ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年06月28日(水) にわか雨

寝不足の朝。蒸し暑く寝苦しかったのか殆ど眠れなかった。

いつものように4時に起きたがさすがに何も書けない。

書きたい気持ちはあるのだが頭に靄が掛かったようになっていた。


大げさかもしれないけれど歯がゆくてならない。

パソコン画面をぼんやりと見つめながら時間ばかりが過ぎてゆく。

45分程そうしていてとうとう「書けない」と発信した。

そんなこと誰も気に留めないだろうと思っていたのだけれど

いつもと同じくらい反応があってとても驚く。

SNSとは元来そういうものなのかもしれない。






大気が不安定で昼間にわか雨が降ったようだ。

山里ではぽつぽつだったので気にしていなかったけれど

家では夫が洗濯物を取り入れるのに大慌てしたらしい。

お向かいの奥さんは布団を干したまま出掛けており

お隣の奥さんが勝手知ったるで取り入れたそうだ。

都会なら在り得ないことだろう。そんな田舎らしさが好きだなと思う。


ご近所さんから夏野菜のお裾分け。それも田舎ならではである。

無農薬の新鮮な野菜は本当に有難い。

姑さんが健在だった頃は野菜作りに精を出していたけれど

茄子一個でも勝手に採ってはいけなかった。

たまたまご近所さんから頂いたりするとすごい剣幕で叱られた。

家にある物を他人様から貰ってはいけないのだと言う。

それは当然のことのようでもあったが私は胡瓜が欲しかった。

トマトも茄子も欲しくてたまらなかったのである。


厳しい姑さんだったのであまり良い思い出はなく

辛かったことばかり憶えている。

一つくらいは嬉しかったことをとよく思うのだけれど

辛さの方が勝ってしまって嬉しさは小さくなってしまうのだった。

思い出すたびにああ嫌だなと思う。じゃあ思い出さなければいいのに。


結局それって自分が可哀想でならないのだろう。

そんな自分の性格にはほとほと嫌気が差している。

これほどまでに幸せなのになんと罰当たりなことだろう。


過ぎ去ったことを変えることは出来ないが

これからのことを意識的に変えることは出来るのではないだろうか。

運命には逆らえないが運命に従うことは出来る。


ひとつひとつ受け止めながら未来の自分に会いに行く。



2023年06月27日(火) さてどうしたものか

最高気温が30℃を超え真夏日だったようだ。

今は夕風が心地よく涼風に吹かれながらこれを記している。

午後7時。外はまだずいぶんと明るい。


階下の食堂では娘たちが夕食を食べていて微笑ましい声が聴こえている。

家族ではあるけれどなんだかお隣のご家族のようにも思える。

決して邪魔をしてはならないと思うとふと寂しさを感じるのだった。


同居を始めて今年で9年だろうか。ずいぶんと歳月が流れた。





夜明け前もそうだったが今夜も思うように書けない。

書きたくてたまらないのにいったいどうしたことだろう。


少女時代には鍵付きの日記帳に書いていた。

机の引き出しに入れてあったがある日学校から帰ったら

鍵が壊されていて誰かが読んだ形跡があった。

父であることはすぐに分かったが私は咎めることをしなかった。

読みたければ読めばいいと思っていたのだろう。

それからもずっと書き続けていたように思う。


記憶は曖昧ではっきりと憶えていないのだった。

その日記帳を捨てた記憶もないまま今は行方不明になっている。

どんなことを書いていたのだろう。まったく思い出すことが出来ない。


日記帳とは別にノートに詩を書いていた。

それはいつも学校へ持って行っていたので父には見つからなかったようだ。

学校でも友達に見せることはなかったが好きな人には見て欲しい。

恋の詩ばかりだったからそれは当然のことだったのだろう。

今思えばなんと厚かましい押しつけがましい行為であった。


ノートは6冊ほど。それは奇跡的に今も私の手元にある。

ある意味放浪的な人生であったが肌身離さず持っていたのだった。

何度か断捨離をしたがどうしても捨てることが出来なかった。


ここでもまた死後のことを考える。押し入れの中から発見される訳だが

娘だろうか、それとも孫たちだろうか。手に取って読んでくれるのか。

もしかしたらゴミとして捨ててしまわれるかもしれない。

それならばいっそ遺書をしたためお棺に入れてもらう手もあるだろう。

焼かれて灰になるのがいちばんのように思えてならない。


さてどうしたものか。これは生きているうちに考えておかねばならない。


名のある人の物なら貴重な遺品となるであろうが

名もない凡人の残した物など誰も見向きはしないだろう。


なんだか虚しいものですな。哀しいものですな。




2023年06月26日(月) みっともない

雨が降りそうで降らず。この上ないような蒸し暑さとなる。

紫陽花が日に日に枯れ始めて憐れでならない。

特に純白の紫陽花は苦しんでいるように見える。

潔く散れたらどんなにか救われるだろうか。


私は決して純白ではないけれど黒い紫陽花でもない。

あらゆる花があるけれど黒い花はないのではないだろうか。

野に咲く花は黄色が多いが黄色い紫陽花もなかった。

決められた色とカタチ。花には花の生き方があるのだろう。




椎名誠の「北への旅」読了。東北北部の写真と旅行記である。

写真はすべてモノクロで雪のある風景などとても風情があって良い。

白と黒なのだ。混ざり気のない自然のありのままの姿である。

文章はとても軽快でさっぱりとしていて清々しい。

読んでいると無性に自分も書きたくてたまらなくなってくる。


そうして今、さあ書こうと意気込んでも思うように書けない。

もどかしくてならないけれど所詮素人のWeb日記であった。

毎晩こつこつと書き続けているがいつかは消えてしまう運命である。

せめて私が生きているうちはと思っているがどうなるのだろう。

死後の遺品にでもなれば救われるがそれも在り得ないと思う。


ようは「執着心」なのだ。自分の書いたものに執着する。

その欲さえ捨てられたら綺麗さっぱりと忘れられることだろう。


死んだら懐かしむことも思い出すことも出来なくなる。

息も出来なくなるのだから当たり前のことなのだ。


そうかと言って命にしがみつくのも程々にしようと思っている。

最近つくづくと「みっともない」と思うようになった。

まだまだ生きたいけれど「もういいかな」と思う時もある。


出来ればある日突然ではないのが理想的であるが

神様が決めるのか仏様が決めるのか分からないことだった。

まっいいかどうだって。死ぬ時が来ればみんな死ぬのだから。


だらだらと書き連ねているうちに収拾がつかなくなった。

酔いも回って来て意識も朦朧としてきてもう訳が分からない。


みっともない。ああみっともない。




2023年06月25日(日) 金魚のふん

曇り日。気温はさほど高くなかったが蒸し暑い一日だった。

ぐっすりと眠ったつもりだったがやはり朝方の眠気が酷い。

最低限の家事を済ませてから一時間ほどうたた寝をしていた。


寝室に夫婦のベッドがふたつ。隣の日本間にけい君のベッド。

襖を開け広げていてもけい君が寂しがるので

真ん中の私のベッドにけい君が寝ることにしている。

昨夜も夜遅くまでゲームをしていたがいつの間にか眠っていたようだ。


8時過ぎにはあやちゃんも起きてけい君と遊んでくれる。

まるで姉と弟のようで微笑ましいが「金魚のふん」のようでもある。

さすがにトイレまでは付いて行かないがあやちゃんも内心は鬱陶しそう。

一歳違いとは言え女の子と男の子では遊びにも限度があるのだろう。

それでも優しく接してくれるあやちゃんにはとても感謝している。


午後には父親が恋しくなったのか帰りを待ち兼ねるようになった。

息子に電話してみたらまだ徳島に居るとのこと。

早くても4時間は掛かるそうで帰り着くのは夕方になりそうだった。

そわそわと落ち着かない様子のけい君を宥めながらひたすら待つ。

母親の話は一切しないのだ。それが返って不憫に思えてならなかった。


あやちゃんが「金魚のふんってどんなが?」と訊くのも愉快。

「お尻にくっ付いてなかなか離れんがよ」と応えると

それがけい君の様子と重なりくすくすと声を上げて笑っていた。

たとえ金魚のふんだとしても無理やり切り離さないことだ。

11歳になったあやちゃんにはそれが解っているのだと思う。


5時前、息子がやっと帰って来た。

玄関に飛び出したけい君が「お父さん、徳島ラーメン」と言って

皆で笑いながら送り出したことだった。



2023年06月24日(土) サーティーワン

午前四時、不思議なことに虫の声が聴こえた。

コオロギなのか鈴虫なのかとにかく秋の虫なのである。

季節外れであるがしんみりと風情を感じたことだった。

そのことを詩に書いてみたがどうもしっくりと来ない。

なんとなく後味が悪いのだ。書かないほうが良かったのか。


キツツキのようにこつこつと壁を叩き続けているのだろう。

諦めたらそこでお終いだと思うと焦りを感じずにいられない。




朝からけい君を預かっている。息子は友達と徳島へ遊びに行った。

なんでもプロレス観戦なのだそうだ。息子とプロレスが結びつかず

とても意外に思えたが絶好のストレス解消になりそうである。

「息抜き」はとても大切である。特に今の息子には必要なことだと思う。


午後、サーティーワンのアイスが食べたいと言うので連れて行ったが

すごく高くてびっくりした。レギュラーサイズで390円もする。

コンビニのアイスなら2個も買えるのにと思った。


夕飯は手作り餃子。あやちゃんとけい君も手伝ってくれる。

二人とも楽しそうな顔をしていてほっと嬉しかった。

焼いている時に見分けがつかない。二人とも上手な証拠である。

けい君は7個。あやちゃんは10個くらい食べた。


遊びに行っていためいちゃんが帰って来てご機嫌斜めとなる。

食卓のめいちゃんの席にけい君が座っていたのが嫌だったそうだ。

私たちの配慮も足りなかったが全員が揃うことはないと思っていた。

今後のこともあるのでけい君専用の椅子を準備した方が良いだろう。

気を遣うことも多いがけい君に肩身の狭い思いをさせてはいけない。

伸び伸びと自由にさせてやりたいが結構むつかしいことであった。


今日思いがけなかったことは、あやちゃんが私のSNSのアカウントを

教えて欲しいと言って来たことだった。

「おばあちゃんは詩を書きよるけん」と念を押してから教えた。

決して楽しい発信ではないけれど読んでくれるのだろうか。

思春期の少女の心にも伝わるような詩が書けたら良いなと思う。


発信はあくまでもエゴであってはいけないと思うのだ。

詩は希望でなくてはならない。誰の心にも届く言葉を書いて行きたい。



2023年06月23日(金) 何があっても我が道を行く

晴れたり曇ったり。梅雨の時期らしい蒸し暑さとなる。


田んぼの稲が「いもち病」になってしまったそうだ。

このままでは収穫まで漕ぎつけないと義父が慌てふためいている。

やはり無農薬とはいかず消毒するしか手段はないようだった。

雨が降ると消毒出来ないので梅雨の晴れ間は大忙しとなる。


「いもち病」は昔からあった病気なのだろうか。

年貢を納めなくてはいけない時代の農民の苦悩を思う。

農薬も無かった時代に「豊作」は奇跡のようなことだったのだろう。






昨夜、母の施設の看護師さんから電話がありまた発熱とのこと。

コロナの症状は無く風邪でもなさそうだった。

抗生剤の点滴をして様子を見てくれているらしいが

今日は何の連絡もなく母の様子は全く分からなかった。


前回の発熱の時もそうだったが恢復した知らせはないのである。

異変があればもちろん連絡があるがそれが無いのは無事な証拠なのだろう。

私もすっかり慣れてしまってあまり心配はしていない。

ただもし異変の連絡があったらどうしようと平静ではいられないのだ。


多忙な日々を送っていると母の存在さえ忘れてしまう時があるが

「忘れんといてよ」と母が知らせてくれているのかもしれない。





今週もとうとう一日も禁煙出来ずどうしようもない。

禁煙外来の医師は優しく「ぼちぼち」と言ってくれたが

なんだか裏切っているようで心苦しくてならない。

やはり私は相当な依存症で中毒だったのだろう。

「気は狂っていませんよ」と医師は言ってくれたが

自分ではどうしても狂っているとしか思えないのである。

「決して自分を責めないように」とも言ってくれたが

誰かを責めて落とし前をつけなくてはいけないのではないだろうか。

煙草を分け与えてくれる同僚を責めるわけにはいかず

結局は意志の弱い自分の責任なのだと思っている。


ダイエットは禁煙が成功してからのことになった。

それも医師の助言で「吸わない、食べない」の二重苦に

立ち向かうほど私は強くないのだと思う。


だからと言って弱さを前面に押し出す訳にはいかない。

それは結局「甘え」なのではないだろうかと思うのだ。


とにかく自分の持っているありったけの精神力を信じることだ。

今は右も左も分からず迷っているのかもしれないけれど

自分の進む道はきっと目の前に続いているのだろう。



2023年06月22日(木) 女性ホルモン

朝のうち少し雨が降っていたが午後には青空になる。

この時期ならではの蒸し暑さでエアコンのお世話になった。


職場の庭にあるヤマモモの木がたわわに実をつけ

数日前からぽろぽろと実が落ち始めている。

昔は子供たちの恰好のおやつであったが今の子供は殆ど食べない。

この私でさえも昔ほど食べなくなってしまったほどだ。

せいぜい一粒二粒だろうか甘酸っぱくて美味しいけれど

大きな種がついつい厄介に思えてしまうのだった。

種なし葡萄があるくらいだから種なしヤマモモもあれば良いが

自然の営みの中でそれは到底無理な話であろう。





仕事を終えてから内科の病院へ行っていた。

つい10日前に受診したばかりだったけれど

お薬を一気に減らしたりしたものだから少し不調になっていた。

気分の浮き沈みが続いているのもおそらく薬の影響だと思われる。

それと薬を減らしても朝の眠気は治まらないので無関係だったようだ。

それにしても若い医師の頼りないこと。顔を見ただけでストレスになる。

私は秘かに転院を考えているがそれも勝手にとはいかない。

元々の主治医の院長先生にちゃんと筋を通してからと思っている。


私は病気ではないけれどメンタルが弱いのかもしれない。

元を正せば40代の更年期障害がずっと尾を引いているのだと思う。

いつまでも完全禁煙出来ないのも女性ホルモンのせいだろうか。

そうだとしたら面白いなとふざけたことも考えている。

実際に男性よりも女性の方が禁煙出来難いと聞いたこともある。

これは聞き捨てならないことで研究が必要ではないだろうか。


もう子豚のことを記すつもりはなかったが彼女はまだ生きている。

野放しにしている私が一番悪いことも重々承知しているが

今となってはもう殺めることは出来ないのではないだろうか。


生きることを尊重するとかそんな大それたことではないが

人知れずゆっくりと静かに消滅して行くのであろう。



今、午後7時50分、やっとあたりが薄暗くなった。

まだこれからの夜ではあるけれど私はすぐに眠ってしまうのだ。


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