曇りのち晴れ。四国地方もやっと梅雨明けの発表があった。
同時に台風5号も発生しており今後の進路が気掛かりである。
稲の穂が少しずつ色づき始めている。被害だけはなんとしても避けたい。
午後痛ましい水の事故。福岡で11歳の少女達が川遊びをしていて
3人が溺れ2人が亡くなったとのニュースが流れる。
11歳と云えばあやちゃんと同い年で身を引き裂かれるような思いがした。
楽しい夏休みが始まったばかりだと云うのになんと悲惨なことだろう。
我が家では朝からけい君を預かっていたが、長い夏休みのこと。
毎日とはいかず何か良い策はないものかと頭を悩ませている。
お嫁さんの実家で預かってもらうのが一番に思えるのだけれど
ネット環境が整っていないのでけい君が行きたがらないのだった。
それは私達ではどうすることも出来ず息子の判断に任すしかないだろう。

今日は同人誌の発行元である工房に電話をした。
代表者のDさんの経営する工房である。
短歌が書けないので休む旨を伝えたが特に反応はなかった。
参加は自由なのだから不参加も自由なのだろう。
それだけ自分が必要とされていないことにも等しい。
話し終えるなりがちゃんと先に電話が切れた。
これが最後の電話になるのかもしれないのにと私は思った。
同時に縁も切れるのだろう。思えば長い付き合いであったが。
そうして自分の中ではひとつの「ふんぎり」が付いた。
もう後戻りするつもりはない。とにかく前へ進みたいと思っている。
詩はこれからも書き続けて行くし諦めることもしたくなかった。
SNSで発信することに賭けてみるのも良いかもしれない。
昨夜もここに書いたが一年で365の詩を発信することが出来るのだ。
それも私が死んでしまったら跡形もなく消えてしまうのだが
例の如くで「まあいいかな」と思っている。
自分の書いたものに執着しない。死んだらすべてが終りなのだ。
死んでしまったらもちろんもう書くことが出来ない。
同時にもう読むことも出来なくなってしまう。
けれども誰かの心に残る詩はひとつぐらいはあるだろう。
それが私の遺作、いや遺品になれば思い残すことはない。
そうなると毎日遺書をかいているようなものだが
今はまだそこまで追い詰められてはいないような気がしている。
もう羽ばたくことは出来ないがほんの少しだけ羽根を広げてみたい。
そこにはきっと私だけの空があるのに違いない。
| 2023年07月20日(木) |
これ以上もこれ以下もない |
晴れたり曇ったり。山里では少しにわか雨が降った。
中国、近畿、東海地方では四国よりも先に梅雨が明けたようだ。
四国もすぐに後を追うだろう。いよいよ本格的な夏である。
お客さんから夏野菜をたくさん頂きなんと有難いこと。
胡瓜、茄子、じゃが芋、今日はトマトを頂いた。
どれも一年中食べられるけれどやはり旬が一番美味しい。
胡瓜は浅漬けに。茄子は塩もみをしてポン酢で。
じゃが芋は肉じゃが。トマトには中華ドレッシングがよく合う。
娘は子供の時からトマトが苦手であったがこれなら食べられるようだ。
お酢、醤油、砂糖、ごま油、我が家の中華ドレッシングであるが
冷やし中華のタレと作り方はほぼ同じである。
あやちゃんはじゃが芋が好きらしくサラダや肉じゃがをよく食べる。
今も一人で夕食を食べているが肉じゃがをお代わりしたようだ。
なるべく干渉しないようにしているがついつい声を掛けてしまう。
「美味しいかね?」と訊いたら「めっちゃ美味しい」と言ってくれた。
それがとても嬉しい。ああ作って良かったなと思う。

相変わらず4時に起きて詩のようなものを書いて発信しているが
短歌は全く書けなくなって随分と日にちが経った。
7月は同人誌の締め切りがあるのだけれど短歌しか許されていない。
前回はぎりぎり間に合ったが今回こそは辞退しようと思っている。
もしかしたらそのまま脱会することになるかもしれないが
長い目で見てそれも良いかもしれないと思うようになった。
詩を認めてもらうことは絶対に不可能だと思っている。
私がどれほど落ちぶれていても懇願などどうして出来ようか。
いくらこつこつと努力をしても目の前の壁を破れない。
おそらくそこには独断と偏見が在るのではないだろうか。
私の書いたものだから認める訳にはいかないのだと思う。
そんなことを考えていると悔しくてたまらなくなってしまうけれど
突然閃くように思ったのは「もういいかな」と観念することだった。
所詮、認められたい「欲」なのだと思うのだ。
その欲を手放したらどれほど楽になることだろう。
これ以上もこれ以下もない。今の私のままで在り続けることだ。
毎朝夜明け前に詩を書く。一年で365の詩が出来る。
それだけできっと私は救われるのに違いない。
| 2023年07月19日(水) |
弱いくせに強がっている |
忘れていた梅雨空。時おり霧のように小雨が降る。
気温は30℃に満たなかったがとても蒸し暑く感じた。
あちらこちらで百日紅が満開となり鮮やかに彩っている。
職場の百日紅は荒れた庭の片隅で草に覆われているが
その草を押しのけるように咲いていてとても逞しい。
お隣は縫製工場であるが自転車置き場の傍に在って
遠くから見るとまるで屋根の上に咲いているように見える。
紫陽花とは正反対に夏の強い陽射しがよく似合う。
百日紅は中国南部が原産で江戸時代以前に日本に渡って来たのだそうだ。
ということは江戸時代にも咲いていたことになるが
なんとなく時代にそぐわないような気がしてならない。
鮮やかな花の色でもあるし熱帯植物のようなイメージがある。
百日紅と書いたがサルスベリと読む。
木肌がつるつるしているので木登り上手の猿も滑るからなのだそうだ。

昨夜ここに自分のことは自分で守ると書いたが
それは強がりなのかもしれないと今朝になって思った。
私は少女時代から他人に何かを相談することを殆どしなかったが
悩みがあっても自分で解決して来たのだと思う。
だから心の底から通じ合えるような友達もいなかった。
親友と呼べる友はいたがいつも一定の距離を置いていたように思う。
いくら友達でもここから先は駄目と境界線を引いていたのだった。
大人になって高齢者になって今はどうなのだろう。
やはり心から打ち解けられる友達はいなかった。
友達は必要ないと言っても他言ではないと思う。
夫のことはとても頼りにしていてあれこれと相談することはあるが
悩みを打ち明けたことはまずない。だから秘密も多いのだろう。
先に「強がり」と書いたからには説明をしなければならないが
たとえば心の奥で助言者を求めているような時がある。
助けて欲しいのだ。救って欲しいのだ。それだけ追い詰められている。
けれども結局は自分の殻に閉じこもって自分で解決しようとする。
本来ならもっと甘えるべきなのだろう。それが私は苦手なのだった。
弱いくせに強がっている。その弱さが自分を蝕んでいく。
それでも私はすくっと前を向いて立ち向かおうとするのだった。
何があっても行ってみないと分からないと思っている。
たとえ失意の結果だとしても立ち向かうことに意味があるのだろう。
| 2023年07月18日(火) |
自分のことは自分で守る |
おおむね晴れ。全国的に厳しい暑さだったようだ。
仕事中もずっとエアコンの効いた事務所に居るため
幸いと言って良いのか外の暑さを知らずに過ごしている。
汗だくになって働いている同僚には本当に申し訳ない。
義父は畔の草刈り。炎天下での作業には頭が下がる。
熱中症も心配であるがとてもパワフルである。
お昼に一時間ほど休んだろうか。午後もまた出掛けて行った。
帰り道には県道で道路工事を行っていた。
アスファルトの熱が凄い。作業員の人達は真っ黒に日焼けしている。
交通整理をしている警備員さんはずっと立ちっぱなしで
慣れてはいるだろうけれどどんなにか辛いことだろうと思う。
命に関わるような危険な暑さなのだそうだ。
屋外で命がけで働いている人がどれほど居ることだろうか。

息子から連絡がありとうとう一大決心をしたようだ。
ここに詳しく記すことは控えたいが息子は間違っていないと思う。
今までの苦労を思うともうこれ以上の苦労を背負わせたくはなかった。
過ぎたことは忘れて少しでも明るい未来へと歩んで行って欲しいと願う。
幾つになっても自分たちの子供なのだなとつくづく思った。
この世の中に子の幸せを祈らない親が居るだろうか。

今日はずっと昔からお世話になっていた医師に会う予定だったけれど
「もういいかな」と思い予約をキャンセルさせてもらった。
病院は内科であるが院長先生は心療内科の権威でもあった。
大勢の患者さんが居ていつも予約がいっぱいで思うように会えない。
仕方なく部下である若い医師の診察を受けていたのだけれど
私とはよほど相性が悪いらしく会う度に気分が落ち込んでいた。
禁煙外来に通っていることを相談したかったのだ。
話を聞いてもらうだけでも気が楽になるような気がしていた。
けれども先日の診察では見事に無視されてしまったのだ。
完全禁煙も思うように達成できない。もやもやとするばかりである。
禁煙外来の医師に相談したら心療内科を勧めてくれたのだった。
自分の弱さを認めたくないと思う気持ちが大きい。
話せばきっと泣き出してしまうだろうとも思った。
予約をキャンセルしてしまえば今度いつ会えるのかも分からない。
それでもいいかなと思ったのだ。決して投げ遣りな気持ちではなく
自分のことは自分で守ろうと決心したのだった。
未だに完全禁煙出来ないのは意志の弱さもあるけれど
それよりも何か精神的な問題が潜んでいるように思えてならない。
それが何なのか分かれば自然と解決していくのではないだろうか。
明日こそはとはもう思わなくなった。
一年だろうが二年だろうが長い目で見てやりたいと思っている。
私が心から寛げる場所がきっとあるのに違いない。
厳しい暑さに思えたが猛暑日ではなかったようだ。
関東、群馬では今日も40℃近い気温だったらしい。
それが当たり前になっていくのだそうだ。
人の身体が慣れて行くのだろう。35℃だと涼しいと感じるとか。
午前中に買い物に出掛けただけで後はエアコンの効いた室内で過ごす。
もう電気代を怖れている場合ではなくなってしまった。
市から物価高騰に対する給付金が支給されるのだそうだ。
わずか3万円でもどれほど助かるや知れない。
昨日もドライブ中に夫と語り合っていたのだけれど
30歳で家業を継がずに会社勤めをしていたら良かったと。
私も同じだった。家業がなければパート勤めも出来たのだった。
その頃には老後のことなど全く考えていなかったのだ。
今のように年金暮らしになるなどと思ってもいなかった。
もっと勤めていたら受け取る年金も増えていただろうにと
もう後の祭りであることをくよくよと後悔することが多くなった。
けれども家業の収入が無ければ住宅ローンは払えなかった。
それは本当にぎりぎりまで一家を支えてくれたのだと思う。
あの時ああすれば良かったはもう禁句である。
過ぎたことを後悔するよりもっと前を向いて歩んで行かねばならない。
今は家計のことが一番だけれど自分についても同じように思える。
ずっと直感を信じて突き進んで来たつもりだけれど
間違っていなかったとは言い切れないのではないだろうか。
若気の至りは沢山あったが、もしそれが無かったら今の私は存在しない。
もしかしたら生まれた時から運命が決まっていたのかもしれない。
その運命に逆らってまでして幸せになろうとは思っていない。
川の流れに身を任せるようにそれはあくまでも自然なことなのだろう。
そうして観念することも大切なことだと思う。
もう充分と思いそれ以上のことを求めないことだ。
それは決して諦めるのではなく己を満たすことなのだと思う。
66年生きて来た。どれほどの汚点があっても私は誇りに思っている。
それは他の誰のものでもない私だけの人生なのだから。
どうして梅雨明けの発表がないのだろうと不思議に思う。
朝から入道雲が見られすっかり夏空になっていた。
そんな晴天が心苦しくなるほど秋田は大雨で凄いことになっている。
雨は依然として降り止まず河川の氾濫により水没した住居も多い。
田畑も水没しているようだ。被害は大規模に渡ることだろう。
関東は危険な猛暑。どれもこれも異常気象だと思われるが
自然には逆らえずいったいどれほどの人が耐えていることだろう。
高知県は幸い大雨や猛暑から免れているがとても他人事には思えない。
自分達さえ平穏ならばとどうして思うことが出来るだろうか

もう書かずに置こうかと迷ったが自分の覚書として記して置くことにする。
昨日感じていた胸に何かが引っかかったような違和感の原因が分かった。
今朝詩のようなものを書いていて明らかになったのだけれど
先日始めたばかりの「詩の通信教育」が原因のようだ。
私が松下さんに求めていたことと現実が大きく違っていたこと。
「教育」と云うからには多少の厳しさがあるべきだと思うのだが
ただ義務的に私の詩を読み感想と云うより「あらすじ」を述べた。
そのあらすじには何の感情も含まれず言わば無感動であるのだった。
それは私の詩が全く認められないことに等しいのではないだろうか。
結論を述べると私はもっともっと打ちのめされなくてはいけない。
だからこれからも「通信教育」を続けてみようと思っている。

気が重くなるような話ばかりなので気分転換をしよう。
今日は夫と暇つぶしを兼ねてプチドライブに行っていた。
やっとぎっくり腰が治って来たので夫から誘ってくれて嬉しかった。
ドライブと言っても少し遠回りをしてラーメンを食べに行く。
お決まりのコースでそれも愉快で面白かった。
詳しく書いても地元民でなければ全く解らないと思うけれど
四万十市川登から横瀬ダムへ寄り宿毛市山奈町まで走った。
私達は郊外にある「一風」と云うレストランの常連である。
いつもはラーメンセットを食べるが今日は冷やし中華セットにした。
夏季限定のメニューでこれを食べずにいられるかと思ったのだ。
大盛の冷やし中華にはトマト、胡瓜、焼豚、ハム、茹で卵、イカ、海老等。
見るからにボリュームがあり最高に美味しい。
チャーハンはいつもの味。私の大好きな味でこれも最高に美味しい。
しかし大盛の冷やし中華とチャーハンでお腹は破裂しそうになる。
これではもうダイエットどころではないとそれも愉快であった。
美味しいものをお腹いっぱい食べるとなんとも幸せになる。
この幸せをずっとずっと感じていたいと思った。
毎週は無理だがせめて月に一度は幸せになりましょう。
入浴後、恐るおそる体重を測ったら増えていなかった。
なんとラッキーと思う。幸せには重さはないのかもしれない。
かと言って軽くもなくそれは心をいっぱいに満たしてくれるものだ。
曇り時々晴れ。風は吹いていたがかなりの蒸し暑さだった。
秋田では記録的な大雨。今夜もまだ油断がならないようだ。
河川の氾濫が相次いでおりなんとも心配でならない。
止まない雨はないと云うがどれほどの人が祈っていることだろうか。
いつものように4時に目覚め「浜木綿」の詩を書いた。
その後どうしたことか胸に何かが引っかかっているような気がしてならない。
気のせいかもしれないと忘れようとしたが未だに違和感を感じている。
特に鬱症状もなく至って健康である。どこも壊れてはいないと思う。
それなのにいったい何が悪さをしているのだろうか。

今夜は孫たちの小学校で夏祭りがありめいちゃんと娘達が出掛けた。
あやちゃんは気分が乗らないようでお留守番をしている。
夕飯を食べていないのであれこれ世話を焼いていたら
勝手に食べるので良いからと言って少しご機嫌が悪い。
そんな年頃なのだと思えば納得がいくはずなのだけれど
寂しさの方が勝り肩を落とさずにいられなかった。
ようは必要とされていないのである。居ても居なくても良いのだろう。
気になって階下の食堂をそっと覗いたら独りで夕食を食べていた。
自分でご飯もよそって黙々と食べているのであった。
何の心配も要らない現実がそこにあるのである。
「成長」とは遠ざかることなのかもしれない。
そうしてその後姿をそっと見守ることなのだろう。
私は「孫」として引き留めようとするが
「孫」は鳥のように羽ばたくものなのであった。
それでも何か通じ合うことがあるのかもしれない。
「おはよう」の一言が言えなくても
「おやすみ」の一言が言えなくても
生まれて初めて抱いた日のことをどうして忘れられようか。
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