ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年07月05日(水) 初心に帰る(子豚の巻)

どんよりとした梅雨空。大雨の心配をしていたけれど殆ど降らず

明日は晴れの予報なのでもう大丈夫だろう。


夕散歩に出掛けていためいちゃんがスマホで空の写真を撮って来た。

まだ夕焼けには少し早く雲間から青空が見えている。

「ほら、ここだけ青いよ」そんな空の風景がとても好きなのだそうだ。

まだスマホを持たせるには早いと思っていたけれど

自然の風景に興味を持つのはとても良いことだと思った。





とうとう禁煙外来の受診日。早いものでもう56日目となった。

ニコチネルを貼るのも今日で最後となる。

完全禁煙が出来ていないのに医師は叱るどころか寛大である。

私の辛さを理解してくれているのだろう。本当に頭が下がる。

昨夜ここに書いたように正直に今の気持ちを伝えた。

本当に禁煙したいのか?吸いたいのか?

医師は「吸いたいのであればここには来ませんよ」と応えてくれる。

その一言でどれほど救われたことだろう。

私は自分のことがすっかり分からなくなっていたけれど

禁煙に臨む気持ちは最初から何も変わっていなかったのだろう。

そう思うとあやふやだった迷いも吹っ切れたように思った。

また初心に帰ろうと決心する。やってやれないことはない。

何よりもとても親身になってくれている医師や看護師さんの

期待に添えるように努力したいと思ったのだった。

次の受診日は8月2日。4週間後である。

その間に苦しくなったら電話するようにと看護師さんが言ってくれる。

自分一人で悩まなくても良いのだ。なんと心強いことだろう。


思い起こせばもう半年も前のことだ。

なんとしても止めるぞと思ったあの気持ちを思い出そう。



2023年07月04日(火) かつては子豚だった

梅雨の晴れ間。朝は涼しかったが日中は真夏日に近くなる。


土手の除草作業が始まりあっという間に草が刈られていく。

姫女苑も跡形もなく刈られ他の草と一緒にロール状にされるのだ。

よく牧草地などで見かけるアレである。分かるだろうか。

草は刈られても根は残っているので命を絶たれるわけではない。

成長は早く夏が終わる頃にはまた草の原になっていることだろう。

ある意味「永遠」なのだ。姫女苑も決して嘆いてはいないのだと思う。



山里の職場の庭にはすっかり実を落としたやまももの木。

ねむの木は二本あり妖精のような花を咲かせている。

今日はムクゲの花が咲いているのを見つけて嬉しかった。

百日紅もひっそりではあるが日に日に花が増えている。

季節はそうして確実に夏本番へと向かっているのだろう。





郵便局のS君が配達に来て「止めれたかい?」と訊いてくれる。

私が苦笑いをしたら「やっぱりね」と可笑しそうに笑った。

周りの皆が気に掛けてくれていると云うのに本当に困ったものだ。

反省し自分を責め自己嫌悪に陥るべきだろうと思うのだが

なぜか開き直ってしまって図々しくなっているようだ。

実のところ本当に禁煙したいのかしたくないのか分からなくなった。

そのあやふやな心理が邪魔をしているとしか思えない。

明日は受診日なので正直に今の気持ちを打ち明けようと思っているが

今まで親身になってくれた医師や看護師さんに本当に申し訳ない。


禁煙外来から連絡もせずに逃げ去る人が結構いると聞いていたが

そのような裏切り行為だけは決してしたくはなかった。

もし最終的に完全禁煙を達成出来なくても仕方ないことではないか。

それはあくまでも自分に味方した都合の良い発想であろう。


この半年の間に私は私なりに苦悩を重ねて来たのだと思う。

それは決して無駄なことではなかったのではないだろうか。

けれども自分を赦すほどの寛大な心を持ってはいないように思う。


今日も駄目だった。明日も駄目かもしれない。

いったい自分が何処に向かっているのか皆目見当が付かない。


かつては子豚だった。もしかしたら今も子豚かもしれない。

子豚のまま食肉センターに送られるのだろうか。







2023年07月03日(月) 精神的な断捨離

雨のち晴れ。午後7時になろうとしているがまだ青空が見えている。

カラスがそろそろ山へ帰るのかのどかな鳴き声が耳に心地よい。


高知県西部の雨は大したことはなかったが

九州では線状降水帯が発生し各地に被害をもたらしたようだ。

梅雨が完全に明けるまではまだまだ油断が出来ない。

災害がある度に明日は我が身だといつも思っている。



先日、高知市内に住む友人から同窓会の知らせがあった。

せっかく知らせてくれたのに悪かったけれど

迷うこともなく即答でお断りさせてもらった。

今までは何度か出席させてもらったがもう無理だと思うのだ。

痛い足を引き摺りながら列車に乗って行く自信もなく

一泊二日となればホテルの予約もしなければならない。

そんな経済的な余裕もなく今の自分には考えられないことだった。


それとどうしたことか懐かしい友人たちに会いたいと思わないのだ。

心のどこかで投げ遣りになり「もういいかな」と思っている。

そうして最後に会った日のことを思い出しては

「冥途の土産」もじゅうぶんに揃ったと納得している自分がいるのだ。


偏屈なのかもしれないけれどずばっと断ち切ったような心地よさがある。

もしかしたら精神的な断捨離なのかもしれない。


私の人生長くてあと20年だろうか。百歳まで生きようとは思っていない。

思い残すことが沢山あるようにも思うがきっと最後には

「もういいかな」と納得するのではないだろうか。


何かに執着すること、しがみつくことは見苦しいと思う。

以前にもここに書いたがとてもみっともないことなのだ。

だからなりふり構わず醜態を晒すのもいいかげんにしなければいけない。



午後8時になった。やっと薄っすらと夜らしくなる。

今夜は満月なのだそうだ。



2023年07月02日(日) 愛しい時

蒸し暑さがなく爽やかな朝となった。

日中はよく晴れて暑くなったが雨よりもずっといい。

梅雨の晴れ間は本当に有難いものだ。


夏至の末候「半夏生ず」田植えを終わらせる農事の節目である。

今は何処も田植えが早くなったのであまりぴんと来ないが

昔の人はやっと田植えが終りほっと寛いだ頃だったのだろう。

香川ではうどんを関西ではタコを食べる習慣があるようだ。

高知県も関西圏に入るのかスーパーにタコが沢山並んでいた。

普段から高価だがそれ以上に高くなっており驚く。

もちろん買えるはずはない。別にタコを食べなくてもと思う。





久しぶりに何処かへ出掛けようかと思っていたが

結局ごろごろとしながら怠惰に過ごす。

眠り病の私は殆ど寝てばかりいた。

やはり異常なのではと思うがただの怠け者なのかもしれない。

過眠症という病気もあるらしいが深刻に考えたらきりがない。

それも煙草さえ吸えれば治まる眠気であるから性質が悪いのだ。

もう長いこと家ではずっと完全禁煙を貫いている。

それなのに職場では自分をコントロール出来ないのだった。

禁煙外来の受診日が近づいており医師達に合わす顔がない。

明日はどうなってしまうのだろう。正気に戻れるのだろうか。




外遊びに行っていためいちゃんが大きな胡瓜を抱えて帰って来た。

近所で畑作業をしていたおばあさんに貰ったのだそうだ。

さて誰だろうと考えていたら思い当たる人が居た。

「ひとり暮らしで孫もおらんよ」と言ったのだそうだ。

娘さんを亡くされご主人も亡くされた人が確かに近所に住んでいる。

息子さんがいたはずだが都会に住んでいるらしい。

たった独り細々と畑仕事をしながら生計を立てているのだろう。


6人家族の私のなんと恵まれていることだろうと思った。

毎日当たり前のようにして暮らしているが決してそうではない。

もし夫に先立たれ娘たちが家を出て行ったら私はどうなるのだろう。

とても独りぼっちで暮らす自信もなく気が狂ってしまいそうだ。


今朝も夫に足の爪を切って貰っていて

「俺がおらんなったらどうするがな」と言われた。

本当にどうすればいいのだろう。考えるだけで目の前が真っ暗になった。


とにかく今をと思う。これほどまでに愛しい時があるだろうか。



2023年07月01日(土) 目から鱗

高知県西部は幸い大雨にはならなかったが

線状降水帯が発生した地域では土砂崩れで亡くなられた方がいるようだ。

たかが雨と侮ってはいけない。どんな危険が襲って来るのか分からない。

51年前の繁藤災害を思い出す。大勢の犠牲者を出した痛ましい災害だった。

あれも梅雨の最中だった。7月5日の早朝だったと記憶している。



息子が日勤だったので朝からけい君を預かっていた。

先ほど仕事を終えた息子が迎えに来て帰って行ったが

晩御飯はお父さんと食べたいと言って何も口にしなかった。

あまりの健気さにほろりと涙が出そうになる。

今日はあやちゃんとも遊べず寂しかったことだろう。

それなのに我儘も言わずよく辛抱したものだと思う。





朝のうちに図書館とカーブスへ。

けい君はおじいちゃんとお留守番だった。

図書館ではまた椎名誠の本を4冊借りて来る。

新刊も出ているのだが予約待ちでまだしばらく掛かりそうだ。

今日は2年前に出た写真とエッセイの本等にした。

とにかく出版されている全ての本を読みたいと思っている。

今年もあと半年になったが「目標」があるのは良いことだ。


カーブスでは足の痛みが軽く心地よく汗を流した。

3B体操の仲間だったSさんが優しく声を掛けてくれて嬉しかった。

いつも私の足を気遣ってくれるのだ。なんと有難いことだろう。

Sさんも膝に痛みがあるのだそうだ。けれども溌溂としていて

笑顔で頑張っている姿を見ると私も励まされるような気がする。

痛みに耐えているのは決して自分一人ではないのだった。





午後テレビを観ていてはっと我が身を振り返ったことがある。

芸能人が俳句を作って有名な俳人の先生に指導を受けていたのだが

なるほどと思うくらい目から鱗であった。

私は誰かから教わったことがあるだろうかとまず思った。

短歌にしても詩にしてもずっと昔から自己流ではなかったのか。

この50年間ただただ突っ走って来たのではないだろうか。

私の詩を「詩になっていない」と言ってくれたDさんや

「SNSで発信するのを止めた方が良い」と言ってくれたK子さん。

それは今まで誰も言ってくれなかった貴重な意見なのだと思う。

そこから私は大切なことを学ばなければいけないのだ。

卑屈になっている場合ではなかったのである。


人生はある意味「学び」ではないかと思う。

そうして壁にぶつかりながら人は成長していくのだろう。



2023年06月30日(金) 夏には夏の花が咲く

ぽつぽつと小雨が降っている。

九州北部から中国地方にかけてはかなりの雨が降ったようだ。

「線状降水帯」と云う言葉が当たり前のように発せられるようになった。

昔も集中豪雨はあったがそれとはまた違った降り方なのだろう。

6月晦日。一年の折り返しとなり後半の平穏を祈らずにいられない。

まだこれから台風シーズンとなり油断の出来ない時期となった。



紫陽花の花が日に日に枯れ始めている。

今朝はそんな紫陽花に想いを寄せて詩を書いてみた。

K子さんの反応が気になっていたがスルーされていた。

やはり不快な詩を書いているのだろうか、自分ではよく分からない。

いつまでも人目を気にしていてはいけないと思うのだが

一度受けたショックからなかなか立ち直れずにいる。

何を言われても私は私なのだ。もっと胸を張って堂々としていよう。



夏を代表する花に百日紅がある。

今日は職場の庭の片隅にそっと咲き始めているのを見つけた。

昔、母が鉢植えにした木なので小さな百日紅ではあるが

紅よりも少し薄い鮮やかな桃色をしている。

母が見たらどんなにか喜ぶことだろうか。


夏には夏の花が咲く。当たり前のようでいて奇跡のようなことだ。

四季折々の花のことを想う。みんな精一杯に生きているのだろう。





ダイエットは二の次にしてしまったのでどうしようもないが

豆腐を主食にすることはずっと続けている。

いろんな豆腐を食べてみてやっとお気に入りの豆腐が見つかった。

豊ノ島には申し訳ないが梶原食品の豆腐ではない。

食品会社の名前は忘れたが豆腐の中に柚子が入っているのだった。

木綿ほど固くなく絹ほどは柔らかくなくとても食べやすい。

何よりもほんのりと柚子の香りがしてすっかり気に入ってしまった。

お値段は少し高めだがたまに半額の時がありラッキーと思う。

飽きもせず毎日豆腐を食べているが、未だ何の成果もない。



禁煙も未だ完璧ではなかった。と、言ってしまえば軽蔑されるだろう。

それでもいいかなと思っている。所詮子豚は子豚なのだった。

ただ言っておきたいのは吸いたくて吸っている訳ではなかった。

異常なほどの眠気と毎日闘っているのである。

煙草の覚醒作用はカフェインよりも偉大なのではないだろうか。

自分をコントロール出来ないのはとても辛い。

時々気が狂ってしまったのではないだろうかと思う時もある。


禁煙外来の医師や看護師さんが「ぼちぼち」と言ってくれたことで

ほんとうに救われたように思っている。

少しずつ本数を減らす努力を続けて行かなければいけない。


子豚は豚小屋の隅で小さくなっている。

悲しい訳ではないけれど時々たまらなく涙をこぼす時もあった。



2023年06月29日(木) 二人の奥さん

昨日のこともあり今日は洗濯物を外干しせずに出掛けたが

午後少し曇っただけで雨は降らずなんだか損をしたような気分だった。

明日からはまた梅雨空が戻ってくるのだそうだ。


山里では義父が稲の消毒に追われていてあたふたとしている。

雨が少しでも降ったら消毒が台無しになるので焦っているのだろう。

苛立ちもあるのかちょっとしたことで当たり散らしたりする。

義父の性格は分かり切っているつもりでも辛い思いをする時もあった。


血の繋がりこそないが「おとうさん」と呼んでいる。

義父は私のことを名前で呼んでくれるが

他人に紹介する時は娘ではなく「事務員」と言うのだった。

社長からしたらそれは当然のことであまり気にはならないが

よく事情を知らないお客さんから「奥さん」と呼ばれるのは嫌だ。

「おばさん」と呼ばれるよりはマシかもしれないが

大概の人が私のことを義父の奥さんだと勘違いしているのである。

おそらく義父が実年齢よりも若く見え、私が老けているからだろう。

母が一緒に仕事をしていた頃にはそんな間違いはなかったが

母が施設に入居してから随分と歳月が流れてしまった。


その母から夕方珍しく着信があった。

携帯電話の着信を知らすランプが点灯していたのに気づいたのだろう。

それは2週間程前に私が掛けていたのだった。

いくら鳴らしても出ないので諦めて切ったことがあった。

もう電話は無理だなと思っていたところに今日の着信である。


心配していた熱は母も忘れるくらいにすっかり治っており

点滴もしていないと言ったが本当かどうかは分からない。

施設の看護師さんからはその後連絡が無かったので信じたいと思う。


「晩御飯はなあに?」と母が問う。

「天下茶屋よ」と応えた。

天下茶屋とは宿毛市内にある野菜炒め風の焼き肉屋さんの名だった。

「ほんじゃけんええ匂いがする」と母が言う。

「ビールも冷えちょるけん来たや」と私が言ったら

「ははは」と母が笑った。母の笑顔が見えるようであった。


「じゃあね、ばいばーい」と母が言った。

「うん、またね。ばいばーい」ぷっつりと母がまた遠くなった。


奥さんは母なのだ。それは誰が何と言っても母しかいないと思った。


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