ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年08月09日(水) 我が家の奇跡

午前中は雨と風が強し。午後には静かになっていたが

台風の速度が遅いため明日もまだ影響がありそうだ。

お隣の宿毛市では広い範囲で停電があったとのこと

もう復旧していると思うがどんなにか大変だったことだろう。

「停電熱中症」という言葉があることを夕方のニュースで知った。

確かにエアコンも扇風機も使えなくなると暑さとの闘いになる。

私達は日頃からそれを当たり前のように使っているのだ。

電気に感謝することがあるだろうか。それは失ってから初めて気づく

私達にとって大切なものはすべてそうだと言っても過言ではない。





我が家は引き続き今日も平穏であった。

もしかしたらめいちゃんのコロナは間違いではなかったのだろうか。

他の家族全員が無事なのは奇跡としか思えなかった。

娘が念のために検査キットを買って来ているが不要かもしれない。

今日で4日目。明日がリミットだと思われる。


コロナが5類に引き下げられたのは理由あってのことだろう。

マスクを着用しない人も増えて日に日に危機感が薄れている。

けれども感染者数は確実に増えているのだそうだ。

去年までのあの緊迫感を思い出す。決して忘れてはいけないことだ。

医療従事者のことも最近では話題にも上がらなくなってしまった。

本当にそれで良いのだろうかと私は思っている。

国の方針なのかもしれないがその影で苦労している人が大勢いる。


今回の我が家のように無防備過ぎる家庭もあるだろう。

それもあまりにも無責任ではないかと反省をしている。

幸いと言って良いのか。ほんとうにそう言って良いのかも分からない。


危機を乗り越えたと思っても良いのだろうか。

こんな奇跡のようなことが現実にあるのだとしたら

神様も仏様も暇を持て余しているのに違いない。





2023年08月08日(火) 最悪よりも最善を

風が強かったのは台風の影響だろう。

大雨の予報であったが殆ど降らず陽が射す時間帯もあった。

台風は東シナ海をゆっくり北上しているようだ。

今日よりも明日の方が影響が大きいらしい。


おまけに太平洋上に台風7号が発生する。

今のところ高知県には影響が無さそうに見えているが

6号のように迷走する可能性もあるのではないだろうか。

こればかりは近づいて来ないと分からないことである。


山里では義父が稲刈りの準備をしており工場内にコンバインを。

修理が必要らしくまるで農機具屋さんの工場のようだ。

義父の凄いところは自動車だけでなく農機具の修理もすること。

とにかく機械類は何でも直してしまうプロの腕前であった。


お盆休みの間に稲刈りをするのだそうだ。

台風の心配はあるがどうか順調にと願わずにいられない。





家族に感染者が出た場合は濃厚接触者となるのだけれど

娘夫婦も私もいつも通りに仕事に行っていた。

非常識なことと非難されても仕方がないが

お盆休みを前に仕事を休むことが出来なかったのだ。


コロナ姫と化しためいちゃんは熱も平熱となりすっかり元気。

よほど軽症だったのだろう。ほっと安堵したことだった。

幸いなことに今のところ家族の誰も体調に異変が現れていない。

コロナの潜伏期間は約3日と聞いていたが今日がその3日目であった。

明日のことは分からないけれどこのまま乗り越えられたらと思っている。

もしもの時はその時のことだ。もうじたばたしても始まらないだろう。


不安で無いと言ったら嘘になる。一番心配なのは夫であった。

もし感染したら重症になる可能性が大きい。

いっそ私が先にとも思うがそれはそれで困ったことになるだろう。

あれこれと考えていたらパニックになってしまいそうだ。


とにかく今日のところは無事である。

めいちゃんも元気過ぎる程でそれが一番なのではないだろうか。


最悪のことを考えるよりも最善のことを考えていたいと思う。





2023年08月07日(月) コロナ姫が走り回っている

今日も雨が降ったり止んだり。土砂降りの時間帯もあった。

もう幾日夏空を見ていないのだろう。

早いもので明日は立秋、暦の上では初秋となってしまう。


台風はまた進路を西寄りに変えて九州直撃もなさそうになった。

しかし線状降水帯が発生する可能性が大きく豪雨の心配があるようだ。

高知県西部も明日は大雨の予報になっている。

猛暑は覚悟の上で青空が待ち遠しくてならない。




めいちゃんやはりコロナに感染。仕方ないことだと思う。

それにしても元気過ぎてなんだか狐につままれているようだ。

家族に感染者が出た場合、ましてそれが子供の場合は

隔離するのが極めて難しいことを改めて感じた。

我が家の場合も「コロナ姫」だと言って自由に動き回っている。

今夜は家族揃って夕食を食べて今はお風呂に入っている。


以前のように誰も危機感を感じていないのだった。

夫などは「次は俺だな」とすでに感染したつもりになっている。

コロナはインフルエンザに毛の生えたようなものなのかもしれない。


昨夜はここに家族全員の感染を避けなければいけないと書いたが

今はもうなるようにしかならないと観念している。

あどけないめいちゃんの笑顔を見ていると何も言えなくなってしまう。


熱は微熱。喉の痛みはあるようだが食欲はいつもと変わらない。

今夜もカツカレーをぺろりと平らげてしまった。


小児科では5日間は感染の可能性があると言われたらしい。

今日で2日目。今のところ家族の誰にも異変はなかった。

夫は病院から帰っためいちゃんを抱っこしたのだそうだ。

それを得意そうに言うので笑い話になっていく。


2日ぶりにお風呂に入っためいちゃんのはしゃぎ声が聞こえている。

気のせいなんかではないとても平和な夜である。



2023年08月06日(日) ささやかな平和

雨が降ったり止んだり。時おり激しく降る。

気掛かりな台風は奄美大島付近に在りこれから北上しそうである。

迷走台風だけあって進路が日によって少しずつ変わっており

今夕には北九州を掠めるようなコースになっていた。

そのまま東シナ海に抜けてくれたら良いがどうなることだろうか。



今朝はめいちゃんが発熱。昨日まで元気だったのに信じられない。

いつも一緒に遊んでいるまあちゃんがコロナに罹っていたので

もしかしたらとも思うが熱のわりに食欲はあるようだった。

日曜日なので様子を見て明日病院へ連れて行くと娘が言っている。

もしコロナだったらどうなるのだろう。なんとも不安でならない。

家族全員の感染はなんとしても避けなければいけない。





広島原爆投下から78年。今朝は平和祈念式典を見ていた。

8時15分の黙とうが済んでから子供代表の挨拶があった。

小学6年生の男の子と女の子がマイクの前に立ち

おそらく何度も練習したのだろう紙を一切見ることもなく

真剣に語り掛ける様子に感動を覚えた。

これからの未来をそうして平和を担う大切な子供達である。


夫がもし広島と長崎に原爆が投下されていなかったら

日本の国はどうなっていたのだろうと言った。

おそらく戦争は終わっていなかっただろう。

そうして最悪の場合、北朝鮮のような国になっていたかもしれない。

核を保持しミサイルを飛ばしまくっている怖ろしい国にだ。


私はこの手の話は苦手なのでこれ以上記すことをしないが

平和を願い祈り続ける気持ちは皆と同じである。



いつもと変わらない朝。悪いこともなく特にいいこともない。

このうえなく平凡である意味退屈な一日だったとしても

それが今の私達のささやかな平和なのだと思う。


自然災害は避けられず台風や大地震やいつ襲って来るか分からない。

生きたくても生きられず命を失ってしまうこともあるだろう。

それは本当に紙一重のことであり奇跡でもあるのだ。


私は多くを望まない。生きてさえいればといつも思っている。

もしある日突然死んでしまうことになっても

ああ幸せだったなと心から感謝できるひとでありたいと思う。



2023年08月05日(土) 共に白髪の生えるまで

晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい空。

いつ雨が降るか分からないので洗濯物が干せない。


再び沖縄を襲った台風はゆっくりの速度で北上している。

昨日は豊後水道あたりかと思っていたが今日には九州縦断のコースだった。

迷走台風なのでまたコースを変えるかもしれないが

影響を免れることはまずないだろうと思う。厳重な注意が必要である。


今夜は「あしずり祭り」の花火大会が土佐清水市で開催されるようだ。

今のところ雨は降っておらず予定通りに行われるだろう。

夕方になりそのことを知っためいちゃんが行きたがって

急きょ娘達は出掛ける準備をしているようだ。

あやちゃんは行かないのだそう。理由を訊いたら「めんどくさい」と言う。

だんだんと親と一緒に行動することが少なくなって行くのだろうか。

まだ11歳なのか。もう11歳なのか。





花火と云えば夫と知り合ったばかりの頃の夏を思い出す。

スピード婚だったので交際期間は短かったが

市の花火大会を川船で見に行こうと誘ってくれたのだった。

彼の父親の所有する川船であった。私にとっては初めてのことである。

その時彼のご両親を紹介されなんだか家族の一員になったような気がした。

今思えばすでに運命の一歩を踏み出していたように思う。


45年前のことだ。その夜のことは一生忘れることはないだろう。

新しい命を授かった。それも確かにその夜のことだと信じている。


川船から見る花火のなんと綺麗だったことだろう。

花火の欠片がきらきらと川面に落ちて行くのがとても儚かった。

それは一瞬のことだ。その一瞬にまた一瞬を重ねて行くのである。

そんなふうに私の運命も燃えながら散って行ったのだろうか。




共に白髪の生えるまで。そう誓ったわけではなかったけれど

気がつけば二人ともすっかり白髪頭の年寄りになった。

時々ふっと若い頃の面影を探そうとする時があるが

それはそうそう簡単に見つかるものではなかった。

声さえも違うように思う。長いこと聞き慣れているはずなのにだ。


今朝はまるで梨の実のような肌を見て一瞬たじろいでしまった。

それも馴染んだ肌ではあるがなんだか信じられなかったのだ。

この背中に爪を立てていたのかと思う。他の誰でもない自分がだ。


夫も同じことを感じているだろう。一匹のトドと暮らしている。

もうすでに諦めてはいるだろうが手の施しようがないことを。


一生変わらないことがあるのなら信頼関係だろうか。

姿形は変わっても「このひとでなければ」といつも思っている。

失うことが怖くてならない。その大切さは言葉に出来ないほどだ。


もし夫に先立たれたらと思うと気が狂ってしまいそうだ。

夫は「俺よりも長生きしろよ」と口癖のように言っている。



2023年08月04日(金) 姫と家来

曇りのち晴れ。大気が不安定で日和雨が降ったりする。

台風は再び沖縄へ。停電や食糧難で大変なことになっているようだ。

迷走台風なのではっきりとした進路は分からないが

今日の予想では豊後水道あたりに接近するのではないだろうか。

高知県西部は台風の右側に当たるため大荒れになりそうである。


義父がお盆には稲刈りを予定しているがどうなることだろう。

とても順調に刈れるとは思えずはらはらと心配している。


職場は11日から16日までお盆休みであるが

もし稲刈りが出来なかったら義父の機嫌は如何ばかりか。

想像しただけで気が重くなってしまいそうだ。






入浴後、夫に足の爪を切って貰った。

情けないことだがもう一切自分で切ることが出来なくなった。

巻き爪でおまけに硬い爪でとても切り難そうである。

まるで家来が姫にかしづくような姿なのであるが

気の毒ではあってもなんとなく優越感に浸ったりするのだった。


夫の白髪頭がすぐ間近に見える。つむじがなんだか台風のようだ。

触れてみたい撫でてみたいと思いつつ少し緊張している私が居る。


「やれやれ」切り終わると夫はいつもそう言うのだが

まんざら嫌なわけでもなさそうで私はほっとするのだった。

おかげさまでといつも思う。他の誰がしてくれようかと思う。


「おらが死んだらどうするがや?」と言う。

それは考えたくもないことで目の前が真っ暗になってしまう。

どうしたらいいのか分からないことを訊かないで欲しい。


さっきから何度も自分の足先を見ている。

几帳面な夫らしい切り方でさすがだなと思うのだ。



2023年08月03日(木) 約束の日

曇り時々雨。ざあっと音を立てて雨が通り過ぎて行く。

台風6号は沖縄に被害をもたらしまたすぐにUターンするのだそうだ。

その後は九州、四国にかなり接近するらしい。

稲刈りの近い田んぼも気になり大事に至らないことを祈るばかりである。



11時より告別式。言葉に出来ないような複雑な気持ちだった。

故人が「泣いてくれるなよ」と言っているような気がする。

かと言って笑顔で送り出すようなことが出来るわけがない。

ずっと唇を噛みしめていた。なんだかとても悔しかったのだ。


人は必ず死ぬけれどそれは遅かれ早かれだと言う。

この世に生まれた時から決まっているらしい定命とは何か。

いったい誰が決めたことなのだろうかと思った。


霊柩車がクラクションを鳴らして遠ざかって行く。

故人の奥さんが助手席の窓を開けて小さく手を振った。





夢か現かよくわからない夢を見る時がよくある。

それは大きな飴玉のようなものを飲み込み窒息死する夢だった。

その時には夢だと認識できず現実のように感じてしまう。

だから思わず「あっ、いま死んだ」と心の中で叫んでいるのだった。

はっきりと目を覚ましてからやっとそれが夢だったことが分かる。

寝汗なのか冷や汗なのか沢山汗をかいておりぶるっと震えたりする。


歳を重ねるごとに死が身近になってきた。

これまでどれほどの人を見送ったことだろうか。

子供の頃に父方の祖父を見送ったがそれが最初ではなかっただろうか。

確か7歳ぐらいの時だっと記憶している。

その時中学生だった従姉妹が「もう会えんのよ」とお棺の傍で言った。

他のことはすっかり忘れてしまったがその事だけは今も憶えている。

病身でいつも床に臥せっており怒鳴り声を発する時もあった。

そんな祖父を子供心に恐ろしいと思っていたのだった。

それなのにもう会えないことがなんだかとても寂しかったのだ。



母の姉に当たる伯母は自死であった。

真冬の真夜中に家の裏山に登り池に足を浸して凍死した。

私は長男を身籠っており伯母の死顔を見ることが出来なかった。

妊婦は死人に触れてはいけないそんな風習があったのだろう。

最後のお別れが出来なかった。それは今でも悔やまれてならない。



思い出せばきりがないほど沢山の人を見送って来た。

今日もまた一人である。決して慣れるようなことではない。

長生きをすればするほどその数も増えていくことだろう。


そうしていつか私も見送られる日が来る。

その日が悲しい日であってはならない。

またきっと巡り合える日が来る。それは約束の日だ。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加