| 2023年06月07日(水) |
一緒に乗り越えましょう |
梅雨の中休み。旧暦の頃には「五月晴れ」と言ったそうだが
今は殆ど言わなくなり5月に言うことが多くなったようだ。
そうして昔からの日本語が廃れていくのかもしれない。
南海上にあった熱低が台風3号に発達しとても不気味である。
2号とほぼ同じコースとなりそうでまた豪雨の心配があるようだ。
梅雨時で無ければ避けられるだろうに仕方ないことなのだろう。
今朝は高知新聞の「あけぼの」欄に私の拙文が掲載されていた。
5月21日にここに書いた「燕の行方」である。
毎朝ゆっくりと新聞を読む夫が気づかなったようでしめしめと思う。
本当は気づいて欲しかったのかもしれないが恥ずかしさもあった。
どうせすぐにバレるだろうと思った通り従兄弟に聞いたそうで
すぐに新聞を開いたらしいがすでに私が切り抜いた後であった。
「読みたい」とは言わないものを読ませるわけにはいかない。
毎月とはいかないが年に一回くらいは投稿してみようかと思っている。
紙上だけではなく高知新聞のデーターベースに保存されるのだそうだ。

午後、禁煙外来の3回目の受診。なんだか少し心療内科に似ている。
医師も看護師さんも涙が出るくらい親身になってくれて有難い。
ニコチネルが少し小さくなり2週間分。もっと小さいのが2週間分。
次回の受診日は4週間後だそうでなんとなく不安になった。
その間に子豚の悪の囁きが聴こえたら耐えられるのだろうか。
子豚を無視することが出来なかったらまた元の木阿弥になってしまう。
それだけはなんとしても避けなければいけなかった。
禁煙外来を受診しても途中で止めてしまう人がとても多いのだそうだ。
電話にも出てくれない人も居ると聞いて耳を疑ってしまった。
医師も看護師さんもそれが一番悲しいことだと言う。
「一緒に乗り越えましょう」と心の底から応援してくれているのだ。
それほど親身になってくれる人達をどうして裏切ることが出来ようか。
4週間は長いが、もし不安になったら電話して欲しいと言ってくれた。
限界だと思ったらいつでも来て良いのですよとも言ってくれる。
私は試されているのだと思った。それは意志の強さで在り
どれだけ自分を信じられるのかだと思う。
私の人生が後どのくらいなのか知る由もないが
何をやっても中途半端だった私が「これだけは」と貫きたいことがある。
| 2023年06月06日(火) |
平穏無事ではいられない |
二十四節気の「芒種」稲などの穂の出る植物の種を蒔く頃。
昔は田植えの準備が始まる頃だったのだろう。
今は田植えも随分と早くなってしまってあまり季節感を感じない。
山里では10日程前だったろうか義父が種を蒔いていた。
すぐに育苗機に入れたら3日もしないうちに苗が育つ。
それが今年最後の田植えになるのだそうだ。
梅雨らしい雨の一日だった。気温が17℃と冷たい雨となる。
明日は晴れて真夏日に近い気温になるらしい。
寒暖差は少なからず老体に堪えるがもう慣れてしまったようだ。
眠気対策で今日から食後の薬を職場で飲むことにした。
内科の薬は8種類もありそのうち3種類は眠気を伴う。
「車の運転はしないで下さい」と副作用欄に書いてあるにも関わらず
これまで医師からの説明が無かったのが腑に落ちない。
常に喫煙をしていたから副作用を軽減出来ていたのだろうと思う。
その3種類の薬は更年期障害に関わる薬であるが
すでに66歳となり素人考えではもう必要ないのではと思うのだけれど
以前に服用を休んだ時に禁断症状のような異変があったことがある。
やはりこれからも飲み続けなければいけないのだろうか。
医師に相談してみようと思っていたが夫に叱られてしまった。
ようは飲む時間帯を変えれば済むことなのだと言われたのだ。
結局一生死ぬまで飲み続けなければいけないのだと観念する。

今日は子豚の声も聴こえず禁煙は順調だった。
明日は3回目の禁煙外来である。楽しみにすることではないが
正直言って楽しみでならない。医師や看護師さんに会いたいのだった。
今はもう自分一人で耐えているのではないのだと思うと
とても心強くあり努力するにも張り合いがあり勇気が湧いて来る。
そんな自分を裏切ってはならない。なんとしても成功させたいと思う。
夕方ちょとした事件のようなトラブルがありパニックになった。
血圧が180まで上がっていたが今は落ち着いているようだ。
もしかしたらまた息子のお嫁さんが入院するかもしれない。
平穏無事を祈り続けていても「ある日突然」は避けられないことだ。
梅雨時らしい曇り日。時おり薄日の射す時間帯もあった。
明日は雨とのこと。どうか程々の雨であって欲しい。
朝の山道を行けば先日冠水していた道路脇に石が積んであった。
山の赤土が流れた後もあり爪痕が生々しい。
それでも最小限の被害で済んで幸いだったと言えよう。
今朝もいつものように午前四時に目覚める。
真っ先に窓を開けたらほんのりと紅い月が見えていた。
後から知ったことだが昨夜は満月で「ストロベリームーン」だったとか。
あの紅色は苺だったのかと思うと心が和むようだった。
それにしても誰が満月の名前を付けているのだろう。
そんな月を仰ぎながら詩を書いたがしっくりとしない。
すぐにこれは駄目だなと思った。それでも発信してしまえば
少なからず反応があり救われるような気持になる。
先日からずっと変わらなければと思っていたけれど
それが返って逆効果になっているようだ。
やはり人目を気にし過ぎているのだと思う。
「これが私だから」ともっと堂々と胸を張っていれば良いのだ。
もう若い頃のような詩が書けなくなってしまった。
それはきっと当然のことなのではないだろうか。

早朝にはすっきりと目覚めているにも関わらず
出勤前から異常なほどの眠気に襲われる。
そのまま仕事に向かうものだから溜まったもんではない。
おそらく食後に飲んでいる薬の副作用だと思われるが
用心して足の鎮痛剤は職場に着いてから飲むようにしている。
それでも運転中に眠いのはどうしたわけだろう。
途中で車を停めて仮眠しようと思うが時間が気になってしまうのだ。
なんとか無事に職場に着き苦い珈琲を飲んでも眠気は治まらない。
ぼんやりと机に向かっていたがその時「子豚」の声が突然聞こえて来た。
まるで夢遊病者であるかのようにふらふらと喫煙所に向かってしまう。
同僚がベンチの隅に煙草の箱を置いてあったのを一本だけ失敬する。
それは本当に不思議なことなのだけれど恐るべし覚醒作用であった。
嘘のようにすっきりと目が覚めて頭も冴えて来る。
禁煙ノートにはもちろん正直に記入したが
異常な眠気については医師に相談した方が良いだろうと思う。
今日は特例として反省も後悔もしなかった。
誰にだってどうしようも出来ないことがあるのだと正論付けたい。
そうしなければ気が変になってしまいそうだ。
「頑張ろう」と云う気持ちは日に日に薄れている。
努力はもう十分にしてきたが明日もきっと努力をするだろう。
時おり薄雲が広がっていたがおおむね晴れ。
風があまり吹かなかったので蒸し暑さを感じた。
陽射しを浴びる紫陽花はなんとなくしょんぼりとしている。
雨に打たれている方がずっと生き生きとして見えるのが不思議である。
やはり雨の季節を選んで咲いている花なのだろう。
今朝はいつものように詩を書きながら
自分にしがみつくのと自分と向き合うのは違うのだと思った。
しがみつくのは執着であり見苦しさを感じるだろう。
向き合うのは自分をしっかりと見つめることなのではないだろうか。
ようは他人からどう見られるかではなく
自分がしっかりと自分を知ることだと思うのだ。
私の詩は賛否両論があるが最低限の誇りを持っている。
「これだけは譲れない」と胸を張っても良いのだと思う。

昼間は夫と二人で退屈を持て余していた。
何処かへ出掛ければ良かったと言ってみても後の祭りである。
茶の間で録画してあった番組を片っ端から見ていた。
「教場」「行列のできる相談所」「ポツンと一軒家」等。
私は特にポツンと一軒家が好きである。
山奥にあった祖父母の家を思い出す。一軒家ではなかったが
車一台がやっと通れるような酷道を行かねばならなかった。
山道の途中に防空壕の跡があったのをよく憶えている。
田舎なので空襲などめったに無かったのかもしれないけれど
まだ幼かった母も防空壕に入ったことがあったのではないだろうか。
山羊と鶏を飼っていた小屋や牛小屋もあった。
お風呂のすぐ横だったので入浴中に牛が顔を覗かせたこともある。
記憶は途切れ途切れであるがその時の驚きは今でも忘れられない。
牛小屋があった離れの二階が少女時代の母の部屋であった。
母には内緒でこっそりと上がり探検したことがある。
小さな勉強机が置いてあり引き出しの中に母のノートが入っていた。
何を書いているのだろうとドキドキしながら開いたのだった。
内容はすっかり忘れてしまったが短歌のようなものが記されていた。
文学少女のイメージは全く無かったが母にもそんな頃があったのだ。
母屋の裏庭には小さな池があり祖父が錦鯉を飼っていた。
台所の排水がそのまま池に流れるようになっていて
残飯などが流れて来ると鯉が群れて来てパクパク口を開けて食べていた。
台所には竈が二つあってご飯を炊いたり煮炊きをしたり
竈で炊いたご飯はとても美味しくて私はおこげが大好きだった。
祖母がそのおこげでおにぎりを作ってくれてなんと美味しかったこと。
「鶏さんの卵を取って来てや」祖母の声が懐かしく思い出される。
産みたての卵はまだ温かくて宝物みたいにして持って帰った。
「栄養があるきな」祖父は山羊の乳を搾り温めてから飲ましてくれた。
子供心にあまり美味しいとは思わなかったが残さずに飲んだ。
思い出していたらきりがない。まだまだ沢山あるけれど
今夜はこのくらいにしておこうと思う。
祖父母の家は今は廃屋になっており足を踏み入れることも出来ない。
池も枯れてしまってもちろん鯉の姿もなかった。
ただ紫陽花の花だけは大きな樹のようになって今年も咲いているだろう。
昨日の大雨が嘘のような晴天となる。
気温は真夏日に近かったが爽やかな風が吹き抜けていた。
しかし線状降水帯による水害、亡くなられた方もいて心が痛む。
二度とあってはならないと思うけれどこればかりは避けようがない。
朝のうちに図書館へ。また椎名誠の本を借りて来る。
それから「文芸はた」という地元発行の文芸誌を借りて来た。
先日の詩の講演会で初めて会ったお二人の詩人の作品を読んでみたかった。
私にも是非にとお誘いを受けたが年に二回の発行とのことで
前期の締め切りはもう済んでいて後期は秋になるらしい。
今は少し躊躇しているけれど秋になってから考えようと思っている。
「仲間が欲しい」と云う気持ちが少なからずある。
今の私はあまりにも孤独なのではないだろうか。
いや孤独と云うよりも「孤立している」と言った方が良いだろう。

週一のカーブス。今日は測定日だったので夫に足の爪を切って貰った。
体脂肪計に乗る時に素足にならなければいけないのだった。
私の爪は巻き爪で切り難いのを夫が綺麗に切り揃えてくれる。
夫に先立たれたらどうしようといつも思う。それだけ頼りにしているのだ。
豆腐ダイエットの成果はやはりイマイチで体重は1キロ減。
それでも筋肉量は確実に増えているようだった。
汗をかきやすくなったのも筋肉量が増えているかららしい。
足の痛みも今日は軽くなっており心地よく筋トレが出来た。
「継続は力なり」諦めずになんとしても続けようと思う。

夕方からめいちゃんのご機嫌がすこぶる悪く大暴れをしている。
癇癪持ちなので一度怒るともう手がつけられない。
かれこれ1時間ほど泣きじゃくっておりまるで家の中が嵐のようだ。
私が感心するのは娘が絶対に手を出さないことだった。
私がもし母親だったら頬にビンタをくらわしていると思う。
娘は嵐が納まるのをじっと我慢強く耐えているのだろう。
我が家では日常茶飯事のことであるが今夜は特別であった。
父親である娘婿はまだ帰宅していないが
彼は決して叱らない。そうして愛娘をぎゅっと抱きしめるだろう。
午前中は記録的な豪雨となる。
今朝、高知県西部に線状降水帯が発生し短時間にかなりの雨をもたらす。
ちょうど出勤中のことで山道はまるで川のようになっていた。
幸い土砂崩れはなかったが所々で道路が冠水しており危険を感じる。
ブレーキが効かなくなる可能性もあり何度も確かめながら走った。
これほどの雨を過去に経験したことがあっただろうか。
午後には警報が解除され雨もやっと小降りになった。
今もまだ降り続いているが明日の朝にはもう晴れそうである。
止まない雨はないと云うが自然の猛威を怖ろしく感じた一日だった。

2年前の2021年の1月から2月にここではない場所で
日記なのだけれど「ブログ」を書いていたことがある。
エンピツ日記の障害で日記が書き込めなくなっていた時だった。
その日記のようなブログを今日はふと読み返す機会があった。
まだ孫たちのことばかり書いていてなんと懐かしいことだろう。
ある日の日記に3人でお風呂に入ったことが書いてあった。
今思えばそれが3人で入った最後のお風呂になったようだ。
今はお風呂どころか一緒に夕食を食べることも無くなった。
寂しいことだけれど二人の孫が成長した証かもしれないと思う。
あやちゃんとの日々の会話もとても懐かしい。
僅か2年前のことなのにずいぶんと昔のようにも思える。
あの頃は毎日が楽しかったが今は何故かしんみりとしてしまうのだ。
一日一回は会話をと心掛けていて「おはよう」の日もあれば
「おやすみ」の日もある。今日は「ただいま」と「おかえり」だった。
あやちゃんがどんどん遠くなる。私は決して追ってはいけないようだ。

今日は職場で久しぶりに子豚に会った。
その時に微笑まなければ良かったと今になり後悔している。
禁煙ノートに正直に「魔が差した」と書いた。
ずっと順調にしかも快適に過ごしていただけに自分を疑う。
仕事のストレスだろうか。よく分からないが済んだことはもういい。
そのうち子豚は豆腐の角で頭を打って死ぬだろう。
曇りのち雨。いかにも梅雨らしい一日となる。
台風は沖縄に接近しており大きな被害が無ければ良いが
すでに停電になっている地域もあるようで不安な夜となることだろう。
食料品もかなり品薄になっているようだ。
海が大しけのため本土からの物流が止まっているらしい。
台風には慣れていると云ってもどれほどの試練だろうかと気遣う。
高知県も明日は大雨の予報で「線状降水帯」が発生するらしい。
こればかりはどうすることも出来ず受け止めるしかないだろう。
今回の台風は2号。この先どれほどの台風が発生するのか分からない。

夕食の支度をしていたら知らない番号から着信があり
会社の電話を転送にしているため何か急なトラブルかなと思って出た。
そうしたらそれは私宛でなんと「高知新聞社」からであった。
「あけぼの」と云うちょっとしたエッセイを掲載するコーナーがあり
ここで書いた5月21日の日記を少し手直しして送っていたのだった。
もう10日も経っており「ボツかな」とすっかり諦めていたのだけれど
近いうちに掲載されるとのことで一気に嬉しさが込み上げて来る。
このいつ消滅するのか分からない日記のほんの一部分であっても
活字となりこの世に残すことが出来るなんて夢のようではないか。
それくらいのことでと笑われてしまうかもしれないけれど
私のような名もない者にとってそれがどれほどの励みになるだろうか。

豆腐ダイエット。もう何日目なのか忘れてしまったけれど
今日はスーパーで「勝ち越し豆腐」を見つけた。
製造中止になっていたのではなくいつも売り切れていたらしい。
それだけ美味しいと云うこと。梶原食品の看板商品である。
「今日のもめん明日のもめん」は硬めのお豆腐なのに比べて
「勝ち越し豆腐」は柔らかめでとろりとした食感がある。
丁度木綿と絹の中間だと云って良い。喉越しがとても良いのだった。
あまりの美味しさに一丁丸ごと食べようかと思ったが
それだけで満腹になってしまうので半分は明日の夜に取って置く。
夫が茶々を入れるように「もうタレント豆腐じゃないか」と言った。
豊ノ島のお父様も今は複雑な気持ちなのかもしれないけれど
力士として活躍した息子をきっと誇りに思っているのではないだろうか。
芸能界でもすっかり人気者になった豊ノ島は今からもきっと勝ち越す。
私は郷土の一ファンとしてこれからも応援し続けたいと思っている。
ちなみに私はずっと負け越しているがたまに一勝することもある。
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