夫もやはり陽性。熱が高く39℃を超える。
今日は微熱になっていたのでこのまま恢復することを願う。
私は平熱になったが頭痛と喉の痛みが酷くなった。
その痛みはコロナ特有のものなのか今まで経験したことのない痛みで
周期的にずきんと突き上げて来るような痛みが襲って来る。
とにかく様子を見ながら完治するのを待つしかないだろう。
朝から仕事の電話がひっきりなしに掛かってくる。
義父のお達しで決してコロナだと口にしてはいけないと言われており
商売をしているのだからそれも当然のことだろう。
しかし嘘も方便と云うが正直に言えないのは辛いものがある。
月曜日にはどうしても出勤しなければならない。
5日経てばもう感染は無いらしいが本当に大丈夫なのだろうか。
書き始めたらついつい無理をしてしまうので経過報告だけにしておく。
早く健康な日常が返って来ることを祈らずにいられない。
家庭用の検査キットで陽性。
病院に行っても治療薬があるわけでもないので
安静にしながら様子を見ている。
幸い熱は微熱で37℃代。このまま上がらなければ軽症なのだろう。
頭痛が少しと軽い咳が出ている。味覚障害は今のところない。
食欲はあるので大丈夫だと思うが油断は出来ないだろう。
先ほど夫が発熱。まだ検査をしていないが間違いないと思う。
大変なことになったが何としても乗り越えなければいけない。
大分の徳さんメールありがとうございました。
頑張って治してまた毎晩日記を書きますね。
微熱ですが発熱しました。
まだ検査はしていませんが間違いないと思います。
朝のうちは晴れ間があったが午後から雨が降り始める。
場所に寄りけりで山里では土砂降りの時間帯があった。
百日紅の盛りが過ぎ鉄砲百合が目立つようになった。
枯れた紫陽花の傍に寄り添うように咲いている姿を見ると
なんだかとても優しい気持ちになるのだった。
鉄砲と言うよりラッパに似ている。
一斉に横を向いて咲くので「鉄砲」と名付けられたのかもしれない。
日本古来の百合で明治時代には海外へ輸出されていたそうだ。
アメリカやフランスにも咲いているのだろうか。

午後から仕事が忙しくなり2時間の残業となった。
帰宅したら洗濯物が畳んであり台所も綺麗に片付いていて驚く。
まだ微熱があると云うのに娘がやってくれたようだ。
家の中のことが気になり寝てばかりはいられなかったのだろう。
私が早く帰宅していたら無理をさせずに済んだのにと思う。
夕飯はスーパーのお惣菜で済ます。つい揚げ物ばかりになった。
娘婿は相変わらず何を食べても味がしないのだそうだ。
明日から仕事復帰なのに大丈夫だろうかと心配になる。
娘は少しだけ食べられたようだ。食べ物によって苦みが違うらしい。
熱が完全に下がれば治るかもしれないので様子を見るしかない。
どちらにしても美味しく食べられないのが可哀想でならなかった。
娘夫婦以外は皆元気で食欲も旺盛である。
特に私の食欲は旺盛過ぎてダイエットどころではない。
体重はどんどん増えるばかりでもうどうしようもなくなった。
そんな体重増加のせいかもしれないが足の痛みが酷くなっている。
もう慣れてしまっているので辛いとは思わないのが幸いに思う。
諦めているわけではないがなんだかもう疲れてしまった。
もうどうでもいいやと投げ遣りになっている気がする。
今日は無事だった。明日はどうだろう。
毎日がその繰り返しで日々が流れていく。
何かをする度にこれは明日ではいけないと思ってしまうのだ。
今日のことは今日のことでなくてはならない。
明日が見える鏡など何処にもないだろう。
とにかく眠る。目覚めたら明日になっているのが「理想」である。
今日も厳しい残暑。屋外に居ると汗が噴き出て来る。
義父は稲刈りがやっと一段落したようだがまだまだ忙しそうだ。
顔色を窺いながらあれこれと仕事の段取りなどを話す。
今日はちょっとしたハプニングがあり私ではどうすることも出来ない。
恐るおそる相談したらちゃんと真剣に聞いてくれて助かった。
義父は決して責任を放棄しているわけではないのだ。
かと言って頼り過ぎてもいけない。そのバランスがけっこう難しい。

帰宅したらめいちゃんがおでこに冷えピタを貼っていて驚く。
てっきり再感染したのかと思った。それにしては元気そう。
訳を訊けばあまりにも暑かったから貼ったのだそうだ。
娘婿は会社の規則で一週間の自宅療養が義務付けられているらしい。
水曜日には仕事に行けそうだがまだ本調子ではなかった。
大好きなお刺身なら食べられるかなと思ったが食べたくないと言う。
娘はなんとか微熱になり起き上がれるようになったが
やはり味覚障害なのだろう。何を食べても苦くて不味いと言う。
この味覚障害はめいちゃんには無かったので大人だけかなと思う。
それだけ子供が軽症になり易いのかもしれない。
あやちゃんと私たち夫婦は今日も無事であった。
めいちゃんの時にも思ったがこれは奇跡なのではないだろうか。
もちろんまだ油断は出来ないが不安が少しずつ薄れて行っている。
今日は大丈夫だった。明日はどうだろうかとまるで賭けのようだった。
そうして一日一日を乗り越えて行かなければいけない。
私も引き続き気を緩めないように過ごそうと思っている。
まだ月曜日だが週末まで乗り越えたらもう大丈夫だろう。
週末には市民祭の花火大会があるのだそうだ。
そうして娘達と同居を始めてもう9年となろうといている。
今朝は秋を思わすような鱗雲が見えていた。
日中は厳しい残暑となったが季節はゆっくりと秋に向かっているようだ。
買物に行ったスーパーで先日ご主人を亡くされたばかりの友に会う。
どうしているだろうかとずっと気になっていたので会えて良かった。
仕事に復帰したそうだ。家に居たら一日中泣いてばかりだったそう。
仕事をしている間は忘れていても夜になるとまた悲しみが襲って来る。
それはもの凄い寂しさらしい。聞いているだけで胸が苦しくなった。
励ますよりも寄り添うべきなのだ。慰めるべきなのだと思う。
とにかく日にち薬しかない。一日一日を耐え抜いていくしかない。
もし私が友の立場だったらと思うと目の前が真っ暗になる。
私はそんな寂しさに耐えられるだろうか。気が狂ってしまいそうだ。

娘の熱は少し下がったようだがまだ起き上がることが出来ない。
病院へ行っても同じ事と家庭用の抗原キットで検査をしたらやはり陽性。
解熱剤はあるので服用しつつ様子を見ることになった。
治療薬が無いのが残念でならない。一刻も早い開発を願っている。
どれほど医学が進歩しても不可能なことがあるのだろうか。
今夜もめいちゃんが夕食の支度を手伝ってくれた。
絹ごし豆腐に韓国海苔をトッピングしポン酢醬油で食べるやつ。
先日まあちゃんの家に泊まりに行った時に食べて覚えたのだそうだ。
それからエビチリ。サニーレタスのサラダに生ハムをトッピングする。
私は冷凍秋刀魚を焼いて鰹のタタキを作っただけだった。
娘婿は味覚障害が出ており何を食べても全く味がしないのだそうだ。
完全に治るまではしばらく掛かるかもしれない。
娘は一切食べることが出来ずお粥も食べれそうになかった。
どんなにか辛いことだろう。せめて熱が平熱になってくれることを祈る。
今私が倒れたら大変なことになるので気を張り詰めているが
自信はあるようで心細く「もしも」のことを考えずにはいられない。
食事の支度、洗濯、何よりも仕事はどうすれば良いのだろう。
2.3日ならなんとかなるが一週間ともなるとパニックになりそうだ。
これはやはりなんとしても負けるわけにはいかないのである。
酷く追い詰められているような気もするが突破しなければいけない。
捕まってなるものか。きっときっと逃げ切って見せよう。
| 2023年08月19日(土) |
どうしようも出来ないこと |
おおむね晴れ。猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となる。
エアコンの有難さ。電気代などもう気にならなくなった。
夕方、娘が発熱。病院には行っていないがコロナに間違いないだろう。
とうとう来たかと思う。そうして次は誰だろうと思う。
順番から云えば私なのだけれど負けるわけにはいかない。
絶対に罹らないぞと強気になっているのだった。
めいちゃんが夕飯の支度を手伝ってくれた。
トマトを切ったり八宝菜を炒めたりとずいぶんと助かる。
子供心に母親の代わりをしようと頑張ってくれたのだ。
娘婿はまだ本調子ではないが少し元気になったようだ。
まだビールが飲めない。今夜はお味噌汁を飲んでいた。
完治まで5日から7日掛かるらしい。来週には仕事に行けるだろうか。
これは覚書だが症状としては熱と喉の痛みだけである。
新型肺炎だからと云って咳が出るとは限らないようだ。
それだけ軽症なのだろうけれど決して油断は出来ないと思う。
特に高齢者は重症化するリスクが大きいのだ。
娘は熱に喘いでおりすっかり寝込んでしまっている。
めいちゃんが冷蔵庫から冷えピタを出して介抱しているようだ。
今朝はあんなに元気だったのにと思う。
コロナは突然襲って来る。前兆など全く無いと云っても良い。
最悪の場合は私も感染するかもしれない。
いくら強気でいてもどうにもならない時があるだろう。
もしこの日記が滞ったら感染したと思ってほしい。
明日も書けますように。そればかりを願っている。
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