。
あやちゃんが昼食を食べていない。朝も食べていないので心配になる。
声を掛けたら機嫌が悪くなるのでどうしようかと迷ったが
コンビニでパスタを買って来ていたのでそれだけは伝えた。
4時頃そのパスタが無くなっていたのでほっと安堵する。
最近のあやちゃんは一日一食の日が多い。
そのことについてとやかく言ってはならないのが我が家の決まりである。
干渉されたくない気持ちは分からないでもないが
これほどまでにして「距離」を保たなければいけないのだろうか。
つくづく寂しいことだなと思わずにいられなかった。
まだ7時半を過ぎたばかりなのにもう眠くなってしまっている。
せめて煙草があればと思うのだがそれは何処にもありはしない。
隣の子供部屋ではあやちゃんが鉛筆を削っている音がしている。
勉強をしているのだろうか。それを確かめることも出来ないのだった。
窓の外からは秋の虫たちが声を限りに鳴いている。
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