ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年06月09日(金) たとえ雑草であっても

晴れたり曇ったり。梅雨らしく蒸し暑い一日だった。

いま西の空はまるで燃えているように真っ赤に染まっている。



土手や道路沿いには姫女苑の花がそれはたくさん咲いている。

遠くから見るとかすみ草のようにも見えるが花はまったく違う。

純白の花弁の数は数えきれないほどあり真ん中が黄色い。

マーガレットを小さくしたような可愛らしい花であった。


そろそろ除草作業が始まる頃。たとえ花であっても無残に刈られる。

いや薙ぎ倒されると言った方が良いだろう。それは容赦なかった。

可哀想でならないけれど雑草と呼ばれたらもう逃れない宿命である。

初夏を彩る花であっても人間のように身分が違うのだろうか。

咲き誇る紫陽花がなんだか高貴な人に思えて来る。





今朝も酷い眠気が襲って来てどうしようも出来なかった。

山道の路肩に車を停めて少しでも仮眠をしようと思ったが

いざ車を停めてしまうとなぜか眠ることが出来ないのだ。

仕方なくまた車を走らせたが頭はずっとぼんやりしていた。

やはり原因は分からず戸惑うばかりである。

来週は内科の診察日なので相談してみようかと思っているが

今までの経験からするとおそらく邪険にされるであろう。

主治医と呼ぶにはあまりにも頼りない医師であった。



結局今日も子豚の悪の囁きに負けてしまったが

反省もせず後悔もしていなかった。

自己弁明をするつもりはないがどうしようも出来なかったのだと思う。

自分の精神状態がよく分からない。


気がつけば禁煙を決意してからもう5ヶ月になろうとしている。



2023年06月08日(木) ひとひらふたひら

雨の一日。時おり激しく降る時間帯もあった。


くちなしの花が咲く頃。もう花の盛りを過ぎ枯れ始めているが

それでも芳香を放ち「ここにいますよ」とおしえてくれる。

はっとして近づけば純白の花びらが茶色に染まりとても切ない。

くちなしも紫陽花のように散れない花なのだろうか。


私はやはり最後は散りたいと思う。桜のように潔くはないかもしれないが

ひとひらふたひらと夢を諦めるかのように散れたら本望だ。



山里ではお葬式があった。懇意にしていたお客さんで義父が参列する。

私のことをいつも「姫」と呼んでくれて可愛がってくれた。

季節の野菜をよく届けてくれてどれほど有難かったことだろう。

病状が悪化してからは「畑に取りに来いよ」と電話してくれて

冬野菜の大根や白菜を貰いに行ったこともあった。

その時「もう来年はないぞ」と笑いながら言ったのだった。

もう覚悟をしていたのだと思うがやはり病魔には勝てなかったのだ。


どんなカタチであっても人は必ず死ぬ。永遠の命など在りはしない。





息子のお嫁さんが今日入院し、今夜はけい君を預かっている。

息子は夜勤でけい君を車から降ろすなり職場に向かった。

前回の入院からちょうど一年となる。やはり再発は免れなかった。

病気のことをここに詳しく書くのは控えなければいけないが

決して治らない病気ではないのだそうだ。

気長に見守ってあげなければお嫁さんが可哀想でならない。

それ以上にけい君が不憫でならず出来る限りのことをしてあげたい。

息子の苦労も大きいけれどもうすっかり慣れているようだった。

それが唯一の救いである。決して前途を悲観してはならない。





私はと云えば今朝も酷い眠気に襲われなんとか職場に着いたものの

頭がぼうっとしてしまってまったく仕事に手をつけられなかった。

薬の服用は職場でしたので副作用ではなかったのだと思われる。

いったい何が原因なのかさっぱり分からない。

そうなると子豚の悪の囁きが幻聴のように聞こえ始め

自制心とか道徳のようなものとか一切無視する愚かな私であった。


昨日の今日である。あれほど医師や看護師さんに励まされて

「一緒に乗り越えましょう」と優しい言葉をかけてもらったのに

簡単に裏切ってしまう自分が情けなくてたまらなかった。

もうこそお終いにしよう。このままでは堕落する一方である。

これは意志の問題ではなく狂っているとしか思えなかった。

どんどん自分を追い詰めていくと底なし沼に居るような気がした。


禁煙ノートに正直に記す。それがせめてもの償いである。



雨が小降りになった。明日はほんの少し青空が見えそうだ。







2023年06月07日(水) 一緒に乗り越えましょう

梅雨の中休み。旧暦の頃には「五月晴れ」と言ったそうだが

今は殆ど言わなくなり5月に言うことが多くなったようだ。

そうして昔からの日本語が廃れていくのかもしれない。


南海上にあった熱低が台風3号に発達しとても不気味である。

2号とほぼ同じコースとなりそうでまた豪雨の心配があるようだ。

梅雨時で無ければ避けられるだろうに仕方ないことなのだろう。



今朝は高知新聞の「あけぼの」欄に私の拙文が掲載されていた。

5月21日にここに書いた「燕の行方」である。

毎朝ゆっくりと新聞を読む夫が気づかなったようでしめしめと思う。

本当は気づいて欲しかったのかもしれないが恥ずかしさもあった。

どうせすぐにバレるだろうと思った通り従兄弟に聞いたそうで

すぐに新聞を開いたらしいがすでに私が切り抜いた後であった。

「読みたい」とは言わないものを読ませるわけにはいかない。

毎月とはいかないが年に一回くらいは投稿してみようかと思っている。

紙上だけではなく高知新聞のデーターベースに保存されるのだそうだ。





午後、禁煙外来の3回目の受診。なんだか少し心療内科に似ている。

医師も看護師さんも涙が出るくらい親身になってくれて有難い。

ニコチネルが少し小さくなり2週間分。もっと小さいのが2週間分。

次回の受診日は4週間後だそうでなんとなく不安になった。

その間に子豚の悪の囁きが聴こえたら耐えられるのだろうか。

子豚を無視することが出来なかったらまた元の木阿弥になってしまう。

それだけはなんとしても避けなければいけなかった。


禁煙外来を受診しても途中で止めてしまう人がとても多いのだそうだ。

電話にも出てくれない人も居ると聞いて耳を疑ってしまった。

医師も看護師さんもそれが一番悲しいことだと言う。

「一緒に乗り越えましょう」と心の底から応援してくれているのだ。

それほど親身になってくれる人達をどうして裏切ることが出来ようか。


4週間は長いが、もし不安になったら電話して欲しいと言ってくれた。

限界だと思ったらいつでも来て良いのですよとも言ってくれる。


私は試されているのだと思った。それは意志の強さで在り

どれだけ自分を信じられるのかだと思う。


私の人生が後どのくらいなのか知る由もないが

何をやっても中途半端だった私が「これだけは」と貫きたいことがある。





2023年06月06日(火) 平穏無事ではいられない

二十四節気の「芒種」稲などの穂の出る植物の種を蒔く頃。

昔は田植えの準備が始まる頃だったのだろう。

今は田植えも随分と早くなってしまってあまり季節感を感じない。


山里では10日程前だったろうか義父が種を蒔いていた。

すぐに育苗機に入れたら3日もしないうちに苗が育つ。

それが今年最後の田植えになるのだそうだ。



梅雨らしい雨の一日だった。気温が17℃と冷たい雨となる。

明日は晴れて真夏日に近い気温になるらしい。

寒暖差は少なからず老体に堪えるがもう慣れてしまったようだ。



眠気対策で今日から食後の薬を職場で飲むことにした。

内科の薬は8種類もありそのうち3種類は眠気を伴う。

「車の運転はしないで下さい」と副作用欄に書いてあるにも関わらず

これまで医師からの説明が無かったのが腑に落ちない。

常に喫煙をしていたから副作用を軽減出来ていたのだろうと思う。


その3種類の薬は更年期障害に関わる薬であるが

すでに66歳となり素人考えではもう必要ないのではと思うのだけれど

以前に服用を休んだ時に禁断症状のような異変があったことがある。

やはりこれからも飲み続けなければいけないのだろうか。


医師に相談してみようと思っていたが夫に叱られてしまった。

ようは飲む時間帯を変えれば済むことなのだと言われたのだ。


結局一生死ぬまで飲み続けなければいけないのだと観念する。





今日は子豚の声も聴こえず禁煙は順調だった。

明日は3回目の禁煙外来である。楽しみにすることではないが

正直言って楽しみでならない。医師や看護師さんに会いたいのだった。

今はもう自分一人で耐えているのではないのだと思うと

とても心強くあり努力するにも張り合いがあり勇気が湧いて来る。

そんな自分を裏切ってはならない。なんとしても成功させたいと思う。



夕方ちょとした事件のようなトラブルがありパニックになった。

血圧が180まで上がっていたが今は落ち着いているようだ。


もしかしたらまた息子のお嫁さんが入院するかもしれない。

平穏無事を祈り続けていても「ある日突然」は避けられないことだ。



2023年06月05日(月) 苺色の月

梅雨時らしい曇り日。時おり薄日の射す時間帯もあった。

明日は雨とのこと。どうか程々の雨であって欲しい。


朝の山道を行けば先日冠水していた道路脇に石が積んであった。

山の赤土が流れた後もあり爪痕が生々しい。

それでも最小限の被害で済んで幸いだったと言えよう。



今朝もいつものように午前四時に目覚める。

真っ先に窓を開けたらほんのりと紅い月が見えていた。

後から知ったことだが昨夜は満月で「ストロベリームーン」だったとか。

あの紅色は苺だったのかと思うと心が和むようだった。

それにしても誰が満月の名前を付けているのだろう。


そんな月を仰ぎながら詩を書いたがしっくりとしない。

すぐにこれは駄目だなと思った。それでも発信してしまえば

少なからず反応があり救われるような気持になる。


先日からずっと変わらなければと思っていたけれど

それが返って逆効果になっているようだ。

やはり人目を気にし過ぎているのだと思う。

「これが私だから」ともっと堂々と胸を張っていれば良いのだ。


もう若い頃のような詩が書けなくなってしまった。

それはきっと当然のことなのではないだろうか。





早朝にはすっきりと目覚めているにも関わらず

出勤前から異常なほどの眠気に襲われる。

そのまま仕事に向かうものだから溜まったもんではない。

おそらく食後に飲んでいる薬の副作用だと思われるが

用心して足の鎮痛剤は職場に着いてから飲むようにしている。

それでも運転中に眠いのはどうしたわけだろう。

途中で車を停めて仮眠しようと思うが時間が気になってしまうのだ。



なんとか無事に職場に着き苦い珈琲を飲んでも眠気は治まらない。

ぼんやりと机に向かっていたがその時「子豚」の声が突然聞こえて来た。

まるで夢遊病者であるかのようにふらふらと喫煙所に向かってしまう。

同僚がベンチの隅に煙草の箱を置いてあったのを一本だけ失敬する。


それは本当に不思議なことなのだけれど恐るべし覚醒作用であった。

嘘のようにすっきりと目が覚めて頭も冴えて来る。


禁煙ノートにはもちろん正直に記入したが

異常な眠気については医師に相談した方が良いだろうと思う。


今日は特例として反省も後悔もしなかった。

誰にだってどうしようも出来ないことがあるのだと正論付けたい。

そうしなければ気が変になってしまいそうだ。


「頑張ろう」と云う気持ちは日に日に薄れている。

努力はもう十分にしてきたが明日もきっと努力をするだろう。



2023年06月04日(日) 廃屋の紫陽花

時おり薄雲が広がっていたがおおむね晴れ。

風があまり吹かなかったので蒸し暑さを感じた。


陽射しを浴びる紫陽花はなんとなくしょんぼりとしている。

雨に打たれている方がずっと生き生きとして見えるのが不思議である。

やはり雨の季節を選んで咲いている花なのだろう。


今朝はいつものように詩を書きながら

自分にしがみつくのと自分と向き合うのは違うのだと思った。

しがみつくのは執着であり見苦しさを感じるだろう。

向き合うのは自分をしっかりと見つめることなのではないだろうか。


ようは他人からどう見られるかではなく

自分がしっかりと自分を知ることだと思うのだ。


私の詩は賛否両論があるが最低限の誇りを持っている。

「これだけは譲れない」と胸を張っても良いのだと思う。





昼間は夫と二人で退屈を持て余していた。

何処かへ出掛ければ良かったと言ってみても後の祭りである。

茶の間で録画してあった番組を片っ端から見ていた。

「教場」「行列のできる相談所」「ポツンと一軒家」等。

私は特にポツンと一軒家が好きである。


山奥にあった祖父母の家を思い出す。一軒家ではなかったが

車一台がやっと通れるような酷道を行かねばならなかった。

山道の途中に防空壕の跡があったのをよく憶えている。

田舎なので空襲などめったに無かったのかもしれないけれど

まだ幼かった母も防空壕に入ったことがあったのではないだろうか。


山羊と鶏を飼っていた小屋や牛小屋もあった。

お風呂のすぐ横だったので入浴中に牛が顔を覗かせたこともある。

記憶は途切れ途切れであるがその時の驚きは今でも忘れられない。


牛小屋があった離れの二階が少女時代の母の部屋であった。

母には内緒でこっそりと上がり探検したことがある。

小さな勉強机が置いてあり引き出しの中に母のノートが入っていた。

何を書いているのだろうとドキドキしながら開いたのだった。

内容はすっかり忘れてしまったが短歌のようなものが記されていた。

文学少女のイメージは全く無かったが母にもそんな頃があったのだ。


母屋の裏庭には小さな池があり祖父が錦鯉を飼っていた。

台所の排水がそのまま池に流れるようになっていて

残飯などが流れて来ると鯉が群れて来てパクパク口を開けて食べていた。


台所には竈が二つあってご飯を炊いたり煮炊きをしたり

竈で炊いたご飯はとても美味しくて私はおこげが大好きだった。

祖母がそのおこげでおにぎりを作ってくれてなんと美味しかったこと。


「鶏さんの卵を取って来てや」祖母の声が懐かしく思い出される。

産みたての卵はまだ温かくて宝物みたいにして持って帰った。


「栄養があるきな」祖父は山羊の乳を搾り温めてから飲ましてくれた。

子供心にあまり美味しいとは思わなかったが残さずに飲んだ。



思い出していたらきりがない。まだまだ沢山あるけれど

今夜はこのくらいにしておこうと思う。



祖父母の家は今は廃屋になっており足を踏み入れることも出来ない。

池も枯れてしまってもちろん鯉の姿もなかった。


ただ紫陽花の花だけは大きな樹のようになって今年も咲いているだろう。







2023年06月03日(土) 孤独ではない孤立

昨日の大雨が嘘のような晴天となる。

気温は真夏日に近かったが爽やかな風が吹き抜けていた。

しかし線状降水帯による水害、亡くなられた方もいて心が痛む。

二度とあってはならないと思うけれどこればかりは避けようがない。



朝のうちに図書館へ。また椎名誠の本を借りて来る。

それから「文芸はた」という地元発行の文芸誌を借りて来た。

先日の詩の講演会で初めて会ったお二人の詩人の作品を読んでみたかった。

私にも是非にとお誘いを受けたが年に二回の発行とのことで

前期の締め切りはもう済んでいて後期は秋になるらしい。

今は少し躊躇しているけれど秋になってから考えようと思っている。

「仲間が欲しい」と云う気持ちが少なからずある。

今の私はあまりにも孤独なのではないだろうか。

いや孤独と云うよりも「孤立している」と言った方が良いだろう。





週一のカーブス。今日は測定日だったので夫に足の爪を切って貰った。

体脂肪計に乗る時に素足にならなければいけないのだった。

私の爪は巻き爪で切り難いのを夫が綺麗に切り揃えてくれる。

夫に先立たれたらどうしようといつも思う。それだけ頼りにしているのだ。


豆腐ダイエットの成果はやはりイマイチで体重は1キロ減。

それでも筋肉量は確実に増えているようだった。

汗をかきやすくなったのも筋肉量が増えているかららしい。

足の痛みも今日は軽くなっており心地よく筋トレが出来た。

「継続は力なり」諦めずになんとしても続けようと思う。





夕方からめいちゃんのご機嫌がすこぶる悪く大暴れをしている。

癇癪持ちなので一度怒るともう手がつけられない。

かれこれ1時間ほど泣きじゃくっておりまるで家の中が嵐のようだ。


私が感心するのは娘が絶対に手を出さないことだった。

私がもし母親だったら頬にビンタをくらわしていると思う。

娘は嵐が納まるのをじっと我慢強く耐えているのだろう。


我が家では日常茶飯事のことであるが今夜は特別であった。

父親である娘婿はまだ帰宅していないが

彼は決して叱らない。そうして愛娘をぎゅっと抱きしめるだろう。


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