ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年08月23日(水) お知らせ

微熱ですが発熱しました。

まだ検査はしていませんが間違いないと思います。



2023年08月22日(火) 今日のことは今日に

朝のうちは晴れ間があったが午後から雨が降り始める。

場所に寄りけりで山里では土砂降りの時間帯があった。



百日紅の盛りが過ぎ鉄砲百合が目立つようになった。

枯れた紫陽花の傍に寄り添うように咲いている姿を見ると

なんだかとても優しい気持ちになるのだった。


鉄砲と言うよりラッパに似ている。

一斉に横を向いて咲くので「鉄砲」と名付けられたのかもしれない。

日本古来の百合で明治時代には海外へ輸出されていたそうだ。

アメリカやフランスにも咲いているのだろうか。





午後から仕事が忙しくなり2時間の残業となった。

帰宅したら洗濯物が畳んであり台所も綺麗に片付いていて驚く。

まだ微熱があると云うのに娘がやってくれたようだ。

家の中のことが気になり寝てばかりはいられなかったのだろう。

私が早く帰宅していたら無理をさせずに済んだのにと思う。


夕飯はスーパーのお惣菜で済ます。つい揚げ物ばかりになった。

娘婿は相変わらず何を食べても味がしないのだそうだ。

明日から仕事復帰なのに大丈夫だろうかと心配になる。


娘は少しだけ食べられたようだ。食べ物によって苦みが違うらしい。

熱が完全に下がれば治るかもしれないので様子を見るしかない。

どちらにしても美味しく食べられないのが可哀想でならなかった。


娘夫婦以外は皆元気で食欲も旺盛である。

特に私の食欲は旺盛過ぎてダイエットどころではない。

体重はどんどん増えるばかりでもうどうしようもなくなった。

そんな体重増加のせいかもしれないが足の痛みが酷くなっている。

もう慣れてしまっているので辛いとは思わないのが幸いに思う。

諦めているわけではないがなんだかもう疲れてしまった。

もうどうでもいいやと投げ遣りになっている気がする。


今日は無事だった。明日はどうだろう。

毎日がその繰り返しで日々が流れていく。


何かをする度にこれは明日ではいけないと思ってしまうのだ。

今日のことは今日のことでなくてはならない。


明日が見える鏡など何処にもないだろう。

とにかく眠る。目覚めたら明日になっているのが「理想」である。



2023年08月21日(月) やはり奇跡だろうか

今日も厳しい残暑。屋外に居ると汗が噴き出て来る。


義父は稲刈りがやっと一段落したようだがまだまだ忙しそうだ。

顔色を窺いながらあれこれと仕事の段取りなどを話す。

今日はちょっとしたハプニングがあり私ではどうすることも出来ない。

恐るおそる相談したらちゃんと真剣に聞いてくれて助かった。

義父は決して責任を放棄しているわけではないのだ。

かと言って頼り過ぎてもいけない。そのバランスがけっこう難しい。




帰宅したらめいちゃんがおでこに冷えピタを貼っていて驚く。

てっきり再感染したのかと思った。それにしては元気そう。

訳を訊けばあまりにも暑かったから貼ったのだそうだ。


娘婿は会社の規則で一週間の自宅療養が義務付けられているらしい。

水曜日には仕事に行けそうだがまだ本調子ではなかった。

大好きなお刺身なら食べられるかなと思ったが食べたくないと言う。


娘はなんとか微熱になり起き上がれるようになったが

やはり味覚障害なのだろう。何を食べても苦くて不味いと言う。


この味覚障害はめいちゃんには無かったので大人だけかなと思う。

それだけ子供が軽症になり易いのかもしれない。


あやちゃんと私たち夫婦は今日も無事であった。

めいちゃんの時にも思ったがこれは奇跡なのではないだろうか。

もちろんまだ油断は出来ないが不安が少しずつ薄れて行っている。

今日は大丈夫だった。明日はどうだろうかとまるで賭けのようだった。

そうして一日一日を乗り越えて行かなければいけない。


私も引き続き気を緩めないように過ごそうと思っている。

まだ月曜日だが週末まで乗り越えたらもう大丈夫だろう。


週末には市民祭の花火大会があるのだそうだ。

そうして娘達と同居を始めてもう9年となろうといている。



2023年08月20日(日) 捕まってなるものか

今朝は秋を思わすような鱗雲が見えていた。

日中は厳しい残暑となったが季節はゆっくりと秋に向かっているようだ。


買物に行ったスーパーで先日ご主人を亡くされたばかりの友に会う。

どうしているだろうかとずっと気になっていたので会えて良かった。

仕事に復帰したそうだ。家に居たら一日中泣いてばかりだったそう。

仕事をしている間は忘れていても夜になるとまた悲しみが襲って来る。

それはもの凄い寂しさらしい。聞いているだけで胸が苦しくなった。

励ますよりも寄り添うべきなのだ。慰めるべきなのだと思う。

とにかく日にち薬しかない。一日一日を耐え抜いていくしかない。


もし私が友の立場だったらと思うと目の前が真っ暗になる。

私はそんな寂しさに耐えられるだろうか。気が狂ってしまいそうだ。





娘の熱は少し下がったようだがまだ起き上がることが出来ない。

病院へ行っても同じ事と家庭用の抗原キットで検査をしたらやはり陽性。

解熱剤はあるので服用しつつ様子を見ることになった。

治療薬が無いのが残念でならない。一刻も早い開発を願っている。

どれほど医学が進歩しても不可能なことがあるのだろうか。


今夜もめいちゃんが夕食の支度を手伝ってくれた。

絹ごし豆腐に韓国海苔をトッピングしポン酢醬油で食べるやつ。

先日まあちゃんの家に泊まりに行った時に食べて覚えたのだそうだ。

それからエビチリ。サニーレタスのサラダに生ハムをトッピングする。

私は冷凍秋刀魚を焼いて鰹のタタキを作っただけだった。


娘婿は味覚障害が出ており何を食べても全く味がしないのだそうだ。

完全に治るまではしばらく掛かるかもしれない。

娘は一切食べることが出来ずお粥も食べれそうになかった。

どんなにか辛いことだろう。せめて熱が平熱になってくれることを祈る。


今私が倒れたら大変なことになるので気を張り詰めているが

自信はあるようで心細く「もしも」のことを考えずにはいられない。

食事の支度、洗濯、何よりも仕事はどうすれば良いのだろう。

2.3日ならなんとかなるが一週間ともなるとパニックになりそうだ。

これはやはりなんとしても負けるわけにはいかないのである。


酷く追い詰められているような気もするが突破しなければいけない。

捕まってなるものか。きっときっと逃げ切って見せよう。



2023年08月19日(土) どうしようも出来ないこと

おおむね晴れ。猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となる。

エアコンの有難さ。電気代などもう気にならなくなった。



夕方、娘が発熱。病院には行っていないがコロナに間違いないだろう。

とうとう来たかと思う。そうして次は誰だろうと思う。

順番から云えば私なのだけれど負けるわけにはいかない。

絶対に罹らないぞと強気になっているのだった。


めいちゃんが夕飯の支度を手伝ってくれた。

トマトを切ったり八宝菜を炒めたりとずいぶんと助かる。

子供心に母親の代わりをしようと頑張ってくれたのだ。


娘婿はまだ本調子ではないが少し元気になったようだ。

まだビールが飲めない。今夜はお味噌汁を飲んでいた。

完治まで5日から7日掛かるらしい。来週には仕事に行けるだろうか。


これは覚書だが症状としては熱と喉の痛みだけである。

新型肺炎だからと云って咳が出るとは限らないようだ。

それだけ軽症なのだろうけれど決して油断は出来ないと思う。

特に高齢者は重症化するリスクが大きいのだ。



娘は熱に喘いでおりすっかり寝込んでしまっている。

めいちゃんが冷蔵庫から冷えピタを出して介抱しているようだ。

今朝はあんなに元気だったのにと思う。

コロナは突然襲って来る。前兆など全く無いと云っても良い。


最悪の場合は私も感染するかもしれない。

いくら強気でいてもどうにもならない時があるだろう。

もしこの日記が滞ったら感染したと思ってほしい。


明日も書けますように。そればかりを願っている。



2023年08月18日(金) 名無しのごんべさん

昨夜は大雨。今朝は止んでいたが不安定な空模様となる。

薄く陽射しが射しているかと思えばにわか雨が降ったりする。


山里ではツクツクボウシの鳴き声がこだまするように聴こえていた。

それからお日和トンボと呼ばれる赤トンボが群れをなして飛び交う。

稲は実り頭を垂れながら刈られるのを待っているようだ。

「処暑」までもう少しとなった。少しずつ秋らしくなっていくだろう。



娘の42歳の誕生日。随分と歳月が流れたがあの夏の日を鮮明に憶えている。

連日の猛暑で身重の身体が限界となり一刻も早く産みたかった。

ちょうど予定日の朝に陣痛が始まりこれ幸いと産院へ行ったが

陣痛が止まってしまって一向に産まれそうにないのである。

しかしなんとしても今日産むのだとひたすら気合を入れていた。

その甲斐あってか夕方再び陣痛が始まり午後7時過ぎにやっと生まれた。

けれども産声が聴こえなくて私は気が狂ったように叫んでいた。

助産師さんが娘の足を持って逆さにしお尻を叩いたらやっと泣いてくれた。


2歳だった息子がおじいちゃんに抱っこされて面会に来て

「ごんべさん」(名無しのごんべさん)と呼んでいた。

好きな名前を付けてあげようねと言ったら「さっちゃん」が良いと言う。

さっそくおじいちゃんがお寺さんに行ってさっちゃん候補の名前を

幾つか見つけて来てくれたが私も夫も「紗穂」が良いと思った。

れっきとした名前があるが私はしょっちゅう「サチコちゃん」と呼ぶ。

ついでに孫達も「あやこちゃん」「めいこちゃん」と呼ぶ時が多い。

そんな私の変な習慣が我が家では愉快にまかり通っている。





娘婿の熱は下がり峠は越したようであるが娘の誕生日祝いは後日に延期。

順調に恢復すれば明日か明後日には出来そうである。

心配していた家庭内感染も今のところ大丈夫で皆元気であった。

しかしこればかりは油断が出来ない。楽観するにはまだ早いだろう。

潜伏期間が3日だと云う。今日がぎりぎりの堺である。


今朝からずっともし娘が感染したらと考えていた。

特に隔離もしていないので一番危険なのは娘だと思う。

誕生日にコロナだなんてあまりにも可哀想ではないか。

結果は取り越し苦労に終ったがなんだか救われたように思った。


いつも明るくて朗らかな娘はいったい誰に似たのだろう。

さっぱりとした性格で私とは似ても似つかない。

顔はもちろんのこと声さえも似ていないのだった。


けれども私は42年前の今日、確かに娘を産んだ。

「お願い泣いて」と叫んだら元気な産声が聴こえたのだった。



2023年08月17日(木) 石橋を叩いて渡る

高知県西部は殆ど降らなかったが中部や東部では大雨だったようだ。

明日も不安定な天気になりそうでまるで戻り梅雨のようである。


長かったお盆休みが終りやっと仕事。

仕事が好きでもあるが貧乏性でもあるのだろう。

「貧乏暇なし」と云うがようは忙しいのが好きなのである。


昨日苦労して送った書類が午前中ぎりぎりまで届かなくて焦る。

郵便局の追跡システムで何度も調べていたが「持ち出し中」となっていた。

11時過ぎにやっと配達済みとなってなんとほっとしたことだろう。

もし間に合わなかったら義父にこっぴどく叱られたと思う。

私が悪いわけではないのだけれど責任の転嫁をする人なのだ。


休み明けで工場も大忙しで同僚が汗を流していた。

義父はコンバインの修理に夢中で手伝おうともしない。

同僚の機嫌が悪いのを宥めつつ義父の顔色も窺っていた。

そんなこんなが少なからずストレスになるのだけれど

辛いとは思わずむしろそれを愉しんでいる自分がいた。

それが私の真の仕事のように思うのだった。





娘婿の熱は少し下がったようだ。今夜は少しだけ夕食を食べた。

それにしてもあまりにも無防備な我が家である。

非常識な家族だと思われても仕方ないがどうしようも出来なかった。

あまり神経質にならないほうが良いようにも思える。

絶対に感染するとは限らないのだ。弱気になってはいけない。

「免疫力」には詳しくないが気力と関係があるように思う。


めいちゃんの時と同じく今のところ誰にも異変はなかった。

素人判断ではあるが今週末を乗り越えたら大丈夫なのではないか。

恐るおそるではあるが石橋を叩いて渡るべきなのだろう。


コロナは何度でも感染するのだそうだ。

そうして感染しても未だ治療薬が開発されていない。

まるで「細菌戦争」のようである。

そうそう簡単に負けるわけにはいかない。


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