昨夜は大雨。今朝は止んでいたが不安定な空模様となる。
薄く陽射しが射しているかと思えばにわか雨が降ったりする。
山里ではツクツクボウシの鳴き声がこだまするように聴こえていた。
それからお日和トンボと呼ばれる赤トンボが群れをなして飛び交う。
稲は実り頭を垂れながら刈られるのを待っているようだ。
「処暑」までもう少しとなった。少しずつ秋らしくなっていくだろう。
娘の42歳の誕生日。随分と歳月が流れたがあの夏の日を鮮明に憶えている。
連日の猛暑で身重の身体が限界となり一刻も早く産みたかった。
ちょうど予定日の朝に陣痛が始まりこれ幸いと産院へ行ったが
陣痛が止まってしまって一向に産まれそうにないのである。
しかしなんとしても今日産むのだとひたすら気合を入れていた。
その甲斐あってか夕方再び陣痛が始まり午後7時過ぎにやっと生まれた。
けれども産声が聴こえなくて私は気が狂ったように叫んでいた。
助産師さんが娘の足を持って逆さにしお尻を叩いたらやっと泣いてくれた。
2歳だった息子がおじいちゃんに抱っこされて面会に来て
「ごんべさん」(名無しのごんべさん)と呼んでいた。
好きな名前を付けてあげようねと言ったら「さっちゃん」が良いと言う。
さっそくおじいちゃんがお寺さんに行ってさっちゃん候補の名前を
幾つか見つけて来てくれたが私も夫も「紗穂」が良いと思った。
れっきとした名前があるが私はしょっちゅう「サチコちゃん」と呼ぶ。
ついでに孫達も「あやこちゃん」「めいこちゃん」と呼ぶ時が多い。
そんな私の変な習慣が我が家では愉快にまかり通っている。

娘婿の熱は下がり峠は越したようであるが娘の誕生日祝いは後日に延期。
順調に恢復すれば明日か明後日には出来そうである。
心配していた家庭内感染も今のところ大丈夫で皆元気であった。
しかしこればかりは油断が出来ない。楽観するにはまだ早いだろう。
潜伏期間が3日だと云う。今日がぎりぎりの堺である。
今朝からずっともし娘が感染したらと考えていた。
特に隔離もしていないので一番危険なのは娘だと思う。
誕生日にコロナだなんてあまりにも可哀想ではないか。
結果は取り越し苦労に終ったがなんだか救われたように思った。
いつも明るくて朗らかな娘はいったい誰に似たのだろう。
さっぱりとした性格で私とは似ても似つかない。
顔はもちろんのこと声さえも似ていないのだった。
けれども私は42年前の今日、確かに娘を産んだ。
「お願い泣いて」と叫んだら元気な産声が聴こえたのだった。
高知県西部は殆ど降らなかったが中部や東部では大雨だったようだ。
明日も不安定な天気になりそうでまるで戻り梅雨のようである。
長かったお盆休みが終りやっと仕事。
仕事が好きでもあるが貧乏性でもあるのだろう。
「貧乏暇なし」と云うがようは忙しいのが好きなのである。
昨日苦労して送った書類が午前中ぎりぎりまで届かなくて焦る。
郵便局の追跡システムで何度も調べていたが「持ち出し中」となっていた。
11時過ぎにやっと配達済みとなってなんとほっとしたことだろう。
もし間に合わなかったら義父にこっぴどく叱られたと思う。
私が悪いわけではないのだけれど責任の転嫁をする人なのだ。
休み明けで工場も大忙しで同僚が汗を流していた。
義父はコンバインの修理に夢中で手伝おうともしない。
同僚の機嫌が悪いのを宥めつつ義父の顔色も窺っていた。
そんなこんなが少なからずストレスになるのだけれど
辛いとは思わずむしろそれを愉しんでいる自分がいた。
それが私の真の仕事のように思うのだった。

娘婿の熱は少し下がったようだ。今夜は少しだけ夕食を食べた。
それにしてもあまりにも無防備な我が家である。
非常識な家族だと思われても仕方ないがどうしようも出来なかった。
あまり神経質にならないほうが良いようにも思える。
絶対に感染するとは限らないのだ。弱気になってはいけない。
「免疫力」には詳しくないが気力と関係があるように思う。
めいちゃんの時と同じく今のところ誰にも異変はなかった。
素人判断ではあるが今週末を乗り越えたら大丈夫なのではないか。
恐るおそるではあるが石橋を叩いて渡るべきなのだろう。
コロナは何度でも感染するのだそうだ。
そうして感染しても未だ治療薬が開発されていない。
まるで「細菌戦争」のようである。
そうそう簡単に負けるわけにはいかない。
送り火を焚く。来年もきっと帰って来て下さいね。
台風7号は日本海に抜けたがまだ大雨の処があるようだ。
高知県西部も明日は大雨の予報である。
お盆休みも最終日。朝のうちにやっと花の苗を植えた。
ペンタスと観賞用の辛子で辛子には白い花がいっぱい咲いている。
その後平日には行けないカーブスへ。相変わらず足の痛みはあったが
少しでも身体を動かすことが出来て心地よかった。
昼食後、高校野球を観ながらうとうとしていたら義父から電話があった。
急いで今日中に送らなければいけない書類があるとのこと。
もう3時になっていたが仕方なく山里の職場に向かう。
山里はあちらこちらで稲刈りをしており微かに藁の匂いがする。
義父はコンバインの調子が悪く今日は出来なかったようだ。
そのせいもあるのだろう。酷く苛々しており手に負えない。
書類に不備があり郵便局の速達受付時間に間に合わなかった。
佐川急便なら大丈夫だろうと行ったがもうトラックが出た後とのこと。
仕方なく四万十市内の中村郵便局まで大急ぎで走った。
山里の郵便物は中村郵便局で集荷され高知市内まで行くことになっている。
夜7時までの受付なら明日の午前中の配達に間に合うのだそうだ。
窓口で出し終えてほっと肩の荷が下りる。
義父がもっと早く言ってくれていたら良かったのだが
まるでハプニングのような出来事でふっと愉快にも思えた。
夕陽を見ながら家路を急ぎつつやっぱり私は仕事が好きだなと思った。
帰宅したらもう6時。娘が夕飯の支度をしてくれていた。
今朝から娘婿の姿を見ていなかったのだが発熱しており
娘が病院へ連れて行ったらコロナに罹っていたそうだ。
めいちゃんの発症からもう10日以上経っており不可解でもある。
そうかと言ってお盆休みの間は特に外出もしていないようだった。
これが感染経路不明というやつだろうか。罹ったものは仕方あるまい。
またしばらく我が家のコロナ騒動が続きそうだが
めいちゃんの時に大丈夫だったからと変な自信があるようだった。
そんな油断が仇になる時もある。気を張って過ごさねばならない。
平穏無事は決して当たり前のことではないのだなと改めて思った。
台風7号は今朝和歌山県に上陸しもうすぐ日本海へ抜けるようだ。
線状降水帯の発生により鳥取では大雨特別警報が出ている。
一刻も早く雨が止んでくれることを願わずにいられない。
鳥取と云えば「めいさん」が住んでいるのだけれど
鳥取市内なのか詳しい住所を知らなかった。
SNSで何か発信があるかもと気にかけているが今のところ何もない。
メールをする程親しくはないのが少しもどかしく感じている。
ご家族皆無事で。せめて祈りと願いが伝われば良いのだけれど。
それが伝わったとしても実際被害に遭われていたら何の力にもなれない。
要は「心配していますよ」と云う自己アピールに過ぎないのだろう。
それはとても虚しい行為に思えてならない。

今夜は私の職場のある三原村で「みはら祭り」があり花火も上がるそうだ。
娘達が行ってみたいと言い出しあやちゃんを残して出掛けて行った。
「一緒にご飯を食べようか」恐るおそる声をかけたら思いがけずに
素直に頷いてくれて珍しく三人で夕食を食べた。
花火は興味が無くただただ「めんどくさい」のだそうだ。
あやちゃんの心の中に子供らしさが失われているように感じた。
いったい何があやちゃんを支配しているのだろうと思う。
繊細な糸のようなものに絡まっているような気がしてならない。
その糸を周りのおとなが取り払ってはいけないのだろう。
まるで繭のようだ。自ら糸を吐き出しているようにしか思えない。
あやちゃんのことをここに詳しく記すことは避けなければいけないが
長い目で見守ってやらねばならないと思っている。
自分の意志で動き出す日がきっと来るだろうと信じている。
川向の山の向こう側が三原村であるが
今まで花火の音が聞こえたことはない。
もしかしたらと待っている。あやちゃんにも聞かせてあげたい。
朝風が心地よくふっと秋の気配を感じた。
日中はまだまだ残暑が厳しいが次第に朝晩は涼しくなるだろう。
台風7号は紀伊半島に接近しており明日の朝には上陸しそうである。
高知県も強風域に入るため多少の影響がありそうだ。
自然の猛威に逆らうことは出来ず大事に至らないことを祈るばかりである。
夕方のローカルニュースで「お盆休みの過ごし方」の話題があった。
3割の人が休みなく仕事。2割が観光や帰省。残りの5割の人が
特に何もせず家でのんびり過ごすのだそうだ。
それを聞いてなんだかほっとしたのは言うまでもない。
のんびりどころかひたすらごろごろと寝てばかりいる私であった。
朝のうちに買い物に行っていて花の苗を数本買って帰った。
買った時にはすぐに植えるつもりだったが家に帰ると気が乗らない。
結局そのままにしたまま日が暮れてしまった。
足の痛みのせいもあるが酷くものぐさになってしまったように思う。
けれどもそんな自分を情けないとは思わずに
「まあいいじゃないか」と許すことが多くなったこの頃である。
それはこの先もどんどん増えいくことだろう。
その時に自分を責めることは決してないと断言してもいい。
自分を責めても何も変わらないのではないだろうか。
そうしても心が折れるばかりで立ち直ることは出来ないのだと思う。
そうでなくても最近は心が折れることが多い。
SNSでもあったがさらりと水に流すほど私は強くないようだ。
たとえ顔の見えない世界であってもそこには「ひと」が存在している。
私に心があるようにその「ひと」にも心があるのだった。
もう一切関わり合いたくはないと思っている。
そう思うだけでずいぶんと救われるような気がするのだ。
今夜の日記はまるで「飛び火」をしたようになってしまって
元々の火元は何だったのか分からなくなってしまった。
火の無い処に煙は立たないと云うがいったい何が燃えているのだろう。
鎮火するまでしばらくお待ち願いたい。
迎え火を焚いてくれる家族がいない魂はずっとあの世にいて
この世に帰って来ることが出来ないのだろうか。
母方のまるで無縁仏のようになってしまった魂を想う。
母が最後に迎え火を焚いたのはいったいいつのことだったのか。
今はもう誰も住んでいない家の仏壇に並ぶ位牌が目に浮かぶ。
昨夜は亡き姑さんの夢を見た。
なぜか泣きながら私の名を呼んでいて胸が苦しくなった。
手を握りしめてみると思いがけないほどに温かく柔らかなのである。
何か伝えたいことがあったのかもしれないが問うことが出来ない。
心の中で「ああお盆なのだな」と呟いていた。
夕方、親族が集まり義妹宅で迎え火を焚く。
本来ならば長男である夫が仏さんを祀らなければいけないのだが
ずっと義妹任せにしていて心苦しさもあった。
もし夫や私が亡くなった場合はどうなるのだろう。
新たに仏壇を構えたとしても誰が祀ってくれるのだろうか。
息子や娘に負担をかけたくない気持ちが大きい。
それは先日も書いたお墓の件と同じ気持ちである。
毎年のことだが今年も義妹が小宴の準備をしてくれていた。
我が家と義弟一家が手ぶらで押しかけて行く。
賑やかなのが好きだった舅も姑さんもきっと喜んでくれただろう。
あやちゃんだけは行かなかった。例の如くで「めんどくさい」と言う。
もう強制は出来なくなった。お盆だからと特別のことにも出来ない。
ずっと先のこと、いやもしかしたら来年のことかもしれない。
迎え火を焚いてもらったら私は何処から帰って来るのだろう。
その時あやちゃんは手を合わせて迎えてくれるのだろうか。
幾日ぶりの青空だろう。猛暑日となり厳しい暑さとなったが
湿度が低かったせいかからりっとした心地よい暑さとなった。
洗濯物の外干しも久しぶりのこと。嬉しそうに風に揺れていた。
しばらく晴天が続くかなと思っていたが来週にはまた台風らしい。
西寄りのコースになると四国上陸もあり得るのだそうだ。
稲刈りシーズンである。どうか最小限の被害で済んで欲しいものだ。
今朝はずっと気になっていた草引きをすることが出来た。
ブロック塀の元にいっぱいになっておりご近所さんにも体裁が悪い。
夫に頼んでも積極的にやってくれる気配はなかった。
まずは座り込んで草を引くが立ち上がることが出来ない。
仕方なく這うようにして草を引き続けて行った。
引いた草を集めることも出来ず仕方なく夫に助けを求める。
そうしたら案の定嫌々外に出て来てくれた。
まだ完璧ではないのに「もうそれくらいでえい」とか言う。
そう言われたらもう仕方ない。あらあらかしこになってしまった。
それから9時近くまでまた寝る。「おまえは病気だ」と夫が言った。
もし過眠症だった場合は精神科へ行かなければいけないのだそうだ。
そこまでは深刻に考えてはいない。眠ければ寝れば良い話である。
図書館に行ってそれから買物、その後カーブスとけっこう忙しい。
私はそんな忙しさが好きだ。好き好んで寝てばかりいる訳ではない。
その証拠に仕事がある日に一日中寝てなどいないではないか。
お昼には釜玉うどんを食べた。一人前では足らないので1.5人前。
それでもまだ物足らなくてお稲荷さんを食べた。
お腹いっぱいになったらまた眠るしかないだろう。
熟睡ではなかったが4時まで眠る。テレビでは「よさこい祭り」である。
これだけ寝たら夜は眠れないのが常識かもしれないが
私の場合は関係なく8時過ぎには寝て4時の起床であった。
夜中にトイレに起きるが睡眠不足だとはとても考えられない。
「目が腐る」とも言われるが目は至って新鮮であるようだ。
今夜もそろそろ眠る時間になった、
意識が朦朧としているのは酒の酔いのせいだろう。
ゆらゆら日記だなんて嘘っぱちだ。
いつだって「よい酔い日記」なのではないだろうか。
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