今日も厳しい暑さとなる。少しずつ慣れては来たけれど
明日は今日よりもまだ暑くなるのだそうだ。
北海道帯広の最高気温予測が35℃と聞きとても驚く。
天気予報では南海上にある台風の影響だと言っていた。
日本に直接影響はないけれど高気圧と低気圧がぶつかるかららしい。
今年の夏は暑さとの我慢大会のようになってしまいそうだ。
玄関先のペチュニアが暑さのせいもありもう限界のようだ。
まだ花は咲いているのでもう少し様子を見ようかとも思っているが
茎がすっかり伸びてしまって見た目はあまり芳しくない。
今日は日日草の苗を見かけたが買うのを躊躇ってしまった。
買ってもすぐには植えられないと思ったからだ。
足の痛みがあると思うように花いじりも出来なくなってしまった。
草引きも同じく。雑草はこれ幸いとばかりに生い茂っている。
それでも出来ることを少しでもと思うばかりの日々であった。

どうやら日替わりでストレスに襲われているらしく今日は厄日。
パソコンで調べ物を頼まれたのだがスムーズに行かない。
「そんなことも出来ないのか」と散々罵られて気分が滅入る。
そこまで言うのなら自分で調べてみろやクソジジイと思った。
キーボードも操作できないくせに偉そうなことを言うな。
四苦八苦しながらなんとか目的を達成することが出来たが
ちょっと一服と喫煙所に足を向けたのがいけなかった。
まだ止めていなかったのかと散々叱られもう行き場所がない。
これは喫煙者にしか分からないことだと思うのだが
叱られながら吸う煙草のなんと虚しいことだろうか。
ひどく悲しく惨めな思いになって涙が出そうになった。
吸いたくて吸っているんじゃない全部お前のせいだとは
さすがに言えなかったけれどなんだか崖から突き落とされたようだった。
冷静になって考えると自分の愚かさが見えて来る。
禁煙外来のことも忘れて横着に吸い続けている自分のことだ。
義父のことをクソジジイと言ったがその前に自分がどれほど
クソババアなのかを思い知らなければいけないのではないだろうか。
そんなことを真剣に考えているとふっと明日から禁煙出来そうに思う。
それは明日になってみないと分からないことだけれど
もしすべてが八つ当たりなのだとしたらもう当たる必要はない。
今日のことでなんとなく成長できたように思うのだけれど
それに気づくまでにはまだまだ時が必要なのかもしれない。
猛暑日の一歩手前。風もなく厳しい暑さとなる。
全国的に暑かったらしく群馬県内では39.5℃を記録したそうだ。
体温よりも高く発熱なら高熱だと云えよう。
とても人間が耐えられる温度ではないように思える。
年々夏が過酷になっているが10年後の日本はどうなっているのだろう。
今日の仕事は平穏。義父は稲の消毒に出掛けていた。
「いもち病」がどんどん広がっているのだそうだ。
稲刈りまでもう少しなのになんとか持ち直して欲しいものだ。
豊作だったらどんなにか喜ぶことだろう。
義父の機嫌次第で私の環境も変わって来るのでモンダイである。
全てが丸く納まれば云うことはないのだけれど。

SNS(Twitter)が凍結まつりだとかトレンドに上がっていた。
実際いつも楽しみに見させて頂いていた方も凍結されていたらしい。
今日は無事に復活されておりほっとしたことだった。
私のような無知な者には「凍結」の意味が分からず
ある日突然自分のアカウントがそうなった場合の対処方法を知らない。
とにかく何も発信出来なくなってしまうらしいがパニックになりそうだ。
なんだかとても危機感を感じるのだがこの先大丈夫なのだろうか。
長い目で見て自分は命ある限りと勝手に思っていたのだが
まるで腕をもぎ取られるように終ってしまうのかもしれない。
脆いものだなと思った。そうしてこれほど儚いものはないだろう。
そうなってしまう前にそうなったらどうしようと不安がるのが
私の悪い癖なのであるがもうすでに目の前が真っ暗になってしまっている。
そう思うと一日一日がとても尊く思えてならないのだった。
書けるうちに書いておかなければならない。
そんな切羽詰まったような状態ではロクなものは書けないのだと思う。
けれども立ち向かっていかなければ生きる甲斐もないだろう。
そうなったらもうイチかバチかである。生きるために書く。
それくらいの覚悟が無くてはこの先生き延びていけないのだと思う。
えらく大仰なことを書き連ねてしまったがこれが本音である。
真冬ならとにかく真夏に凍結など出来るわけがないじゃないか。
| 2023年07月24日(月) |
この桜吹雪が目に入らぬか |
午前3時頃土砂降りの雨が降った。
夜が明けてからも曇り空で大気が不安定だとか。
にわか雨の心配があるので洗濯物を乾燥機に入れて出掛ける。
それが日中は上日和の夏空となりなんだか少し悔しかった。
干していたら乾いたのにとつい「タラ語」を口にしてしまう。
そうでなくても普段からよく口にするので反省の必要があった。
朝から仕事で大きなストレス。みんなみんな義父のせいだ。
本業をほったらかしにしているくせに偉そうなことばかり言う。
義父が社長なら私は専務である。切り盛りしているのは専務であるぞ。
「この桜吹雪が目に入らぬか」と大声で叫びたくなった。
まあこの真夏に桜吹雪も無いだろうが向日葵吹雪もあるはずがないか。
大気が不安定なのを良いことに雷を落としまくってふいっと出て行く。
行き先ぐらい告げて行けば良いのにまた行方不明になった。
軽トラックではなく乗用車で出掛けたので農作業ではない。
多分お昼には帰って来るだろうと思っていたら案の定だった。
12時5分に帰って来る。それからやっと仕事になった。
義父は自動車検査員なので居ないと完成検査が出来ないのである。
もっと自覚を持って責任のある行動をして欲しいと願って止まない。
専務はお昼休み返上である。とっくに早弁を済ませてあるので良し。
こうなることを予想していたのでなんと10時にお弁当を食べていたのだ。
午後2時30分。さっさとタイムカードを押し退散する。
長居をすればまた雷が落ちて来る可能性がある。
毎日6時間のパートであった。専務なのにそれが許されている。
それで日給4千円。なかなか美味い商売だと自分では思っている。
最低賃金との差額は月末にがっぽりと頂くことにしている。
平均して2万円はあるのでなんと愉快な商売であろうか。
帰宅してごろごろしていたら義父から電話があった。
今日の報告と明日の予定についてまるで小学生の子供のようである。
遅れている仕事は今夜残業するからと自慢気に言っていた。
やる気になれば深夜までやれるだろう。どうか頑張ってくれたまえ。
私の本音としては本業さえ疎かにしなければ後は許したい。
農作業に没頭することも応援したいと思っている。
来月になればもう稲刈りである。義父にとっては大舞台のようなこと。
活き活きとした義父の顔が今から目に見えるようであった。
社長と専務のドタバタ劇はこれからも続くだろうが
私は決して屈しないつもりである。
いざとなったら啖呵も切って守るべき会社を守り抜きたい。
二十四節気の「大暑」書いて字の通り真夏のことを指す。
梅雨が明けて一年で一番暑い季節となった。
今日は風があったので猛暑にはならなかったが
立秋、処暑を迎えるまでは厳しい暑さとなることだろう。
朝の涼しいうちにと本を開いたが少し読んだだけで眠気が襲って来る。
ほぼ毎朝のことで7時半頃が一番辛いように思う。
異常ではないかと考えたらきりがないのであまり気にしないことだ。
平日は5分位うとうとしてから仕事に行くようにしている。
おかげで運転中の睡魔からは免れているようだ。
週末はとにかくすぐに眠ることにしている。
今朝も一時間ほど眠っただろうか。もう癖になっているようだった。
横になったらすぐに眠っているらしく鼾もかいているそうだ。
昼食後も同じく2時間ほどの長いお昼寝であった。
そんなわけで普通の主婦がするような家事は殆どしていない。
洗濯物を干したり食器を洗ったりと最低限のことだけである。
掃除らしきことをしないのでどんな有り様か想像できるだろう。
それなりに片付いているのは娘の手に寄るものであった。
眠っている時間は随分と無駄な時間のように思える。
本を読んだりもっと有意義に過ごすのが理想ではあるが
出来ないものは仕方ないとすでに諦めているふしがある。
今日はお昼寝から目覚めてから大相撲の千秋楽をずっと観ていた。
19歳の伯桜鵬が凄い。今場所からすっかりファンになった。
豊昇龍と睨み合っての対戦は迫力満点で素晴らしかった。
残念ながら負けてしまったが19歳とは思えない存在感がある。
そうして北勝富士と豊昇龍との優勝決定戦となった。
優勝した豊昇龍の涙にもらい泣きしそうになる。
普段から厳しい顔をしているのでまさか涙を流すとは思ってもいなかった。
解説の舞ノ海さんが「普通の人間なのですね」と言っていた。
なんだかその一言がとても印象的で感慨深いものがあった。
「あーあ、もう相撲も終わったな」と夫が残念そうに呟く。
彼は一年中大相撲があれば良いと思っているようだった。
私はまた明日から仕事である。とんとんとんと日々が過ぎて行く。
週末は完全禁煙が出来ているが吸いたくないわけではなかった。
煙草があれば吸うだろう。それが無いから吸うことが出来ないのだった。
禁煙ノートには正直に自分の気持ちを記しており
「ひたすら我慢するしかなかった」と書く。
後10日程で禁煙外来の受診日になるが
もう合わす顔が無いほど追い詰められている。
期待に添えなかったことをどうやって詫びれば良いのだろうか。
明日の朝出勤したら同僚が喫煙所に煙草を置いてくれているはずだ。
そうするように仕向けたのは他でもない私自身なのであった。
罪の意識などこれっぽっちもない。愚かな私の結末である。
けれどももう誰も責めることはしない。
私も普通の人間なのではないだろうか。
| 2023年07月22日(土) |
私に必要なのはムチである |
心地よいほどの夏空。厳しい暑さであったが苦にはならなかった。
お向かいの奥さんが庭先で朝顔を育てているのだけれど
10時になればもうしおれていて見るからに可哀想である。
朝晩の水遣りが必要なのだろう。花を育てるのも大変だなと思う。
我が家はペチュニアだけ。今朝はたっぷりと水遣りをした。
娘が多肉植物を育てているがこれはあまり水を欲しがらないようだ。
玄関先が殺風景なので花を増やそうと思うのだけれど
足の痛みがあり何をするにも億劫になってしまうのだった。
足の痛みと云えばいつも行っているスーパーで駐車券を発行して貰った。
身障者用のスペースに駐車出来る許可証のようなものだ。
車椅子の人や本当に必要としている人が居ることは分かっているが
買物をするたびに辛い思いをしていたので申し込んでみたのだった。
それが思いがけずに承認され許可証を貰うことが出来た。
最初のうちはなるべく停めないようにと気を配っていたが
だんだん横着になってしまって今では堂々と停めるようになっている。
それが心苦しい時もある。自分などまだマシな方だと思うのだ。
けれども甘える気持ちがあるのだと思う。ついに遠慮出来なくなった。

今朝も午前4時に目覚めたがどうしたことか何も書けなかった。
書ける日には何も考えなくても言葉がすぐに浮かんでくる。
書けない日には息ばかり数えていてすぐに時間が経ってしまうのだった。
松下育夫さんが「書けない時には書けないと書けば良い」と言っていた。
じゃあそうしてみると思うのが私の単純な発想である。
書いてもろくなものは出来ない。ああ駄目だなと思う。
それなのに何故か反応がある。それがとても思いがけなかった。
SNSとはそんなものなのかもしれないけれど何かが違うのだ。
本来ならもっと厳しく叩きのめすものではないだろうか。
それに慣れそれに甘えていては成長できないと思う。
己惚れてしまってはお終いなのだ。私に必要なのはムチである。
明日のことは全く分からないがすんなりと書けたら良いなと思う。
私が私らしくあるためのそれは最後の手段かもしれない。
曇りのち晴れ。四国地方もやっと梅雨明けの発表があった。
同時に台風5号も発生しており今後の進路が気掛かりである。
稲の穂が少しずつ色づき始めている。被害だけはなんとしても避けたい。
午後痛ましい水の事故。福岡で11歳の少女達が川遊びをしていて
3人が溺れ2人が亡くなったとのニュースが流れる。
11歳と云えばあやちゃんと同い年で身を引き裂かれるような思いがした。
楽しい夏休みが始まったばかりだと云うのになんと悲惨なことだろう。
我が家では朝からけい君を預かっていたが、長い夏休みのこと。
毎日とはいかず何か良い策はないものかと頭を悩ませている。
お嫁さんの実家で預かってもらうのが一番に思えるのだけれど
ネット環境が整っていないのでけい君が行きたがらないのだった。
それは私達ではどうすることも出来ず息子の判断に任すしかないだろう。

今日は同人誌の発行元である工房に電話をした。
代表者のDさんの経営する工房である。
短歌が書けないので休む旨を伝えたが特に反応はなかった。
参加は自由なのだから不参加も自由なのだろう。
それだけ自分が必要とされていないことにも等しい。
話し終えるなりがちゃんと先に電話が切れた。
これが最後の電話になるのかもしれないのにと私は思った。
同時に縁も切れるのだろう。思えば長い付き合いであったが。
そうして自分の中ではひとつの「ふんぎり」が付いた。
もう後戻りするつもりはない。とにかく前へ進みたいと思っている。
詩はこれからも書き続けて行くし諦めることもしたくなかった。
SNSで発信することに賭けてみるのも良いかもしれない。
昨夜もここに書いたが一年で365の詩を発信することが出来るのだ。
それも私が死んでしまったら跡形もなく消えてしまうのだが
例の如くで「まあいいかな」と思っている。
自分の書いたものに執着しない。死んだらすべてが終りなのだ。
死んでしまったらもちろんもう書くことが出来ない。
同時にもう読むことも出来なくなってしまう。
けれども誰かの心に残る詩はひとつぐらいはあるだろう。
それが私の遺作、いや遺品になれば思い残すことはない。
そうなると毎日遺書をかいているようなものだが
今はまだそこまで追い詰められてはいないような気がしている。
もう羽ばたくことは出来ないがほんの少しだけ羽根を広げてみたい。
そこにはきっと私だけの空があるのに違いない。
| 2023年07月20日(木) |
これ以上もこれ以下もない |
晴れたり曇ったり。山里では少しにわか雨が降った。
中国、近畿、東海地方では四国よりも先に梅雨が明けたようだ。
四国もすぐに後を追うだろう。いよいよ本格的な夏である。
お客さんから夏野菜をたくさん頂きなんと有難いこと。
胡瓜、茄子、じゃが芋、今日はトマトを頂いた。
どれも一年中食べられるけれどやはり旬が一番美味しい。
胡瓜は浅漬けに。茄子は塩もみをしてポン酢で。
じゃが芋は肉じゃが。トマトには中華ドレッシングがよく合う。
娘は子供の時からトマトが苦手であったがこれなら食べられるようだ。
お酢、醤油、砂糖、ごま油、我が家の中華ドレッシングであるが
冷やし中華のタレと作り方はほぼ同じである。
あやちゃんはじゃが芋が好きらしくサラダや肉じゃがをよく食べる。
今も一人で夕食を食べているが肉じゃがをお代わりしたようだ。
なるべく干渉しないようにしているがついつい声を掛けてしまう。
「美味しいかね?」と訊いたら「めっちゃ美味しい」と言ってくれた。
それがとても嬉しい。ああ作って良かったなと思う。

相変わらず4時に起きて詩のようなものを書いて発信しているが
短歌は全く書けなくなって随分と日にちが経った。
7月は同人誌の締め切りがあるのだけれど短歌しか許されていない。
前回はぎりぎり間に合ったが今回こそは辞退しようと思っている。
もしかしたらそのまま脱会することになるかもしれないが
長い目で見てそれも良いかもしれないと思うようになった。
詩を認めてもらうことは絶対に不可能だと思っている。
私がどれほど落ちぶれていても懇願などどうして出来ようか。
いくらこつこつと努力をしても目の前の壁を破れない。
おそらくそこには独断と偏見が在るのではないだろうか。
私の書いたものだから認める訳にはいかないのだと思う。
そんなことを考えていると悔しくてたまらなくなってしまうけれど
突然閃くように思ったのは「もういいかな」と観念することだった。
所詮、認められたい「欲」なのだと思うのだ。
その欲を手放したらどれほど楽になることだろう。
これ以上もこれ以下もない。今の私のままで在り続けることだ。
毎朝夜明け前に詩を書く。一年で365の詩が出来る。
それだけできっと私は救われるのに違いない。
|