二十四節気の「小暑」いよいよ本格的な夏である。
もうすぐ梅雨明けも近いことだろう。
「七夕」でもあるが生憎の曇り空で天の川は見えそうにない。
けれども一年に一度の逢瀬はきっと叶うのに違いない。
天の川の橋渡しをするのがカササギだと初めて知った。
私は今までずっと舟で渡って行くのだと思い込んでいたのだった。
さてカササギとはどんな鳥なのだろう。ネットで調べてみたら
思いがけずに黒い鳥でなんだかロマンを感じられないのだ。
鶴のように白く美しい鳥の方が良かったように思うがどうなのだろう。
カササギはカラスの仲間らしくよく似ているがお腹の部分だけ白い。
そうか、おまえがカササギなのか。なんとなく納得がいかない。
若い頃のように恋でもしていれば七夕の夜には切なくなり
「あのひとに会いたい」などともの思うだろうけれど
全く持ってそんな切なさの欠片もないのである。

夫がぎっくり腰になってしまって難儀している。
少しは動けるが随分と不自由なようだ。
出来ていたことが出来なくなりあれこれ手助けをしているが
ふと「老々介護」のことが頭を過ったのだった。
私も足が不自由なのでテキパキとは動けなくて辛いけれど
それ以上に夫は辛いのではないかと気遣わずにはいられない。
ようはどちらが手助けを必要としているかなのだろう。
少しでも動ける方が世話をしいわゆる介護をしなければいけない。
今は娘達と暮らしているから助けてもらうことが出来るけれど
もし夫婦二人暮らしだったらと思うと不安でいっぱいになるのだった。
日頃から夫を頼りにしているだけによけいにそう思うのだろう。
ぎっくり腰は度々のことなので二人とも慣れてはいるけれど
他の病気や怪我で寝たきりになったりしたらどうすればいいのだろう。
たちまち窮地に立たされパニックになってしまいそうだった。
10年後、20年後のことは何も分からない。
生きているだけでじゅうぶんなのかもしれない。
梅雨の晴れ間。全国各地で真夏日となり厳しい暑さとなる。
四万十市江川崎では36.7℃の猛暑日となり全国一の暑さだったようだ。
幼少期を過ごした土地であるがそれほど暑かっただろうかと思う。
昔の夏は猛暑日になることがなかったのではないだろうか。
そう云えば熱中症で倒れる人もいなかったように思う。
エアコンもなかった時代に人々は工夫しながら涼をとっていた。
5歳位の記憶だろうか。母と一緒にお昼寝をしていて
母がずっと団扇で風を送ってくれたことを憶えている。
弟も生まれていたはずだがなぜかその存在が記憶にないのだ。
母は私の為だけに風を送ってくれていたのかもしれない。

情けないことだが気持ちに行動が伴わない。
あれほど初心に帰ろうと心に誓ったのに今日も駄目だった。
ギャンブル狂の人が無意識にパチンコ店に足を向けているのと似ている。
私の場合は職場の喫煙所へ行ってしまうことだった。
行ってもそこに煙草が無ければ諦めもつくだろうが
今日も同僚が少しだけ置いてくれていたのだった。
もう置かないでくれと言えばそれで済むはずだけれどそれが言えない。
同僚にしてみれば私が憐れに思えてならないのだろう。
私もすっかり図々しくなってしまって反省をしないのだった。
言葉は悪いがまるで餌を狂ったように貪る子豚そのものである。
ここいらの言葉では「餓え奴」と言う。それは卑下に等しい。
とてもみっともないことだが敢えてここに記している。
とにかく少しずつ意識を変えていかねばと思っている。
自分がいったい何処に向かっているかを確かめなければいけない。
ずるずると泥沼に引きずり込まれる訳にはいかないのだ。
見苦しいことを承知で書き記してしまった。
不愉快な思いをされている読者の方も少なからずおられることだろう。
私自身が不愉快なのだからそれは当然のことである。
けれども私は赦してやりたいと思っている。
こうして書きながら自分としっかり向き合っているのだから。
| 2023年07月05日(水) |
初心に帰る(子豚の巻) |
どんよりとした梅雨空。大雨の心配をしていたけれど殆ど降らず
明日は晴れの予報なのでもう大丈夫だろう。
夕散歩に出掛けていためいちゃんがスマホで空の写真を撮って来た。
まだ夕焼けには少し早く雲間から青空が見えている。
「ほら、ここだけ青いよ」そんな空の風景がとても好きなのだそうだ。
まだスマホを持たせるには早いと思っていたけれど
自然の風景に興味を持つのはとても良いことだと思った。

とうとう禁煙外来の受診日。早いものでもう56日目となった。
ニコチネルを貼るのも今日で最後となる。
完全禁煙が出来ていないのに医師は叱るどころか寛大である。
私の辛さを理解してくれているのだろう。本当に頭が下がる。
昨夜ここに書いたように正直に今の気持ちを伝えた。
本当に禁煙したいのか?吸いたいのか?
医師は「吸いたいのであればここには来ませんよ」と応えてくれる。
その一言でどれほど救われたことだろう。
私は自分のことがすっかり分からなくなっていたけれど
禁煙に臨む気持ちは最初から何も変わっていなかったのだろう。
そう思うとあやふやだった迷いも吹っ切れたように思った。
また初心に帰ろうと決心する。やってやれないことはない。
何よりもとても親身になってくれている医師や看護師さんの
期待に添えるように努力したいと思ったのだった。
次の受診日は8月2日。4週間後である。
その間に苦しくなったら電話するようにと看護師さんが言ってくれる。
自分一人で悩まなくても良いのだ。なんと心強いことだろう。
思い起こせばもう半年も前のことだ。
なんとしても止めるぞと思ったあの気持ちを思い出そう。
梅雨の晴れ間。朝は涼しかったが日中は真夏日に近くなる。
土手の除草作業が始まりあっという間に草が刈られていく。
姫女苑も跡形もなく刈られ他の草と一緒にロール状にされるのだ。
よく牧草地などで見かけるアレである。分かるだろうか。
草は刈られても根は残っているので命を絶たれるわけではない。
成長は早く夏が終わる頃にはまた草の原になっていることだろう。
ある意味「永遠」なのだ。姫女苑も決して嘆いてはいないのだと思う。
山里の職場の庭にはすっかり実を落としたやまももの木。
ねむの木は二本あり妖精のような花を咲かせている。
今日はムクゲの花が咲いているのを見つけて嬉しかった。
百日紅もひっそりではあるが日に日に花が増えている。
季節はそうして確実に夏本番へと向かっているのだろう。

郵便局のS君が配達に来て「止めれたかい?」と訊いてくれる。
私が苦笑いをしたら「やっぱりね」と可笑しそうに笑った。
周りの皆が気に掛けてくれていると云うのに本当に困ったものだ。
反省し自分を責め自己嫌悪に陥るべきだろうと思うのだが
なぜか開き直ってしまって図々しくなっているようだ。
実のところ本当に禁煙したいのかしたくないのか分からなくなった。
そのあやふやな心理が邪魔をしているとしか思えない。
明日は受診日なので正直に今の気持ちを打ち明けようと思っているが
今まで親身になってくれた医師や看護師さんに本当に申し訳ない。
禁煙外来から連絡もせずに逃げ去る人が結構いると聞いていたが
そのような裏切り行為だけは決してしたくはなかった。
もし最終的に完全禁煙を達成出来なくても仕方ないことではないか。
それはあくまでも自分に味方した都合の良い発想であろう。
この半年の間に私は私なりに苦悩を重ねて来たのだと思う。
それは決して無駄なことではなかったのではないだろうか。
けれども自分を赦すほどの寛大な心を持ってはいないように思う。
今日も駄目だった。明日も駄目かもしれない。
いったい自分が何処に向かっているのか皆目見当が付かない。
かつては子豚だった。もしかしたら今も子豚かもしれない。
子豚のまま食肉センターに送られるのだろうか。
雨のち晴れ。午後7時になろうとしているがまだ青空が見えている。
カラスがそろそろ山へ帰るのかのどかな鳴き声が耳に心地よい。
高知県西部の雨は大したことはなかったが
九州では線状降水帯が発生し各地に被害をもたらしたようだ。
梅雨が完全に明けるまではまだまだ油断が出来ない。
災害がある度に明日は我が身だといつも思っている。
先日、高知市内に住む友人から同窓会の知らせがあった。
せっかく知らせてくれたのに悪かったけれど
迷うこともなく即答でお断りさせてもらった。
今までは何度か出席させてもらったがもう無理だと思うのだ。
痛い足を引き摺りながら列車に乗って行く自信もなく
一泊二日となればホテルの予約もしなければならない。
そんな経済的な余裕もなく今の自分には考えられないことだった。
それとどうしたことか懐かしい友人たちに会いたいと思わないのだ。
心のどこかで投げ遣りになり「もういいかな」と思っている。
そうして最後に会った日のことを思い出しては
「冥途の土産」もじゅうぶんに揃ったと納得している自分がいるのだ。
偏屈なのかもしれないけれどずばっと断ち切ったような心地よさがある。
もしかしたら精神的な断捨離なのかもしれない。
私の人生長くてあと20年だろうか。百歳まで生きようとは思っていない。
思い残すことが沢山あるようにも思うがきっと最後には
「もういいかな」と納得するのではないだろうか。
何かに執着すること、しがみつくことは見苦しいと思う。
以前にもここに書いたがとてもみっともないことなのだ。
だからなりふり構わず醜態を晒すのもいいかげんにしなければいけない。
午後8時になった。やっと薄っすらと夜らしくなる。
今夜は満月なのだそうだ。
蒸し暑さがなく爽やかな朝となった。
日中はよく晴れて暑くなったが雨よりもずっといい。
梅雨の晴れ間は本当に有難いものだ。
夏至の末候「半夏生ず」田植えを終わらせる農事の節目である。
今は何処も田植えが早くなったのであまりぴんと来ないが
昔の人はやっと田植えが終りほっと寛いだ頃だったのだろう。
香川ではうどんを関西ではタコを食べる習慣があるようだ。
高知県も関西圏に入るのかスーパーにタコが沢山並んでいた。
普段から高価だがそれ以上に高くなっており驚く。
もちろん買えるはずはない。別にタコを食べなくてもと思う。

久しぶりに何処かへ出掛けようかと思っていたが
結局ごろごろとしながら怠惰に過ごす。
眠り病の私は殆ど寝てばかりいた。
やはり異常なのではと思うがただの怠け者なのかもしれない。
過眠症という病気もあるらしいが深刻に考えたらきりがない。
それも煙草さえ吸えれば治まる眠気であるから性質が悪いのだ。
もう長いこと家ではずっと完全禁煙を貫いている。
それなのに職場では自分をコントロール出来ないのだった。
禁煙外来の受診日が近づいており医師達に合わす顔がない。
明日はどうなってしまうのだろう。正気に戻れるのだろうか。
外遊びに行っていためいちゃんが大きな胡瓜を抱えて帰って来た。
近所で畑作業をしていたおばあさんに貰ったのだそうだ。
さて誰だろうと考えていたら思い当たる人が居た。
「ひとり暮らしで孫もおらんよ」と言ったのだそうだ。
娘さんを亡くされご主人も亡くされた人が確かに近所に住んでいる。
息子さんがいたはずだが都会に住んでいるらしい。
たった独り細々と畑仕事をしながら生計を立てているのだろう。
6人家族の私のなんと恵まれていることだろうと思った。
毎日当たり前のようにして暮らしているが決してそうではない。
もし夫に先立たれ娘たちが家を出て行ったら私はどうなるのだろう。
とても独りぼっちで暮らす自信もなく気が狂ってしまいそうだ。
今朝も夫に足の爪を切って貰っていて
「俺がおらんなったらどうするがな」と言われた。
本当にどうすればいいのだろう。考えるだけで目の前が真っ暗になった。
とにかく今をと思う。これほどまでに愛しい時があるだろうか。
高知県西部は幸い大雨にはならなかったが
線状降水帯が発生した地域では土砂崩れで亡くなられた方がいるようだ。
たかが雨と侮ってはいけない。どんな危険が襲って来るのか分からない。
51年前の繁藤災害を思い出す。大勢の犠牲者を出した痛ましい災害だった。
あれも梅雨の最中だった。7月5日の早朝だったと記憶している。
息子が日勤だったので朝からけい君を預かっていた。
先ほど仕事を終えた息子が迎えに来て帰って行ったが
晩御飯はお父さんと食べたいと言って何も口にしなかった。
あまりの健気さにほろりと涙が出そうになる。
今日はあやちゃんとも遊べず寂しかったことだろう。
それなのに我儘も言わずよく辛抱したものだと思う。

朝のうちに図書館とカーブスへ。
けい君はおじいちゃんとお留守番だった。
図書館ではまた椎名誠の本を4冊借りて来る。
新刊も出ているのだが予約待ちでまだしばらく掛かりそうだ。
今日は2年前に出た写真とエッセイの本等にした。
とにかく出版されている全ての本を読みたいと思っている。
今年もあと半年になったが「目標」があるのは良いことだ。
カーブスでは足の痛みが軽く心地よく汗を流した。
3B体操の仲間だったSさんが優しく声を掛けてくれて嬉しかった。
いつも私の足を気遣ってくれるのだ。なんと有難いことだろう。
Sさんも膝に痛みがあるのだそうだ。けれども溌溂としていて
笑顔で頑張っている姿を見ると私も励まされるような気がする。
痛みに耐えているのは決して自分一人ではないのだった。

午後テレビを観ていてはっと我が身を振り返ったことがある。
芸能人が俳句を作って有名な俳人の先生に指導を受けていたのだが
なるほどと思うくらい目から鱗であった。
私は誰かから教わったことがあるだろうかとまず思った。
短歌にしても詩にしてもずっと昔から自己流ではなかったのか。
この50年間ただただ突っ走って来たのではないだろうか。
私の詩を「詩になっていない」と言ってくれたDさんや
「SNSで発信するのを止めた方が良い」と言ってくれたK子さん。
それは今まで誰も言ってくれなかった貴重な意見なのだと思う。
そこから私は大切なことを学ばなければいけないのだ。
卑屈になっている場合ではなかったのである。
人生はある意味「学び」ではないかと思う。
そうして壁にぶつかりながら人は成長していくのだろう。
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