| 2023年07月12日(水) |
いつかは終わるそして始まる |
曇り時々晴れ。暑さは少し和らいでいた。
北九州では追い打ちをかけるようにまた大雨が降ったようだ。
関東では危険な猛暑となり八王子で39℃と聞き驚く。
異常気象と一言では済まされないことなのだと思う。
大雨も猛暑も命に関わることである。
私たち人間はどうやって身を守れば良いのだろう。
まだ外は明るく夕風に吹かれながらこれを記している。
やはり自然の風がいちばん良いように思う。
昨夜はここに5機のエアコンをフル稼働と書いてしまったが
エアコンを数える時は「機」ではなく「台」もしくは「基」が
正解なのだそうだ。学が無いとこんな失敗もある。
書き直す必要はないだろうと今ここで訂正させてもらった。
詩もそうだがこうして雑文を書いていても学がものを言う。
頭の良い人は文才が多く、そうでない人は凡才が多い。
学歴は無くてもいかに学ぶかなのではないだろうか。
それを言ってしまうと私などは学歴もなく学ぶこともしない。
そのくせ変にプライドがあるものだからそれが曲者である。
いったい何を書きたいのか分からなくなったので一呼吸置こう。

図書館に予約していた椎名誠の新刊が手に入ったので読み始めたが
なんとなく違和感を感じるのはどうしてだろう。
ずっと古い本ばかり読んでいたのでそのせいかもしれない。
言葉は悪いが一気に老けてしまったのだ。
顔にハリが無くなるように文章にもハリがないように思う。
それとやたらふざけた文章が多いのも気になってしまうのだ。
おやじギャグのつもりだと思うが空振りしているように感じる。
80歳が近いのだからそれも仕方ないことかもしれない。
だからと言って決して嫌いになんかならないし
これからも読み続けていきたいと思っている。
椎名さんもいつかは死ぬのだなと漠然と考えている。
もしかしたら百歳まで書き続けるかもしれないが
私が先に逝ってしまうわけにはいかないだろう。
ずっと傍にいることは出来ないが寄り添うことは出来る気がする。
椎名さんがひとつ老いたら私もひとつ老いていく。
平行線は決して交わることはないがゴールする場所は同じなのだ。
死んだらすべてのことが終るらしいが
私は始めてみたいと思っている。
いったい何を始めるのか上手く言葉に出来ないけれど
そのためには寿命を全うするしかないのではないだろうか。
| 2023年07月11日(火) |
丁と出るか半と出るか |
西日の当たる部屋のなんと暑いこと。
室温が34℃もあり堪えきれずにエアコンのスイッチを入れた。
現在我が家では5機のエアコンがフル稼働していることになる。
電気代が怖ろしいがとても我慢は出来そうにない。
それよりも少しでも快適に暮らすことを優先するべきだろう。
昼間は市の防災放送があり熱中症の注意を呼び掛けていたらしい。
高齢者は特にエアコンを我慢することが多いのだそうだ。
仕事を終えて帰宅したら庭先の花たちがしょんぼりと項垂れていた。
朝の水遣りを疎かにするとこの有り様である。
一度枯らしてしまうと取り返しがつかなくなるので可哀想だが
ついつい忘れてしまうことが多く後になって悔やまれるのだ。
そうかと言って花のない暮らしは侘しい。
日光に強い夏の花があるだろう。たとえば「日日草」とか。

昨日のことだが詩人の松下育夫さんが主宰する「詩の通信教育」に
発作的に申し込みをしてしまった。何か直感のようなものを感じたのだが
それが正しいことなのかは今は全く分からない。
言葉は悪いが博打のようなもので丁と出るか半と出るかである。
本音を言えばこの歳になって「通信教育」が相応しいのかどうか。
けれども人は幾つになっても学ぶことが大切なのではないだろうか。
少なからずプライドもあるが傷つけられることはないと思う。
日頃から松下さんの人柄は熟知しているつもりなのだが
こればかりは実際に触れてみないと分からないことなのだろう。
私は残された人生に賭けていると言っても他言ではない。
そんな大げさなことをと笑われてしまうかもしれないけれど
あと10年なら10年の。あと20年なら20年の
私の「カタチ」を求めているのだった。
それは決して他の人にはない私だけのカタチである。
遊び半分で毎朝詩を書いているのではない。
それは私の息そのものであり命そのものだと思っている。
松下さんにそれが伝わる自信はまったくないが
もしかしたら私を救ってくれるかもしれない。
それは思い上がりかもしれないけれど私は藁にも縋る思いであった。
一編の詩を送信し、その返事を待っている。
雨のち晴れ。朝方の雨はにわか雨だったようだ。
日中はよく晴れて厳しい暑さとなる。
福岡県、大分県では大雨特別警報が出され河川の氾濫、土石流など
亡くなられた方や行方不明の方もおられなんとも心が痛む。
大分と聞き真っ先にとくさんを思ったが大分市内は大丈夫のようだった。
けれども同じ県内の水害に気が気ではなかったろうと察せられる。
雨雲は明日も停滞するとのこと。これ以上の被害が無いことを祈るばかりだ。
今朝は山里に着くなりもう稲の穂が出ているのを見て驚く。
稲の成長は早くあとひと月もすれば稲刈りになるのだった。
これから台風シーズンとなるので心配ではあるが
どうか無事に収穫が出来ますようにと祈っている。
義父は今日も消毒だった。いもち病が拡がっているらしい。
本業の仕事も忙しいがどうやら二の次のようだ。
とにかく要らぬ口を挟んではいけない。義父の顔色を窺うばかりである。
そんなこともあってかやはりストレスを感じずにはいられない。
だから喫煙が許されるとは思ってもいないが
多少のきっかけにはなっているようで考えさせられる。
それは同僚も同じなのではないだろうかと思う。
同類相憐れむではないが同僚は確かに私を憐れんでいるようだ。
それは今までもずっとそうだったしこれからもあり得ることだろう。
3本が6本になりとうとう10本になろうとしている。
最初のうちは有難迷惑だと思っていたが今はそうは思わない。
有難くて涙が出そうになる時がある。
かと言って嬉しくはないのだ。これはとても複雑な心境であるが
私は心の片隅で吸いたくて吸っているのではないと思っている。
同僚が心を鬼にしてくれさえしたら禁煙は完璧なのだと。
そう言ってしまえば責任の転嫁になってしまうだろう。
一番の問題はやはり私の意志の弱さなのだと思う。
その弱さを強さに変えるには人としての本質というか難しいが
根本的な問題を解決していかなければいけないのだと思う。
「変わりたい、さあ変わりましょう」そんな簡単なことではない。
たとえば私の性格そのものを変えるとなると困難に思える。
生まれつきのものもあるだろうし育ってきた環境もあるだろう。
私という人格は自ずから作ったものではないのかもしれない。
その私を客観的に見ることも必要なのではないだろうか。
こうして書いているときりがなく増々複雑化してくるが
私は決して自分を正当化しようとしているのではない。
私はこれまで生きて来たしこれからも生きて行く。
喫煙は愚かなことかもしれないけれど
決して私を貶めるものではないのだと思う。
猛暑日ではなかったようだが朝から蒸し暑く汗が流れる。
梅雨が明けたら本格的な夏となるが乗り越えられるのだろうか。
年々夏の暑さが身に応えるようになってしまった。
電気代が気になりエアコンを節約しなければと思うが
家の中に居ても熱中症で亡くなられる方もいるらしく
電気代の負担よりも命を守ることの方が重要なのだろう。
けれどもよほどの貧乏性なのか今は我慢していて夕風に吹かれている。
窓を開け広げて西の空を仰げば熱を帯びていた夕陽も
こころなしかひっそりと鎮まっているように見える。
もう少しで日が暮れるだろうとひたすら夜を待っている。

朝の家事が終ってから少し本を読んでいたがまた眠気に襲われる。
つくづく異常なことに思えるが病気ではないのだそうだ。
一時間ほど眠り買物に行き帰宅してからまたお昼まで寝る。
昼食後また二時間ほど寝たのでいったい何時間寝たのやら。
病気ではないのだとしたらただの怠け者としか思えない。
当然のように家事は最低限のことしかやっていないのだった。
実はまだ冬物の衣料も片付けられずにいる。
そのうちにと思っているといつのまにか夏になっていたのだ。
今日ふっと考えたのはそのうちに秋になりまた冬が来るだろうと。
じゃあそのままでも良いのではないかとひらめいたのだった。
それはとても良い考えに思えて随分と気が楽になった。
出来ないことを数えるよりも出来ることを大切にしよう。
こんな私にだって出来ることがある。
決して完璧ではないけれど私らしいやり方があるのだと思う。
そこで私は決して輝いてはいないけれど
自分らしさに誇りを持っていることだろう。
今日出来たことは少しだけ。明日もきっと少しだけだと思う。
けれども不思議と満たされているのは何故だろう。
窓の外を見たらいつの間にか夜になっていた。
空の寝息が聴こえる。私の寝息は誰が聴いているのだろうか。
まるで梅雨が明けたかのような快晴。
厳しい暑さとなり一日中エアコンのお世話になっていた。
今朝の天気予報で高知と札幌の最高気温が同じと聞き驚く。
暑さに慣れない人達にとっては辛い一日だったことだろう。
朝食時、夫が「今日でもう4年か」と呟き一緒に頷く。
4年前の今日、入浴後に転倒し後頭部を強打したのだった。
救急車で県立病院に搬送されそのまま入院となった。
最初は経過が良くすぐに退院出来そうであったが
退院予定日の前日に「硬膜下出血」となり緊急手術となってしまった。
頭部の手術でありどれほど心配したことだろうか。
もし退院後の事だったら危うく手遅れになるところだった。
4年前のことであるがつい昨日のことのようによく憶えている。
あの言葉に出来ないような緊迫感はまるで悪夢のようであった。
ぎっくり腰は痛みの峠を越えたのか少しマシになったようだ。
昨夜は夕食後すぐにベッドに横たわっていたのだけれど
今夜は茶の間でのんびりとテレビを見ている。
颯爽と動けるようになるまではまだ数日掛かりそうだが
ひとまずは安心で私もほっと胸を撫で下ろしている。
とにかくいつ何があるやら分からないのだ。
怪我や病気だけではなく自然災害もあり得ることだろう。
平和であればあるほど「いま大地震が来たら」と不安になる時もある。
「あたりまえの危うさ」という言葉があるのを知っているだろうか。
なんだかしみじみと身に沁みるような言葉のように思える。
朝目覚めて空を仰ぎ夜明けを待つこと。
朝食の支度をし夫と向かい合って食べること。
洗濯物は乾くかしらと天気予報を見ること。
今夜は何が食べたい?と訊き買物にいくこと。
午後は眠くなったらお昼寝をすること。
娘と肩を並べて夕食の支度をすること。
数えたらきりがないほどの「あたりまえ」で溢れている。
それはとてもささやかな日常のことであるがもしそれが出来なかったら
それこそが「危うさ」なのかもしれない。
日々を暮らしながら何もかも当たり前のことだと思い込んでいる。
幸せを感じることもなければ感謝することもないのだろう。
それがある日突然に崩れてしまうことがあるのだ。
その時に初めてどれほど幸せだったのかを思い知るのだろう。
一日の終りに感謝する。有難うございました。
どうか平穏無事に朝を迎えられますように。
二十四節気の「小暑」いよいよ本格的な夏である。
もうすぐ梅雨明けも近いことだろう。
「七夕」でもあるが生憎の曇り空で天の川は見えそうにない。
けれども一年に一度の逢瀬はきっと叶うのに違いない。
天の川の橋渡しをするのがカササギだと初めて知った。
私は今までずっと舟で渡って行くのだと思い込んでいたのだった。
さてカササギとはどんな鳥なのだろう。ネットで調べてみたら
思いがけずに黒い鳥でなんだかロマンを感じられないのだ。
鶴のように白く美しい鳥の方が良かったように思うがどうなのだろう。
カササギはカラスの仲間らしくよく似ているがお腹の部分だけ白い。
そうか、おまえがカササギなのか。なんとなく納得がいかない。
若い頃のように恋でもしていれば七夕の夜には切なくなり
「あのひとに会いたい」などともの思うだろうけれど
全く持ってそんな切なさの欠片もないのである。

夫がぎっくり腰になってしまって難儀している。
少しは動けるが随分と不自由なようだ。
出来ていたことが出来なくなりあれこれ手助けをしているが
ふと「老々介護」のことが頭を過ったのだった。
私も足が不自由なのでテキパキとは動けなくて辛いけれど
それ以上に夫は辛いのではないかと気遣わずにはいられない。
ようはどちらが手助けを必要としているかなのだろう。
少しでも動ける方が世話をしいわゆる介護をしなければいけない。
今は娘達と暮らしているから助けてもらうことが出来るけれど
もし夫婦二人暮らしだったらと思うと不安でいっぱいになるのだった。
日頃から夫を頼りにしているだけによけいにそう思うのだろう。
ぎっくり腰は度々のことなので二人とも慣れてはいるけれど
他の病気や怪我で寝たきりになったりしたらどうすればいいのだろう。
たちまち窮地に立たされパニックになってしまいそうだった。
10年後、20年後のことは何も分からない。
生きているだけでじゅうぶんなのかもしれない。
梅雨の晴れ間。全国各地で真夏日となり厳しい暑さとなる。
四万十市江川崎では36.7℃の猛暑日となり全国一の暑さだったようだ。
幼少期を過ごした土地であるがそれほど暑かっただろうかと思う。
昔の夏は猛暑日になることがなかったのではないだろうか。
そう云えば熱中症で倒れる人もいなかったように思う。
エアコンもなかった時代に人々は工夫しながら涼をとっていた。
5歳位の記憶だろうか。母と一緒にお昼寝をしていて
母がずっと団扇で風を送ってくれたことを憶えている。
弟も生まれていたはずだがなぜかその存在が記憶にないのだ。
母は私の為だけに風を送ってくれていたのかもしれない。

情けないことだが気持ちに行動が伴わない。
あれほど初心に帰ろうと心に誓ったのに今日も駄目だった。
ギャンブル狂の人が無意識にパチンコ店に足を向けているのと似ている。
私の場合は職場の喫煙所へ行ってしまうことだった。
行ってもそこに煙草が無ければ諦めもつくだろうが
今日も同僚が少しだけ置いてくれていたのだった。
もう置かないでくれと言えばそれで済むはずだけれどそれが言えない。
同僚にしてみれば私が憐れに思えてならないのだろう。
私もすっかり図々しくなってしまって反省をしないのだった。
言葉は悪いがまるで餌を狂ったように貪る子豚そのものである。
ここいらの言葉では「餓え奴」と言う。それは卑下に等しい。
とてもみっともないことだが敢えてここに記している。
とにかく少しずつ意識を変えていかねばと思っている。
自分がいったい何処に向かっているかを確かめなければいけない。
ずるずると泥沼に引きずり込まれる訳にはいかないのだ。
見苦しいことを承知で書き記してしまった。
不愉快な思いをされている読者の方も少なからずおられることだろう。
私自身が不愉快なのだからそれは当然のことである。
けれども私は赦してやりたいと思っている。
こうして書きながら自分としっかり向き合っているのだから。
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