ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年05月24日(水) 二度目の禁煙外来

5月らしい爽やかな晴天。風が涼しく感じられた。

昨日千切れてしまったアマリリスの花を水中花にしていたら

今朝は蕾だった方も開きふたつの花が水に浮かんでいた。

捨ててしまっていたらそんな姿も見られなかったことだろう。

千切れた花にも確かにいのちが宿っていることを改めて知った。




仕事を終えてから二度目の禁煙外来へ。

煙草を吸ってしまったことを叱られるのではと緊張していたが

医師も看護師さんも優しい笑顔で頷いてくれたのだった。

体内の一酸化炭素の濃度を測ったら殆どゼロに近くなっていた。

2週間前と比べたら大きな差でそれが成果に繋がる。

体内に一酸化炭素が増えると動脈硬化や脳梗塞になり易いのだそうだ。

永遠に吸い続けていたらと思うとぞっとするような事実である。

完全禁煙も5日目になっており随分と自信もついてきた。

医師にその度合いを訊かれたので90%だと答える。

今のところ前途はとても明るい。このままなんとしても乗り越えよう。


ニコチネルは引き続き貼り続けなければいけない。

体内にニコチンを吸収させて害はないのだろうかと心配になったが

急に貼るのをやめてしまったら禁断症状が出易くなるのだそうだ。

とにかく自分が治療中であることを意識して過ごさねばならない。

以前のひと月間の禁煙を思い出すとぶり返すことも在り得るだろう。

成功したと喜んでいてもどこに落とし穴があるか分からないのだ。


さきほど血圧を測ったらまた平常値になっていた。

それは初めて禁煙外来に行った時と同じ現象である。

やはり精神的な要因があるのだと思わずにいられない。


ストレスとは厄介なもので自分では気づかないことも多い。

不安や緊張も大いにストレスに繋がっているのだろう。

特に私は神経症なのでそれも考えられると自分なりに判断している。


すべてのことが順調だとは言い切れないが確実に前へ進んでいる。

もう二度と元の木阿弥になることはないだろう。





今朝はSNSで昨日見た栴檀の花の散る様子を詩にしてみた。

そうしたらK子さんが真っ先に作風が変わったと気づいてくれる。

「詩に近づいてきた」とコメントがあり少し苦笑いをしてしまった。

それでは今まで私の書いて来たものは詩ではなかったのだろうか。


自分は詩人だと名乗る人に読まれるよりも

詩とは全く関係のない暮らしをしている人に読まれるのが嬉しい。

それだけ誰のこころにも伝わることが出来るのだと思う。

ひとの心を打つ。ひとの心に響く。そんな詩を私は書きたい。


K子さんは東日本大震災の被災地でもある石巻で暮らしている。

クリスチャンであり毎朝「みことば」を発信し続けている。

84歳の高齢でありながら若々しく溌溂としていて私は大好きだ。





2023年05月23日(火) 懐かしき子豚

晴れたり曇ったり。気温はさほど高くなく爽やかな風が吹いていた。

栴檀が小雪のように散っていく薄紫の儚い想い


桜吹雪と云うくらいだから栴檀吹雪と呼んでも良いのではないだろうか。

最初見た時にはいったい何が空を舞っているのだろうと思った。

栴檀の花の季節が終ろうとしている。そうしてやがて実を付けるのだ。



今朝は出掛けに何気なく庭の隅を見たら思いがけないことに

すっかり諦めていたアマリリスの花が咲いていた。

ずっとほったらかしで水遣りもしたことがなかったせいか

葉の中心から茎が伸びないまま花を咲かせていたのだった。

あまりの可愛らしさに嬉しくてならず鉢ごと玄関先に移そうとしたが

結構重くて片手では持ち上げることが出来なかった。

今朝は特に足の痛みが酷く杖を手放せなかったのだ。


夫に運んでもらおうと声をかけたら酷く機嫌が悪い。

「出掛けに何をやりよるがぞ」とお叱りを受ける。

それでもしぶしぶと運んでくれようとしたのだが

手荒く持ち上げたせいか手を滑らせてしまって落としてしまった。

鉢は割れてアマリリスの花は無残に折れてどうすることも出来ない。

直ぐに球根を植え替えてやらないと駄目になってしまうと思い

夫に後始末を頼んだが機嫌の悪さはすでにマックスになっていた。


泣きそうな気分で職場に向かう。朝からなんてことだと悲しい。

せめて「俺に任せておけ」と言って欲しかった。

それが帰宅してからびっくり。夫が綺麗に植え替えてくれていたのだ。

見るに見かねたのだろう。根は優しい夫だからこそのこと。


一昨日のこともあり我が家の花たちは災難続きだけれど

アマリリスはまた来年きっと咲いてくれるだろうと思う。

私は思うように庭いじりが出来なくなってしまったけれど

花の無い暮らしは考えられず少しでも育てられたらと思っている。





「ニコチネル」13日目。いよいよ明日は2度目の禁煙外来である。

全部で5回受診しなければいけないのでまだ先は長い。

治療中は吸ってはならない煙草を吸ってしまったので

きっとお叱りを受けることだろう。もう覚悟は出来ている。


けれども今日も順調。完全禁煙4日目となった。

先週までの離脱症状は全く無くなり嘘のように楽になっている。

この状態が続けば禁煙成功となること間違いないだろう。


子豚のことがふと懐かしく思い出される。

すっかり悪者にされてどれほど辛かったことだろうか。

今思えば私は子豚のことが大好きだった。

散々罵ったこともあったが子豚が居てくれたから今の私がある。



2023年05月22日(月) 子豚の最期

晴れのち曇り。気温も高くなり蒸し暑さを感じた。

午後山里で今年初めてホトトギスの鳴き声を聴く。


昨日は山里の「星ヶ丘公園」に豊ノ島が来ていたそうだ。

全く知らずにいて夕方のローカルニュースでさっき知ったばかりである。

トークショーもあったそうで今の芸能界の仕事について語り

「引っ越しをしたような気分」だと言って笑っていた。

相撲界とは違って何もかもが新鮮で楽しくてならないのだろう。


私はもちろん引っ越しは出来ないけれど先日から少しずつ

自分を変える努力をしている。今更のようにも思うけれど

何かを始めるのに遅すぎることはないのではないだろうか。


歳のせいにして色んなことを諦めて来た。

臆病にもなりそのうえに億劫でもある。

どうせ私なんかと自分を卑下することも多くなった。


大それたことではない。ほんのささやかなことで良いのだと思う。

新鮮な空気に触れてみたい。今までと違った自分に会いたいのだ。





「ニコチネル」12日目。今日は思いがけずに順調だった。

仕事が忙しかったせいもあるが全く煙草を吸いたいと思わなかったのだ。

完全禁煙3日目でもありもしかしたらと目の前が明るくなる。

しかしまだ油断は出来ない。子豚の息の根を止めなければならない。

GW中に5日の禁煙に成功していたが、あの時とは何かが違う。

おそらく必死で我慢していたのだろうと思う。

だからGWが終るなり「餓え奴」のようになり吸ってしまったのだ。


意志の強さ。自制心と自分に必要なことは確かにあるけれど

今日のようにすんなりと自然に過ごせたことは奇跡のように思う。

なんだか暗いトンネルの中から抜け出したような達成感があった。

もう苦しまなくても良いのだろうか。私は救われたのだろうか。


子豚は今頃どうしているのだろう。衰弱し切ってしまって

生きる気力も失ってしまっているのかもしれない。

だからと言って嘆くだろうか。悲痛に暮れるのだろうか。

決してそうではないと私は思っている。


私と子豚は一心同体であったが私の方が変わろうとしているのだ。

もう子豚の手の届かないところに私は行こうとしている。


別れの言葉はまだ考えていない。ただ子豚の最期を見届けたいと思う。





2023年05月21日(日) 燕の行方

二十四節気の「小満」いのちが満ち満ちていく頃。

道端の草にも蟻んこにだっていのちがある。

どんなに小さないのちでも陽の光を浴びて輝くことが出来る。



我が家の燕が巣に寄り付かなくなってまた新しい巣を作り始めた。

夫が言うには昨日大きな蛇が巣に近づいていたのだそうだ。

なんとか追い払ったらしいが巣を荒らした後だったのかもしれない。

雛が居た様子はなかったが卵を飲み込まれた可能性もある。

危険を察したのだろう、早朝からせっせと土を運び始めていた。

それが困ったことに玄関ドアのすぐ真上なのであった。

燕には何の罪もないがさすがにその場所は厄介である。


仕方なくその場所にアルミホイルを貼り付けることにした。

アルミホイルはキラキラ光るせいか燕は苦手なようだった。

「追い払う」と云えば聞こえが悪いがそれが一番の得策である。


夫が脚立に上がりその作業をしていたところ

下りる時に足を踏み外してしまい私の目の前で転倒してしまった。

一瞬のことで支えることも出来ず玄関先の花の上に落ちたのだ。

プランターは割れて花は折れてしまい庭先は泥だらけになった。


私はと云うと夫よりも花が心配で思わず悲鳴を上げていた。

起き上がった夫は「大丈夫や、なんちゃあじゃない」と言ったのだけれど

花たちのなんと無残なことだろう。私は涙が出そうになった。

しかし花の上に落ちなかったら夫は怪我をしていたことだろう。


あたりを片付け花も植え替えなければいけなかったが

足が痛くて思うように動くことが出来なかった。

そうしたら夫がまるで罪滅ぼしのようにして片付けてくれたのだった。

めいちゃんが花に水を掛けてくれて少し元気になったようだ。


元々は燕騒ぎ。いや蛇騒ぎだろうか。

結局は誰のせいでもなく一件落着となって良かったと思う。


燕は今頃どうしているだろう。もうすっかり日が暮れた。

我が家が気に入って毎年来てくれたのに気の毒なことをしてしまった。




2023年05月20日(土) 草木国土悉皆成仏

朝から快晴。気温も高くなりすっかり初夏の陽気となる。

我が家の庭先にはゼラニウム、バーベナ、金魚草と

殆ど手入れもしないのに健気に咲いてくれている。

以前にはアマリリスも咲いていたけれど今年も駄目かもしれない。

ある年から花芽が出なくなってしまったのだ。原因は分からない。


ご近所さんでは紫陽花が少し色づき始めている。

これから雨の季節が訪れるがどれほど心を和ませてくれることだろう。






午前中に図書館、買い物、カーブスと結構忙しい。

図書館では椎名誠の「大きな約束」を借りて来た。

本人は自分の事をいいかげんな作家とほざいているがとんでもない。

彼の私小説は今まで読んだ誰の作品よりも素晴らしく面白いと思う。


カーブスではやはり足の痛みがあり全力は出せなかったけれど

心地よく汗を流しすっきりと清々しく思った。

何事も気の持ちようなのだと改めて気づかされた。



午後は黒潮町の「あかつき館」へ林嗣夫さんの講演を聴きに行く。

「聴く」と言うよりも会いに行ったと言うべきだろうか。

とても温和な表情をした朗らかな方ですっかり一目惚れしてしまった。

もう87歳と高齢ではあるが声は溌溂としており説得力がある。

いろんな話を聴かせてもらったが最後の一言が印象的だった。


「朝陽を拝む人に敬意を表す」草木国土悉皆成仏である。

そうして詩には必ず希望がなければいけないことを教わった。


林先生以外にも新たな出会いがありとても貴重な時間となった。

特に思いがけなかったのは私の若い頃の詩のことを知っていて

「ずっと会いたかったです」と言ってくれた人が居たことだった。

同じ市内に住んでいる人なので親しくなれそうに思った。


私はずっと独りぼっちで詩を書いて来たけれど

もしかしたら仲間が出来るかもしれないと胸が膨らむようだった。

共に詩の話を出来るだけでどれほど救われることだろうか。


なんだか奇跡のようなひと時となり夢のようであった。

出会うべきして出会ったようなご縁があったのだろう。



人は輪廻転生を繰り返していると信じているが

今日出会った人達はみなとても懐かしく感じたのだった。



2023年05月19日(金) 見捨てることなど出来ない

午後には雨が降り止み今は西の空が茜色に染まっている。

それにしても随分と日が長くなったものだ。



今朝のSNSでK子さんから

「思い切って、過去は振り返らず、愛するご家族のこと、

今の友人のことを詩になさったらいいのではと思います。

後ろのものを忘れひたすら前へと!」コメントを頂いた。


人生の大先輩でもあるK子さんの言葉はとても有難かったが

私はずっと「いのち」をテーマに詩を書き続けて来たので

いきなり家族や友人と言われてもなんだか戸惑ってしまう。

それと決して過去にばかり囚われているつもりはなかった。

確かに最近は暗い詩が多かったがそれが過去だとは言い難い。

しかし前向きな詩が書けなくなっていたのは事実であった。

「他人から何を言われても」とある詩人さんから言われたことがある。

それは何を言われても自分を信じ貫くことが肝心だと言うことである。

私はいつも自分と向き合って来たしありのままの自分を書いて来た。

それは他人から見たら見苦しく目を反らしたくもなったことだろう。

だからと言って自分から逃げるつもりはない。

人目を気にし体裁ばかり繕った詩になんの感動があるだろうか。






「ニコチネル」9日目。やはり子豚が私の傍から離れない。

ニコチネルの説明書を改めて読んでみたのだけれど

離脱症状を軽減する効果があると記されていた。

それは絶対に嘘であると断言しても良い。

効果どころか何の実感も感じないので今までと何も変わらないのだ。

離脱症状は今日も最高レベルとなり我慢の限界となってしまう。


気分が落ち着かずそわそわして仕事に集中出来ない。

今日は特に仕事が忙しかったので気が張っていたのだろう。

風船に例えると破裂する寸前のようだった。

子豚が猫撫で声ならず豚撫で声で近づいて来るのを払いのける。

何度もそれを繰り返しているうちのとうとう負けてしまったのだった。

悔しくてならない。敗北感がそのまま後悔になっていく。

禁煙外来に行くときっと救われるはずだと信じていたが

今はなんだか雲を掴むような気持になっている。

雲を掴むのは不可能だから当然のように落ち込んでしまうのだった。


週末は完全禁煙が出来そうだが週明けが怖くてならない。

またひたすら我慢で必死に耐えなければいけないのだろう。


ああ嫌だなこんな私。でも見捨てることなど出来ない。



2023年05月18日(木) 堪忍袋の緒が切れる

ぽつぽつと小雨降る一日。気温は昨日よりも10℃低い。

暑さは和らいだがなんだか梅雨を思わすような天気であった。



今朝は高知新聞のローカルジャーナルを見ていて気になる詩誌があった。

なんとか手に入れられないかと高知新聞に電話して訊ねてみたら

発行元に連絡してくれてとても親切な対応を受ける。

林嗣夫さんは高知を代表する有名な詩人であった。

まさか直接話が出来るとは思っていなかったのでとても感激する。


そうしたらまた思いがけないことに明後日詩の講演会をするのだそうだ。

場所はすぐ隣町の黒潮町とのこと。なんだか夢のようであった。

「是非お会いしましょう」と言ってくれて胸がいっぱいになった。

その時に詩誌をわざわざ持って来てくれるのだそうだ。


これはあくまでも私の直感ではあるが不思議な縁を感じたのだった。

思い上がりかもしれないけれど私の詩を読んでくれるかもしれない。

その上にその詩誌の同人に加えてもらえるかもしれないと思った。

駄目で元々である。とにかく自分に出来ることをやってみようと。

私にとっては最後のチャンスに思えてならないのだった。


私はこのまま一生芽を出せないかもしれないけれど

最後の最期まで書くことを諦めないでいたいと思っている。





「ニコチネル」8日目。今日も貼っている実感は全くない。

しかし今日こそは絶対に我慢しようと心に決めていた。

けれどもお昼前まで必死に我慢をしていたが堪忍袋の緒が切れる。

もしかしたら私はニコチン中毒ではないのかもしれないと思った。

ニコチネルで体内にニコチンを吸収させているはずなのに

どうして煙草を吸いたくなってしまうのか理解出来ない。

仕事をしていてもそわそわと落ち着かず集中力が殆ど無かった。

さすがの同僚も機嫌が悪く苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。

禁煙日誌に正直に書く。そうしながら後悔をするのだった。


親身になってくれ応援してくれた医師や看護師さんに会いたくてならない。

話を聞いてもらえるだけでどれほど救われるだろうか。

もう駄目だと決めつけてはいけない。

成功する可能性はまだあるのだと思っている。


意志よりも医師だと言ったが、やはりい一番大切なのは意志なのだ。


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