| 2023年09月01日(金) |
いつかずっと先になって |
残暑はいったい何処にいったのやら。
今日も不安定な空模様となり時おり雨が降る。
このまま夏が終わってしまうのはあまりにも寂しい。
ラジオから太田裕美の「9月の雨」が流れていた。
歌詞に「季節に褪せない心があれば人ってどんなに幸せかしら」とある。
さすが松本隆だなと思う。切なさが込み上げて来るような歌詞であった。
10月の雨ではいけないのだ。これは9月でなくてはいけないのだと思う。

母のことはひと休み。今日は幸い医師からの電話が無かった。
容態が落ち着いている証拠だろうと思うことにする。
母のことを考えていると精神的に追い詰められたようになってしまう。
母を責める気持ちよりも自分を責めてしまうからなのかもしれない。
今更親孝行な娘になどどうしてなれようかと思っている。
どれほど他人から非難されようと薄情な娘を貫きたいのだった。

夕飯に「鰆(さわら)」を塩焼きにしていた。
魚へんに春と書くのだから今が旬ではないのだろう。
あまり脂がのっていなかったがさっぱりとしていて美味しかった。
その鰆をあやちゃんが食べてくれてなんと思いがけなかったことだろう。
おかずが気に入らないと決して箸を付けないのだった。
そのたびに一喜一憂するのも疲れるものである。
新学期が始まり色々あった。あやちゃんは決して朗らかではない。
私達家族は学校の話を一切しなかった。今後もすることはないだろう。
私はせっせと毎晩の夕食を作り続けるしかない。
ただ単純にあやちゃんが食べてくれたら嬉しい。
少しでも笑顔を見せてくれたら舞い上がるように嬉しいのだった。
何かが壊れている。その原因を追究することもないと思う。
追究すればあやちゃんを追い詰めてしまうことになるだろう。
いつかずっと先になって「そんな時もあったね」と
笑いながら話せる時がきっと来るのではないだろうか。
| 2023年08月31日(木) |
そろそろお終いにしませんか |
断続的ではなかったが激しい雨が降る。
降り始めると怖いほどに降りまるで嵐のようであった。
コロナ尽くしであった8月も晦日。
ほんの一週間前のことを思い出しよく乗り越えたものだと思う。
家族がみな健康で平穏無事であることを祈らずにいられない。
一度感染しても何度でも感染し得るのだそうだ。
恐るべしコロナである。まだまだ不安な日々が続くことだろう。
月末の資金繰りがなんとかなり無事に支払いを済ませた。
毎月のことだけれど試されているように感じてならない。
順調な月もあれば今月のように厳しい月もあるのだった。
金庫番を任されている以上責任を持って対処しなければならない。
ほっと肩の荷が下りる。また来月には新たな荷物を背負う。

今日も医師から電話。着信がある度に酷く緊張する。
詳しい説明をいくら聞いてもどうしようも出来ないのだった。
下血が酷いため貧血になっており輸血をするのだそうだ。
それには家族の同意書が必要で近いうちにまた連絡があるらしい。
「今日ですか?」と訊ねたら「今日ではないです」と応える。
心臓はもちろんのことだが腎機能もかなり悪くなっているようだ。
もう透析に持ち応える体力が残されていないのだそうだ。
昨日も言われたが今日も「覚悟しておいて下さい」と言われた。
いくらでも覚悟はしようと思う。それが明日でも構いはしない。
私はいくら薄情な娘だと思われても良いが世間一般の母娘ではないことを
分かって欲しいと切に願っている。
これまで私がここに記したことを読んでくれた方には分かると思うが
私は54年前に母に捨てられた子供なのだった。
いくら修正してもその事実は永遠に変えることは出来ないのだと思う。
母はもう赦されていると思っているのかもしれないが
私の受けた傷は永遠に消えることはないのだった。
私の心の中の母は54年前に一度死んでいる。
それは誰が何と言っても変えられない事実だと思っている。
血が繋がっていると云うだけで「娘」だと呼ばれなければいけない。
いざ母を失ってしまえば人並みの悲しみが襲って来るだろうが
何かが違うのだ。その何かのために私は苦しんでいるのだと思う。
そろそろお終いにしませんか。
鬼のような娘はそんな言葉を呟いているのだった。
雨が降ったり止んだり。降る時は降る男らしい雨であった。
とにかく突然土砂降りになるものだから油断は出来ない。
やはり急に食べ物の好みが変わってしまったようで
食パンを見るのも嫌になってしまった。
今朝もけい君のお茶碗でわさびふりかけご飯を食べる。
お弁当にはおにぎりを二個作った。これもわさびふりかけである。
食べたくない物がけっこうたくさんある。
今まで毎朝食べていたチーズとトマト。卵焼きもあまり食べたくなかった。
コロナの後遺症なのかどうかは分からないけれど
しばらくは食べたい物だけを食べてみようと思っている。

昨日の今日で母の施設と連携している病院の医師から電話があった。
血液検査の結果が出たそうで白血球の数値が異常に高いのだそうだ。
どうやらただの胃腸炎ではなかったようである。
肛門からの出血も多く止血剤で処置してくれているとのこと。
まだ詳しいことは分からないが腸の一部が破裂しているのかもしれない。
容態はいまのところ落ち着いているが救急搬送も在り得るのだそうだ。
その場合手遅れになる場合もあるので覚悟をしていて欲しいと言われた。
寝耳に水のような話でありにわかには信じられなかった。
思わず「ちょっと待ってよ」と声が出そうになる。
今母にもしものことがあったら対処する余裕が全くないのである。
とにかく仕事のことで頭がいっぱいになっており母のことを考えられない。
母が死んでしまうかもしれないと云う現実よりも
お葬式となれば仕事がストップしてしまう事の方が心配なのだった。
改めて私ほど薄情な娘はいないだろうと思うのだ。
これ程の重荷があるだろうか。どれほど負担になっていることだろう。
ここまで書いてしまえばまったく鬼のような娘である。
母との意思疎通は全く不可能であるがもし伝えることが出来るのなら
私を助けて欲しいと思う。明日は月末で資金繰りがとても苦しい。
会社を支えようと必死になっている私のことを見捨てないで欲しいのだ。
| 2023年08月29日(火) |
明日のおにぎりについて考えている |
大気がよほど不安定だったのだろう夜が明けるなり土砂降りの雨。
にわか雨と云うより通り雨のようだった。ざあっと走り抜けるように降る。
午後には少し青空が見えていたが明日はまた雨になるそうだ。
体調はすっかり良くなったが食欲がイマイチである。
コロナ感染中には食欲旺盛だったのが嘘のように思える。
極端な話、今まで好きだった物が食べられなくなっているのだった。
今朝はわさびふりかけご飯のなんと美味しかったこと。
お味噌汁と納豆で日本人らしい朝食を摂った。
実は私専用のお茶碗が無くてけい君のお茶碗で食べたのだ。
それだけ私がご飯を食べるのは珍しいことなのである。
お弁当も作る気がせず山里で何か買って食べようと思った。
無性に田舎寿司が食べたかったが売っておらずおにぎりを買って食べた。
その時おにぎりを買うのももったいないなと思ったのだ。
明日は自分でおにぎりを作って持って行くことにしよう。

仕事を終えてスーパーで買物をしていたら母の施設から電話があった。
お昼頃から高熱となり下痢と嘔吐があるとのこと。
コロナは陰性、医師の診断ではウィルス性の胃腸炎ではないかと云う。
決して母が心配でないわけではなかったが正直言ってどうでも良かった。
母のことを考える余裕がない。それだけ私は薄情なのである。
施設の看護師さんは点滴をしながら様子を見ますと言ってくれて
何か異変があればまた電話をしてくれるのだそうだ。
「はい、分かりました。お世話を掛けますがよろしくお願いします」と
私は応えたが内心では母のことなど忘れてしまいたいと思っている。
母は確かに生きているけれどすでに死んでしまったように感じる時がある。
それが私と母の「距離」なのだろう。決して近くはないのである。
施設からはこれまで何度か母の体調不良を知らせる電話があったが
体調が落ち着いた連絡は一度も無かった。
今回もおそらくそのままになってしまうことだろう。
施設としては何かあってからでは遅いのだ。
だからちょっとした異変でも家族に連絡をする義務があるのだと思う。
あれこれ考えているとなんだか疲れてしまった。
私は明日のおにぎりのことだけ考えていたいのだ。
鮭わかめか塩こんぶかシーチキンマヨも良いなと思う。
二個持って行こう。気が向いたら卵焼きを添えようではないか。
| 2023年08月28日(月) |
わさびふりかけでご飯が食べたい |
時おり薄雲が広がっていたがおおむね晴れ。
厳しい残暑と聞いていたがさほど暑さを感じなかった。
8月も残り少なくなり朝晩が過ごし易くなったようだ。
季節は確実に秋に向かっているのだろう。
5日ぶりの山里。義父も同僚も稲刈りで工場は開店休業であった。
事務仕事は山積みになっており何から手を付ければ良いのか
仕事を休んだのは2日間だったのに思いがけない程の忙しさとなる。
感染して6日目でありまだ安全とは言い難く際どいところだった。
しっかりとマスクをしていたがお客さんは誰もしていない。
休業の旨を伝えてなるべく手短に接するように努めた。
後遺症だろうか。夫は食欲不振と倦怠感を訴えている。
私も今朝からなんとなく胃が重く少し下痢気味でもあった。
もしかしたら昨夜の焼酎がいけなかったのかもしれない。
夫が少しでも食べられるようにと好物のお稲荷さんを買って帰る。
良かった2個食べてくれた。後はざる蕎麦を少し食べてくれた。
明日の朝食用にわさびのふりかけ。これも夫の好物である。
わさびと云えばお稲荷さんの中にわさび菜が入っていて驚く。
なんで?とパッケージを見たら小さな字で「わさび入り」と書いてあった。
これでは間違って買ってしまう人も多いことだろう。
小さな子供が食べたりしたら可哀想ではないかと思った。
ざる蕎麦のつけ汁にもわさびを入れたので今夜はわさび尽くしである。
そのせいでもないだろうが無性にわさびふりかけでご飯が食べたい。
コロナで食の好みが変わることがあるのかは定かではないが
今朝はいつも食べている焼サンドを全く食べたくなかったのだ。
仕方なく昼食用に持って行っていたが不味くて食べられなかった。
だから今日は朝から納豆だけしか食べていなかったのである。
もしやコロナダイエットを目指しているのであろうか。
いやいやそう上手く思い通りにはいかないだろう。
医師から完治は一週間と聞いていたが後遺症がある場合は
もっと長くなるだろうと思われる。
その後遺症にも治療薬はないのだから気が遠くなりそうだ。
私はとにかく明日の朝わさびふりかけでご飯を食べよう。
きっと一気に元気になるのではないだろうか。
| 2023年08月27日(日) |
汁なしチャルメラに生卵を入れて |
爽やかな青空が広がっていたがすぐに雨が降り始める。
干したばかりの洗濯物を娘が急いで取り込んでくれた。
布団も干したかったのに思うようにはいかないものだ。
夫、再び平熱となり今日は二人で床上げをする。
床上げと云ってもベッドなので起きてゆるりと過ごしていた。
昨夜から24時間テレビを放送していて退屈こそしないで済む。
むしろ感動が大きい。今年の放送は特にそう感じた。
「明日につなげるために」私はいったい何が出来るのだろうと考える。
感染から5日目となりほぼ完治したように思える。
喉の痛みも軽くなり食欲も以前と変わらず旺盛であった。
夫はお茶漬けばかりを食べているが私はチャルメラなど。
お昼に汁なしチャルメラに生卵を入れて食べたらとても美味しかった。
娘達は自分達で食べたい物を買って来て食べているようだ。
それがとても楽でなんだか癖になってしまいそうである。
明日からまた日常のことをと考えているが主婦業もぼちぼちだろう。
気分一新と云うほど大げさなことではないが
明日は4時に起きて詩を書いてみようと思っている。
書けるかどうか分からないが無性に書きたくてたまらない。
何も変わってはいないのに何かが変わったように感じるのは
何故だろうと思う。これはとても不思議な感覚であった。
頭痛と喉の痛みが辛いため掛かりつけの病院に電話する。
まだ4日目なので感染の心配があるとのこと。
娘は仕事だったので義妹に薬を取りに行ってもらった。
頭痛薬は解熱剤と同じ薬だったのであえて服用せず。
喉の薬は痛みを少しだけ和らげるのだそうだ。
トローチとうがい薬も一緒に入っていた。
医師の話では熱のピークは3日。その後は殆どの人が喉の痛みがあるらしい。
完治するには5日から一週間だと言う。
月曜日にはどうしても仕事に行かなければならないが
ぎりぎりセーフと云うところだろうか。
夫は平熱になっていたが夕方からまた微熱が出ている。
あまり気にならないようでシャワーを浴びてビールも少し飲んだ。
食欲もあるのでおそらく今日が峠なのではないだろうか。
私も今夜は薄い焼酎の水割りを飲みながらこれを記している。
頭痛はだいぶましになったが喉の痛みに焼酎が沁みて心地よい。
だからと云ってさすがにお代わりをする訳にはいかないだろう。
今夜は市民祭の花火大会があるようだ。
毎年土手から遠い花火を見ていたが今年は諦めようと思っている。
娘達は出掛ける準備をしているが、あやちゃんはお留守番とのこと。
結局この夏の花火は一度も見に行かなかったことになる。
コロナの感染もあやちゃんだけは助かっており娘が神経質になっている。
私が無神経なのだろう。マスクを食卓に置きっぱなしにしていて
娘からこっぴどく叱られたばかりである。
一人だけでも守ってやらなければいけない。これはなんとしてもである。
ゆっくりではあるが少しずつ日常が返って来ているようだ。
感染の覚悟はしていたが皆が軽症で済み何よりに思っている。
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