| 2023年07月28日(金) |
出口のないトンネルなどない |
連日の猛暑。今日の四万十市は36℃だったそうだ。
それでもまだ序の口だと思う。
40℃に近い気温を体験したことがないがどれほどの暑さだろうか。
何処の家にもエアコンはあるだろうと思っていたのだけれど
設置していない家もあるようでなんだか信じられなかった。
窓を開け広げて扇風機だけで凌いでいるのだそうだ。
そんな話を聞くとエアコンがとてつもなく贅沢なものに思えて来る。
高齢者などは家の中に居ても熱中症になるのだそうだ。
もし経済的に余裕が無いのであれば補助金制度があれば助かるだろうに。
危険な暑さがあまりにも続くとそんなことも考えてしまうのだった。
もちろん電気料金も補助が必要である。しかしそれは無理な話だろうか。
皆が平等に快適な暮らしが出来る日など程遠いのかもしれない。

あやちゃんのことはなるべく書かないようにと心掛けて来たが
昨夜は書いてしまって今夜もこれから書こうとしている。
夕飯の時、私達祖父母は先に済ませていたのだけれど
娘達が食べ始めてもあやちゃんの姿がなかった。
娘は声を掛けていたようだったが二階から下りて来なかったらしい。
よけいなことと分かっていたけれど子供部屋のドアをノックした。
「みんな食べよるよ。一緒に食べなさいや」と声を掛けのだった。
あやちゃんはタブレットを操作していて振り向きもしない。
まるで私が邪魔者であるかのように声を荒げていた。
「別にいいじゃん」と言った。いったい何がいいのだろうと思う。
「別にいいことなんて何もないけん」と昨夜と同じように応えていた。
それを悲しいことと受け止めるかは私の心のモンダイであろう。
よけいな干渉をしたばかりに罰を受けたのかもしれなかった。
悲しみよりも怒りが込み上げて来る。もう知らないと思った。
また以前のように一切口を聞かないほうが良いのかもしれない。
それから10分程してからだろうか階下からあやちゃんの声がする。
娘は食器洗いをしながら食卓のあやちゃんと話しているようだった。
それがあやちゃんは赤ちゃん言葉のような甘ったれた声になっている。
娘もまるで幼子に接するようにとても優しい口ぶりであった。
やっとあやちゃんの求めていることが分かった気がした。
2歳の時に妹のめいちゃんが生まれてからずっと9年のあいだ
あやちゃんは母親に甘えることを我慢していたのだと思う。
その反動がいま現れたのだと思うとすべて納得がいくのだった。
それは母親でなくてはならない。祖母の私ではいけないのである。
娘も薄々感じていることだろう。だから私からは何も言えなかった。
すぐ明日のことではなく長い目で見守ってやらねばならない。
出口のないトンネルなどないのだ。
私たちはその出口でずっとずっとあやちゃんを待っている。
| 2023年07月27日(木) |
どうでもいいことなんてない |
昨日よりも今日と厳しい暑さとなった。
エアコンの効いた事務所から外に出ると汗が噴き出て来る。
工場には大型の扇風機を据えてあるが熱風のようだった。
暑さに耐えながら働いている同僚には本当に頭が下がる思いである。
義父は田んぼの水が枯れ始めたと大騒ぎしていた。
ポンプが順調に作動していなかったらしく気づくのが遅かったようだ。
「水稲」と云うだけあって稲にとって水は命にも等しい。
危機一髪のところで水を入れることが出来て何よりだった。
もし稲が駄目になってしまったらどれほど嘆くことだろうか。

孫たちは夏休みになっているがめいちゃんだけ学童に通っている。
毎朝娘がお弁当を作っていて今朝も中身をチェックしていた。
「黄色いのが入ってないやん」それは沢庵のことである。
私が入れてやろうとしたら自分ですると言って聞かない。
見ていたら沢庵を二切れご飯の上に載せていた。
「ご飯が黄色くなるよ」と言ったらそれが好きなのだそうだ。
子供にしては珍しいのではないだろうか。なんだか微笑ましい光景だった。
あやちゃんは好き嫌いが多いがめいちゃんは何でもよく食べる。
沢庵が好きなだけあって梅干しも好きであった。
そうして驚くのは白菜キムチである。相当辛いのでも平気で食べる。
もうすぐ9歳になるが味覚はすでに大人並みだと言っても良い。
今夜はダンス教室があってめいちゃんと娘が出掛けている。
あやちゃんはお父さんと食べて欲しかったのだがそうはいかず
今一人で食べているのが気になってしょうがない。
どこからが過干渉になるのか私自身よく理解できないのだった。
おそるおそる声をかけてみると「どうだってえいけん」と応える。
思わず「どうだってえいことなんかないけん」と言ったのだった。
今夜の献立だってあやちゃんの好きな物をと思って考えたのだ。
おばあちゃんはいっつもそう。あやちゃんのことばかり考えている。
それはあやちゃんにとっては鬱陶しいことなのかもしれないけれど
あやちゃんに無視されたり怒られたりしたらすんごい悲しくなる。
小さい頃のように抱っこしたり出来ないけれど
抱きしめたいくらい愛しくてならないのだった。
あやちゃんにも悩みはあり辛いこともあるのだと思う。
今は家族のだれ一人もそれに気づいてやることが出来ない。
訊いても心を頑なにして何も応えてはくれないのだった。
茶の間に10年前の写真が貼ってある。
おばあちゃんは毎朝見ているのだけれど
よちよち歩きのあやちゃんが今にも腕の中に飛び込んで来そうだった。
何も変わってはいないはずなのにいったい何が変わってしまったのだろう。
今日も厳しい暑さとなる。少しずつ慣れては来たけれど
明日は今日よりもまだ暑くなるのだそうだ。
北海道帯広の最高気温予測が35℃と聞きとても驚く。
天気予報では南海上にある台風の影響だと言っていた。
日本に直接影響はないけれど高気圧と低気圧がぶつかるかららしい。
今年の夏は暑さとの我慢大会のようになってしまいそうだ。
玄関先のペチュニアが暑さのせいもありもう限界のようだ。
まだ花は咲いているのでもう少し様子を見ようかとも思っているが
茎がすっかり伸びてしまって見た目はあまり芳しくない。
今日は日日草の苗を見かけたが買うのを躊躇ってしまった。
買ってもすぐには植えられないと思ったからだ。
足の痛みがあると思うように花いじりも出来なくなってしまった。
草引きも同じく。雑草はこれ幸いとばかりに生い茂っている。
それでも出来ることを少しでもと思うばかりの日々であった。

どうやら日替わりでストレスに襲われているらしく今日は厄日。
パソコンで調べ物を頼まれたのだがスムーズに行かない。
「そんなことも出来ないのか」と散々罵られて気分が滅入る。
そこまで言うのなら自分で調べてみろやクソジジイと思った。
キーボードも操作できないくせに偉そうなことを言うな。
四苦八苦しながらなんとか目的を達成することが出来たが
ちょっと一服と喫煙所に足を向けたのがいけなかった。
まだ止めていなかったのかと散々叱られもう行き場所がない。
これは喫煙者にしか分からないことだと思うのだが
叱られながら吸う煙草のなんと虚しいことだろうか。
ひどく悲しく惨めな思いになって涙が出そうになった。
吸いたくて吸っているんじゃない全部お前のせいだとは
さすがに言えなかったけれどなんだか崖から突き落とされたようだった。
冷静になって考えると自分の愚かさが見えて来る。
禁煙外来のことも忘れて横着に吸い続けている自分のことだ。
義父のことをクソジジイと言ったがその前に自分がどれほど
クソババアなのかを思い知らなければいけないのではないだろうか。
そんなことを真剣に考えているとふっと明日から禁煙出来そうに思う。
それは明日になってみないと分からないことだけれど
もしすべてが八つ当たりなのだとしたらもう当たる必要はない。
今日のことでなんとなく成長できたように思うのだけれど
それに気づくまでにはまだまだ時が必要なのかもしれない。
猛暑日の一歩手前。風もなく厳しい暑さとなる。
全国的に暑かったらしく群馬県内では39.5℃を記録したそうだ。
体温よりも高く発熱なら高熱だと云えよう。
とても人間が耐えられる温度ではないように思える。
年々夏が過酷になっているが10年後の日本はどうなっているのだろう。
今日の仕事は平穏。義父は稲の消毒に出掛けていた。
「いもち病」がどんどん広がっているのだそうだ。
稲刈りまでもう少しなのになんとか持ち直して欲しいものだ。
豊作だったらどんなにか喜ぶことだろう。
義父の機嫌次第で私の環境も変わって来るのでモンダイである。
全てが丸く納まれば云うことはないのだけれど。

SNS(Twitter)が凍結まつりだとかトレンドに上がっていた。
実際いつも楽しみに見させて頂いていた方も凍結されていたらしい。
今日は無事に復活されておりほっとしたことだった。
私のような無知な者には「凍結」の意味が分からず
ある日突然自分のアカウントがそうなった場合の対処方法を知らない。
とにかく何も発信出来なくなってしまうらしいがパニックになりそうだ。
なんだかとても危機感を感じるのだがこの先大丈夫なのだろうか。
長い目で見て自分は命ある限りと勝手に思っていたのだが
まるで腕をもぎ取られるように終ってしまうのかもしれない。
脆いものだなと思った。そうしてこれほど儚いものはないだろう。
そうなってしまう前にそうなったらどうしようと不安がるのが
私の悪い癖なのであるがもうすでに目の前が真っ暗になってしまっている。
そう思うと一日一日がとても尊く思えてならないのだった。
書けるうちに書いておかなければならない。
そんな切羽詰まったような状態ではロクなものは書けないのだと思う。
けれども立ち向かっていかなければ生きる甲斐もないだろう。
そうなったらもうイチかバチかである。生きるために書く。
それくらいの覚悟が無くてはこの先生き延びていけないのだと思う。
えらく大仰なことを書き連ねてしまったがこれが本音である。
真冬ならとにかく真夏に凍結など出来るわけがないじゃないか。
| 2023年07月24日(月) |
この桜吹雪が目に入らぬか |
午前3時頃土砂降りの雨が降った。
夜が明けてからも曇り空で大気が不安定だとか。
にわか雨の心配があるので洗濯物を乾燥機に入れて出掛ける。
それが日中は上日和の夏空となりなんだか少し悔しかった。
干していたら乾いたのにとつい「タラ語」を口にしてしまう。
そうでなくても普段からよく口にするので反省の必要があった。
朝から仕事で大きなストレス。みんなみんな義父のせいだ。
本業をほったらかしにしているくせに偉そうなことばかり言う。
義父が社長なら私は専務である。切り盛りしているのは専務であるぞ。
「この桜吹雪が目に入らぬか」と大声で叫びたくなった。
まあこの真夏に桜吹雪も無いだろうが向日葵吹雪もあるはずがないか。
大気が不安定なのを良いことに雷を落としまくってふいっと出て行く。
行き先ぐらい告げて行けば良いのにまた行方不明になった。
軽トラックではなく乗用車で出掛けたので農作業ではない。
多分お昼には帰って来るだろうと思っていたら案の定だった。
12時5分に帰って来る。それからやっと仕事になった。
義父は自動車検査員なので居ないと完成検査が出来ないのである。
もっと自覚を持って責任のある行動をして欲しいと願って止まない。
専務はお昼休み返上である。とっくに早弁を済ませてあるので良し。
こうなることを予想していたのでなんと10時にお弁当を食べていたのだ。
午後2時30分。さっさとタイムカードを押し退散する。
長居をすればまた雷が落ちて来る可能性がある。
毎日6時間のパートであった。専務なのにそれが許されている。
それで日給4千円。なかなか美味い商売だと自分では思っている。
最低賃金との差額は月末にがっぽりと頂くことにしている。
平均して2万円はあるのでなんと愉快な商売であろうか。
帰宅してごろごろしていたら義父から電話があった。
今日の報告と明日の予定についてまるで小学生の子供のようである。
遅れている仕事は今夜残業するからと自慢気に言っていた。
やる気になれば深夜までやれるだろう。どうか頑張ってくれたまえ。
私の本音としては本業さえ疎かにしなければ後は許したい。
農作業に没頭することも応援したいと思っている。
来月になればもう稲刈りである。義父にとっては大舞台のようなこと。
活き活きとした義父の顔が今から目に見えるようであった。
社長と専務のドタバタ劇はこれからも続くだろうが
私は決して屈しないつもりである。
いざとなったら啖呵も切って守るべき会社を守り抜きたい。
二十四節気の「大暑」書いて字の通り真夏のことを指す。
梅雨が明けて一年で一番暑い季節となった。
今日は風があったので猛暑にはならなかったが
立秋、処暑を迎えるまでは厳しい暑さとなることだろう。
朝の涼しいうちにと本を開いたが少し読んだだけで眠気が襲って来る。
ほぼ毎朝のことで7時半頃が一番辛いように思う。
異常ではないかと考えたらきりがないのであまり気にしないことだ。
平日は5分位うとうとしてから仕事に行くようにしている。
おかげで運転中の睡魔からは免れているようだ。
週末はとにかくすぐに眠ることにしている。
今朝も一時間ほど眠っただろうか。もう癖になっているようだった。
横になったらすぐに眠っているらしく鼾もかいているそうだ。
昼食後も同じく2時間ほどの長いお昼寝であった。
そんなわけで普通の主婦がするような家事は殆どしていない。
洗濯物を干したり食器を洗ったりと最低限のことだけである。
掃除らしきことをしないのでどんな有り様か想像できるだろう。
それなりに片付いているのは娘の手に寄るものであった。
眠っている時間は随分と無駄な時間のように思える。
本を読んだりもっと有意義に過ごすのが理想ではあるが
出来ないものは仕方ないとすでに諦めているふしがある。
今日はお昼寝から目覚めてから大相撲の千秋楽をずっと観ていた。
19歳の伯桜鵬が凄い。今場所からすっかりファンになった。
豊昇龍と睨み合っての対戦は迫力満点で素晴らしかった。
残念ながら負けてしまったが19歳とは思えない存在感がある。
そうして北勝富士と豊昇龍との優勝決定戦となった。
優勝した豊昇龍の涙にもらい泣きしそうになる。
普段から厳しい顔をしているのでまさか涙を流すとは思ってもいなかった。
解説の舞ノ海さんが「普通の人間なのですね」と言っていた。
なんだかその一言がとても印象的で感慨深いものがあった。
「あーあ、もう相撲も終わったな」と夫が残念そうに呟く。
彼は一年中大相撲があれば良いと思っているようだった。
私はまた明日から仕事である。とんとんとんと日々が過ぎて行く。
週末は完全禁煙が出来ているが吸いたくないわけではなかった。
煙草があれば吸うだろう。それが無いから吸うことが出来ないのだった。
禁煙ノートには正直に自分の気持ちを記しており
「ひたすら我慢するしかなかった」と書く。
後10日程で禁煙外来の受診日になるが
もう合わす顔が無いほど追い詰められている。
期待に添えなかったことをどうやって詫びれば良いのだろうか。
明日の朝出勤したら同僚が喫煙所に煙草を置いてくれているはずだ。
そうするように仕向けたのは他でもない私自身なのであった。
罪の意識などこれっぽっちもない。愚かな私の結末である。
けれどももう誰も責めることはしない。
私も普通の人間なのではないだろうか。
| 2023年07月22日(土) |
私に必要なのはムチである |
心地よいほどの夏空。厳しい暑さであったが苦にはならなかった。
お向かいの奥さんが庭先で朝顔を育てているのだけれど
10時になればもうしおれていて見るからに可哀想である。
朝晩の水遣りが必要なのだろう。花を育てるのも大変だなと思う。
我が家はペチュニアだけ。今朝はたっぷりと水遣りをした。
娘が多肉植物を育てているがこれはあまり水を欲しがらないようだ。
玄関先が殺風景なので花を増やそうと思うのだけれど
足の痛みがあり何をするにも億劫になってしまうのだった。
足の痛みと云えばいつも行っているスーパーで駐車券を発行して貰った。
身障者用のスペースに駐車出来る許可証のようなものだ。
車椅子の人や本当に必要としている人が居ることは分かっているが
買物をするたびに辛い思いをしていたので申し込んでみたのだった。
それが思いがけずに承認され許可証を貰うことが出来た。
最初のうちはなるべく停めないようにと気を配っていたが
だんだん横着になってしまって今では堂々と停めるようになっている。
それが心苦しい時もある。自分などまだマシな方だと思うのだ。
けれども甘える気持ちがあるのだと思う。ついに遠慮出来なくなった。

今朝も午前4時に目覚めたがどうしたことか何も書けなかった。
書ける日には何も考えなくても言葉がすぐに浮かんでくる。
書けない日には息ばかり数えていてすぐに時間が経ってしまうのだった。
松下育夫さんが「書けない時には書けないと書けば良い」と言っていた。
じゃあそうしてみると思うのが私の単純な発想である。
書いてもろくなものは出来ない。ああ駄目だなと思う。
それなのに何故か反応がある。それがとても思いがけなかった。
SNSとはそんなものなのかもしれないけれど何かが違うのだ。
本来ならもっと厳しく叩きのめすものではないだろうか。
それに慣れそれに甘えていては成長できないと思う。
己惚れてしまってはお終いなのだ。私に必要なのはムチである。
明日のことは全く分からないがすんなりと書けたら良いなと思う。
私が私らしくあるためのそれは最後の手段かもしれない。
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