| 2023年09月13日(水) |
自分のために書いている |
夜中には雨音で目が覚めるくらい雨が降っていた。
日中は曇り空。薄日が射す時間帯もある。
気温が30℃を超すとまだまだ夏の蒸し暑さだ。
義父が飼料米の出荷準備をしていた。
一袋一トンの大きな袋である。
いつも疑問に思うのは家畜の飼料だけれど
玄米のまま与えるのか火を通してから与えるのか。
義父も詳しいことは知らないらしく
とにかく牛や豚の餌になるらしいのだ。
食糧米とは品種が違っていて「夢あおば」と云うらしい。
ネットでググれば詳しいことが分かるかもしれないが
実際に飼料として与えているところを見てみたいものだなと思う。
米つくりにはまったく知識がないけれど興味は大いにある。
学ぶ機会がないのはとても残念なことだ。

スーパーの鮮魚売り場でまた鰆(さわら)を見つけた。
高知県産と書いてある。土佐沖で釣れているのだろうか。
先日塩焼きにしたのをあやちゃんが食べてくれたので
また食べてくれるかもしれないと思い買って帰った。
娘と夕飯の準備をしていたらあやちゃんが二階から下りて来たので
鰆のことを話したら「食べる、食べる」と言ってくれてほっとする。
毎日顔色を窺っているように感じるかもしれないが
出来る限り自然な会話になるように心掛けているのだった。
昨夜はあやちゃんがこの日記を読んでいるかのように書いたが
やはり私の思い違いだったような気がする。
SNSもしかり。とても興味があるとは思えないのだった。
まだ11歳の少女である。ユーチューブの方がずっと好きだろう。
私は読んで下さっている皆さま(読者)を意識してはいけないと思う。
それをしてしまうとどうしても媚びた文面になってしまうからだ。
あくまでも自分のために記す日常で在るべきではないだろうか。
10年前、20年前の日記を読み返すとそれがよく分かる。
誰が懐かしいと思うだろうか。それは私以外には在り得ないことである。
この日記もいつか読み返すことがあるかもしれないが
最悪の場合は消失していることも考えられる。
これっきりだと思うとなぜか愛しさが込み上げて来るのだった。
いつまでもあると思うなとよく云うが
それってけっこう残酷な言葉だなと思う。
山里ではにわか雨が降った時間帯があったが概ね晴れ。
午後には法師蝉がしきりに鳴いていた。
毎朝のこと。今朝もSNSで詩を書き発信する。
ある方のことが頭にあった。少しでも寄り添うことが出来ればと思う。
愛する奥様を突然亡くされてどれほど辛い思いをされたことだろう。
けれどもその方はいつまでも悲しんではいなかった。
空を見上げ風に吹かれながらいつも魂と会話しているのだった。
その姿に心を打たれる。その気持ちをそのまま言葉にした。
たった一人の人のために心に響く詩を書きたいといつも思っている。
大それたことだがそれが私に与えられた使命のように思うのだ。
発信後、その方からメールが届いた。良かったちゃんと伝わったのだ。

あやちゃん?もしかしたらこの日記を読んでいるのですか?
以前にSNSのアカウントを訊かれて教えたことがあったから
この日記に辿り着くことも在り得ると思っている。
今日も笑顔を見せてくれてありがとう。すごい嬉しかった。
今夜のナポリタンはいつものよりずっと美味しかったよね。
麻婆豆腐も作っていたけどナポリタンでお腹いっぱいになったかな。
おばあちゃんは余計なことは一切言わない。
ただそっとあやちゃんを見守っていたいと思ってる。
あやちゃんのプライバシーは絶対に守らないといけないから
秘密は決してここには書きません。約束するからね。
ずっと昔、あやちゃんがまだ保育園に行っていた頃だったかな
「おばあちゃん何しよるの?」と訊かれたことがあったよね。
日記と云っても分からなかったから「お勉強」って応えた気がする。
おばあちゃんはそんなにお利口さんじゃないから勉強していたのかな。
ってここまで書いてんん?って思ったのは
すっかりあやちゃんを意識して書いてしまったけど
ただの勘違いだったらめっちゃ受けるよね。
おばあちゃんの独り芝居かもしれないけどなんとなくそんな気がしたから。
読んで欲しくて書いたのじゃない。それだけは分かって下さい。
晴れのち雨のち晴れ。雨の予報だったが朝のうちは晴れていたので
また天気予報が外れたなと思っていたら急に雨が降り始めた。
2時間ほど降っただろうかその後また青空が見え始める。
彼岸花が咲くにはまだ少し早いと思っていたのだけれど
郵便局へ行っていたら白い彼岸花がもう咲いていたのだった。
紅よりも白の方が先に咲くのだろうか紅はまだ見かけない。
私は白い彼岸花が好きなので思わず歓声をあげてしまった。
紅い彼岸花は不吉なイメージが強く子供の頃から苦手だった。
毒があるから触ってはいけないと教えてくれたのは祖母である。
お墓の傍などに咲いていると死んだ人の血を吸ったように思えて
恐る恐る眺めたものだった。ようく見れば美しい花なのだけれど
子供の頃から抱いていたイメージはけっこう根強いものだ。

今日はあやちゃんの好きな物をいっぱい作ろうと思った。
塩鮭、餃子、ジャーマンポテト。
娘と一緒に支度をしていたら珍しくあやちゃんが二階から下りて来た。
会話をするのは何日ぶりだろう。「あやちゃんの好きなもんばっかよ」と
言ったら小さな声で「やったあ」と喜んでくれたのだった。
私もじっくりと考えたのだ。どんな些細なことでも良いから
「取っ掛かり」のようなものが必要ではないだろうかと。
話し掛けてはいけないのだったらきっかけを見つけるべきなのだ。
何の警戒心もなく自然に応えられるように仕向けていかなくては。
決して過干渉になってはいけないことなのであくまでも慎重にである。
そうして必要以上に神経質にならないことも肝心だろう。
口には出さなくても「あら、そう」とさらりと受け流せるように。
あやちゃんにとってはごく自然なことなのだと思う。
祖母の存在などそんなに大したことではないのだ。
それを寂しいなどと云えば大きなエゴに他ならないと思う。
これを書きながらさきほど階下に下りて行ったら
めいちゃんとあやちゃんが仲良く夕食を食べていた。
すでに食べ終えている娘は聞き役のようで相槌を打っている。
笑顔でおしゃべりをしているあやちゃんを久しぶりに見た。
「書くよ、書いても良いよね」と心で呟きながらこれを記す。
曇り時々雨。今もぽつぽつと降っている。
湿度は高いが気温は低目で過ごし易い一日だった。
今日も今日とてまた眠い。朝7時から9時までベットで寝る。
夜の睡眠時間が足らないのだろうかとも思うが
4時起きとは云え7時間は寝ているので十分ではないだろうか。
休日はおそらく緊張感が無くなっているのだろう。
身体が自然と眠くなるようになっているとしか思えない。
暇さえあったら寝ているので読書は全く捗らない。
今日も一ページも読めず我ながら情けないことである。
決して退屈な本ではないのに読み始めるとすぐに眠くなってしまうのだ。
9時過ぎてから買物。ほんの30分程であったが唯一動いた時間である。
歩数200歩。全く歩かないよりもマシなのではないだろうか。
歩くと云ってもスーパーのカートにしがみついてのことだ。
お昼はお好み焼き。ホットプレートを出すのが面倒だったので
フライパンで巨大な一枚を焼き半分にして食べた。
麦茶では物足らず夫はビール。私はノンアルビールを飲む。
満腹になりなんと幸せなことだろう。お腹を撫でていたら
夫が食べ残した分を食べてくれと云うので遠慮なく頂く。
そのままバタンキューと倒れ込むようにして寝る。
なんと目覚めたらまた3時になっていた。ほんによく寝ることよ。
朝から合計したら5時間も寝ていたことになるのだった。
なんか忘れているなと思ったら洗濯物をたたんでいなかった。
今朝乾燥機に放り込んだままでとっくに乾いている。
乾燥機から洗濯物を出すのが億劫で嫌いな作業だった。
量が多いと絡み合ってスムーズに取り出せない。
ぶつぶつ文句を云いながら次第に腹が立ってくる。
やっと洗濯物をたたみ終えてから大相撲中継を観ていた。
先場所優勝した豊昇龍のインタビューでの笑顔がなんとも云えない。
こんなに愛嬌のある人だったのかと思いがけなかった。
一度好きだなと思うともう止まらないのが私の癖のようなものだ。
夕食時、あやちゃんの姿が見えない。
娘にそれとなく訊いたら後から食べるだろうと云う。
「食べなさい」とは決して云ってはならないようだ。
私が声など掛けたらまた怒られてしまうことだろう。
夕食だけは家族と一緒にと願わずにいられない。
娘達の方針には正直云って付いていけないと思うけれど
祖母である私が口を挟むべきことではないのが辛かった。
いつ食べるのだろう。いつお風呂に入るのだろう。いつ眠るのだろう。
知らないことがいっぱいになった。
雲が多かったものの概ね晴れ。暑さも少し和らいでいた。
また明日からしばらくは不安定な天気が続きそうである。
台風13号は熱低に変わったが千葉や茨城など浸水被害があったようだ。
こればかりはどうすることも出来ずただただ気の毒でならない。
まだ10月までは台風の心配をしなければいけないだろう。
早朝から異常なほどの眠気。7時半頃から9時までベッドで眠る。
なんとか起きて買物に行っていたが頭がぼんやりしていた。
10時からはカーブス。めいちゃんが一緒に行きたがる。
娘が勤めるお店が同じショッピングセンターの中にあるのだった。
「お母さんのお店で買物をしたいけん」と云うので連れて行く。
少し心配ではあったが娘が近くに居るから大丈夫だろうと思った。
カーブスを終えて外に出たらレジ袋をぶら下げためいちゃんが待っていた。
千円も買物をしたのだそうだ。まだ家には4千円あるのだそう。
「また一緒に来たい」と云うのでそれも楽しみだなと思う。
でも毎週来ていたらお小遣いがすぐに無くなってしまうだろうな。
昼食を食べ終えてからまた眠くなる。目覚めたら3時を過ぎていた。
「いくらなんでも寝過ぎじゃないか」と夫が心配する程である。
自分でも異常ではないかと思うのだがもう病気はこりごりである。
お休みの日はいくらでも寝て良いのだと決めると気が楽になった。
あやちゃんが昼食を食べていない。朝も食べていないので心配になる。
声を掛けたら機嫌が悪くなるのでどうしようかと迷ったが
コンビニでパスタを買って来ていたのでそれだけは伝えた。
4時頃そのパスタが無くなっていたのでほっと安堵する。
最近のあやちゃんは一日一食の日が多い。
そのことについてとやかく言ってはならないのが我が家の決まりである。
干渉されたくない気持ちは分からないでもないが
これほどまでにして「距離」を保たなければいけないのだろうか。
つくづく寂しいことだなと思わずにいられなかった。
まだ7時半を過ぎたばかりなのにもう眠くなってしまっている。
せめて煙草があればと思うのだがそれは何処にもありはしない。
隣の子供部屋ではあやちゃんが鉛筆を削っている音がしている。
勉強をしているのだろうか。それを確かめることも出来ないのだった。
窓の外からは秋の虫たちが声を限りに鳴いている。
二十四節気の「白露」大気が冷えて来て露が見られる頃。
いよいよ本格的な秋と云っても良いだろう。
まだまだ残暑は厳しいが木陰に入ると涼風が吹き抜けていく。
義父の収穫したお米のお嫁入。高知市内の米穀店へと運ばれる。
11トンの大型トラックに積み込む様子を見学していた。
パレットの載せたお米をフォークリフトで運ぶのだけれど
パレットは義父の物なのでそのまま載せることが出来なかった。
運転手さんが一袋づつ抱えて積み直すのは大変な作業である。
なんと30キロの米袋が310袋もあったようだ。
全部で9トンを超すかなりの大口ではないだろうか。
汗だくになっている運転手さんに麦茶を差し入れしたら生き返ったと。
にっこりと喜んでくれて私もほっと嬉しくてならなかった。
何よりか誰よりも嬉しかったのは義父なのに違いない。
苦労をして丹精込めて作ったお米の晴れの日である。
「あと10年は頑張らんといかんね」と励ましたら
「おう、やるぞ!」とその意気込みには頭が下がるのだった。
あと10年。90歳の義父が想像出来ない。
私は77歳になる。それもまた想像出来ないのだった。
義父が健在である限り会社も存続していることだろう。
果たしていったいどんな未来が待っているのだろうか。
考えただけで気が遠くなってしまうけれど「やるっきゃない」
とにかく元気でいなければならずくたばるわけにはいかないのだ。
ふっと何の因果なのだろうと思う時がある。
私と弟を捨てた母は確かに再婚をしたけれど
その相手が今の義父となり深い縁で結ばれているのだった。
縁とはこれほどのものなのか。そう思うと決して粗末には出来ない。
| 2023年09月07日(木) |
「おじいちゃん」と呼んでみる |
天気予報通りの晴天。早朝は涼しく秋の気配がする。
日中は厳しい残暑となったが心地よく感じた。
同僚が新米を精米して持って来てくれる。
義父が玄米を持って帰るように言ってくれていたが
30キロもの玄米を精米する気力がなかった。
夫は腰痛が酷く可哀想でならないのだ。
山里のお米は「三原米」と云うブランド品で県下でも有名である。
義父には少しでも多く売って収入にして欲しかった。
お米作りは経費ばかり掛かり儲けは少ないのだった。
その苦労を知っているだけに出来る限り協力したいと思う。

母方の祖父の命日。もう14年もの歳月が流れた。
母は憶えているだろうか。おそらく忘れているだろうと思う。
知らせたところで何も変わりはしなかった。
お墓参りも行けない。仏壇に手を合わすことも出来ない。
今は空家同然となった家で位牌は埃を被っていることだろう。
あれはいつのことだったか、まだ母が元気な頃のこと
何を思ったのか母は父母と姉、弟の位牌をリュックサックに入れ
列車に乗って生まれ故郷の町へと運んだのだった。
そうして誰も住んでいない実家の仏壇に納めて帰って来たのだ。
私には一言の相談もなく母が勝手にしたことである。
「どうしてそんなことを」と責める私に母は
まるでせいせいしたかのように「これですっきりした」と言った。
それほど重荷になっていたのだろうか。母の真意は計りかねる。
その時私は何と薄情な人だろうかと軽蔑したことを覚えている。
今となって思えば母の決断は間違ってはいなかったのだろう。
自分の行く末を案じていただろうし予想もしていたのかもしれない。
施設に仏壇を持って行くことなど不可能なことなのだ。
かと言って私が預かることも到底出来ない相談であった。
祖母に先立たれた祖父は老人施設で生涯を終えた。
最後に会った時にはまだとても元気で面会に来た私達を見送ってくれた。
エレベーターの扉が閉まる寸前に見た祖父の笑顔が最後になった。
今年も栗の季節が来た。祖父が毎年送ってくれた栗の美味しかったこと。
もう二度と口にすることは出来ないが生涯忘れることはないだろう。
「おじいちゃん」と呼んでみる。夜空には星がきらきらと輝いている。
|