| 2023年09月06日(水) |
馬勝った。牛負けた。 |
今日も天気予報は大外れ。雨の予報だったのに晴天となる。
夕方になり少し雨が降ったが今はもう止んでいるようだ。
台風が秋雨前線を刺激しているとのこと
しばらくは不安定な天気が続くのかもしれない。
あと10日もすれば小学校の運動会があるようだ。
その頃には安定した天気になってくれることを願っている。
お昼前に村の婦人部のメンバーさんが義父にお弁当を届けてくれた。
月に一度だけだが独居老人に届けてくれるのだった。
義父もれっきとした独居老人である。本人は意識していないようだが
お弁当は嬉しく毎月遠慮なくご馳走になっている。
五目寿司、ちらし寿司とも云うが地元では「もぶり」と呼ぶ事が多い。
私などは「おもぶりさん」とまるで愛称のように呼ぶのだった。
酢飯に色とりどりの具を混ぜ込むのでそれを「もぶる」と云うのだが
どうやら標準語ではなくこれも方言のひとつらしい。
もぶるから「もぶり」になったと考えるのが妥当だろう。
さてそのお弁当の「おもぶりさん」であるが実は私の分もあるのだった。
毎回残るのだそうでおにぎりにして持って来てくれるのだ。
私も食い意地が張っているものだから遠慮はしない。
なによりもおもぶりさんは大好物である。
いつも早弁をするのですでに昼食は済ませているがもちろん別腹で頂く。
お腹は破裂しそうなくらいいっぱいになるが満足この上ないのだった。
ぬくぬくのおもぶりさんのなんと美味しいことだろう。
これこそ馬勝った。牛負けたである。すっかり夢見心地になる。
仕事を終えて帰宅しても夫には内緒にしている。
彼もおもぶりさんが大好物なのだった。
私が食べるのを我慢すればお土産に持って帰れたものを。
さすがに良心が咎めて本当のことは言えないのだった。
娘夫婦や孫達が食べないので家ではもう何年も作ったことがない。
昔は姑さんがよく作ってくれて今では懐かしい味となった。
永谷園の「すし太郎」だったか即席で作れないこともなかったが
やはりその味は手作りには劣ることだろう。
そう云えば母の作るおもぶりさんも美味しかった。
最後に食べたのはいつだったのだろう。もう思い出すことも出来ない。
| 2023年09月05日(火) |
取り返しのつかないこと |
天気予報が見事に外れて思いがけずに晴天となる。
洗濯物を乾燥機に入れてから出勤したのでなんだか残念でならなかった。
仕方のないことをいつまでもぐじぐじと考えるのは私の悪い癖だ。
義父は徹夜で明け方までお米の籾すりをしていたのだそうだ。
それも雨を見越しての事でまさか晴れるとは思っていなかったらしい。
寝不足もあったのだろう。さすがに疲れた様子を見せていた。
それにしてももうすぐ80歳だとは思えないほどにパワフルである。

午後とても思いがけずに母から着信があった。
開口一番に「どうもご心配をおかけしまして」と言う。
笑っているようには感じなかったがおどけている様子が伝わって来た。
先日来の看護師さんや医師からの電話がまるで嘘だったかのように思う。
下血は止まり9日ぶりにまともな便が出たのだそうだ。
母の言うことなので鵜呑みには出来ないが嘘ではなさそうだった。
点滴もしていないし輸血もしていないと言う。本当のことだろうか。
その後で「お金が無くて困っている」と言い出す。
葛根湯を買って来て欲しいと言ったり自販機でコーヒーを買いたいとか。
認知症ではないと思うがなんとなく言動がおかしいのだ。
葛根湯は医師に相談するように伝え、コーヒーは禁止されている旨を伝える。
腎臓が悪いので水分や刺激物は施設の管理に従わなければいけない。
母は少し機嫌を損ねたようで怒ったような口調になった。
私もまだ仕事中だったので上機嫌とはいかなかった。
とにかく今死なれたらとても困るので「頑張りなさいよ」と告げる。
仕事が忙しくて葬式どころじゃないからとまで言ってしまった。
他に言いようもあっただろう。もっと優しく接すれば良かったのだが。
「はいはい、分かりましたよ」と言ったきりぷつんと電話が切れてしまった。
すぐに掛け直すことも出来たが「もういいや」と思った。
とにかく容態が落ち着いていることが分かりほっと安堵する。
正直な気持ちを言えばもう母に振り回されるのはごめんだと思った。
だいたい娘だから何でも頼めると思うのは大間違いである。
「してくれるのが当たり前」だとでも思っているのだろうか。
それは違うでしょお母さん。ついつい強い言葉を吐き出したくなる。
仕事を終えて帰り道。考えたくもないはずなのに母のことを考えていた。
もしかしたら母の声を聴くのは今日が最後ではないかと思ったのだ。
近いうちに容態が急変することも在り得るだろう。
それは今夜かもしれないし明日かもしれないのだ。
もし今日の電話が最後だとしたら私はどれほど後悔することだろう。
それが私と母の確執のようなものであるならばなんと残酷なことか。
長い人生、取り返しのつかないことはあまりにも多過ぎるようだ。
もう猛暑日になることはないだろうと思っていたけれど
今日は37℃近くまで気温が上がっていたようだ。
屋外で作業をしていた義父が体調不良を訴える。
すぐに室内で涼を取ったがもう少しで熱中症になるところだった。
まさに命に関わる危険な暑さとはこのことだろう。
今朝の山道でとても不思議なことがあった。
運転しながらなんとなくコナン君のことを考えていて
以前に近道だと教えた山道を彼は覚えているだろうかと思った。
もし会ったら「何処に行っているの?」と訊かなくては。
ああでも英語だと何て言えば良いのだろう。
咄嗟に「ゴーイング」と呟いており可笑しくてたまらなかった。
峠道を越え山里の県道に差し掛かった時だった。
一瞬のことだったがコナン君の車とすれ違ったのだった。
まさに彼は私の教えた近道から何処かに向かおうとしていたらしい。
単なる偶然かもしれないけれどこんな偶然があるだろうか。
もしかしたら私には予知能力のようなものがあるのかもしれない。
すごいな私と思った。勘が冴え過ぎているとしか思えない出来事だった。

今日はとても嬉しいメールが届く。
このエンピツ日記で以前からご縁のあった方からだった。
昨夜の私の日記を読んで今でも読み続けてくれていることを
知らせてくれたのだった。それはとても思いがけないことであった。
おそらく20年来の貴重な読者であろう。なんと有難いことである。
まさか今でも読んでくれているなんて夢にも思っていなかった。
私が把握している限りでも他に5人ほど居てくれるようだ。
長年お世話になりながら一人一人に何も伝えられなくて心苦しいが
ツウと云えばカアと応えてくれるような大きな信頼感がある。
何を書いても許されるとは思っていないが心は許せるように思うのだ。
そうしてその人たちはきっと私の最後を見届けてくれるはずである。
言葉はとても悪いが昨日今日読み始めた人に何が分かるだろう。
私が長い歳月をかけて培ってきたものは読んで来た人にしか分からない。
いつも思うがままに書き殴ってしまうことが多いので
不愉快な文章も見苦しい文章も多くなってしまうが
それが嘘も偽りもない「わたし」であることをどうか認めて欲しい。
| 2023年09月03日(日) |
ほっかほか亭の「とりそば」540円 |
朝焼けが見えた日は下り坂の天気だと云われているが
思いがけずに快晴となり夏の名残を愉しんでいた。
早朝には鱗雲。それもつかの間のことですぐに夏空となる。
朝のうちに図書館へ。コロナのため延長手続きをしていた本をやっと返す。
最近読書のペースが落ちておりまだ読了していない本もあった。
あと一週間は猶予があるとのこともうしばらく借りておくことにする。
椎名誠の本はほぼ読み尽くしたが裏の書庫に2冊未読本があった。
古い本だが読み始めると不思議に新鮮に感じるものである。
「読書の秋」ともなるとまたペースも上がって来るだろう。
生きているうちにあとどのくらいの本が読めるだろうと考える時がある。

夫が久しぶりに従兄弟に会ったらコロナに感染していたことを
知っていたらしくいったい誰に聞いたのだろうと不思議がっていた。
家族以外誰も知らないはずであった。病院にも行っていない。
一つだけ心当たりがあったのはSNSで発信したことであったが
高齢の従兄弟が見るはずもなくなんだか気味が悪くなってしまった。
もう済んだことだから気にするなと夫は言っているが
もしSNSが発端であるとすれば今後も注意が必要だろう。
不用意に個人情報を垂れ流しているのと同じことだと思う。
この日記もしかりである。SNSにリンクを貼ってあるので
興味があれば誰でも閲覧できる仕組みになっている。
私としてはそれを最小限に留めたいがこればかりは思うようにいかない。
今現在平均して20人くらいの読者に恵まれているが
ほぼ半数がSNS経由だと云っても他言ではないだろう。
思い切ってリンクを外すことも考えないでもないが
せっかくご縁を頂いたのに今更そんなことは出来ないと思う。
出来れば最後までおつきあい願いたい。この日記もいつかは終わるだろう。
ひょんなことからひょんな方向に展開して行くのがもはや癖だが
書き始めた以上はそれなりに収拾を付けておきたいものである。
それほどの文才ではないので尻切れトンボになってしまうこともあるが
そこは素人のことと大目に見て頂ければ幸いである。
今夜は娘達が庭でBBQをしていたので夫と二人でほか弁を食べた。
540円の「とりそば」であるが原価はいくらだろうと。
私は300円と見たが夫は200円だろうと言う。
どちらにしてもそれほど大儲けする程のものではなかった。
それを丹精込めて美味しく作ってくれる店員さんには頭が下がる。
私はお醤油の染みた鶏弁が大好きで一粒残さず平らげた。
夫は残すだろうと思いながら見ていたら全部食べてしまったので
なあんだ残念とちょっと悔しい気持ちになった。
| 2023年09月02日(土) |
変わること。変わらないこと。 |
濃霧の朝。霧が晴れたら青空が見えるだろうと期待していたが
薄っすらと陽射しはあったものの曇り空の一日となった。
久しぶりに洗濯物を外へ干すことが出来たが
思いがけない程の蜘蛛の巣に少し戸惑ってしまった。
カーブスへ行く前にいつものスーパーへ買物に行っていたら
私と同じ足の痛みがあるMさんに会った。
しばらく会えなかったので心配していてくれていたらしい。
Mさんもすぐには手術が出来ない。ご主人の介護をされていて
長期の入院などとても無理な話であった。
私達は会う度に励まし合う。「頑張ろうね」と声を掛け合う。
同類相憐れむではないが仲間が居ると思うととても心強くなる。

午後、母の施設の看護師さんから電話がある。
医師ではなかったので緊迫感は少し薄れていたが
「不整脈」とか「心不全」とか聞くと冷静ではいられない。
ただ危篤状態ではないことだけは理解できる。
かと言って決して安心出来る状態でもないのだった。
思いがけなかったのは母が悪態を付いているとのこと。
それは悪い意味ではなくちょっとした悪ふざけなのだろう。
おそらく「まだ死にそうにない」などと言っているのだと思う。
急変が無い限りは平行線を辿ることになるだろう。
母の定命は誰も知らない。もちろん母自身にも分からないことだった。

家族の体調がコロナ前にすっかり戻り食欲も落ち着いて来た。
今夜は久しぶりに鰹のお刺身を食べた。
私はやっぱり味覚がおかしくなっているようでたっぷりのわさび。
鼻にツンと来て涙が出る位のわさびを求めてしまうのだった。
これはわさびだけに限らず唐辛子や胡椒にも同じことが言える。
しばらくは刺激を求めて彷徨うことだろう。それもまた良しと思いたい。
変わること。変わらないこと。変化があるほうが生きる上で面白い。
平凡がつまらない訳ではないし平凡こそが幸せなのかもしれないけれど。
| 2023年09月01日(金) |
いつかずっと先になって |
残暑はいったい何処にいったのやら。
今日も不安定な空模様となり時おり雨が降る。
このまま夏が終わってしまうのはあまりにも寂しい。
ラジオから太田裕美の「9月の雨」が流れていた。
歌詞に「季節に褪せない心があれば人ってどんなに幸せかしら」とある。
さすが松本隆だなと思う。切なさが込み上げて来るような歌詞であった。
10月の雨ではいけないのだ。これは9月でなくてはいけないのだと思う。

母のことはひと休み。今日は幸い医師からの電話が無かった。
容態が落ち着いている証拠だろうと思うことにする。
母のことを考えていると精神的に追い詰められたようになってしまう。
母を責める気持ちよりも自分を責めてしまうからなのかもしれない。
今更親孝行な娘になどどうしてなれようかと思っている。
どれほど他人から非難されようと薄情な娘を貫きたいのだった。

夕飯に「鰆(さわら)」を塩焼きにしていた。
魚へんに春と書くのだから今が旬ではないのだろう。
あまり脂がのっていなかったがさっぱりとしていて美味しかった。
その鰆をあやちゃんが食べてくれてなんと思いがけなかったことだろう。
おかずが気に入らないと決して箸を付けないのだった。
そのたびに一喜一憂するのも疲れるものである。
新学期が始まり色々あった。あやちゃんは決して朗らかではない。
私達家族は学校の話を一切しなかった。今後もすることはないだろう。
私はせっせと毎晩の夕食を作り続けるしかない。
ただ単純にあやちゃんが食べてくれたら嬉しい。
少しでも笑顔を見せてくれたら舞い上がるように嬉しいのだった。
何かが壊れている。その原因を追究することもないと思う。
追究すればあやちゃんを追い詰めてしまうことになるだろう。
いつかずっと先になって「そんな時もあったね」と
笑いながら話せる時がきっと来るのではないだろうか。
| 2023年08月31日(木) |
そろそろお終いにしませんか |
断続的ではなかったが激しい雨が降る。
降り始めると怖いほどに降りまるで嵐のようであった。
コロナ尽くしであった8月も晦日。
ほんの一週間前のことを思い出しよく乗り越えたものだと思う。
家族がみな健康で平穏無事であることを祈らずにいられない。
一度感染しても何度でも感染し得るのだそうだ。
恐るべしコロナである。まだまだ不安な日々が続くことだろう。
月末の資金繰りがなんとかなり無事に支払いを済ませた。
毎月のことだけれど試されているように感じてならない。
順調な月もあれば今月のように厳しい月もあるのだった。
金庫番を任されている以上責任を持って対処しなければならない。
ほっと肩の荷が下りる。また来月には新たな荷物を背負う。

今日も医師から電話。着信がある度に酷く緊張する。
詳しい説明をいくら聞いてもどうしようも出来ないのだった。
下血が酷いため貧血になっており輸血をするのだそうだ。
それには家族の同意書が必要で近いうちにまた連絡があるらしい。
「今日ですか?」と訊ねたら「今日ではないです」と応える。
心臓はもちろんのことだが腎機能もかなり悪くなっているようだ。
もう透析に持ち応える体力が残されていないのだそうだ。
昨日も言われたが今日も「覚悟しておいて下さい」と言われた。
いくらでも覚悟はしようと思う。それが明日でも構いはしない。
私はいくら薄情な娘だと思われても良いが世間一般の母娘ではないことを
分かって欲しいと切に願っている。
これまで私がここに記したことを読んでくれた方には分かると思うが
私は54年前に母に捨てられた子供なのだった。
いくら修正してもその事実は永遠に変えることは出来ないのだと思う。
母はもう赦されていると思っているのかもしれないが
私の受けた傷は永遠に消えることはないのだった。
私の心の中の母は54年前に一度死んでいる。
それは誰が何と言っても変えられない事実だと思っている。
血が繋がっていると云うだけで「娘」だと呼ばれなければいけない。
いざ母を失ってしまえば人並みの悲しみが襲って来るだろうが
何かが違うのだ。その何かのために私は苦しんでいるのだと思う。
そろそろお終いにしませんか。
鬼のような娘はそんな言葉を呟いているのだった。
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