ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年08月11日(金) 千の風になるために

台風の置き土産なのか今日も雨が降ったり止んだり。

天気予報を見ていると明日はやっと快晴になるようだ。

猛暑になりそうだが青空が待ち遠しくてならない。



今日から16日まで長いお盆休みを頂いた。

いつものように4時に起床したが朝のルーティンを済ますなり眠くなる。

朝食後6時半から8時過ぎまで寝てしまってNHKの朝ドラも見れなかった。

洗濯機は運転終了しており台所の流しには汚れた食器が山積みである。

最低限の家事だけはなんとか済ませスーパーへ買物に行く。

出掛ける時には降っていなかったのに着いたら土砂降りになっていた。

杖を付きながら傘を差すのはけっこう大変なことである。



お昼にお好み焼きを食べて満腹。また眠くなりひたすら寝ていた。

誰かが異常だと言ってくれない限り自分ではこんなもんだと思っている。

とにかく横になったらすぐに寝てしまっているのだった。

鼾もかくし変な夢を見ることもある。

熟睡はしていないのだろう途切れ途切れの記憶は微かにあるのだった。





夫と義妹、娘とめいちゃんがお墓参りに行っていたようだ。

私はもうお寺の裏山には上がることが出来ず最初から除外されていた。

もう気が咎めることもなく本音を言えば助かっていたのだろう。


「千の風になって」という歌があった。

私のお墓の前で泣かないで下さい

そこに私はいません

眠ってなんかいません


有名な歌詞であるがそれは本当のことだと思っている。

死んでしまえばみな遺骨となりお墓に納められるが

暗くじめじめとした狭い空間でどうして眠ることが出来ようか。

私は嫌だなと思う。死んだらもっと明るい処に居たいと思う。

やはりそこは空だろうか。だから天国と呼ぶのかもしれない。


最近では樹木葬もあるようだ。それも良いなと憧れている。

やっぱり桜だろうか。はらはらと儚く散るのも美しいではないか。


けれども一族のお墓が在る限り自分だけ特別なことは出来ない。

だからとりあえず遺骨だけはそこに納まることにしよう。


魂は自由だからまさしく千の風になれるのだと信じている。

大空を吹き渡るのだ。なんと素晴らしいことだろうか。



夫と私が死んでしまっても息子や娘達にお墓参りを強要したくない。

荒れてしまっても良いのだ。ただ少しだけ心にかけてくれたらと思う。



私の実父は20年前に亡くなったが未だにお墓がない。

弟の住んでいるアパートの箪笥の上にずっと居て弟達と暮らしている。

父はきっと幸せに違いないと思う。ずっといつまでも家族なのだ。



2023年08月10日(木) 日にち薬

台風一過の青空とはいかず今日も不安定な空模様だった。

高知県中部で線状降水帯が発生したニュースが流れる。

ちょうど「よさこい祭り」が始まる日であったが

高知市内は難を逃れられたようで予定通りに開催されたようだ。

今年で70回と伝統ある祭りであるがあまり興味はなかった。

テレビで生中継されていたのをちらっと見ただけである。



仕事は明日から16日までお盆休みとなった。

今日はお客さんの初盆のお宅にお供えを届ける。

49日が済んだばかりのお宅もありまだ悲しみが癒えていない。

故人の思い出話をするだけで涙が溢れているのだった。

「日にち薬」の話をした。一日一日が薬であること。

今日を乗り越えたら明日とゆっくりと前へ進まねばならない。

決して忘れるためではないのだ。受け止めるための日々だと思う。


やがて一周忌が来るだろう。傷口はもうきっと乾いているはずである。

残されたものとしてまた新たな一歩を踏み出して行くのだ。

それが故人に対する一番の供養ではないかと私は思っている。



すべてのお宅にお供えを届け終えて帰りながら漠然と考えていた。

亡くなった人達はいったい何処に行くのだろうと。

それは生前の姿を鮮明に憶えているからこそよけいにそう思う。

天国は本当に在るのかそこでも暮らすことが可能なのか。

そうしてそこで何を想って何を伝えようとしているのだろう。


人の命は永遠ではないが魂は永遠に存在するものだと信じている。

そう信じなければ魂の行き場所が無くなってしまうではないか。

ただそれをカタチにすることが不可能なのだろう。

魂には与えられる実体が無いのだから当然のことだろうと思う。


死んでしまっても「私は死にました」と誰にも言えない。

思い残すことがあっても「忘れていました」とは言えないだろう。


死んだらすべてが終りなのだそうだ。それは本当のことだろうか。

それを確かめるためには自分が死んでみるしかないのだった。


いつかは逝く。こればかりは誰にも止めることが出来ない。

交信することも出来ないのだろうか。

「イマテンゴクデス カイテキデス」まるで電報のような文面だ。



2023年08月09日(水) 我が家の奇跡

午前中は雨と風が強し。午後には静かになっていたが

台風の速度が遅いため明日もまだ影響がありそうだ。

お隣の宿毛市では広い範囲で停電があったとのこと

もう復旧していると思うがどんなにか大変だったことだろう。

「停電熱中症」という言葉があることを夕方のニュースで知った。

確かにエアコンも扇風機も使えなくなると暑さとの闘いになる。

私達は日頃からそれを当たり前のように使っているのだ。

電気に感謝することがあるだろうか。それは失ってから初めて気づく

私達にとって大切なものはすべてそうだと言っても過言ではない。





我が家は引き続き今日も平穏であった。

もしかしたらめいちゃんのコロナは間違いではなかったのだろうか。

他の家族全員が無事なのは奇跡としか思えなかった。

娘が念のために検査キットを買って来ているが不要かもしれない。

今日で4日目。明日がリミットだと思われる。


コロナが5類に引き下げられたのは理由あってのことだろう。

マスクを着用しない人も増えて日に日に危機感が薄れている。

けれども感染者数は確実に増えているのだそうだ。

去年までのあの緊迫感を思い出す。決して忘れてはいけないことだ。

医療従事者のことも最近では話題にも上がらなくなってしまった。

本当にそれで良いのだろうかと私は思っている。

国の方針なのかもしれないがその影で苦労している人が大勢いる。


今回の我が家のように無防備過ぎる家庭もあるだろう。

それもあまりにも無責任ではないかと反省をしている。

幸いと言って良いのか。ほんとうにそう言って良いのかも分からない。


危機を乗り越えたと思っても良いのだろうか。

こんな奇跡のようなことが現実にあるのだとしたら

神様も仏様も暇を持て余しているのに違いない。





2023年08月08日(火) 最悪よりも最善を

風が強かったのは台風の影響だろう。

大雨の予報であったが殆ど降らず陽が射す時間帯もあった。

台風は東シナ海をゆっくり北上しているようだ。

今日よりも明日の方が影響が大きいらしい。


おまけに太平洋上に台風7号が発生する。

今のところ高知県には影響が無さそうに見えているが

6号のように迷走する可能性もあるのではないだろうか。

こればかりは近づいて来ないと分からないことである。


山里では義父が稲刈りの準備をしており工場内にコンバインを。

修理が必要らしくまるで農機具屋さんの工場のようだ。

義父の凄いところは自動車だけでなく農機具の修理もすること。

とにかく機械類は何でも直してしまうプロの腕前であった。


お盆休みの間に稲刈りをするのだそうだ。

台風の心配はあるがどうか順調にと願わずにいられない。





家族に感染者が出た場合は濃厚接触者となるのだけれど

娘夫婦も私もいつも通りに仕事に行っていた。

非常識なことと非難されても仕方がないが

お盆休みを前に仕事を休むことが出来なかったのだ。


コロナ姫と化しためいちゃんは熱も平熱となりすっかり元気。

よほど軽症だったのだろう。ほっと安堵したことだった。

幸いなことに今のところ家族の誰も体調に異変が現れていない。

コロナの潜伏期間は約3日と聞いていたが今日がその3日目であった。

明日のことは分からないけれどこのまま乗り越えられたらと思っている。

もしもの時はその時のことだ。もうじたばたしても始まらないだろう。


不安で無いと言ったら嘘になる。一番心配なのは夫であった。

もし感染したら重症になる可能性が大きい。

いっそ私が先にとも思うがそれはそれで困ったことになるだろう。

あれこれと考えていたらパニックになってしまいそうだ。


とにかく今日のところは無事である。

めいちゃんも元気過ぎる程でそれが一番なのではないだろうか。


最悪のことを考えるよりも最善のことを考えていたいと思う。





2023年08月07日(月) コロナ姫が走り回っている

今日も雨が降ったり止んだり。土砂降りの時間帯もあった。

もう幾日夏空を見ていないのだろう。

早いもので明日は立秋、暦の上では初秋となってしまう。


台風はまた進路を西寄りに変えて九州直撃もなさそうになった。

しかし線状降水帯が発生する可能性が大きく豪雨の心配があるようだ。

高知県西部も明日は大雨の予報になっている。

猛暑は覚悟の上で青空が待ち遠しくてならない。




めいちゃんやはりコロナに感染。仕方ないことだと思う。

それにしても元気過ぎてなんだか狐につままれているようだ。

家族に感染者が出た場合、ましてそれが子供の場合は

隔離するのが極めて難しいことを改めて感じた。

我が家の場合も「コロナ姫」だと言って自由に動き回っている。

今夜は家族揃って夕食を食べて今はお風呂に入っている。


以前のように誰も危機感を感じていないのだった。

夫などは「次は俺だな」とすでに感染したつもりになっている。

コロナはインフルエンザに毛の生えたようなものなのかもしれない。


昨夜はここに家族全員の感染を避けなければいけないと書いたが

今はもうなるようにしかならないと観念している。

あどけないめいちゃんの笑顔を見ていると何も言えなくなってしまう。


熱は微熱。喉の痛みはあるようだが食欲はいつもと変わらない。

今夜もカツカレーをぺろりと平らげてしまった。


小児科では5日間は感染の可能性があると言われたらしい。

今日で2日目。今のところ家族の誰にも異変はなかった。

夫は病院から帰っためいちゃんを抱っこしたのだそうだ。

それを得意そうに言うので笑い話になっていく。


2日ぶりにお風呂に入っためいちゃんのはしゃぎ声が聞こえている。

気のせいなんかではないとても平和な夜である。



2023年08月06日(日) ささやかな平和

雨が降ったり止んだり。時おり激しく降る。

気掛かりな台風は奄美大島付近に在りこれから北上しそうである。

迷走台風だけあって進路が日によって少しずつ変わっており

今夕には北九州を掠めるようなコースになっていた。

そのまま東シナ海に抜けてくれたら良いがどうなることだろうか。



今朝はめいちゃんが発熱。昨日まで元気だったのに信じられない。

いつも一緒に遊んでいるまあちゃんがコロナに罹っていたので

もしかしたらとも思うが熱のわりに食欲はあるようだった。

日曜日なので様子を見て明日病院へ連れて行くと娘が言っている。

もしコロナだったらどうなるのだろう。なんとも不安でならない。

家族全員の感染はなんとしても避けなければいけない。





広島原爆投下から78年。今朝は平和祈念式典を見ていた。

8時15分の黙とうが済んでから子供代表の挨拶があった。

小学6年生の男の子と女の子がマイクの前に立ち

おそらく何度も練習したのだろう紙を一切見ることもなく

真剣に語り掛ける様子に感動を覚えた。

これからの未来をそうして平和を担う大切な子供達である。


夫がもし広島と長崎に原爆が投下されていなかったら

日本の国はどうなっていたのだろうと言った。

おそらく戦争は終わっていなかっただろう。

そうして最悪の場合、北朝鮮のような国になっていたかもしれない。

核を保持しミサイルを飛ばしまくっている怖ろしい国にだ。


私はこの手の話は苦手なのでこれ以上記すことをしないが

平和を願い祈り続ける気持ちは皆と同じである。



いつもと変わらない朝。悪いこともなく特にいいこともない。

このうえなく平凡である意味退屈な一日だったとしても

それが今の私達のささやかな平和なのだと思う。


自然災害は避けられず台風や大地震やいつ襲って来るか分からない。

生きたくても生きられず命を失ってしまうこともあるだろう。

それは本当に紙一重のことであり奇跡でもあるのだ。


私は多くを望まない。生きてさえいればといつも思っている。

もしある日突然死んでしまうことになっても

ああ幸せだったなと心から感謝できるひとでありたいと思う。



2023年08月05日(土) 共に白髪の生えるまで

晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい空。

いつ雨が降るか分からないので洗濯物が干せない。


再び沖縄を襲った台風はゆっくりの速度で北上している。

昨日は豊後水道あたりかと思っていたが今日には九州縦断のコースだった。

迷走台風なのでまたコースを変えるかもしれないが

影響を免れることはまずないだろうと思う。厳重な注意が必要である。


今夜は「あしずり祭り」の花火大会が土佐清水市で開催されるようだ。

今のところ雨は降っておらず予定通りに行われるだろう。

夕方になりそのことを知っためいちゃんが行きたがって

急きょ娘達は出掛ける準備をしているようだ。

あやちゃんは行かないのだそう。理由を訊いたら「めんどくさい」と言う。

だんだんと親と一緒に行動することが少なくなって行くのだろうか。

まだ11歳なのか。もう11歳なのか。





花火と云えば夫と知り合ったばかりの頃の夏を思い出す。

スピード婚だったので交際期間は短かったが

市の花火大会を川船で見に行こうと誘ってくれたのだった。

彼の父親の所有する川船であった。私にとっては初めてのことである。

その時彼のご両親を紹介されなんだか家族の一員になったような気がした。

今思えばすでに運命の一歩を踏み出していたように思う。


45年前のことだ。その夜のことは一生忘れることはないだろう。

新しい命を授かった。それも確かにその夜のことだと信じている。


川船から見る花火のなんと綺麗だったことだろう。

花火の欠片がきらきらと川面に落ちて行くのがとても儚かった。

それは一瞬のことだ。その一瞬にまた一瞬を重ねて行くのである。

そんなふうに私の運命も燃えながら散って行ったのだろうか。




共に白髪の生えるまで。そう誓ったわけではなかったけれど

気がつけば二人ともすっかり白髪頭の年寄りになった。

時々ふっと若い頃の面影を探そうとする時があるが

それはそうそう簡単に見つかるものではなかった。

声さえも違うように思う。長いこと聞き慣れているはずなのにだ。


今朝はまるで梨の実のような肌を見て一瞬たじろいでしまった。

それも馴染んだ肌ではあるがなんだか信じられなかったのだ。

この背中に爪を立てていたのかと思う。他の誰でもない自分がだ。


夫も同じことを感じているだろう。一匹のトドと暮らしている。

もうすでに諦めてはいるだろうが手の施しようがないことを。


一生変わらないことがあるのなら信頼関係だろうか。

姿形は変わっても「このひとでなければ」といつも思っている。

失うことが怖くてならない。その大切さは言葉に出来ないほどだ。


もし夫に先立たれたらと思うと気が狂ってしまいそうだ。

夫は「俺よりも長生きしろよ」と口癖のように言っている。


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