送り火を焚く。来年もきっと帰って来て下さいね。
台風7号は日本海に抜けたがまだ大雨の処があるようだ。
高知県西部も明日は大雨の予報である。
お盆休みも最終日。朝のうちにやっと花の苗を植えた。
ペンタスと観賞用の辛子で辛子には白い花がいっぱい咲いている。
その後平日には行けないカーブスへ。相変わらず足の痛みはあったが
少しでも身体を動かすことが出来て心地よかった。
昼食後、高校野球を観ながらうとうとしていたら義父から電話があった。
急いで今日中に送らなければいけない書類があるとのこと。
もう3時になっていたが仕方なく山里の職場に向かう。
山里はあちらこちらで稲刈りをしており微かに藁の匂いがする。
義父はコンバインの調子が悪く今日は出来なかったようだ。
そのせいもあるのだろう。酷く苛々しており手に負えない。
書類に不備があり郵便局の速達受付時間に間に合わなかった。
佐川急便なら大丈夫だろうと行ったがもうトラックが出た後とのこと。
仕方なく四万十市内の中村郵便局まで大急ぎで走った。
山里の郵便物は中村郵便局で集荷され高知市内まで行くことになっている。
夜7時までの受付なら明日の午前中の配達に間に合うのだそうだ。
窓口で出し終えてほっと肩の荷が下りる。
義父がもっと早く言ってくれていたら良かったのだが
まるでハプニングのような出来事でふっと愉快にも思えた。
夕陽を見ながら家路を急ぎつつやっぱり私は仕事が好きだなと思った。
帰宅したらもう6時。娘が夕飯の支度をしてくれていた。
今朝から娘婿の姿を見ていなかったのだが発熱しており
娘が病院へ連れて行ったらコロナに罹っていたそうだ。
めいちゃんの発症からもう10日以上経っており不可解でもある。
そうかと言ってお盆休みの間は特に外出もしていないようだった。
これが感染経路不明というやつだろうか。罹ったものは仕方あるまい。
またしばらく我が家のコロナ騒動が続きそうだが
めいちゃんの時に大丈夫だったからと変な自信があるようだった。
そんな油断が仇になる時もある。気を張って過ごさねばならない。
平穏無事は決して当たり前のことではないのだなと改めて思った。
台風7号は今朝和歌山県に上陸しもうすぐ日本海へ抜けるようだ。
線状降水帯の発生により鳥取では大雨特別警報が出ている。
一刻も早く雨が止んでくれることを願わずにいられない。
鳥取と云えば「めいさん」が住んでいるのだけれど
鳥取市内なのか詳しい住所を知らなかった。
SNSで何か発信があるかもと気にかけているが今のところ何もない。
メールをする程親しくはないのが少しもどかしく感じている。
ご家族皆無事で。せめて祈りと願いが伝われば良いのだけれど。
それが伝わったとしても実際被害に遭われていたら何の力にもなれない。
要は「心配していますよ」と云う自己アピールに過ぎないのだろう。
それはとても虚しい行為に思えてならない。

今夜は私の職場のある三原村で「みはら祭り」があり花火も上がるそうだ。
娘達が行ってみたいと言い出しあやちゃんを残して出掛けて行った。
「一緒にご飯を食べようか」恐るおそる声をかけたら思いがけずに
素直に頷いてくれて珍しく三人で夕食を食べた。
花火は興味が無くただただ「めんどくさい」のだそうだ。
あやちゃんの心の中に子供らしさが失われているように感じた。
いったい何があやちゃんを支配しているのだろうと思う。
繊細な糸のようなものに絡まっているような気がしてならない。
その糸を周りのおとなが取り払ってはいけないのだろう。
まるで繭のようだ。自ら糸を吐き出しているようにしか思えない。
あやちゃんのことをここに詳しく記すことは避けなければいけないが
長い目で見守ってやらねばならないと思っている。
自分の意志で動き出す日がきっと来るだろうと信じている。
川向の山の向こう側が三原村であるが
今まで花火の音が聞こえたことはない。
もしかしたらと待っている。あやちゃんにも聞かせてあげたい。
朝風が心地よくふっと秋の気配を感じた。
日中はまだまだ残暑が厳しいが次第に朝晩は涼しくなるだろう。
台風7号は紀伊半島に接近しており明日の朝には上陸しそうである。
高知県も強風域に入るため多少の影響がありそうだ。
自然の猛威に逆らうことは出来ず大事に至らないことを祈るばかりである。
夕方のローカルニュースで「お盆休みの過ごし方」の話題があった。
3割の人が休みなく仕事。2割が観光や帰省。残りの5割の人が
特に何もせず家でのんびり過ごすのだそうだ。
それを聞いてなんだかほっとしたのは言うまでもない。
のんびりどころかひたすらごろごろと寝てばかりいる私であった。
朝のうちに買い物に行っていて花の苗を数本買って帰った。
買った時にはすぐに植えるつもりだったが家に帰ると気が乗らない。
結局そのままにしたまま日が暮れてしまった。
足の痛みのせいもあるが酷くものぐさになってしまったように思う。
けれどもそんな自分を情けないとは思わずに
「まあいいじゃないか」と許すことが多くなったこの頃である。
それはこの先もどんどん増えいくことだろう。
その時に自分を責めることは決してないと断言してもいい。
自分を責めても何も変わらないのではないだろうか。
そうしても心が折れるばかりで立ち直ることは出来ないのだと思う。
そうでなくても最近は心が折れることが多い。
SNSでもあったがさらりと水に流すほど私は強くないようだ。
たとえ顔の見えない世界であってもそこには「ひと」が存在している。
私に心があるようにその「ひと」にも心があるのだった。
もう一切関わり合いたくはないと思っている。
そう思うだけでずいぶんと救われるような気がするのだ。
今夜の日記はまるで「飛び火」をしたようになってしまって
元々の火元は何だったのか分からなくなってしまった。
火の無い処に煙は立たないと云うがいったい何が燃えているのだろう。
鎮火するまでしばらくお待ち願いたい。
迎え火を焚いてくれる家族がいない魂はずっとあの世にいて
この世に帰って来ることが出来ないのだろうか。
母方のまるで無縁仏のようになってしまった魂を想う。
母が最後に迎え火を焚いたのはいったいいつのことだったのか。
今はもう誰も住んでいない家の仏壇に並ぶ位牌が目に浮かぶ。
昨夜は亡き姑さんの夢を見た。
なぜか泣きながら私の名を呼んでいて胸が苦しくなった。
手を握りしめてみると思いがけないほどに温かく柔らかなのである。
何か伝えたいことがあったのかもしれないが問うことが出来ない。
心の中で「ああお盆なのだな」と呟いていた。
夕方、親族が集まり義妹宅で迎え火を焚く。
本来ならば長男である夫が仏さんを祀らなければいけないのだが
ずっと義妹任せにしていて心苦しさもあった。
もし夫や私が亡くなった場合はどうなるのだろう。
新たに仏壇を構えたとしても誰が祀ってくれるのだろうか。
息子や娘に負担をかけたくない気持ちが大きい。
それは先日も書いたお墓の件と同じ気持ちである。
毎年のことだが今年も義妹が小宴の準備をしてくれていた。
我が家と義弟一家が手ぶらで押しかけて行く。
賑やかなのが好きだった舅も姑さんもきっと喜んでくれただろう。
あやちゃんだけは行かなかった。例の如くで「めんどくさい」と言う。
もう強制は出来なくなった。お盆だからと特別のことにも出来ない。
ずっと先のこと、いやもしかしたら来年のことかもしれない。
迎え火を焚いてもらったら私は何処から帰って来るのだろう。
その時あやちゃんは手を合わせて迎えてくれるのだろうか。
幾日ぶりの青空だろう。猛暑日となり厳しい暑さとなったが
湿度が低かったせいかからりっとした心地よい暑さとなった。
洗濯物の外干しも久しぶりのこと。嬉しそうに風に揺れていた。
しばらく晴天が続くかなと思っていたが来週にはまた台風らしい。
西寄りのコースになると四国上陸もあり得るのだそうだ。
稲刈りシーズンである。どうか最小限の被害で済んで欲しいものだ。
今朝はずっと気になっていた草引きをすることが出来た。
ブロック塀の元にいっぱいになっておりご近所さんにも体裁が悪い。
夫に頼んでも積極的にやってくれる気配はなかった。
まずは座り込んで草を引くが立ち上がることが出来ない。
仕方なく這うようにして草を引き続けて行った。
引いた草を集めることも出来ず仕方なく夫に助けを求める。
そうしたら案の定嫌々外に出て来てくれた。
まだ完璧ではないのに「もうそれくらいでえい」とか言う。
そう言われたらもう仕方ない。あらあらかしこになってしまった。
それから9時近くまでまた寝る。「おまえは病気だ」と夫が言った。
もし過眠症だった場合は精神科へ行かなければいけないのだそうだ。
そこまでは深刻に考えてはいない。眠ければ寝れば良い話である。
図書館に行ってそれから買物、その後カーブスとけっこう忙しい。
私はそんな忙しさが好きだ。好き好んで寝てばかりいる訳ではない。
その証拠に仕事がある日に一日中寝てなどいないではないか。
お昼には釜玉うどんを食べた。一人前では足らないので1.5人前。
それでもまだ物足らなくてお稲荷さんを食べた。
お腹いっぱいになったらまた眠るしかないだろう。
熟睡ではなかったが4時まで眠る。テレビでは「よさこい祭り」である。
これだけ寝たら夜は眠れないのが常識かもしれないが
私の場合は関係なく8時過ぎには寝て4時の起床であった。
夜中にトイレに起きるが睡眠不足だとはとても考えられない。
「目が腐る」とも言われるが目は至って新鮮であるようだ。
今夜もそろそろ眠る時間になった、
意識が朦朧としているのは酒の酔いのせいだろう。
ゆらゆら日記だなんて嘘っぱちだ。
いつだって「よい酔い日記」なのではないだろうか。
台風の置き土産なのか今日も雨が降ったり止んだり。
天気予報を見ていると明日はやっと快晴になるようだ。
猛暑になりそうだが青空が待ち遠しくてならない。
今日から16日まで長いお盆休みを頂いた。
いつものように4時に起床したが朝のルーティンを済ますなり眠くなる。
朝食後6時半から8時過ぎまで寝てしまってNHKの朝ドラも見れなかった。
洗濯機は運転終了しており台所の流しには汚れた食器が山積みである。
最低限の家事だけはなんとか済ませスーパーへ買物に行く。
出掛ける時には降っていなかったのに着いたら土砂降りになっていた。
杖を付きながら傘を差すのはけっこう大変なことである。
お昼にお好み焼きを食べて満腹。また眠くなりひたすら寝ていた。
誰かが異常だと言ってくれない限り自分ではこんなもんだと思っている。
とにかく横になったらすぐに寝てしまっているのだった。
鼾もかくし変な夢を見ることもある。
熟睡はしていないのだろう途切れ途切れの記憶は微かにあるのだった。

夫と義妹、娘とめいちゃんがお墓参りに行っていたようだ。
私はもうお寺の裏山には上がることが出来ず最初から除外されていた。
もう気が咎めることもなく本音を言えば助かっていたのだろう。
「千の風になって」という歌があった。
私のお墓の前で泣かないで下さい
そこに私はいません
眠ってなんかいません
有名な歌詞であるがそれは本当のことだと思っている。
死んでしまえばみな遺骨となりお墓に納められるが
暗くじめじめとした狭い空間でどうして眠ることが出来ようか。
私は嫌だなと思う。死んだらもっと明るい処に居たいと思う。
やはりそこは空だろうか。だから天国と呼ぶのかもしれない。
最近では樹木葬もあるようだ。それも良いなと憧れている。
やっぱり桜だろうか。はらはらと儚く散るのも美しいではないか。
けれども一族のお墓が在る限り自分だけ特別なことは出来ない。
だからとりあえず遺骨だけはそこに納まることにしよう。
魂は自由だからまさしく千の風になれるのだと信じている。
大空を吹き渡るのだ。なんと素晴らしいことだろうか。
夫と私が死んでしまっても息子や娘達にお墓参りを強要したくない。
荒れてしまっても良いのだ。ただ少しだけ心にかけてくれたらと思う。
私の実父は20年前に亡くなったが未だにお墓がない。
弟の住んでいるアパートの箪笥の上にずっと居て弟達と暮らしている。
父はきっと幸せに違いないと思う。ずっといつまでも家族なのだ。
台風一過の青空とはいかず今日も不安定な空模様だった。
高知県中部で線状降水帯が発生したニュースが流れる。
ちょうど「よさこい祭り」が始まる日であったが
高知市内は難を逃れられたようで予定通りに開催されたようだ。
今年で70回と伝統ある祭りであるがあまり興味はなかった。
テレビで生中継されていたのをちらっと見ただけである。
仕事は明日から16日までお盆休みとなった。
今日はお客さんの初盆のお宅にお供えを届ける。
49日が済んだばかりのお宅もありまだ悲しみが癒えていない。
故人の思い出話をするだけで涙が溢れているのだった。
「日にち薬」の話をした。一日一日が薬であること。
今日を乗り越えたら明日とゆっくりと前へ進まねばならない。
決して忘れるためではないのだ。受け止めるための日々だと思う。
やがて一周忌が来るだろう。傷口はもうきっと乾いているはずである。
残されたものとしてまた新たな一歩を踏み出して行くのだ。
それが故人に対する一番の供養ではないかと私は思っている。
すべてのお宅にお供えを届け終えて帰りながら漠然と考えていた。
亡くなった人達はいったい何処に行くのだろうと。
それは生前の姿を鮮明に憶えているからこそよけいにそう思う。
天国は本当に在るのかそこでも暮らすことが可能なのか。
そうしてそこで何を想って何を伝えようとしているのだろう。
人の命は永遠ではないが魂は永遠に存在するものだと信じている。
そう信じなければ魂の行き場所が無くなってしまうではないか。
ただそれをカタチにすることが不可能なのだろう。
魂には与えられる実体が無いのだから当然のことだろうと思う。
死んでしまっても「私は死にました」と誰にも言えない。
思い残すことがあっても「忘れていました」とは言えないだろう。
死んだらすべてが終りなのだそうだ。それは本当のことだろうか。
それを確かめるためには自分が死んでみるしかないのだった。
いつかは逝く。こればかりは誰にも止めることが出来ない。
交信することも出来ないのだろうか。
「イマテンゴクデス カイテキデス」まるで電報のような文面だ。
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